034 魔物を酔わす酒
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「それでチルアナの件だけど……」
「もう昨日、話をしたでしょう。シャルレドが連れて行ってしまった以上、もはや手の打ちようはありません」
サニードはダイニングで椅子の背もたれを両足で挟んで「んー」と仰け反る。
火を落とした釜から何かを取り出しているオクルスが、彼女の銀色の瞳に逆さに映っていた。
「じゃあ、聞くけど。なんでシャルレドが? 雑貨屋は閉まってたし、彼女たちはどこへ行ったのさ?」
昨日、蘭芙庭に行った帰りと、今朝方にも見に行ったのだが、いずれの時間も店は閉じており、人の居る気配もなかったのだった。
「普通に考えれば、ペルシェを出たと考えるべきでしょう」
「そんなのウチだって分かっているよ! ヴァルディガの手下がウロウロしてる町にいられるわけないもん! でも、だからそうじゃなくて、町を出てどこだって聞いてんの!」
「そんなこと私の知る由もない」
にべもなくそう言われ、サニードは頬を膨らませる。
「もし、チルアナが捕まって、ヴァルディガに話しちゃったら困るんじゃないのぉー?」
「その可能性は低いと思いますね」
「なんでそんなことが言えるわけ?」
「まず、ヴァルディガ氏はチルアナを捜索することはないでしょう。シャルレドのことは捜す可能性が高いですが」
「ん? それおかしくね? チルアナを捜すんじゃないの? なんでヴァルディガは、シャルレドなら捜すって言えるのさ?」
「ふたりが男女間における特別な関係にあると思われるからです」
サニードが「え? もしかして恋人なん?」と興味津々に喰い付くが、オクルスはそれ以上の説明はしなかった。
「……シャルレドを捜索する過程でチルアナ見つけ出したとしても、わざわざ私のことを話すとも思えないですね」
「……そうかぁ? うーん」
「あの場にいて、チルアナを治したことは本人以外知りません。私をそれを結びつけたのは、サニードの推論です」
「すいろん……うーん」
「ましてやシャルレド、ドゥマや手下たちも現場に居合わせていた。つまり、これはチルアナの単なる主観による話になります。私がヴァルディガ氏ならば相手にしないでしょう」
「信じない? チルアナの話を? じゃあさ、なんでチルアナを助けに……一緒に行ってくれたの?」
「リスクは小さかったとしても、それを排除できるに越したことはないからです。しかしチルアナがペルシェに居ないのであれば、ほぼ排除したと考えて同義です」
「……排除って、言い方がさぁ。んー、ん? あれ? ならさ、ウチが周りに話したとしても信んじる人っていないんじゃね?」
「初めて出会った時点ではそこまでは分かりませんでした。いま私がした話は、チルアナの治癒の話と、私が魔物であることを結びつけはしないということです。貴女の件とは事情が異なる」
「そうなの?」
「ええ。赤の他人だったからこそ、『魔物を目撃した』なんて類の話は、仮にわずかだとしても懸念を抱かせるには充分です。真実を誰かに話すよりも、そんなことで尾鰭のついた噂が広まる方が厄介と判断したまでです」
「それ、ウチが誰かに言うって思っていたってこと!? なんだよそれ!」
「現実、チルアナは私の正体に気付く一歩手前です。貴女の迂闊な発言のおかげでね」
「うっ! そ、それは……」
オクルスに冷ややかに見られ、サニードはモゴモゴと口を動かした。
「貴女やチルアナがヴァルディガ氏にひとつの真実を話すことよりも、無駄に広まった噂がヴァルディガ氏の耳に入る方が問題です。噂というものは、それが真実であろうが嘘であろうが、商売人にとっては命取りになる」
サニードは唸って首を傾げる。
「……なんかさ、そこまで他人の心理が分析できるのにどーしてかな?」
「なにがですか?」
「時々、チグハグというか……ウチとかの気持ちを全然読めない時あるじゃん。さっきみたいに」
「怒りや恨み、猜疑や生理生存欲求から生じる行動は私にもあるので分かりやすい。また利があるかどうか、人間は魔物よりも打算的に考えます。交渉にそれは必要不可欠です」
「なんかよく分かんないけど……オクルスにとって利益があるかどうか? それ以外はどうでもいいの……うわっ!!」
椅子の片側に体重をかけていたサニードは、バランスを崩して倒れそうになる。そこをオクルスが手を伸ばして支え止めた。
「あ、ありがと……」
「そういうことです」
「え?」
「いまの貴女は怪我をする可能性を予測できなかった。私はしていた。興味があるかないかで、こうまで結果は変わってきます」
「でも、ウチを助けてくれたのは……ウチに興味があったからじゃ……」
「メディーナが貴女の治療をする面倒を避けたまでです」
「かわいくない!」
「……貴女の言っていることは私には理解できないものが多い」
「……それは少しずつ分かってくれれば……って、さっきから何をしてるの?」
オクルスが網を使い、釜の中身を漁っているのを見てサニードは問う。
「崩れた外殻を取り除いています。分離の支障となるので」
投げ捨てている先にある鉄タライの中を覗くと、そこにはふやけた木屑のようなものがこんもりと積もっていた。
「これが魔物の核? その中身が釜の中にあるの?」
「そうです。溶液の中に溶け出した状態になります」
「その核ってなんなの? なんで魔物の身体にはこんなものがあるの?」
サニードがそう聞くと、オクルスは怪訝そうな顔を浮かべた。
「魔物にだけではありません。人間種の中にも存在します」
「へ? ウチの身体にも?」
「ええ。非常に小さいですがね。脳の一番真ん中……大脳の間の部分に、小指の爪より小さいものが存在します。魔物は拳大から、人間の頭部ぐらいまで種々様々です。基本的に硬い外殻に覆われていますが、人間種は被膜に覆われているだけという違いもあります」
「……で、これなんなの?」
「魔力の源となる器官です」
「魔力の源? なら、核があるから魔法が使えるということ?」
「それだけではありません。人間種は魔力に依存しない性質や、真逆の力を持つ者もいますが……魔族や魔物は魔力がないと死滅します。魔族は魔力のみを持つがゆえに、魔族や魔物と呼ばれるのです」
「……オクルスも?」
「シヒヒッ!!」
いきなり笑い出したオクルスに、サニードはビクッとする。
「失礼。そうです。私のスライムという粘液生物の特性上、核の防御力は高くはありません。剣や魔法で容易に破壊できる」
「なら、オクルスの核を攻撃したら……」
「そう。私を殺せるのです」
「……そんなのイヤだ」
オクルスはサニードを一瞬だけ見やり、そのまま黙々と作業を続ける。
あらかた外殻の破片を掬い終わると、手前に桶を置いて慎重に釜を傾けていく。薄い紫色をした溶液が桶の中を満たしていく。
「……それからは?」
「魔力で強い外圧をかけつつ、さらに濃縮させてから分離作業に入ります」
「これがその機械ってこと?」
平テーブルの上を走るパイプを指さして聞くと、オクルスは「そうです」と頷く。
桶に溜まった溶液を、今度はあの大瓶の中に入れて行く。
「濃縮と分離を数回繰り返し、そうして純度を高めたエキスを、今度は“セダティブ”と呼ばれる別の溶液と混ぜることでようやく完成します」
オクルスは平テーブルの上に置いてあるフラスコを指差す。そこには半透明な液体が満ちていた。
「あー、そもそも、これなんなの?」
「“エキストラクト”と呼んでいます」
「エキストラクト?」
「魔物が酔う酒とでも言えば分かりますか?」
「お酒? お酒を作ってるの?」
「まあ、そう思ってくれて間違いないですね」
オクルスはタオルで手を拭い、装置を起動させると、瓶が細かに振動し始める。
「美味しいお酒なの?」
「人間種が飲めば間違いなく死にます。魔物も……セダティブで薄めて初めて飲めるものですから。試飲はしたことがないので味の方は知りません」
「売るため? 売るためだよね? そんなの売れるの?」
「それは後ほど分かります。さて、後は勝手にやってくれるので完成するまで待つだけです」
「随分と簡単なんだね」
「そう見えますか?」
「うん。だって煮出したものを、その機械に入れるだけなら、ウチにもできそうだし……」
「私は手順をひとつも間違えてませんが、これで精度の良いものが完成するかは五分五分といったところです」
「え? そうなの?」
「魔物の核の同質選定から、煮出す時間もマチマチです。濃縮や分離の際に魔力の離散を防ぐために、加減圧も細かに調整しなければなりません」
オクルスは棚からノートを取り出してサニードに見せる。そこにはびっちりと、材料の量や煮出した時間などが細かに記され、試行錯誤を繰り返して来たということが一目でわかった。
「ここまで来るのに、100年ほどはかかってます」
「100年! ……短命種なら余裕で死んでるじゃん」
「ええ。それでも完成にはまだほど遠い……」
オクルスはそう言って、なにかに気付いたように窓の外を見やる。
「どうしたの? オクルス?」
「……どうやら頼んでいた品が用意できたようです。これから外出します」
「え? 外出って……市場?」
「いいえ。もっと遠いところですよ」
オクルスはそう言って、作業していた道具を片付け始める。
「えっと、ウチも……?」
「……そうですね。来た方がよいでしょう。貴女の魔眼について詳しい人物と会いますから」
「ホント!? それって……」
「私の“先生”とも呼ぶべき方です」




