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134 魔商の“仔”

(およそ6,400文字)

「うおぇぇーッ!!」


 サニードは盛大に地面に向かって吐く。


「……ゼェゼェ。なにが“吐き気を覚える”だよ! ウェイロー! 目の前がグルグルして、すっげー気持ち悪い!! うっ!」


 胃の中のものをすべて吐いたはずなのに、まだ止まらず、サニードはえづきながら苦しそうに胃液を吐く。辺りに酸っぱい臭いが漂い、さらにそれが吐き気を刺激する。


 ひとしきり吐き切ると、サニードはヨロヨロと立ち上がる。貧血を起こして、わずかに視界がチカチカした。


「……でも、着いた。間違いない。セフィラネの島だ」


 オクルスと共に来た時に見た海が、繁みの先に見えていた。


「グリン。行こう」


 側で心配そうに揺れていたグリンは、サニードが歩き出すとそれに続く。



「ちょっと……なんだよ、これ……」


 石畳は浮き上がり、庭には砕けた岩が転がり、噴水は割れ砕け、庭木は何本も根こそぎ抜け落ちて転がっている。


「襲われた? 攻撃? まさか、ヴァルディガが……」


 そこまで言って、ここがサルダンより遥か遠くの場所にあるのだと思い出し、そんなことありえないとサニードは考え直す。


「でも、セフィラネやセージを襲うなんて……」


 ふたりはオクルスと同じ強者だ。並の魔物に負けるはずがないとサニードは思う。


「そうだよ。セージ! セージ!! どこ!? 返事をして!!」


 サニードは大きな声で呼ぶが返事はない。


 庭園の中に入って行くと、彼が以前、商人ごっこで使っていた敷布や品物があったが、ところどころ焼け焦げてボロボロになってしまっていた。


「……いったい、なにがあったんだよ」


 サニードは草むらに転がっていた綿棒を手にして、屋敷の方を見やる。


 そして、歩き出そうとした時……


「ピィッ!」


「え? グリン?」


 グリンが鳴いたのに、サニードは顔だけ振り返る。


 しかし、右足だけが先に進んでいて、踏もうとした石畳が急に消えた。


「え!?」


 サニードはギョッとしたが、前のめりに片足が空を踏み抜き、その視界が一挙に切り替わる!


「う、うああッ! なにこれぇ!?」


 それは断崖絶壁だった。


 崖から、遥か下にある荒れ狂う海へと、サニードは今まさに落ちようとしていたのだ。


 もうダメだとサニードが目を閉じた瞬間、グリンがピョンと飛び跳ねて、彼女の服の裾にバクンと噛みついた。


「と、ととぉッ!!」


 そのままグリンは横回転し、サニードを後方に投げ飛ばす。


 噴水の残った縁に尻もちをついて、「イタァー!」とサニードは涙目に叫んだ。


「……あー、そうか、そういやオクルスが言ってた。“落とされる”ってこういうことだったのかよ」


 サニードは頭を振って立ち上がる。


「助けてくれてありがと。グリン」


 サニードはグリンを抱えると、その頭を撫でる。心なしかグリンは喜んでいるように見えた。


「もう大丈夫。ウチには魔眼があるから……」


 サニードがそう言うと、瞳が銀色に輝く。


 そして、庭の各所に隠された魔法陣が視えた。


「たぶん、ウェイローや悪魔が使う結界とはまた違うヤツなんだろうね」


 その魔法陣に触れないよう、サニードは慎重に先に進む。そして横を通り過ぎるたびに、そのトラップ魔法は解除されて行く。


 そして、玄関の前の石畳を踏んだ瞬間、庭に仕掛けられていた魔法がすべて解除された。


「……これって、攻撃して来たヤツは、セージの幻術に一切かからなかったってことだよね」


 どんな強敵が待ち受けているのだろうと、サニードはゴクリと息を呑む。


「でも、ウチはもう前に進むしかないんだ」



 屋敷の外観はさほど壊れていなかったが、中に入ると明らかに争った形跡があった。


 絨毯は焼け焦げてめくりあがり、燭台は倒れ、シャンデリアは落ち、棚やサイドテーブルはバラバラになって散乱している。


 螺旋階段の手摺は割れて砕けてしまい、垂れ幕も何枚か引き摺り落ちていた。


 深いヒビの入った階段を気をつけて昇り、ようやくのことでサニードはセフィラネの部屋の前に辿り着く。


 巨大な扉を前に、サニードは何度かノックをして開くと──


「あ」


 室内であるはずなのに、突風がサニードの髪を揺らした。


 そして、サニードがまず目にしたのは海だった。


 窓から見えるわけではない。


 窓枠も、柱も、壁も……すべてがすっぽりと抜け落ちて、視界に映る床以外のすべてが無くなってしまっていたのだ。


「バルコニーは? テーブルは? カーテンは?」


 サニードは口に出して、間抜けな疑問だと自分で思った。


 決まっている。聞くまででもない。すべて“無くなって”しまってるのだ。


 少女趣味と感じた、あの甘ったるいピンク一色の装飾品もすべてが──


「セフィラネー!」


 思わず叫んでしまったのに、小さく「うるさいわね」という声がして、サニードは「え?」と固まる。


「セフィラネ? どこ? いるの? 無事なの?」


 サニードは恐る恐る室内に入っていく。


 室内は壁が無くなったことで、寝室も応接間も合わさって、大きなワンフロアになってしまっていた。


 寝室も酷い様子で、天井から抜け落ちてきたであろう、柱の一部だったと思わしき大きな石が部屋の真ん中を占拠していた。


「サイアク、サイアク、サイアク……」


 声のする方は、石の反対側のようで、サニードはグルッと回って、思わず抱えていたグリンを落としてしまった。


「……オクルスじゃなく、よりによってアンタが来るだなんてね」


「セフィラネ!」


 サニードは震えて膝をつく。


 セフィラネはその石の柱に背を預けていた。


 しかし、それは腹から上の上半身部分だけしかなかった。その先からは、蛇が進んだような青い血の跡が続いていて、そこに残りの下半身があった。下半身は、向かい側の壁側に投げ出されていたのだ。


「な、治さな……」


 下半身を取りに行こうとしたサニードに、叱責の声が飛ぶ。


「治らないわよ。バカな()。アタシはここで死ぬの」


「そんな、なんか方法が……」


「メディーナがいれば治るかもねぇ」


 セフィラネはイタズラめいた笑みを浮かべる。


「それは……」

 

「知っている。”視て”いたから」


 セフィラネがそう言うと、外でコウモリが小さく鳴いた。


「だから、アタシもそろそろ、ね。メディーナのところへ逝くのよ……」


 そこまで言うと、セフィラネはコフッと小さく青黒い血反吐を吐いた。


「唯一の心残りは、オクルスにもう一度抱きしめて貰いたかったことねぇ。あー、ザンネン」


 サニードはポロポロと涙を流す。


「いったい、誰がこんなヒドイことを……」


「やめて。同情なんてされたくないわ」


「同情だなんて……」


 セフィラネは大きく息を吐く。


「……もういいでしょ。サニーちゃん。ここにはアナタの欲しいものは何もないわ。さっさとお帰り」


「セフィラネ」


「アタシだってね、最期くらいは静かに迎えたいのよ」


 サニードは一瞬だけ下がったが、首を横に振って前に進み出る。


「………聞こえなかった? 帰れってんの」


「オクルス」


「……」


「お願い。セフィラネ。オクルスの居場所を教えて」


「これから死ぬってヤツに聞くことかよ……」


 セフィラネは皮肉めいた笑みを浮かべると、サニードは自分の服の裾を掴んで「ゴメン」と謝る。


「図々しい()。キライ、キライ、キライ……とーってもキライよ、サニード・エヴァン」


「嫌われてもいい。でも、凝黒の花蕾は……オクルスの手には渡せない。それに、ヴァルディガも放っておけないんだよ。そのために、オクルスの力が必要なの」


 セフィラネは目を細める。


「……ウソつき」


「え?」


 セフィラネはフンと鼻を鳴らす。


「……いいわ。教えて上げる。グリンを貸しなさい」


 サニードは目を瞬くと、言われるままにグリンをセフィラネの側に置く。


 セフィラネは何やら呪文を唱えると、グリンの魔紋がピンク色に輝いた。


「……オクルスが潜伏している場所をこの子に覚えさせたわ」


「あ、ありがとう」


 サニードは何度も頭を下げるが、セフィラネは首を横に振る。


「でも、ここからが問題。アナタは拒絶される」


 サニードは傷ついたような顔をした。


「その顔、最高ね。ザマーミロって感じ」


「ねぇ。セフィラネ……」


「セフィラネ、セフィラネ、セフィラネ……気安く呼ばないでちょうだい」


 セフィラネはそこで一息つく。胴体からの出血が増えてるのを見て、サニードは何とも言えない顔を浮かべた。


「……ゴメン」


 セフィラネは「フン」と鼻を鳴らす。


「で? オクルスはアンタの顔を見たらすぐに隠れるわ。どうすんの?」


「か、隠れてもウチは魔眼で……」


「そうね。それで逃げたオクルスは追えるかもね。でも、彼の速さに追いつける方法があるのかしら?」


「それは……」


 サニードが返答に困ってると、「ホント、考えなし。呆れる」とセフィラネは肩を竦める。


「アナタ、オクルスとの契約はどうなってるの?」


「え? ええと、契約?」


「最初に会った時に持ちかけられたでしょ?」


「あ! ああ、オクルスが魔物であることを秘密にするってヤツ……かな?」


「そう。アナタからそれの解除を申し出たり、何か対価を貰ったりはした?」


 サニードは少し考えてから首を横に振る。


「なら、その契約はまだ生きているわね」


「……でも、オクルスが魔物だってのは自分でみんなに話しちゃったから」


「それは関係ないわ。オクルスは契約そのものを重視する。契約を破る者をオクルスは決して許さない」


 サニードの目が大きくなる。


「それって……」


「さてね。少しは自分で考えなさい」


 セフィラネはそう言って目を閉じる。


「でも、どうして……。そこまで……」


「なによ。教えてあげたんだから不満があるの?」


「不満なんて……そんな」


「別にアタシの勝手でしょ。オクルスを追って、さっさと行っちゃいなさいよ」


 サニードは大きく頷いて、セフィラネに近づく。


「……セフィラネ。セフィラネは、オクルスのことが好きなんだよね?」


 サニードのその問い掛けに、セフィラネは静かに目を開く。


「……何百年も想い続けていたんだよね」


 そう言われ、セフィラネは自嘲めいた笑みを浮かべた。


「アタシもメディーナも、ずっとオクルスの心と通わせたいと思っていたわ……」


 セフィラネの目が、この時に初めてサニードを見やった。


「彼の心は“闇”そのもの。誰も受け入れず、誰も理解しない。誰もその本心は窺い知れない……」


 セフィラネの瞳は揺れ、涙が溢れる。

 

 彼女は「愛しているの」と3度、繰り返す。 


 繰り返し重ねれば、いつか想いが伝わる……そういう願いを込めて。


 サニードはセフィラネの気持ちを汲み取り、我が身が痛むように自分の胸を掴んだ。


「……バカな()。まだ自分の気持ちにも気づいてない、無知で蒙昧な小娘よ。昔のアタシと同じ」


 セフィラネは涙を拭うと、再びサニードを見やる。


「…‥聞かせて。生まれて大した月日も経ていないハーフエルフの()よ」


 サニードは、膝をついてセフィラネにきちんと向かい合う。


「アナタはそれでもオクルスの心に入り込めるの? アタシでも、メディーナでも成し得なかったことを、達成するその自信があるの?」


 その問いに即座にサニードは頷いた。力強く輝く銀色の瞳を見て、セフィラネはフッと笑った。


「……やっぱ、キライよ。アナタ」


 そう言った瞬間、辺りが緩やかに振動し始める。


「な、なに?」


「セージの仕業ね」


 天井を見上げながら、セフィラネは事もないとばかりに言う。


「え? セージ?」


「アタシが死ぬのを条件に、ここ一帯を封印するのよ。“欠如なき魔商”の敷地をこれ以上、荒らさせないためにね」


「ということは‥…」


「グズグズしていると、アナタも一緒に封印されちゃうわよ」

 

「それは困るよ!」 


「ちなみに、これには反転結界なんて裏技も通用しないわ」


「ウェイローのことも知ってたの?」

 

 サニードが驚くのに、セフィラネは肩を竦める。


「こ、困ったな。セフィラネなら何とかしてくれるとばっかり……」


「他力本願もいいところね。さあ、時間がないわよ」


「うーん」


 サニードは別のところから視線を感じ、そちらの方へ振り返ると、入口のところに小さな子供がふたり立っているのが見えた。


「え? 狐人(レイナード)?」


 彼らはセージによく似ており、狐耳に銀髪といった出で立ちだった。


「ふーん。セージは今際の際に“転生体”を残せたみたいね」


「“てんせいたい”?」


「セージの最大の幻影魔法。自分の命を使い果たす前、生み出した幻影に魂を与えて生まれ変わるのよ」


 サニードはまじまじと、ふたりのレイナードを見やる。


 それは子供の姿のセージよりも幼く、ひとりは気の強そうな女の子でジッと真っ直ぐにセフィラネを見て、もうひとりはおっとりとした男の子で、指を咥えてサニードを見ていた。


「まさか双子とはね。お名前を教えてもらえるかしら?」


「フェイフェン!」「シャイシャル!」


 ふたりは、ほぼ同時に名前を名乗った。


「いい名前ね」


 セフィラネはそう呟いて、「なんとかなるかもね」とサニードに向かって笑う。


「サニーちゃん、ここに来た時のポイントは覚えているでしょう。そこへ急いで向かいなさい」


「え? でも……」


「フェイフェン、シャイシャル。主セフィラネ・ノクターナルの名に置いて、最初の任務を言い渡します」


 フェイフェンとシャイシャルはその場で姿勢を正した。


「このお姉ちゃんを元いた場所に連れて行きなさい」


 サニードが驚いている中、双子は素直に頷く。


「ちょ、ちょっと」


 フェイフェンがサニードの右手を、シャイシャルは左手を掴む。途中すり抜ける感覚があって見やると、彼らの姿は半透明なのだということに気づいた。


「彼らはまだ幼体。力は弱いけれど、セージの転移の力は引き継いでいるわ」


「セフィラネ」


「さあ、行きなさい。サニード・エヴァン」


 後ろ髪を引かれる想いだったが、フェイフェンとシャイシャルは与えられた任務を実行しようと、見かけに反した強い力でサニードを引っ張って行く。グリンは慌てて、サニードの腰に巻き付いた。


「……それと、ひとつ言い忘れてたわ」


 セフィラネは顎に指を当てて妖しげに微笑む。


「凝黒の花蕾ね。それはアナタの記憶の中にあるわよ」


 サニードの背に向かって、セフィラネはそんなことを言った。


「え?」


「メディーナが教えてくれたの。アタシたちを殺したヤツもそれを狙っているわ。オクルスに会ったら伝えてあげてちょうだい」


「待って! セフィラネ!!」


 サニードの叫びも虚しく、双子は手を握ったまま加速を続け、階段を閉じるように降り、屋敷を飛び出して行ってしまった──



 セフィラネはサニードを見送り、ホウッとため息をつく。


「そうね。メディーナもアタシもいなくなる……。あの“仔”を独りで置いていけないもの。これでよかったのよ」


 そして、「愛しているわ、オクルス」と3回繰り返し、セフィラネの頭が下がると、首飾りがするりと床に落ちたのであった──

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