102 符術士
(およそ4,900文字)
リヴェカが飛んで行ったのを見やり、緊張していた雰囲気が弛緩する。
「なんだってんにゃ」
シャルレドは舌打ち、騎士たちは「助かったー」とその場に座り込む。
「ひとまず、一安心ってことで……うぐッ」
ウェイローはよろめいて倒れるところを、サニードに抱き止められた。
「面目次第もねぇですなァ……」
「面目あるよ! メディーナ!」
サニードが呼びかける前に、メディーナはすでにウェイローの失った腕の傷口を見ていた。
「今は止血しかできませんわ」
「腕、治らないの!? シャルレドみたいに生やしてよ!」
「……出来なくはありませんが、御高齢のようなので、恐らく再生に堪えられないかと」
「タハハ。いやァ、血さえ止めて貰えるだけでも充分でさァ」
青白い顔でウェイローが笑うのに、サニードはボロボロと零れる涙を拭う。
「でも、生きていてよかった。ジャコモとリネドは……」
「ええ。一歩も退かず、諦めずに戦い抜きました。そら立派な最期でしたぜェ」
「ウチのせいで……」
「いや、奴さんがケタ外れに強かったんで仕方ない話でさァ」
「だけど……」
「彼らのことを思ってくれるんなら、誇りに思ってやってくだせェ。同情なんて望むような甘い気持ちで、悪魔討伐を生業にしてたんじゃありませんよォ」
ウェイローに諭され、サニードはコクリと頷く。
「でも、ジャコモは一番、レベル高かったのに。それがやられちゃうなんて……」
「レベルは飽くまで目安や指標に過ぎません。当人の強さの実数を表したものではないのです」
サクリフィシオを統合させ、人型に戻ったオクルスがそう言う。
「そこの老人が“魔法使い”を偽装していたように、真の実力者というものは奥の手を隠してるものです」
「え? “魔法使い”を偽装?」
サニードが驚くのに、ウェイローはなんとも言えなさそうに頭を掻いて笑う。
「彼は“符術士”です。知っていて雇ったのでは?」
「し、知らないよ!」
オクルスは怪訝そうに首を傾げる。
「符術士って……なんだ?」
「魔法とは別系統の力を用いる術者だと聞きます。木屑や紙片に擬似的な命を与えることで、まるで使い魔のように操るそうですわ」
レアムが聞くのに、治療を続けつつメディーナが答えた。
「その特異性の強さがあったからこそ、彼だけは生き延びた」
オクルスが言うのに、よいレンジャーを選んだというのはウェイローのことを言ってたのだと、サニードは今になって理解する。
「なんで魔法使いだなんて名乗ってたの?」
「あー、符術士なんて肩書なんて使っても、今みたいにイチイチ説明せにゃならんでしョ? それが億劫でねェ。多少、魔法の心得もあるんでってところでさァ」
メディーナが治療を終えると、「あー、楽になひましたぜェ。ありがとさん」と言って立ち上がる。
「しかし、彼が生きていたのは我々にとって僥倖です」
「どういうこと?」
「彼の術であれば、上位悪魔……最上位悪魔たちの作り出した封印結界を破れるはずです」
オクルスに言われ、ウェイローは少し驚いた顔を浮べる。
「ホント? ウェイローにそんなことできるの?」
「あー、破るまではできませんがねェ。脱出の抜け道を作るって程度の技ならあるにはありますがァ」
「強力な魔力に対抗するには、さらに強い魔力を持って挑む。もしくは、異なる波長の魔力……術法を持って挑む他ありません」
「待って」「待ちやがれにゃ」
サニードとシャルレドが同時に声を上げる。
「今の口ぶりは逃げるって聞こえたよ」
「そう言ってます」
「あ? 約束したにゃろ。ヴァルディガを殺すのを手伝う件を忘れたとは言わせねぇぞ」
「ええ。しかし、今時点でヴァルディガ氏を殺すことは約束していません」
「テメェ!」
殺気立つシャルレドは、オクルスのストールを掴んで引っ張る。
「デビルロードの強さは理解したでしょう。リヴェカ単体でも、この場にいる全員の力を合わせたとしても倒す事は不可能でした」
シャルレドの代わりに、後ろの騎士たちが大きく頷く。
「さらに彼女と同等、もしくはそれ以上の力を持った幹部があと2体います」
「なん……にゃと?」
オクルスとメディーナ以外が驚愕する。
「その配下の47体も上位悪魔です。上位悪魔だけならばドラゴンスレイヤーが勝つ可能性が高いですが、最上位悪魔が3体となれば……その結末は私にも予想できません」
「教えろ。悪魔を売ったオマエなら知ってるハズにゃ。ヴァルディガはどうやってそんなのを手なづけた?」
シャルレドの問いに、オクルスは少し逡巡する。
「……彼女たちは、現在は彼のコントロール下にあるわけじゃありません」
「は? 待ってよ。それってどういうこと? じゃあ、悪魔たちは何が目的で動いてるの? ベイリッドやヴァルディガが操ってるんじゃないの?」
「……悪魔と何かしらの取引をしたと考えるのが自然ですわ」
メディーナがそう言うのに、考え込んでいる風だったオクルスも「そうだ」と頷く。
「戦況は、私がヴァルディガ氏に聞いていた内容とも、貴方たちが思い描いていた筋書きとも異なっています」
オクルスがヴァルディガから聞いていたのは、ベイリッドが上位悪魔を倒すことで、ハイドランドに力を見せつけることだった。
しかし、もはやそれが目的には見えず、ベイリッド側もハイドランド側も戦線崩壊している状態だと説明する。
「そして、もうひとつ……」
オクルスは、空中城塞エアプレイスの方を見やる。
「デビルロードが動いていると知れば、世界最強とも言われる飛竜部隊がやって来る可能性も高いでしょう」
「……それなら願ったり叶ったりじゃないか。その飛竜部隊にデビルロードを倒して貰えばいい」
レアムが明るい顔をするのに、オクルスとメディーナは何とも言い難そうにする。
「オクルスもメディーナも殺されちゃう。そうなんでしょ?」
サニードが言うと、メディーナが頷く。
「彼らは悪魔を手引きした者を調べ上げるでしょう。なれば、否応なしにオクルス様にと行き着くはずです」
「ハッ! クソ商人もついでに始末されるなら万々歳にゃし!」
「いや、それは……」
レアムは気まずそうにメディーナと、自分の傷があった場所を見比べる。それを見て、シャルレドも自分の“新しい脚”を見やって口をへの字にした。
「ゼリューセ氏も、今はディバーに戻っているようです」
「報告で一時外れただけだ。今は戻ってるはずにゃ」
「いいえ。この封印結界の中にはいません」
「なんでそんなことが言える?」とシャルレドは聞こうとして、小さなサクリフィシオがオクルスの足元から吸い込まれるのを見て思い留まる。
「ハイドランド氏への戦況報告だけにしては、随分と遅いでしょう」
「おい! それって、お嬢様を疑ってるように聞こえるぞ!」
レアムが激怒するのに、オクルスは首を横に振る。
「もともと、僧兵団に、ライラード軍とエルフの参入があったとしても、ドラゴンスレイヤーに勝てる戦力ではないのが疑問でした」
「どういうこと?」
「ベイリッド氏を倒すには搦め手が必要です。状況自体はそうなっているようには見えますね。私が提供していない下位悪魔まで使っている点から言ってもです」
サニードとレアムは、オクルスと悪魔が敵対していた現実を見てもそれは本当の話なのだろうと頷く。
「ヴァルディガが悪魔を使って、戦場を混沌に陥れてるだけにゃ。自分にとって都合の悪いヤツらを一掃するのが目的にゃ」
「そうだとして、ベイリッド氏と同士討ちにするメリットはなんだと?」
オクルスが静かに問うのに、シャルレドは口を開きかけたが、何も言わずに口を固く閉じた。
「これも想定の内なのか、それとも単なる事故なのかまでは知りませんが……!」
オクルスとメディーナが揃って同じ方向に向く。
「な、なに?」
目を見開いているオクルスに、サニードは困惑の表情で尋ねる。
「……なんだこれは? 竜の祝福? いや、そんな規模ではない」
「なんなんだよ? ちゃんと教えてよ!」
「ベイリッド・ルデアマーです」
「え?」
メディーナが言うと、サニードは一瞬だけ傷ついたような顔をした。
「もうすぐ皆さんにもわかるはずです」
メディーナがそう言うが早いか、全員の肩に大きな石でも載せられたような、重苦しい気配が周囲に満ちた。
「がッ! な、なんだこれ!?」
「にゃ! 背中を虫でも這ってるような悪寒にゃ!」
「ぬぬっ! 悪魔の結界……とは違う力ですなァ」
「ううっ! 目が痛い!」
サニードの瞳が煌々と輝き、涙がとめどなく溢れるのを、メディーナが気遣う。
「……どうやら、ベイリッド氏が本気でデビルロードと戦うようです」
「オクルス? もしかして震えてるの?」
指先がカタカタと震えているオクルスを見て、サニードは涙を拭いながら聞く。
「……想像していた以上の力です。これだけ離れていて、ここまで桁外れの力を感じるとは」
「オクルス……」
「ああ! しっかりしろ! アアシ!」
シャルレドは自分の両頬を挟み込むようにバチンと叩く。
「オマエらは拠点に戻って、チルアナを守れ! ゼリューセが戻って来る可能性も考えてだ!」
騎士たちを指差し、シャルレドはそう指示を出す。
「アアシは行く! ヴァルディガは、ベイリッドのところへ向かったはずにゃ!」
「シャルレド!」
強い気配のする方へ歩き出すシャルレドに、サニードが呼び掛ける。
「ウチも! ウチも行くよ!」
「サニード。いけません。もうこの戦いで我々にできることはありません」
オクルスが止めようとするのを、サニードは振り払う。
「行かなきゃ! ウチも……こんなところで何もできないでボーッとしてるなんてできない!」
「無意味です」
「オクルスには無意味でも、ウチには必要なことなんだよ!!」
サニードの決意を見て、メディーナが彼女の肩に置いていた手を離したのに、オクルスは目を細める。
「お、俺も行く!」
「レアム?」
「役に立たないかも知れない。けど、その……守る盾くらいにはなる」
頬を紅く染めて、レアムはサニードの瞳を真正面に見て言った。
「……どれ、なら、この老骨もお供させて貰いますかねェ」
ウェイローは腰を伸ばして立ち上がる。
「でも、ウチは……」
「ここでサニードさんを見捨てて逃げたら、あの2人にあの世で会わす顔もねぇですからなァ。タハハ」
「ありがと。2人とも……」
さっきのとは違う涙を浮かべ、サニードは感謝を述べた。
オクルスは、人間たちのそんなやり取りを前に、棒立ちに立ち尽くしたままそれを見送る。
途中で振り返ったサニードが何か言いたそうにしたが、結局は何も言わずに行ってしまったことで、なぜかオクルスは期待を裏切られたような気分になる。
ふと、サニードが抱えているグリンが、もし自分だったらとオクルスは考えてしまい「無意味な」と首を横に振る。
現状、力尽くでサニードを止めることもできたし、脱出のために必要なウェイローを脅すこともできたが、なぜかオクルスにはそうする気にはなれなかった。
「……巻き込まれて全員死ぬだけだ」
「オクルス様」
「わかっている。ベイリッド・ルデアマーが上位悪魔を倒しさえすれば離脱は可能。その機を待つ方が利口だ」
メディーナはそれに何も答えず、ただオクルスを見やっていた。
「……なんだ?」
「いいえ。なんでもありませんわ」
オクルスは無表情のまま歩き出すのに、メディーナは目を伏せて、彼の後に従って歩き始めたのだった──。




