010 エヴァン郷の忌み子③
(およそ5,000文字)
ウェンティが光の魔法を使うと、光球が浮かびあがって辺りを仄かに照らした。
「全然、物音もしないね…」
森の深部は光に照らされてもなお暗く、むしろ微弱な投光によってますます影の部分が色濃くなってしまい、かえって不気味さを増してしまったかの様に見える。
「ねえ、ホントに行くのぉ?」
ウェンティは、サニードの服の裾を掴んだままだった。
「今さらでしょ。意外と中に入っちゃえば訳ないよ。行くよ、ウェンティ」
「あ、待ってよ! サニード! 置いてかないでぇ〜!」
サニードの言う通り、中に入ってしまえばいくら禁足地と言えど、そこは彼女たちの住む普通の森とそう違いはない。鬱蒼としてこそいたが、定期的に手入れはしているので、歩けないほどの藪に覆われているというわけでもなかった。
「ねえ、サニード。知ってる?」
「なにを?」
「これって奉納した順番で、大事な役職とかが与えられるって話らしいの」
「役職?」
「例えば、一番最初の人が、次の村のリーダーとかになるんじゃないかって」
「そうなの? なら、ウチらは競争させられてるわけ?」
「たぶんそう。公にはされてないけど、この儀式で、その人が優秀なのか、そうでないかってのを見極めるんだって」
「ふ〜ん」
サニードはあまり興味なさそうに頷いた。
「やっぱ一番はレナドとエセスかな? ふたりとも強いし、頭もいいし、美男美女だし…あ、ふたりは付き合ってる噂もあるんだけど、本人たちは否定してるよねえ。でも今回、ペアになったってことはぁ、やっぱり噂はホントでぇー」
噂話が大好きなウェンティはひとりでキャッキャッとはしゃぎながら話す。
「ウェンティ。あんた、あのイケすかないヤツらのことキライなんじゃないの?」
「キライ? わたしがトロイせいで向こうにはウザがられてるかもだけど…ふたりがスゴイ人ってことには変わりないし」
「いや、あんたの気持ちの話だよ。さっきだって意味もなくケンカ売ってきたでしょ?」
「う〜ん。ふたりのどっちかが長老になったら、この郷に居る限りは言う事を聞かなきゃいけないよね? だからってわけでもないけど、やっぱり仲良くしなきゃって思うよ。わたしが悪いところは、わたしが直していかなきゃってね」
サニードの眼には、ウェンティの周囲に花がフワフワと浮いている様に見えた。
「あ! でも、サニードがスゴくないわけじゃないよ! だって、勇気あるし、行動力だってハンパないし! 魔法使えなくて、郷でも一番小さくてカワイイのに、木登りは狂乱猿人より上手いじゃない!」
なにかを勘違いしたウェンティは、変な例えを出してサニードをよいしょする。
しかし、サニードは踊り狂いつつ襲いかかって来る猿の魔物の姿を思い浮かべ、それと同列にされたことで複雑そうな顔をした。
「他にも…」
「いや、もう大丈夫だから。ありがと」
これ以上に酷い例えが出てくることを恐れて、サニードは彼女を止めた。
「でもさ、ウェンティ。あんたがこの郷で生きてくにはさ、あんなエセスの言いなりになるだけじゃダメだって」
「そう? でも、サニードがいつも助けてくれるし…」
「これからは助けたくとも助けられなくなるから…言ってるんだよ」
「え?」
先頭を歩いていたサニードは立ち止まり、一瞬だけ悩む素振を見せ、思い切ったようにウェンティに振り返る。
「ウチ、今日で郷を出ることにしたの!」
「……え?」
すぐには言葉の理解が及ばなかったウェンティは、半笑いのまま固まる。
「…い、いや、サニード。郷を出るってどういうこと? 出てどこへ行くの?」
「どこへ行くかはまだ決めてない。レンジャーになれるならどこでもいいし」
「レンジャー? なら、エルフ以外の人がたくさん居るところへ行くってこと? そんな怖い所に?」
エルフの集落しか知らないウェンティからすれば、外の世界は暴力的で安心できないものに見えたのだ。
「しかも、今日? そんな急なこと…」
「ゴメン。でも、だいぶ前から決めてたことなんだ。なかなか言い出せなくて…」
「ちょ、ちょっと待って。ファウド様は? この件を…」
「じいちゃんには言ってない…」
「あの…あの…」
ウェンティは見るからに必死になって言葉を探す。
「ね、ねぇ、サニード。か、考え直そうよ? サニード。お願い。外なんていいことなんもないよ?」
「いや、ウェンティ。もう行くって決めたの」
「でも、でも…サニードがいなくなったら、わたし…とても…悲しい」
ウェンティは大粒の涙をこぼし、それを見たサニードは傷ついた様な顔をする。
「……ウチもウェンティと離れるのは寂しいよ」
「なら。なんで…」
「でも、だからといってこの郷にはいられない。ウチは半人前だから…」
「半人前? ハーフエルフだからって、そんなこと関係ないよ。それに、よりによってこんな儀式の最中じゃなくてもいいじゃないの…」
「大人たちの監視が緩む今だからできるんだ。普段の日なら見張りがいるし。ウチは木登りは得意だけど、走るのは遅いから……あ! 儀式の件は心配しないで。ちゃんと祭器を運ぶまではやるからさ。安心して」
「そんなこと心配してないよ! わたしが心配なのは、サニードのことだよ!」
「ウェンティ…」
普段はおっとりとしているウェンティが、珍しく大きな声を出したのにサニードは驚く。しかしそれ以上に、自分のことをそれだけ考えてくれてるのだと胸の裡が熱くなるのを感じた。
「サニードが行くなら、わたしも行く!」
「え? ウェンティ、なに言って…」
ウェンティは自分の両頰をパシンと叩くと、普段はタレている眉と眼をキッと吊り上げて見せた。
「大丈夫! わたし、サニードみたいに器用じゃないからレンジャーにはなれないかもだけど、掃除と洗濯とお料理は得意だからお手伝いさんでもなんでもやる!」
「い、いやいや、連れて行くだなんて一言も…」
慌てだすサニードだったが、ウェンティはスタスタと先へ歩き出してしまう。
「うん! 連れて行ってもらうつもりはないわ! わたし、勝手について行くんだもの!」
「はー。もう。落ち着いて、ウェンティ。気持ちは嬉しいけどさ…。外はこう、なんかヤバいのがさぁ…」
さっきとはまるで逆の立場になった事で、サニードは自分で自分の言ってることがなんとも妙だと思った。
「それに! …そうだ! お手伝いさんとかじゃ大して稼げないし、こき使うだけ使われてポイってなる可能性もあるよ! 間違いない! それに比べれば、郷にいたほうがまだ幾分かマシな…ンブッ!」
ウェンティがいきなり振り返ったので、その後ろを懸命に追いかけていたサニードは、その豊かな双丘に顔を埋める事となる。同性相手とはいえ、気恥ずかしい気がしてサニードは頬を紅く染めた。
「いざとなれば、この身体を売るわ!」
決心した顔をするウェンティに、サニードは「げ!」といった顔をした。
「身体を売るって…意味わかって言ってる?」
「わたしだからってバカにしないで! もう大人だもん! 知ってるわ! 男と女が“チュッチュッ”することよ!」
ウェンティは薄光の下でもわかるほど、真っ赤になって言う。
「チュッチュッ…って」
サニードは、幼い頃に人形同士をくっつけて「チュッチュッ」と言いながら遊んだことを思い起こす。
「父様からも『おまえはヒューマンの好みだろうから気をつけろ』って言われてたもの。狙われるってことは、それだけ価値があるってことでしょ?」
「…そうかもだけど、なにをされるかわかってるの?」
サニードが怪訝そうに言うのに、ウェンティはハッとする。
「あ。ご、ゴメン…。サニードの母様は…ヒューマンに酷い目に…。それなのに無神経なこと言ちゃって…」
「それは別に。母さんがなにされたって話も、ヒューマンを恨んでたってことは散々聞かされたけど…」
サニードの中では、ヒューマンに対する嫌悪感よりも、その話を何度も壊れた蓄音機のように繰り返す母親そのものに不快感を覚えていた。
「でもいいんだ。母さんに酷いことをした男はもう死んでるだろうし」
「死んでる? どうしてわかるの?」
「じいちゃんが言ってた。エルフに恨まれた人間は呪われて長生きできないんだって。だからウチには終わったことなんだよ」
ウェンティはなんとも言えない顔を浮かべた。
「それにヒューマンの町じゃ、そんな酷いことする奴は例外だって。エルフでも娼館で大金を稼いだって話もあるみたいだし」
「“しょうかん”?」
「ん? あー、“チュッチュッ”…するとこ、だよ」
サニードは頬を掻いて言う。
「そ、それなら、たぶん…すっごい恥ずかしいけど、父様やお祖父様にするんだと思えば平気!」
「? キスすることだけだと思ってる?」
「? キス以外にもなにかあるの?」
「え?」
聞き返されると思っていなかったサニードはびっくりする。
「…いや、そりゃ、身体を触ったりくらいは…するんじゃね?」
サニードも具体的になにをするかは知らなかった。ただ口に出して言うべきでない、恥ずかしいことであるということだけを知っていたのだ。
「くすぐったいのは苦手だけれど、触れるくらいなら…」
「マジ? 平気なのか? …おぅ!?」
ウェンティに胸をむんずと掴まれ、サニードは変な声を漏らした。
「こんな感じ?」
「い、いや、たぶん違うって。それを男にされるんだぞ…」
「あ、そっか…うーん」
ウェンティは眼をつむってイメージし、首を横に振った。
「……ムリ。すっごい恥ずかしい」
「だろ?」
「で、でもお金を貰うためなら…ンンン!」
ウェンティはこめかみを押さえて葛藤する。
「うん! ガンバル!」
「いや、ガンバルって…」
「サニードと一緒にいたいから! わたし、ガンバルの!」
どこまでも直向きな友人を前に、サニードは思わず吹き出してしまう。
「わかったよ。ウチの負けだよ」
「なら…」
「本気なんだよね?」
サニードが真剣に問うと、ウェンティは少し迷いもなく強く頷く。
「うん。なら、一緒に行こう。でも、娼館なんかで働かなくていいよ。レンジャーの中には戦いができなくてもやれる仕事もあるみたいだし」
「そうなの? それならそうと早く言ってよ!」
ウェンティは頬を膨らませる。
「言わなかったのは諦めさせようとしたからで…まあ、とにかく、家族に書き置きくらいは残してよ」
「もちろん。この祭器の包布に書くわ。…でも、一生会えないわけでもないんでしょ?」
「うん。レンジャーになって自立できるようになったら、ウチもじいちゃんに会いに戻るつもり」
「えへへ、その時の父様と母様の驚く顔が楽しみだね。『あの弱虫ウェンティが!』って驚いてくれるかな」
ウェンティは眼の端の涙を拭って笑う。
「でもよかった…。ウェンティが一緒で。正直、心細いかったし。さ、そうとなれば、さっさとコレを納めに行こ」
「うん? 郷を出るなら、このまま儀式をしなくても…」
「実は祭壇の後ろに、荷物を前隠してあるんだ」
「そうなの?」
「うん。昨日、準備しておいたんだよ」
ウェンティは眼を丸くする。
「昨日…ってことは、儀式の前に立ち入っちゃいけない森の中に入ったってこと?」
「そうだよ。出口とは違って、普段の禁忌の森は見張りも少なかったしね」
「だからって…」
「罰当たりだ」と言いそうになって、それ以上のことをこれからしようとしているのだということに、ウェンティは思わず吹き出してしまう。
「さあ、行こう。他の連中が祭壇に殺到している時が絶好のチャンスだよ。そのどさくさに紛れて…」
突如として、サニードとウェンティの耳にほぼ同時に悲鳴が聞こえてくる。
「なに…いまの?」
「誰かが…襲われてる? まさか…」
サニードは腰にぶら下げた“魔除の鈴”を見やる。これがある限りは大丈夫なハズだ。
「たぶん近いよ!」
どこかで木が折れ倒れる音がして、サニードは心臓が早鐘を打つのを感じる。
そして、藪から何者かが転げる様に出てきたのを見て、サニードとウェンティもビクッと肩を震わせる。
「に、逃げろ…。あんな“モノ”見たことも…」
血塗れの男はそこまで言って、頭を失った──




