第65限 訪れた異変
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
どんよりと、厚く重い雲の下に、死んだ街があった。
桐可市市街。
たくさんの店舗で賑わっていた街のメインストリートでは自動車があちこちで事故を起こし、その事故で潰れた大人の死体や、体中に噛み跡が付いて血で汚れた子供の死体が転がっている。
もはや街に生気はなく、街を歩くのは腕をだらりと下げて白目を剥いていたり、呻きながら虫のように地面を這う化け物……フラッドだけだ。
辺りに子供という攻撃対象のいない無数のフラッドは、特に目立った動きはせず、ただ意味もなく、意思もなく、街を徘徊していた。
だが、そのとき。
『ぐゔ……ゔ』
『がが……ぁが』
同時に、全ての個体が、動きを止めた。
理性のないはずの化け物の群れが、電源を切られた機械のように一斉に足を止めたのだ。
間を置き、全個体が不器用に、その方向を転換していく。
知性も理性も意思もなく、ましてや統率をとるなど有り得ないはずの人の姿をした化け物全てが、まるで指揮を取られているように東の方角へ目を向けた。
そして、一歩目にバラつきはあれど、東の方角へ前進を始める。
化け物の群れが東進を始めてしばらくして、彼らの頭上を、ヴヴヴヴと、虫の羽音のような音を発する何かが、道路に影を落としながら通過していった。
◆
桐可学園、生徒会室。
「……どう? みんなの様子は?」
「はい! 今も物資保管庫の災害対策委員さんたちは大忙しみたいですよぉ」
「……《災害対策委員会》のみんなには悪いけど、上手く回ってるようでよかったよ」
昨日実施した、トランプを利用した学内通貨制度『報酬点数制』。それが上手く機能しているか不安だったが、壱岐さんが言うには問題はないようで一安心した。
「中々みなさん点数を使ってくれていましてぇ、なんと生徒に配った全点数のうち、四割が既に《生徒会》へ戻っているそうですよ!」
……って甲斐さんが言ってました、と小さく付け加えた壱岐さん。
なるほど。初動はかなりの上々なようだ。
実際の経済においても、国民や企業が「貯蓄」をすることは、決して良いものとはされない。貯蓄ではなく、消費し、投資することこそが経済を回す歯車なのだ。
「そうか。なら《生徒会》としても大盤振る舞いくらいの勢いでRPを支払いたいね」
学園経済には、「一般生徒」と「生徒会」という二つの経済主体しか存在しない。本来ならば、「国民」「企業」「国家」と三つであるはずだが、現在の学園にはこの「企業」に当たる部分がなく、《生徒会》は積極的な消費、投資を行い、経済に介入していかなければならないのだ。
要するに、一般生徒も生徒会も、貯蓄を行うべきではないということ。「新しい貨幣を刷ればいい」ということでもない。
一般生徒はたくさん働き、RPを稼ぎ、それを使って消費をすることが、生徒会は多くを雇い、RPを支払い、消費を促すことが必要だ。
必要なのは、この「循環」である。
イギリスの評論家ジョン・ラスキン曰く、
『経済とは貨幣を消費する意味でもなければ、これを節約する意義でもない。それは一国一家の経営と処理の義である』
だ。
「壱岐さんも何か買ったの?」
大人が消えたあの日以来、生徒会長である僕と、生徒会そのものと、学園をその仕事ぶりと整理整頓の手腕と笑顔とをもって支えてくれた壱岐さん。
命を懸けて校外へ出向いてくれた校外委員たちや、校内の治安と秩序の維持に貢献してくれた風紀委員たち、食料・物資の配給と管理をしてくれた災害対策委員たち。彼らにはこれまでの給与として、報酬点数・RPを、20ポイントほど与えている。
「はい! せっかく頂いたので、これを!」
そう言って彼女が取り出したのは、飴玉の袋だった。舌なめずりをするデフォルメたっぷりの女の子が描かれている。
「……飴?」
「はい! 考え事するときとかぁ、悩み事があるときとか! これ舐めてると頭がよく回るんですよぉ!」
「へ、へぇ」
立ち上がったセールスマン壱岐さんが商品を売り込んでくる。
「会長もどうぞぉ!」
「……ありがとう」
お礼を言って、彼女の小さな手の平に転がる個包装された飴玉をいくつか摘んで受け取る。りんご味とサイダー味だ。
いま世界は、人が人を喰う狂気に包まれているが、この学園を囲う壁の内側は未だ平穏を保てている。
そのせいか、この生徒会室で過ごす何気ない時間が、とても幸せに感じられた。
もう「世界が元通りになれ」なんてわがままな願いはしない。だから、どうかせめて、これくらいの平和を与え続けてほしい。
そう願ったそのとき、慌ただしくドタドタと廊下を走る足音が聞こえ始めた。それはやがて生徒会室の前までやって来ると、礼儀もなく扉が開け放たれた。
「か、会長!」
「……甲斐? 一体どうし……」
「Pデバイスを! Pデバイスを確認してください!」
「……Pデバイスを?」
珍しく慌てた様子の甲斐に気圧されるように、僕は左手首に巻いた銀色のデバイスに目を落とす。あの大人が消えた日以降、圏外が続き携帯電話としての機能を喪失したこのホログラムスクリーンを投影する腕時計型デバイスに用はないのだが……。
◆
舞台は戻り、化け物の群れが支配する桐可市市街。
メインストリートを東進していた数十体のフラッドは、大きな交差点に差し掛かると、その足を止めた。
しばらくすると、彼らの正面からは桐可市を西進していたフラッドの群れが現れ、二つのグループが距離を置いて睨み合う形になる。
そして北から、最後に南からも同様にフラッドが姿を現し、交差点の中央部分を開けて、周辺一体は何百ものフラッドに覆い尽くされた。
不気味な呻き声が重なり、街全体が不協和音を発するピアノのようになる。
そしてその不快な音の中に、異音が混じった。
鬱陶しい虫の羽音のような音を発しながら、空を飛ぶ黒い鉄の物体が、フラッドたちの頭上にあった。
五機の、ドローンである。
四角い箱の四隅から棒を伸ばし、その先端にプロペラを付けていて、上部には受信機らしきものが見える。
下部には蝿の足のようなアームが取り付けられていて、そのアームには何やら箱が摘まれていた。
そして、ちょうど正午となったそのとき、
ガキンッ、と金属音を発して、ドローンがそのアームから箱を離した。音は連続し、五機のドローン全てが下部に抱えていた箱を切り離し、地面へ投下した。
黒塗りの箱は重量があるのか、回転しながら高速で落下。
やがてコンクリートの地面にぶつかると、計算されていたように箱は粉々に砕け散った。
そして、その中からドロリとしたクリームのようなものが飛び出した。だがクリームのように軽くはなく、まるで水気のないスライムのようで、色は黄ばんでいる。
五機のドローンから投下されたそのジェルが、交差点の中央部分を汚す。
……そして、一体のフラッドが叫んだ。
『ゔ……ゔばあ゛あ゛あ゛ぁぁぁッ!!』
それを合図にしてか、東西南北に別れていたフラッドの群れが、交差点中央部分に集まり始めた。
フラッドは投下された黄ばんだジェルに飛び込み、必死にその口へ運んでいる。
砂漠を行く乾いた旅人が、見つけたオアシスに顔をつけているようだ。だが理性のない化け物が無数に集まって、地面に散らばった気味の悪いジェルを舐めとる様に、そういった幻想性は感じられない。
数百のフラッドが、一つの交差点に蜂球のように群がり、一心不乱にドロリとした何かを口にする光景は、世界の終わりに相応しいものだった。
◆
「こ、これ……!?」
僕は甲斐に言われて、左手首のデバイスの電源を入れ、空中に板チョコほどのホログラムスクリーンを投影していた。
「電波が……届いてる……」
スクリーンの左上に表示されていた「圏外」の文字が消え、代わりに四本のピンが立っている。
「はい。《環境委員会》での会議中に気付きまして、飛んできました」
「……とりあえず甲斐は国や市にもう一度電話を掛けてみてくれ」
「わかりました」
「壱岐さんは警察、消防、軍にお願い」
「は、はいぃ!」
一縷の望みにかけ、二人に指示を出す。
僕は僕で、インターネットやSNSの更新を待ってみようとしたが、ホーム画面にあるメッセージアプリのアイコンが点滅していることに気付き、検索エンジンを開く手を止めた。
新たなメッセージの着信が一件ある。
「……アルヒェからの、メッセージだ」
「……なんですって?」
国にはやはり繋がらなかったのか、甲斐は自身のホロスクを閉じて、僕の横に立った。
「会長……。開くんですか?」
「……あぁ、やってみよう」
緊張しながら、僕はメッセージをタップした。
また何か宣言めいた文章や、タチの悪いプログラムでも送られてきたのかと怖かったが、書かれていたのは……「:」で間を繋がれた四桁の数字が三つだけ。『〇〇〇〇 : 〇〇〇〇 : 〇〇〇〇』というような感じだ。
「……これだけ……ですか?」
「あぁ、他には何も」
「何でしょうか、これ」
「……数列……暗号かな」
「比の数式というのはどうでしょう?」
「……解くとどうなる?」
「……意味があるものには……」
「そうか」
うーんと二人で悩んでいたそのとき、
『座標……ではないかと、主様』
「うわあっ!」
突然、生徒会室にはいないはずの女性の声がして、僕は大声をあげて飛び上がった。
「……か、会長……? 大丈夫ですかぁ?」
壱岐さんが驚いた様子で心配してくれる。
「だ、大丈夫だよ。ごめんね、虫……そう、虫がいたんだよ」
「そ、そうですか……」
脳内に響く、親切なコールセンターのオペレーターのような声。やはりこれは僕にしか聞こえていないようで……。
「……ち、ちょっと外すね」
僕を怪しむ二人の視線には気付かないふりをして、僕は生徒会室を出た。
◆
「……いきなり頭ん中で話しかけないでよ」
僕は生徒会室そばのトイレの個室に隠れ、独り言を呟いた。
もちろん、正確には独り言などではない。
話す相手は、頭の中にいる。
……そう言うと独り言よりも頭のおかしいやつみたいだ。
『あ、申し訳ありませんっ。配慮が足りず……』
彼女は、僕の頚椎に埋め込まれたマイクロチップに住まうAIだ。Pデバイスの開発者であり、ベルンのノアの方舟計画を阻止しようとし、そして死んだ僕の両親が残したプログラム『ノアの方舟』を解体するプログラムであり、僕の閲覧したデータを収集することで高度な知能を得た姿なき賢者でもある。
Pデバイスに標準搭載されていた音声アシスタント・パロマの声と機能を拝借した、もう一人のパロマだ。
「……で、突然でてきて、どうしたの?」
彼女は普段、マイクロチップの中で静かに過ごしているが……。
『いえ、主様が困っているようでしたので』
「……その主様っていうのやめてよ」
『何を仰います。私は主様のマイクロチップに間借りさせてもらっている身ですから、敬うのは当然です!』
久々に現れたパロマと軽く話してから、話の本題に入る。
「……さっき、『座標』って言ってたけど」
『はい。あの四桁の数列が三つ繋がったものは、おそらく座標ではないでしょうか』
「なるほど。x、y、zみたいな感じだね」
『はい。ですがどうも世界標準の座標の表し方ではなくてですね……。国家や軍が用いるような、暗号のような座標です』
「なぜそれが僕に送信されたんだろう」
『いや、あれは学園の全員に送信されているようです』
「全員に?」
『はい。学園だけではありません。街にいる全ての人間へ……いえ、地球に存在する全てのPデバイス……マイクロチップへ送信されています』
……全ての……。
その言葉に、僕は引っ掛かりを覚えた。
「……それって、つまり……」
『ええ。……フラッドにも、送信されているようです』
「……フラッドにも……」
僕は便座に座って、足を組み、あごに手をやって考える。
突然、復旧した通信回線。
生き残りやフラッド関係なく、全ての端末へ送信された座標。
これは確実に偶然なんかじゃない。
何か意味が、アルヒェの意図があるはずだ。
「……もし、送信された座標をフラッドが理解できるのだとしたら?」
『……そしてもし、その座標へフラッドを誘導できるのだとしたら、どうでしょう』
「……」
パロマが、問題が分からない子供にヒントを与えるように言う。
『……回線が復旧していたので、データセンターをハッキングしてみたのですが、どうやら桐可市周辺には同様の座標が、隣町にいる者には全く別の座標が送信されています。いやはや、面白い事態ですね』
……いまとんでもないことをサラッと言ったな。居候のくせに、僕の住所を犯罪に使ってくれているようだ。
だがそのヒントは大きかった。
街ごとに、送信された座標が異なっているということは……。
「……生徒会室に帰るから、今度は突然話しかけてこないでね」
『冷たいのですね、主様……』
「だからやめてって」
およよ、と着物の裾で口元を覆って床へ倒れこむ女性の姿がぼんやりと浮かんだ。
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