第57限 跪く者
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
平田が自死した日。夕方。
桐可市内のコンビニに立てこもって、吉田はしばらく呆然としていた。
深田を化け物に喰われ、竹田を自身の手で殺し、平田は自死の道を行った。
残された吉田は、何も口にせず、何も話さず、何も考えず、動くこともなく、ただコンビニ店内のドリンク棚に背中を預け、しゃがみこんでいる。
涙は枯れ果て、後悔に疲れ、懺悔するには時間が足りない。
『……日向が大丈夫じゃなくて、お前たちが大丈夫なもんか!』
吉田は安芸の言葉を思い返す。
なぜ、校外の危険を自分のこととして感じられなかったのだろうか。
『僕はみんなを死なせないために努力してるつもりだ』
安芸の努力は、吉田も認めている。
彼は生徒会長として《校外委員会》による物資の確保に乗り出し、《風紀委員会》による校内の治安維持、《環境委員会》による校内の衛生状態の維持などの指導を行っている。それも、先陣を切って。
では俺は、仲間のために何をしたのだろうか。
吉田はふとそう考える。
幼馴染みの一人を見殺しにし、一人は殺し、一人は自死した。
自分が与えたのは、「死」のみであると気付き、吉田は両膝の隙間に頭を入れて、抱えた。
『……自由っていうのは、責任を負うことだよ』
逡巡するのは、安芸の言葉ばかり。
その意味は、そんなに深く考えずとも理解できることばかりだった。
「……みんな」
乾いた口が、深田、竹田、平田を呼ぶ。
そして意思を失った両の瞳は、床に転がった拳銃を捉えた。吉田が彼らを呼んだように、彼らもまた、吉田を呼んでいるようだった。
「……そこに、いるんだよな」
吉田は震える手を伸ばし、拳銃のグリップを握る。平田が自殺したときに付着した血や唾液、鼻水で濡れたグリップをしっかりと掴み……そして、その銃口を顬に当てた。
あとは引き金を引くだけで、仲間に会える。
吉田は本気でそう思った。
「いま、行く」
平田がしたような、死への恐怖へ抗うことはせず、吉田は簡単に引き金を引いた。
◆
夕方。
桐可学園の校門前には二人の見張りがいた。
首から警笛の役割をするホイッスルをさげ、「風紀」と書かれた青い腕章を右腕に通す風紀委員たちだ。
見晴らしのいい校門前から階段を見下ろし、二人は学園にフラッドが近付いていないか警戒している。
「……ん?」
うちの一人が、違和感に気付く。
階段の遥か下。階段の下にある駐輪場のそばから、人影が現れた。
「……おい、あれ」
「……ちっ、来やがったか?」
おい、と呼ばれた片割れが、ホイッスルと一緒にさげていた双眼鏡を当て、発見者が指差す方を見やる。
「ん……? あれは……」
「どうした? フラッドだろ? 早く知らせ……」
「いや待て」
現れた人影……男の姿に、風紀委員の彼は見覚えがあった。
「……会長を呼べ。あれは……」
◆
一時間ほど前。
吉田は顬に冷たい銃口を合わせた。
そして、何の躊躇いもなく、引き金を引いた。
……カチ……
「……え」
静かな店内に、微かな音が響く。
引き金は固い。強烈な痛みも、激しい炸裂音もしない。弾倉からは、既に全ての弾が射出されていた。
「……弾……切れ」
その事実に数秒して気付くと、吉田は顔を紅潮させ、激しく怒った。「くそおッ!」と叫んで、掴んだ拳銃を床に叩き付ける。
再び頭を抱え、「くそっ! どうして! どうして!」と言いながら、側頭部に拳を打ち付けた。
『弾は五発だ』
四度目の安芸の声。
学園を出る直前に、吉田は安芸からこっそりと拳銃を渡され、そのときに残弾数を告げられた。
深田が倒れたときに撃った三発、竹田を殺すのに一発、平田が自殺するための一発。合計五発が既に射出されていた。
まるで安芸の掌で踊らされているような感覚を吉田は覚える。全てが安芸の言葉に収束していくのだ。
三人の仲間を追うこともできない。
仲間の意志を、たった一人で背負って生きていくこともできない。
進むべき道に、進むことができない。
そんな彼の脳裏に、再び安芸の声が蘇る。
『危なくなったら、帰ってきてくれて構わないから』
「……あ……あぁあ」
もはや、追い込まれた彼にとって、それらの安芸の言葉は正解としか思えなかった。
吉田はふらふらと立ち上がり、コンビニの入り口を塞ぐバリケードを片付け始めるのだった。
◆
「……学園を出た奴らがいるってどういうことだよ!?」
珍しく、生徒会室の辺りが騒がしい。
生徒会室の木製の立派な両開きの扉の前には十人ほどの人だかりができていて、生徒会室へ殺到した彼らを三人の風紀委員が宥めている。
「吉田たちだろ! 出てったの!」
「知ってるのよ! 食料も分けたの!?」
「安芸! 俺たちは我慢してるんだ!」
「そうよ! 例外なんて認めないでよ!」
「か、会長はいま忙しい……ので!」
「ちょっと……先輩方! 落ち着いて下さい!」
まるでどこか政治情勢の不安定な国で、デモ隊と警官隊がぶつかり合っているようだ。
そして風紀委員たちに守られる生徒会室の扉の内側では、安芸、甲斐、壱岐の三人が息を殺すように黙って時を過ごしていた。
安芸は頬杖をついて、机の木目を数え、甲斐は応接用のソファで眼鏡を拭いている。壱岐はと言えば資料棚の前で所在なさげにきょろきょろとしている。
「あ、あのあの……対応は……しないんですか?」
「するだけ無駄ですからね。興奮する人には何を言っても無意味です」
「は、はぁ……」
壱岐の問いに、甲斐がそう冷めた口調で答える。生徒会室内に久々に声がした気がして、安芸も「ふぅー」と息を吐いて、顔を手の平で拭ってから言った。
「ごめん。吉田くんたちを止められなくて……」
「……放っておいたら、何をしでかすか分からなかったですからね、彼ら」
「今は生徒会を中心にまとまらないといけないのに……そうだね、例外を作ったのがまずかった」
とにかく集まった生徒たちが落ち着くのを待とう、と安芸たちが再び黙り始めた……そのとき
「か、会長! 今すぐ校門までお願いします!」
バタンと生徒会室の扉を開いて、風紀の腕章をはめた男子生徒が飛び込んできた。
◆
「か、会長! 今すぐ校門までお願いします!」
「……すぐ行く」
僕は甲斐と目を合わせ、頷いてから、スタンドハンガーに掛けたコートをひったくる。黒いそれに袖を通しながら、すぐに甲斐、壱岐さんと生徒会室を出た。
「あ、安芸! やっと……出てきた……な……って」
生徒会室に集まっていた生徒たちが僕を見つけてまた騒がしくなる。だが彼らを無視して廊下を進み始めた僕を見て、彼らは語気を小さくしていった。
廊下を行きながら「何があった」とやって来た風紀委員の彼に問う。
「……それが……」
校門で見張りをしていた彼の答えに、僕は足を早めた。
◆
「……吉田くん」
校門にいたのは、昨日、学園を出た四人組のリーダー、吉田だった。
校門に背中を預け、ぐったりとしゃがみ込む彼の目に光はない。
「……安芸……」
吉田は僕の名を呼ぶと、握っていた拳銃をこちらに放り投げてきた。ガチャンと音がなって、赤い汚れの付いた僕の拳銃が足元に転がってくる。
「……他の……三人……は?」
僕の問いに、長く息を吸った吉田。しばらくしてから、「死んだ」とだけ答えた。
「……ぜんぶ、全部、お前が正しかったよ、安芸。俺は間違えて、お前が正しかった」
「……吉田くんは、帰って来たんだね?」
彼はゴツンと後頭部を校門にぶつけ、空を見上げる。
「……元々、帰る気はなかった」
「……うん」
吉田は僕の「帰って来てもいい」という言葉に気まずそうにしていた。わがままで学園を離れ、危険になったらまた帰ってくることはしたくなかったのだろう。
吉田は続ける。
「……深ちゃんは喰い殺された。タケは俺が殺した。ヒラは自殺した。……だから、俺も死のうとした」
彼の言葉に、その場にいた僕、甲斐、壱岐さん、風紀委員二名、僕を追ってきた三年生数人は目を見開いた。
吉田は想像するだけでも頭が痛くなるような絶望を、ほんの数百メートル先で経験してきたのだ。仲間を追い、自死を選ぶまで追い込まれるほどに。
彼は右手で指鉄砲を作ると、それを自身の顬に当てた。そして親指で撃鉄を引くような動作をして、「バン」と言いながら、指鉄砲に反動を与える。そのまま脱力し、彼は右腕をダラリと下げた。
「……だけどよ、弾が出なかった」
「……弾は……」
「五発……だもんな」
吉田は頭を揺らしてフッと笑った。なにも面白くて笑ったのではないことは、明らかだ。それから歯軋りをして食いしばる彼の歯が見えた。そのまま彼は俯いて、涙を堪えているのか、肩を数度、揺らした。
「……最後に、お前の言う通りにしたんだ、安芸。だから帰ってきた」
僕は吉田のそばに寄り、彼の肩に触れようとした。とにかく慰めようと……だが、それを彼は必要としてはいなかった。
「なぁ、安芸。俺さ、どうすればいいんだ?」
彼の問いに、伸ばした手が止まる。
「教えてくれよ、お前が、正解なんだろ……? これから俺は……どうすればいい……」
……僕を正解なんて呼ばないでくれ。もし僕が正解なら、なぜ日向は、僕の妹は死んだんだ。それが、僕の選んだ正解なんて、呼ばないでくれ。
「……僕は、正解なんかじゃないよ」
「……」
小さく言った。そして彼の肩に触れようとした手を引き、今度はその手の平を彼の顔の前に差し出した。僕から差し出された手の平を、吉田が不思議そうに睨む。
僕の慰めが、彼に良い変化をもたらすことはない。だけど…
「僕は正解じゃない。だけど、ついてくればいい」
「……安芸……?」
「僕はリーダーだ。もし僕についてくるなら、君の失態は、責任は、僕が代わりに背負おう」
吉田が目を見開くのが分かった。
最後に昨日、彼から言われた皮肉をそのまま返してやる。
「……吉田くんの重そうな責任を、少し軽くしてあげるよ」
息を吸い込んだ吉田の肺が膨らむ。彼は首を揺らして、泣きながら笑った。
「……あぁ。頼むよ」
僕の右手に、吉田の右手が重なった。力を込めて、僕は彼を校門の作り出す影から引っ張りあげた。
元アメリカ大統領夫人エレノア・ルーズベルト曰く、
『人の生き方を一番よく表すのは、言葉ではありません。それは、その人の選択なのです。わたしたちの選択とは、つまるところ、わたしたちの責任なのです』
である。
◆
安芸が吉田を引き上げる様子を見ていた壱岐。和解した様子の二人に、彼女はほっと胸を撫で下ろした。
「……素晴らしい」
しかしとなりから聞こえたその声に、壱岐はビクッと肩を震わせた。
彼女は恐る恐る、後ろに幽霊がいないか確認するように、首を右へ巡らせる。そこにあったのは、甲斐の見慣れぬ表情だった。
彼のその顔を一言で表すならば、恍惚。
その表情に壱岐はゾッとして視線を逸らす。彼女は、昨日のことを思い出していた。
『彼らの死が、私たちの糧になるかもしれないんですよ』
日の沈んだ生徒会室で、吉田たちの後悔を願っていた甲斐。彼は学園の指導者たる安芸の意向に背いた吉田たちをひどく嫌悪していた。ゆえに「後悔すればいい」と言ったのだ。
そして今、吉田が仲間を失って、後悔に呑まれて学園へ戻ってきた。加えて、吉田を言葉で引っ張りあげたのは、安芸だ。
「やはり会長が、正しかった……!」
甲斐の呟き。彼がどんな顔をして言っているのか、壱岐は怖くて顔を上げることができなかった。
次の日、その場にいなかったはずの新聞部がこの校門での出来事を詳細に記して、壁新聞として掲載していた。
『安芸に背き、学園を出た生徒たち三人が死に、生き残りは安芸に縋り、学園へ戻ってきた』
という趣旨の記事は、安芸の正しさやリーダーとしての才能を主張し、《生徒会》への求心力の高まりへと繋がる。
だが、そのネタを提供した人物に関する記述は記事中になかった。
こっそりと壱岐が新聞部を訪ね、情報の出処を問うたが、新聞部部員たちは決して情報提供者に関しては口を割らず、目を逸らして、ただ「答えられない」と言うだけであった。
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