第55限 正しい者
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
「いやぁ! 助けて! 助けてよお!」
泣き喚く幼馴染みの女の子の声がする。
「……やめ、やめてくれ……。頼む、頼むから」
銃口を向けられ、「殺さないで」と懇願する幼馴染みの男の声がする。
「すまない」
謝罪して引き金をひく、自分の姿が見えた。
◆
ダァンッ!
「っ!」
そばで銃声が聞こえた気がした吉田は、ガバッと体を床から引き剥がした。
「はぁ、はぁ……」
荒い呼吸をしながら、夢か、と呟いて、顔にぶつぶつと張り付いた汗を手の平で拭う。友人が死ぬ光景が夢であったことに安堵すると同時に、夢であればよかったと無意味な夢想をする。
吉田がいるのは、桐可市内にあるコンビニの店内だ。ガラス張りの入り口から離れた棚の裏で、薄い布を羽織って眠っていた。
がしがしと頭を掻き、朝飯を取ろうと近くにあった棚へ手を伸ばす。
「……ヒラ、どこだ。飯食って出るぞ」
菓子パンを一つ取り、封を破りながら、幼馴染みの一人である平田を呼ぶ。
「……」
しかし、返事がない。
となりの棚に隠れて丸まって寝ていた平田の姿がないのだ。
吉田の脳裏に、化け物の群れに噛み殺された深田の姿と、自分で撃ち殺した竹田のぐちゃぐちゃになった顔が浮かんだ。嫌な予感がして、齧った菓子パンの味がなくなる。
「……ヒラ」
吉田はパンを投げるように捨てた。
「……ヒラ、おいヒラ! どこだ!」
辺りを見渡しながら立ち上がり、平田を呼ぶ。
夢で見た幼馴染み二人の死に際と、銃声。
「……銃……声」
夢はダァン、という銃声で終わった。
もし、もしもその銃声が……。
バッと彼は自分の寝床に振り返る。枕にしていたカバンの中身を掻き出し、棚の中の商品をなぎ払い、毛布をひっくり返して、彼は身の回りを漁った。
「……ない。拳銃が、ない……」
吉田が学園の生徒会長・安芸から預かった拳銃が、どこにもない。昨日の夜はたしかに枕元に置いておいたはずだ。
「くそっ! ヒラ! おいどこにいる!」
拳銃を諦め、彼は散らかした物を跨いであちこちを探し始めた。一緒に眠っていた平田を探す。
菓子の棚、雑誌の棚、レジの裏……どこにも平田の姿はない。
吉田がレジから出て、顔を上げると、真っ直ぐ先に開いた扉が見えた。小窓がついた片開きのドアで、手書きの張り紙に「ご利用の際はスタッフにお声掛けください」と書いてある。
トイレのドアだ。
「……ヒラ、そこか……?」
コンビニの入り口はちゃんとバリケードが築かれたままなので、平田が外に出たということはない。
いるなら、トイレの中だ。
「いるんだろ、小便か?」
ゆっくりとトイレへ向かいながら、様子を窺うように話しかける。それでも返事はない。
開け放たれた洗面所のドア。吉田からは手洗い場にある蛇口と鏡しか見えないが、スライド式の扉が閉まる二つのトイレの個室からは、人のいる気配は微塵も感じられない。
「……ヒラ……ヒラ……。頼む……頼むから……返事をしてくれ…」
いなくなった平田、なくなった拳銃。
二つが吉田の悪い予感をより鮮明なものにしていく。散らばった雑誌を跨ぎ、ゴミを踏み締め、一歩一歩、結果を恐れる吉田はゆっくりと進んだ。
「ふー、ふー」
長い息を吐き出しながら、吉田は二つのうちの一つのトイレの扉に手を掛けた。
彼は「開けるぞ」と断ってから、スライド式の扉を引いた。
「……はぁー……」
そこには便座があっただけだった。
いて欲しかったはずなのに、無人の個室に吉田は安堵するような息を吐く。正確には、「何もなくてよかった」だろう。
吉田は一歩下がって個室から出て、もう一つの個室の前に立った。いるなら、もうここしかない。
汗ばんだ手で、銀色に光を反射する磨かれた扉の取っ手を握る。
そして、開く。
「……ヒ……ラ……」
個室の中を見た吉田は、目を見開き、言葉を失い、「あ、あ」と喉から音を出しながら、後ずさった。後ずさりながら、腰が抜けたのか彼は洗面所で尻もちをつく。
「……なんで……こんな……」
平田は、トイレの中にいた。
いや、平田だった肉の塊が、便座の上にあった。彼は上目で睨むように白目を剥き、白い陶器のタンクにもたれかかっていた。顔は天井を向いていて、天から降り注ぐ雨を飲むようにあんぐりと開けた口からは、大量の血が流れている。
彼は、死んでいた。吉田が夢だと思ったあの最後の銃声は、平田が自殺したときのものだったのだ。
吉田が視線を彼の足元に向ける。
そこには、血や粘液でどろどろになった拳銃が転がっている。
平田はその口に銃口を含み、そして引き金を引いたのだ。自殺だ。
死の恐怖と葛藤していたのか、口の中に入っていた拳銃には大量の唾液や鼻水がついている。
「なんで……なんでだよ、ヒラ……」
平田は優しい男だった。
それがゆえに、間接的にとはいえ友人を殺して生きながらえた自分に、心を苦しめていたのだ。真面目過ぎて、優し過ぎた彼にとって、助けを求める女の子を捨てて命を繋いだという事実は、重い罪悪感をもたらした。
そして吉田は、幼馴染み全てを失った。
グループ唯一の華役だった深田、お調子者の竹田、優しい平田。全員が目の前で死んだ。
「……おれ……俺の、せい、か……?」
血を流して、息をしない平田に、問いかける。
だが徐々に熱を失っていく平田は、白目で天井を見つめるばかりで、返事をしない。
「……ぁ、あが……あぁぁあ……」
呻きながら、吉田は頭を抱えて床に蹲った。
床を涙で濡らしながら、彼はふと思い出す。
『……悪いのは、だれだ……』
平田が昨日、深田と竹田を亡くした直後に呟いた独り言。「わ、悪いのは……」と、吉田は口に出して繰り返す。
「……俺……か……?」
学園を出ようと深田、竹田、平田に提案したのは、吉田だった。それに三人が手放しで賛成したのだ。吉田は数日前の会話を思い出す。
化け物が現れてからも、四人はずっと一緒だった。
まず階段の踊り場に腰掛けた吉田がみんなに聞いた。
『……学園出てよ、どうするよ?』
それに手すりに腰を預けた平田が提案する。
『そうだね、ショッピングモールで暮らすなんてどう? 地元のさ』
楽しそう! と深田が手を挙げて賛同する。
『あ! いいわね! 誰もいないショッピングモールに私たちだけ!』
平田の向かいに立つ竹田が想像を膨らませる。
『……そうだな! 家具屋のベッドで眠ってさ、本屋の漫画とか読んで、食いもんはもちろんあるしさ!』
『……食糧がなくなったら、次のショッピングモールに行くの!』
『非常用電源入れてゲーセンで遊ぶのもいいね』
『何だかワクワクしてきたなぁ!』
『うん! 映画みたいよね!』
つい最近の馬鹿みたいだが幸せだった時を思い出し、吉田は「はっ」と笑った。
「……本当に、馬鹿みたいだよ……」
吉田を深い後悔が襲う。
「……こんなことになるなら、学園を出ようなんて言わなかった。こんなことになるなら、自由なんて望まなかった。こんなことになるなら、安芸の忠告を……ちゃん、と……」
安芸の真剣な眼差しが、脳裏に浮かぶ。
『いいかい、その自由っていうのは、同時に責任を負うということだよ』
吉田は、仲間たちとの自由を望んだ。
誰にも縛られることのない、仲間との自由。学園や生徒会からの束縛を嫌い、自分たちの道を歩もうとした。
それは学園からの解放であり、自由の獲得である……と、同時に、自身らで責任を負うということでもあった。
学園においては、学園という組織内で暮らし、ある程度の秩序に守られていた。全体の統括は生徒会が行い、責任を生徒会長である安芸が背負っていた。たしかに学園という組織内には決まりがあり、規則があり、それを守る中においての自由は制限を受けるものだったろう。寝食を同級生たちと共にし、食べ物や飲み物は配給制だ。だがそういった制限を受ける代わりに、生徒たちにはある程度の安全や、暮らしそのものが保障されていた。
そして安芸の庇護下から離反し、自由を求めた吉田たちからはそういった集団に属することで受けられる恩恵は剥奪され、自らが自らの安全を守り、生活を守り、責任を負うことになった。
その結果が、三つの死体だ。
「……悪いのは、悪いのは……俺だ」
そして、
「安芸が……正しかった」
吉田は、正しい者に背いた自身の愚かさを呪った。
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