第53限 背を向ける者
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
やることは山積みだった。
活動再開を命じた《風紀委員会》や《環境委員会》、《災害対策委員会》からはいくつか報告書が上がってきていて、中には《生徒会》での判断が必要なものもある。《風紀委員会》からは問題を起こした生徒の処遇についての判断が、《環境委員会》からは仮設トイレやゴミの処理についての判断、《災害対策委員会》からは食糧・水の配給量についての判断が仰がれている。
「水が流れないので、全てのトイレの個室には『使用厳禁』との張り紙を張ってます。使用する際には、便器と便座の隙間にビニール袋を挟んで……っていう感じですが、やはり衛生的でなく……その後の処理も大変です」
生徒会室の応接用ソファに腰かけた甲斐がそう現状の説明をしてくれる。彼は生徒会会計であると同時に、《環境委員会》の委員長も兼任していて、僕の留守中には副会長として学園をまとめてくれているため、僕よりも学園の状況には詳しかった。
彼が《環境委員会》の代表として提言したのは、トイレの問題だ。僕たち《生徒会》がいま最も注意を払っているのは、衛生問題であるからだ。大人がいない現状、病気に掛かることが、校外に出て化け物に襲われることの次に恐ろしいことだ。もしも不衛生が祟って、伝染病が広まるなんて事態になれば、僕らは化け物に食い殺されるより先に体調不良で死んでしまうだろう。
「……想定以上に水が必要だな……。水の残りは……?」
僕がそう聞くと、甲斐は「ちょっと待ってくださいねぇ……」と言って自分のファイルを開いた。
水は甲斐の《環境委員会》に収集を依頼し、集められるだけの空き容器、そしてプールに水を貯めてくれているが、水の消費ペースは想定以上に早い。
「……水の確保は《環境委員会》が行いましたが、保管と配給は《災害対策委員会》の管轄なんですよね……。報告書があったはず……あ、これです」
立ち上がった甲斐から一枚のコピー用紙を受け取る。《災害対策委員会》が一日二回の配給の度に上げる報告書の一枚だ。
甲斐の解説を聞きながら、僕はそれに目を通す。
「もっと厳格な消費水量の制限を実施しますか?」
「いや、節約はしなくていい。そんなことで生徒が不安やストレスを感じたら大変だ」
「……ですが」
「水は近いうちに僕の《校外委員会》で何とか……」
言い切る前に、ドンドン、と生徒会室の扉が叩かれた。拳の底でのノックなのか、その扉を叩く力は少し強くて、僕と甲斐は目を互いに合わせた。
大切な話し合いの腰を折られたが、出ないわけにもいかないので、甲斐が立ち上がり、ドアノブを捻った。
「……邪魔するぞ」
「ちょ、こ、こら勝手に……!」
そうテキトーな挨拶をし、甲斐が扉を開けるやいなや、彼の制止も振り切って、四人の男女が無作法に入室してくる。全員赤いネクタイ……ということは僕の同級生である三年のようだ。一度だけ同じクラスになったことのある男子もいる。
「よお、会長。覚えてるか? 一年んとき同じ組だった吉田だ」
「ああ、覚えてるよ吉田君。……それと……?」
「こいつらはダチ……てか幼馴染みだな。右から平田、竹田、深田だ」
紹介されると、一人ずつ頭を下げたり、片手を上げたりしてくれる。
しかし、何の用だろうか。
「で、どうしたの? 配給とかのことなら《災害対策委員会》に……」
「いや、そういうんじゃねぇんだ……」
吉田はズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、「なんていうか、その」と歯切れ悪く笑っている。
そして彼はしばらく口を閉じたり開いたりして、覚悟を決めたようにこちらを見やると、衝撃的なことを口にした。
「……俺たち、さ。学園を離れることにしたんだ」
「…………は…は?」
いま、何と言ったのか。「学園を、離れる」……?
「な、何言ってるんですか……?」
甲斐も吉田の言葉にそう動揺した。
彼は……吉田はとんでもないことを言っている。
「だからさ、学園を出ようかなって」
「な、なんでそんなこと……。そ、外が……校外がどれほど危険か分かってるのか?」
「分かってるつもりだ」
「分かってたら『外に行く』なんて言うもんか」
勢いで立ち上がってしまった僕は、倒れるように椅子に腰かけ直し、額に拳を当てて頭を抱えた。
興味だけで校外へ出ると言っているのだろうか。一体、何が彼らを校外という死地へ向かわせようとしているのか……。
「……どうして校外に……?」
「……学園に未来はないって思うからだ」
何を言われても何かしら反論してやるつもりだったが、彼の言葉に僕は何も言い返せなかった。
動揺で瞳孔が開いていることが自分でも分かった。僕は口元を手のひらで覆い、吉田から目線をずらす。
「……なあ、会長。俺たちはこれからも生きていけるのか?」
「僕はみんなを死なせないために努力してるつもりだ」
「ああ、知ってるよ。だけど食糧には限りがあって、水だってそうだ。学園には五百人の生徒がいて、大人はゼロ。加えて何十人と中坊を連れてきてくれたな。それにいつ校門が破られるかも分かりゃしない……」
吉田はさっきまで甲斐が座っていたソファテーブルに目線を映した。そこには学園の状況をまとめた報告書の山があり、それを見て彼は肩を竦めながら、「問題はそれだけじゃなさそうだしな」と付け加えた。
「今の状況に、俺は希望を見ることができないんだ」
「《校外委員会》だってある。校外に出ようなんて言い出す勇気があるなら、君も委員になってくれよ」
「……勇気なんかじゃないさ。むしろ逆……。恐怖してるのさ。……それに生憎だが、俺は知りもしない誰かのために死ねるほど立派で素晴らしい人間じゃない。せいぜい守ろうと思えるのは、長い時間を共有した家族や、友達だけだ」
頑なな彼に、僕は頭をわしゃわしゃと掻いた。
校外は危険だ。これは間違いない。なにせ人間を食べようとする化け物がうじゃうじゃといるのだから。
では校内は安全か? これに確証はない。彼の言うことは間違ってはいないのだから。学園に愛想を尽かしたのかもしれない。
「……学園を出てどうする?」
僕の問いには吉田の後ろに控えていた女子生徒が一歩前に出て答えた。たしか深田といったはずだ。
「町に帰るの。私たちの町に」
「……君たちの?」
「ええ。私たち四人は、県外の出身なの。毎日、一緒に電車で来てた。行く当てなんてないから、ひとまず故郷を目指すわ」
「無茶だ……」
「大丈夫よ。きっと私たちは大丈夫」
彼女の意味不明な正常性バイアスに、僕は腹が立ってしまった。
机を拳で叩きつけ、気付いたらこう叫んでいた。
「日向が大丈夫じゃなくて、お前たちが大丈夫なもんかッ!」
叫んでからハッとして、僕は「すまない」と謝ってから、立ち上がり、彼らに背を向けた。久しぶりに人に怒りをぶつけた。
だけど、彼らを……仲の良い幼馴染みなんてのを見ていると思い出すのだ……日向のことを。
「その……なんだ……。日向とは俺も仲が良かった……。だから残念に思うよ」
吉田が申し訳なさそうにそう言う。
「だけど、俺たちなら本当に大丈夫だから! 俺たちなら、校外でもやっていける気がするんだ! 無茶はしない! 町へは一週間以上を掛けて、ゆっくりと向かうつもりだ。慎重にな。朝早くに出発し、陽が沈む前に寝床を見つける計画だ!」
僕は出窓の向こうに見える景色を見つめながら、深呼吸をし、興奮を抑えてから振り返った。
たしかに彼らからは自信のようなものを感じる。本当に何とかなる予定なのだろう。「俺は大丈夫」「仲間は特別だ」……そういう考えを、全ての人間が持っていることを、彼らは知らないのだ。どんな災害に直面しても、どこか他人事のように感じてしまうのが人間なのだ。
「……そんな大層立派な計画があるのに、なぜ生徒会室にわざわざ来たんだ?」
「ああ……その……。い、一日分でいいから、四人分の食糧を分けてくれないか? それと水も……一人一本でいい。あと武器が欲しい。……図々しいのは知ってるが……できれば、車も」
驚いた。彼らは僕に要求を通すために来たらしい。
吉田のその要求に、入り口で壁に寄り掛かり腕を組んでいた甲斐が「はっ」と鼻で笑った。
「それだけ人に頼る項目があって、よく『計画』なんて言えたものですね」
「なんだとぉ?」
甲斐の正論に腹を立てたのか、吉田の友達の一人である太った男子生徒・竹田が甲斐に掴みかかろうとした。だがそれを「やめろ!」と吉田が制する。どうやら彼がグループのリーダーのようだった。リーダーの制止に、竹田は舌打ちをして、甲斐の胸倉から手を離した。
「すまなかった。わがままなのも分かってる。だが頼む。俺たちは、俺たちだけで生きていこうと思うんだ」
「止めても無駄……なのかな」
「ああ。何も持ってない状態だとしても、俺たちは校外へ行く。そして育った町へ帰る」
「……そうか」
止めても、外へ出ると言う。
僕は机に両手を突き、目を伏せ、頭を内側へ畳んで考えを整理する。そして唾を飲み込み、小刻みに頷きながら、「分かった」と言った。
「僕に君たちを止める権利は……ない」
「……よかったよ。自由になれるみたいで」
「いいかい、その自由っていうのは、同時に責任を負うということだよ」
「……責任? ……いまお前が負ってるそれか?」
「あぁ」
「……じゃあ重そうだから、少し軽くしてやるよ」
軽口を叩かれ、呆れた僕は長く息を吐いて、椅子に座り直した。
「……食糧も持っていっていい。一日分だよ」
「助かる」
「それと車と武器だが……学園にとってはどちらも虎の子だ。学園から離れる君たちに渡すわけにはいかないな」
「……そうか。残念だが……まぁ、動く車を道中探すよ」
武器も車両もなしで、本当に校外へ出るつもりのようだ。信じられないが、校外の地獄を見ていないのだから、楽観視も仕方ないのかもしれない。
「……校外は、本当に危険だ。何人か……もしくは全員が死ぬかもしれないよ」
僕の忠告に、部屋を出ようとしていた吉田は足を止めた。彼はゆっくりと振り返った。
「どうせ学園にいても、死を待つことに変わりないだろ」
彼はそれだけ言い残して、部屋を後にした。
イタリアの思想家マキャベリ曰く、
『民衆というものは善政に浴している限りは特に自由など望みもしないし、求めもしないのである』
だ。
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