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☆無断欠勤を食らった陛下の考察☆
ダルジャンからフミィを無事に保護した事と、数日登城できない旨の連絡を受けてはいた。受けてはいたが、それから一週間経っても奴らはまだ登城してこない。
「おかげで俺は、ダルジャンがフミィを追ってからかれこれ二週間近く、政務室に缶詰なんだが?」
判を押し終えた書類束を政務机にバサリと放る。
「ルードナー陛下、今までダルジャン殿とフミィに任せて楽をし過ぎたんじゃ。じゃが、ほれ? フミィが言っておった通りじゃ、ルードナー陛下はやれば出来る男じゃ。そら、今度はこっちの嘆願書に目を通してたもれ?」
シャクラは判を押し終えた書類を手早く回収すると、それの倍もあろうかという紙の束を押し付けてきた。
ふわり。
思わずスンと鼻を鳴らしたのは、間近に寄ったシャクラの柔らかな香りに誘われたから。
柔らかなシャクラの色香が、俺の鼻孔を甘くくすぐる。
「……シャクラ、今頃ダルジャンとフミィはしっぽり懇ろにしているだろうよ?」
バッと弾かれたようにシャクラが俺を注視する。それに伴って、甘やかな空気もふわりと揺れた。
……ヤバイな。
シャクラの香りで体の内側がぞわりとした熱を持つ。
これまで政務中にこんな醜態を晒した事など一度としてなく、俺自身困惑していた。
ここのところ、もう随分と長い事女を抱いていない。だからなのか? いいや、他の王宮女官には、こんな風に触れずして高まる事などあり得ない。
シャクラだから、か。
気付いた時には腕を伸ばしていた。小柄なシャクラの腹に腕を回して引き寄せれば、それだけでシャクラは宙を舞って俺の腕の中にすっぽりと収まった。
手のひらに感じるウエストは細く華奢なのに、柔らかくしっとりと俺の手によく馴染んだ。
あぁ、甘い香りが俺を酔わす。甘美な誘いに抗えない。
「のうルードナー陛下、わらわは妾かえ?」
!!
シャクラのウエストから背中を辿り、侍女のお仕着せのエプロンを解こうとしていた俺は、シャクラの台詞にビクリと無様なほどに肩を跳ねさせた。
見下ろしたシャクラが切ない光を湛えた瞳で俺を射抜く。その凛と澄んだ瞳を前にすれば、冷水を浴びせられたみたいに体が一気に冷えた。
けれど言い表せない感情の嵐が吹き荒れて、頭と胸が燃え滾る。
「ルードナー陛下、わらわは構わんよ? じゃが、ルードナー陛下が正妻を迎える時はわらわを修道院に送ってたもれ?」
シャクラの瞳は揺らがない。清廉な光を湛えたまま、絶望も諦めもなく、ただただ静かだった。
切ない告白だと思った。そしてそれを言わせたのは俺だ。
国から、父から捨てられた皇女の辛い覚悟が見て取れる、悲しい言葉だった。
「シャクラ、俺は愛した女に日陰の道を歩かせる程鬼畜じゃない」
シャクラがこてんと首を傾げてみせる。
一気に大人への階段を駆け上る十四歳の皇女は達観しているように見えて、男と女の事を分かっちゃいない。シャクラの生きてきた環境がそうであったろうし、俺とてフミィと出会わなければ気付く事すらなかったかもしれん。
愛する事は一途だ。
「シャクラ、俺が望むのは一夜の伽じゃない。愛する女に出会ったなら、生涯その女と添い遂げる。貞淑とは妻が夫に捧ぐ一方方向ではありえない。俺はその女だけを愛する」
シャクラは俺に胡乱な目を向けて寄越した。本当はここで頬のひとつもを染めてくれるだろうと期待していたが、俺の目論見は外れた。
「それはおかしいぞえ? それでは何故ルードナー陛下はわらわを組み敷こうとするんじゃ? いや、まだ愛する女とやらに出会っておらぬ故、これはノーカウントとそういう事かの?」
組み敷くの台詞に苦笑が漏れる。
いやいや、俺がシャクラを邪な目で見ていた事は事実だが、流石にこのまま政務机に押し倒そうとは思ってなかったんだがな。
なによりシャクラはここまで語っても俺の気持ちに気付かない。いや、気付かない振りをしているな?
「臆病なシャクラ。俺が愛するのはシャクラだ。そして俺の正妃になり、俺の子を生むのはシャクラ、お前の他にいない。俺はそう思っている」
シャクラは目をまんまるに見開いたまま、微動だにしない。
ふむ、もうひと押しか。
「そうだな、仮にシャクラに袖にされたら俺は生涯独り身だ。俺が正妃に望む女がシャクラ、お前以外にいないからだ」
見開かれたシャクラの目から一筋透明な雫が零れ落ちる。あまりにも澄んで綺麗なその雫を奪いたくて、指でそっと拭い取る。
けれど指先に透明な雫をのせた瞬間、両の目からぶわっと溢れる涙が俺の手を濡らす。後から後から滂沱に流れるそれは、指先で拭うでは間に合わない。だから、シャクラの震える肩をそっと抱き、俺の胸へとシャクラを押し付ける。
シャクラは細い肩を揺らしながら、俺の胸に涙の染みを作っていった。
嗚咽するシャクラから俺の告白の答えを聞く事は叶わなかったが、恐らく俺はフミィの言う温かな家庭を実現できるんじゃないかと、そう思えた。
ぽんぽんとシャクラの背中を撫でながら、溜まる熱には気付かない振りをした。
◇◇◇
ダルジャンと想いを通わせ、愛し愛される幸福を噛みしめた。
宿からの帰路もダルジャンは同じ馬上に私を抱き締めて、一瞬たりとも離そうとはしなかった。
屋敷に帰っても、ダルジャンの愛に果ては見えない。ひとつの寝台の上、縺れ合い、ダルジャンの愛に溺れ、ダルジャンの愛に酔った。
「ん……、ダルジャン? 今は朝? 夜?」
夢現から意識が浮上して、重たい瞼を震わせる。
「フミィ、まもなく夜が明ける」
ダルジャンの柔らかな口付けが瞼に、頬に、唇に触れる。
ゆっくりと瞼を開き、視界に飛び込むのは愛しいダルジャンの甘やかな微笑み。
「そっか、どっこらしょ……」
私もひとつ微笑んで、鉛のように重たい体をなんとか起こす。
「! フミィ? どこに行く?」
咄嗟にダルジャンが肩を支えた。
「ん? どこって、着替えて朝食にしよう? さすがに起きないと二人してベットに根っこが生えちゃうよ」
苦笑して、愛しい朱色の瞳に告げる。
「……根っこ?」
……ダルジャンよ、何故そこでうっそりと微笑む?
「……フミィとどこまでもひとつになって、根っこが生えて、さらにひとつに……」
ダルジャンがここでない、何処かに向かって恍惚の表情で呟いた。
ゴクリと唾を飲み込んだ。
ダルジャンへの愛に嘘はない。ダルジャンから愛される事はこの上もなく嬉しい……が、ダルジャンの深すぎる愛に窒息したらどうしてくれよう。
ダルジャンが恍惚と呆けている隙に、ダルジャンの胸をよっと押しやり、腕の中から抜け出した。
「? フミィ?」
トンと床を足で踏む感触は、随分と久し振りのものだった。
「ねぇダルジャン、私はダルジャンが好き。だからダルジャンと抱き合って過ごす時間はとても幸福。でもね、私は陛下やシャクラ、バーガンさんや皆と過ごす日常もまた愛しい。だからそろそろ、日常に戻ろう?」
想いを通わせてからの触れ合いの最中はずっと、ダルジャンが私を抱き締めていた。
だけど今は、私がダルジャンを腕の中に抱き締めた。
「私の旦那様は家庭では良き夫。外に出ればアルバンド王国の押しも押されぬ宰相閣下。とっても頼もしくて素敵なの。ねぇダルジャン? そうでしょう?」
寝台に腰掛けて私を見上げるダルジャンの唇に、しっとりと口付けた。
解こうとした口付けは、しかしダルジャンに主導権を取られ、深く絡めるように合わさってから離れた。
「フミィ! 朝食を食べたら今日から出勤しよう。ただし、朝食は俺が作る。フミィは休んでいてくれ!」
言うが早いか、ダルジャンは私の腰をヒョイっと掴んで再び寝台に寝かしつけると、足取り軽く寝室を出て行った。
……いやいやダルジャン、だから私も起きるんだけど。
「それにダルジャン、せめて前を隠そうよ、前を。ふぅ……どっこらしょっと」
ダルジャンの彫刻の如き素っ裸のうしろ姿を見送りながら、重たい体を再び起こした。
衣装箱からワンピースを取り出して、袖を通しながらぼんやりと記憶を辿る。
おぼろな記憶だとたしか、最後の情事は浴室からここに一直線。
だから当然ダルジャンも私もすっぽんぽん。
ここは私の寝室ゆえ、ダルジャンの着替えは置いていない。
これって不自由この上無い。しかも寝台にひとつになって根っこまで生やそうとしたダルジャンに、夫婦別寝室の概念はあり得ない。
……ふむ、それなら早急に寝室をひとつに纏めよう。
どっちでもいいけど、私がダルジャンの寝室に移ろう。
別段深い考えがあった訳じゃない。ただ、移るなら確実に私の方が荷物が少ないだろうと踏んだ。
私はこちらに来て日も浅い上、あまり物に執着しない。衣服と化粧品一式を最小限にまとめていた。
「よっこらしょっと」
そう、今持ち上げたこの衣装箱が私物の全てだ。
「ダールジャーン、入るよー?」
衣装箱を小脇に抱え、向かいのダルジャンの寝室をノックする。ダルジャンに掃除は不要と言われ、落ち込んだ事もあった。
今思えばそれは、真面目なダルジャンらしいひとつの線引きであったのだろう。
けれど新しい関係に生まれ変わった私たちに、そんなまどろっこしい遠慮は不要だ。
「フミィ!?」
中からダルジャンの声が返った。
ガチャッ。
「ダルジャン、これから寝室一緒にするでしょー? 荷物少ないからさ、私が移る……」
扉を空けて、笑顔で告げて、……いる途中で固まった。
ゴトンッ。
衣装箱も、思わず落とした。
「フ、フミィっ!」
「なっ、なっ! なっ!! ナンジャコリャーー!!」
そして仰け反って、叫んだ。
ダルジャンの寝室はまさか、寝室でもなんでもなかった。
寝台なんてない。あるのは脚が一本折れて傾いたソファベッド。
しかも部屋にはありとあらゆる家財が無造作に積み上げられ、足の踏み場もない。ダルジャンの長衣やシャツは窓の桟に強引にハンガーで引っ掛けられている。
下着や夜着の類は隅に置かれたポールハンガーに無理矢理ぶら下げられていた。
「……私、何も知らないでダルジャンの寝室を奪っていたんだね? ダルジャンの寝台で悠々と眠っていたんだね?」
知らず、涙が溢れていた。
自己嫌悪に、押しつぶされそうだった。
ダルジャンはひとつしかない寝室を客間と偽って私に譲り渡した。そして自分はまともな寝床もない物置で寝起きしていた。
私はそれに、これっぽっちも気付かなかった!
「フミィ、違うんだ!」
違くなんて、ない。私、とんだ阿呆だ。
「……どうしてダルジャンはそこまで自分を犠牲にして、人に尽くそうとするの? 初対面の人間にそこまでしちゃうの? 優しいのはダルジャンの美徳だけど、ここまでの自己犠牲はどうして? こんな暮らしを続けていたら、いつか体を壊していたよ! 優秀なくせに、どうしてそんな事に思い至らないのっ!?」
一度溢れた涙は後から後から、堰を切ったように溢れ出て止まらない。
露程も疑わずに、ダルジャンの優しさに溺れて甘えていた自分自身が、悔しかった。
「違うんだフミィ! 俺は決してそんな清廉潔白な身ではないんだ! 一目見て、俺はフミィに見惚れた。なんとしてもフミィを他へやりたくなかった。俺の元に留めておきたかった! 俺は己の寝室を誰彼構わず譲るような事はしない、フミィだから譲った。全ては俺のエゴでそうしたんだ!」
!!
深すぎるダルジャンの愛に、眩暈がした。
同時に、体の底から震えた。
ダルジャンの大きな愛に、心が歓喜に震えた。
「馬鹿な男と笑ってくれていい。とんだ執念深さと、呆れてしまったろう?」
ダルジャンが少し困ったように微笑んで、指先でそっと涙を拭った。
ひとつ、ふたつ。
涙の雫がダルジャンに掬われる。
「フミィ」
けれど次の瞬間には、掬いきれないほどの涙が一気に頬を伝った。
「ダルジャン、これは嬉しい涙。ダルジャンに愛される事が嬉しい! ダルジャンに好きになってもらえて、こんなに幸せな事はない!」
「フミィっ!!」
隙間なくダルジャンの愛に包まれた。
私もまた愛で応えたーー。
寝室の一件は無事に決着がついたものの、私とダルジャンの登城は結局、翌日へと持ち越しになった。




