『祭りの後で』‐ヒュパテイアと過去の蓄積
今回は、夕凪悠弥@ゆのみん氏著『祭りの後で』について、その価値を考察する。
紹介作品の詳細は以下の通りである(詳細はいずれも作品URLより引用)。
ジャンル: ハイファンタジー〔ファンタジー〕
作品名: 祭りの後で
著者: 夕凪悠弥@ゆのみん
作品URL: https://ncode.syosetu.com/n9691y/(最終アクセス2020年8月13日13時37分現在)
作品分類:短編作品
あらすじ:とある世界の、国立魔法博物館。
人々が魔法を放棄した時代において、唯一世界に魔法があったという痕跡を現在に伝えるその博物館で、今、特別展示の片付けが行われていた――
紹介作品の概要は以下のとおりである。ヴェンディア共和国国立魔法博物館において行われた特別展『魔法と人間の歴史』の後片付けを行っていたディム・オースティンは、マジックアイテムの安全な運搬の待ち時間に、スタッフに向けて、特級の危険なマジックアイテムである、『カーニバル』について解説を行う。その解説を通して、運搬スタッフらは自分達が担当した仕事の危険性を認識し、特別展最後の運搬作業を行う。
紹介作品は、ハイファンタジーであるが、直接「魔法」を用いることに主軸を置かず、「マジックアイテム」を通して、過去に存在した魔法について対話形式で学んでいくという、独特の作風で描かれている。そのため、紹介作品はいわゆる主流のハイファンタジーとは異なり、過去に史実として存在した魔法を、改めてスタッフが学ぶという、いわば私達が歴史を学ぶような、現実感から一歩距離を置いた作品となっている。この点で、紹介作品は独特な雰囲気を有しており、読者は幻想世界での出来事を、より身近な、地続きの「現実感を伴わない現実」として受け止める事が出来る。
本稿では、紹介作品を考察するにあたって重要な要素として、1.「博物館の意義」、2.「象徴としての遺物」の2つを挙げる。
まず、1.について述べる。日本における博物館とは、「この法律において「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(社会教育法による公民館及び図書館法(昭和25年法律第118号)による図書館を除く。)のうち、地方公共団体、一般社団法人若しくは一般財団法人、宗教法人又は政令で定めるその他の法人(独立行政法人(独立行政法人通則法(平成11年法律第103号)第2条第1項に規定する独立行政法人をいう。第29条において同じ。)を除く。)が設置するもので次章の規定による登録を受けたものをいう」(博物館法第2条第1項)とされている。
同法から、博物館とは、歴史、民俗、産業、自然科学等に関する資料の収集・保管、及びこれらを用いた研究・教育を行う施設・法人のことを言うと解釈できる。紹介作品はあくまで日本法の適用が想定されていないハイファンタジー世界での出来事であるが、博物館が同法規程の博物館と同様の性質を持つことは疑いない。
即ち、ヴェンディア共和国国立魔法博物館は、魔法等の産業や自然科学、その歴史についての研究・教育機関としての側面を有し、紹介作品においてマジックアイテムが希少な資料である事を理解できる。
博物館は、16-17世紀頃の珍品陳列室などが起源の一つと考えられている(粟田秀法編著『現代博物館学入門』(2019、ミネルヴァ書房)4頁)。当時の珍品陳列室は、様々な稀少物品を陳列することで、「神の作りだした存在の連鎖を映し出す宇宙の縮図、ミクロコスモス」(前掲粟田6頁)として作られていた。その為、現在の博物館法に見られるような研究や保管機関としての役割は強調されておらず、専ら雑多な珍品を収集することを重視された。
現代の博物館においては、来館者の興味・関心に合わせて、博物館が取り組みを行う場合がある。特別展なども、学芸員の研究成果の発表の場でありながら、ある程度の集客力を期待するという性質も持ち合わせている。
紹介作品においても、大統領の指示の下、博物館の豊富な収集品を用いて、危険な物品を含めた数々の「マジックアイテム」が披露され、16世紀-17世紀頃に作られた珍品陳列室の役割をある程度担っている事が分かる。
このように、博物館には、資料の収集や保管のほかに、広く公共の興味関心に合わせて行う教育・研究・展覧機関としての役割があると言える。
続けて、2.について述べる。1.に述べた通り、博物館は物品の収集を目的に含む施設である。博物館法第3条第1号にも、「実物、標本、模写、模型、文献、図表、写真、フィルム、レコード等の博物館資料を豊富に収集し、保管し、及び展示する」と明示されている通り、博物館はこれらの物品を収集・保管し、展示をすることが事業内容となっており、それは、「前条第1項に規定する目的を達成するため」(同法第3条)に行われる。
では、紹介作品における博物館が収集する物品とは、どの様なものであろうか。紹介作品において、この博物館は「魔法を中心に動いていた歴史を、現代まで伝える唯一の施設でもある(https://ncode.syosetu.com/n9691y/)(最終アクセス2020年8月13日13時37分現在)」と示されている。即ち、同博物館は、魔法に関する資料を主として収集・展示し、これを通して人類の歴史を学ぶことを主たる、あるいは少なくとも副次的な目的とした博物館であると言える。よって、同博物館は魔法に関する収集品を有するほか、それに纏わる物品をも含めた収集を行っていると考えられる。
紹介作品では、その中でも極めて危険性の高い、「カーニバル」を始めとしたマジックアイテムを管理するために、魔術師の配置をしながら、抗議に対してある種強行する形で特別展を実行に移した。これは収集品の保管を目的とする博物館の在り方を無視した危険な行為であり、魔術師らの抗議にもみられるように、避けられるべきものであったというべきである。
一方で、これらの諸々の危険な物品が象徴的に示すものは、ディムが「カーニバル」に関する解説を行ったことに見られるように、人類や自然などが歩んできた歴史そのものである。ある物品を巡る歴史は、それ自体が些細な生活の中で用いられたものであっても、後世においては重要な資料として残され、保管される意味がある。現代において縄文土器の破片が、実際に利用されていた時期のそれよりも価値があり、高い「象徴性」を有しているのと同様である。国際条約や各種法律によって博物館が厳密に定義され、保護管理されているのは、こうした象徴的な意義が展示物や保管物に見出されるからであり、それらは、後世まで語り継がれるべきだと見なされているのである。
最後に、本考察のまとめとして、私見を述べる。
かつて、エジプト・アレクサンドリアの地に、科学技術の発展に寄与した学堂があった。
ファラオ・プトレマイオス1世(紀元前367-紀元前282)の下で建設された大規模な学堂は、英語museum、即ち博物館の語源とされ、古代の地中海世界における科学研究の中心地となった。
アレクサンドリアはローマ帝国の植民地となった後も帝国の文化的な中心となっていたが、ローマ帝国の末期には、ムセイオンも衰退していった。キリスト教国家となったローマ帝国の異端排斥運動はアレクサンドリアにも及び、当時の科学者ヒュパテイアが虐殺されると、新プラトン主義の活動は下火となっていった。ムセイオンは640年にアラビア人の侵攻によって完全に破壊され、現在では、その面影を見ることは叶わない。
ムセイオンに限らず、多くの重要な資料や貴重な史跡、遺構は破壊または自然に埋没し、現在まで残されているものはごく一部しかない。現代の人々がこれらの貴重な資料に触れるためには、博物館等の適切な保管がなされると考えられている施設に赴く必要がある。そして、これらの資料は私達に実体として貢献することは無いまま眠り、私達はその姿を通して、断絶したように思える地続きの過去に思いを馳せる事となる。紹介作品において魔術師の管理の下で特別展が無事に終了したことも、地続きの、窺い知ることのない過去が、その形を保ち続けている事が意味を持つ理由である。
1945年8月6日午前8時15分、広島市に原子爆弾が落とされたことは、我々にとって重要な出来事である。現在まで続く影響を残すこの出来事を未来に伝えるために、かつての産業奨励館は、被爆当初の形を出来る限り維持するために、現在まで、その痛ましい姿を支えられている。
ヒュパテイアの学校が解体されたように、過去に失われた多くの文化や技術が損なわれていく中で、もはや現実には利用する事の出来ない多くの遺物や史跡が、私達に断絶されたように思える過去を伝えている。紹介作品を通して、筆者が見出したものは、こうした数多の遺物を保管する人々の姿である。特別展という『祭りの後で』、過去から届く微かな声を保つために、彼らが再び遺物を眠りにつける。紹介作品は、私達が過去に思いを馳せる為に必要な、価値のある作品であると言えよう。
今回の紹介作品は、独特の雰囲気で語られるファンタジー作品であるため、新鮮な気持ちで読む事が出来ると思います。
また、考察について御快諾いただきました、著者である夕凪悠弥@ゆのみん様には、ここで改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
なお、今回の参考文献は以下の通りです。
マーガレット・アーリク著・上平初穂、上平恒、荒川泓訳『男装の科学者たち‐ヒュパテイアからマリー・キュリーへ‐』(1999、北海道大学図書館行会)
粟田秀法編著『現代博物館学入門』(2019、ミネルヴァ書房)