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このバルフォア王国は森に囲まれており、そこには動物だけではなく、魔物も多く住んでいる。
動物も魔物も、時折人里に降りて来ては、作物を荒らしたり、人間を襲ったりする。
しかし、普通の動物とは違い、魔物には魔力の通わない攻撃は利かない。皮膚が固く、剣が、槍が、その身を傷付けられないのだ。
そのため、王宮に所属する騎士や、市民によるギルドが存在し、魔物から民を守っている。
そして、王族の男児には10歳になると、一大行事が執り行われることになる。
それがーーアルフォンスにとっては明日行われるーー魔物狩り、である。
もちろん、周りには優秀な騎士が補助として就くことになっており、アルフォンスが積極的に戦うわけではない。
騎士達が魔物を弱らせ、押さえ付けてくれる。王族のやることはただ、魔物に止めを刺すだけだ。しかし、この止めを刺すという行為自体が、魔術を使えることの証明となる。
つまり、今まで魔力を使えていなかったとしても、明日止めを刺すことが出来れば、アルフォンスは魔術を使えると証明されることになる。今までの評価を改め、周囲に、母親に、認めて貰うことができる。
アルフォンスにとっては、明日がその唯一のチャンスなのである。
とは言え、今現在魔術を使えてはいない。
だが、明日は魔力を通しやすいと言われる魔剣を、国王から承れることになっている。
「それに魔力さえ通れば……」
ーーきっと、止めを刺せるーー。
ギュッと握っていた掌を開き、魔力を集めようと集中をする。
掌が僅かに温かくなってはくるが……やはり、何も起こらない。
そのことに落胆し、一つ溜め息を吐いた。
だが、すぐに頭を切り替える。
たとえ、魔術を放つことが出来なかったとしても、魔力は彼の身に宿っている。そして、魔力を通わせた剣であれば、魔物の身を貫くことができる。
それが、アルフォンスにとっての唯一の希望である。
5年前、兄が魔物狩りを行った際は、騎士だけでなくギルドからも人を集めたそうだ。
普段は冷静であるクレイグが頬を紅潮させて、何度もその時のことを語って聞かせてくれた。
曰く、年の近い女の子が、魔物を簡単に倒していた、と……。
ーーあれが平民ではなく貴族であったなら、そして女児ではなく男児であったなら、間違いなく優秀な騎士であったろうに。
そうクレイグが残念そうに語る度に、その平民の女の子より自分は劣るのかと秘かに落胆したものである。
平民の中にも、魔力を持って産まれてくるものはある。だが、それは貴族や王族から産まれてくる確率と比ぶべくもない。
そして、だからこそ我々は平民の上に立つべき存在なのだ。そう、教えられて育った。
にも関わらず、平民を平然と讃える兄に、アルフォンスは内心で首を傾げていた。
しかし、母親から罵倒されることが多くなる中、唯一普通に接してくれた兄が嬉々として語るその話に、疑問をぶつけることはしなかった。
過去や明日のことが、忙しなく頭の中をぐるぐると回る。
明日のことを思えば、お腹の下の部分がツキツキと痛むような気がした。無意識にそこを擦りながら、広い廊下を歩いていると、常になくバタバタと使用人が走っているのが見えた。そこは母親のいる方角で、最近体調を崩していたことを思い返し、何かあったのかと、ドキリと心臓が嫌な音を立てた。
「何かあったの?」
何かを話しているメイド達に声を掛ければ、彼女達は慌てた様子で背筋を伸ばし、アルフォンスの姿を見付けると、深く頭を下げた。
そして、頭を上げた彼女達の表情は明るかった。その顔を見て、母親に何かあったわけじゃないと、胸を撫で下ろした。
「ふふっ、殿下ももうすぐお兄様になられますよ」
「……え? 僕が、お兄様に……?」
「えぇ、王妃様が子供を授かりましたわ」
「先ほど、そのことが分かりまして、今色々と準備を行っております。明日はアルフォンス殿下にとって大事な日ですから、王妃様の体調がよろしいと良いのですが……」
少し困ったように言われたその言葉は、しかし、アルフォンスの耳には届かなかった。
弟か妹が出来る……それは常ならば喜ぶべきことなんだろう。それは、分かる。
だがーー……。
ドクドクと心臓が波打った。ギュッと心臓を握られたような、そんな不快感が襲う。
ーー弟妹が、アルフォンスよりも優秀だったら?
そうしたら、母親は自分を見てくれるのだろうか……?
喉がカラカラに渇いていく。
メイド達からは、母親に会うか聞かれたが、それを辞退し、自室へと足を進めた。
そして、半ば逃げるように自室へと戻った。
ふかふかのベッドへ倒れるように寝転がった。
「……大丈夫。明日、明日さえ上手く行けば……」
明日さえ上手く行けば、きっと全てが上手く行く。そう、自分に必死に言い聞かせた。
不安な気持ちが消えるように、強く強く……。
慌ただしさが一段落し、ふかふかのソファーに腰を下ろしていると、メイドが来客を知らせた。
鷹揚に頷くと、彼女は一つお辞儀をして、部屋を出た。入れ換えに入ってきた人物に、フィデリアは口の端を上げた。
「随分とお早いのね」
「大事なお嬢様……失礼、王妃様の事でございますから。旦那様も絶えず気にしておいででございます」
「大事な、ね……。大事なのは、私かしら? それとも、世継ぎのことかしら?」
「もちろん、両方でございますとも」
顔色一つ変えずにそう言ってのける父親の遣いに、フィデリアは笑みを浮かべた。しかし、その瞳には何処か醒めた色が浮かんでいた。
「それで? お父様の側近の貴方が来ているんですもの。何かお話があるのではなくて?」
その問いに、遣いの者は一つ頷いた。
そして、表情をピクリとも動かさずに口を開いた。
「アルフォンス様のことにございます」
その言葉に、フィデリアは不快そうに眉を寄せた。
煩わしそうに、手を払った。
「また、その話ですの? そんな話のためにわざわざいらっしゃったんでしたら、もうお帰りになって頂けるかしら?」
「いいえ、今だからこそ、です」
煩わしそうな表情のまま、フィデリアは先を促す。
「魔物狩りを無事に行えるのか……それを旦那様はとても心配しておいでです」
「あら。心配なのはアルフォンスのことではなくて、ご自分の立場のことではなくて?」
「それも含めて、にございますよ。フィデリアお嬢様ならお分かりでしょう?」
「お ・ う ・ ひ」
「大変失礼致しました、フィデリア王妃様」
慇懃にお辞儀をする執事を見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「あまり身体に障ることはしたくないわ。本題に入りなさい」
「確かに御身は今一番大事な時にございます。では、単刀直入に申し上げますとーー」
無表情で語る男に、フィデリアも無表情で話を聞いていく。
このタイミングだからこその話に、なるほど、と思う。
だが、それをこんなにすぐに考え、行動に移すことができるわけがない。つまり、前から狙っていたタイミングが来た、そういうことなのだろう。
仮にもお腹を痛めて産んだ子供の、お世辞にも良いとは言えない内容を聞かされながらも、フィデリアの表情は特に変わることはなかった。
一通りの話が終わったのを見て、フィデリアは小首を傾げた。
「ーーそれは、事が知れればどうなるか、存じ上げてらっしゃるのよね?」
「もちろんにございます」
「……そう」
含まれた物言いに、フィデリアは正確にその意図を理解した。
そして、笑みを浮かべた。
「けれど、随分と話が急ですこと。まだこの子が男の子か分かりませんのよ?」
「そのお腹の子が最後ではございませんでしょう?」
「……随分と簡単に言いますのね? そんなに簡単に授かれるものではありませんわ」
「重々承知しておりますとも。ただ、旦那様は最悪の場合もきちんと想定されておりますので、ご心配には及びません」
その物言いに、フィデリアは不快そうに眉を寄せた。
「どうぞ、御勝手に」
冷たく言い放った。
端からフィデリアの意見など聞く気がないのだから、これ以上議論しても仕方ない。そもそも、父親と争ってまで、翻さねばならない話でもない。
そして、フと頭にあることが思い浮かんだ。
直接手を下すことなく、相手の評判を貶めることができる……その時の相手の顔を想像するだけで、気分が高揚してくる。
冷たい雰囲気から一転、表情に笑みを浮かべたフィデリアに、男は内心で首を傾げた。
そんな男には気付かずに、フィデリアは言葉を紡いだ。
「私は何も存じ上げませんわ。それを行ったものがどなたなのかも、その目的も……ただ、そうね。それを行うメリットがあり、それを行える者に一人心当たりがあるの。陛下にそれを申し上げたらどうなるかしら?」
「……そうですね。嘆きのあまり、思わず声を荒げてしまった……それもフィデリア王妃様のお立場でしたら、致し方ないことかと存じます。陛下が直接何かせずとも、その疑惑は王宮中に知れ渡ることになるでしょう」
「ふっ、ふふふっ! あはははっ! あの女に身の程を知らせる良い機会になりますわね!」
とても楽しそうに笑ったフィデリアだが、その瞳には憎しみの色が浮かんでいた。
今まで味わされた屈辱や、傷付けられたプライド……それらが走馬灯の様に脳裏を掠めていく。
「お父様に伝えなさい。フィデリアは何も存じ上げません、と。万一事が公になったとしても、私は庇いだてすることはございません。そのことは肝に銘じておきなさい」
「かしこまりました。確かに、お伝え致します」
深く一礼して、足早に部屋を退出していった。
それには見向きもせず、お腹を愛おしそうに撫でた。何回も、何回も……飽きることなく撫で続けた。男児であれ、と何度も何度も……念じながら……。




