8話 2【春田希望の闇】
希望は首をひねった。
考えてみればおかしな話だろう。私と彼女の家は全くの逆方向なのに「一緒に帰ろう」だなんて。
お互い最初は無言が続いていた。何を話していいのか、正直分からなかった。
次に口を開いたのは琥珀ちゃんの方だった。
「希望ちゃん、体調はもういいの?」
「うん。心配かけてごめんね。琥珀ちゃんこそ、近頃、体調悪いって聞いたけど、大丈夫?」
元凶が何を聞いているのだろうか。白々しいにもほどがある。
そう思ったが、琥珀ちゃんの体調が純粋に気になり聞いてみた。
「まあ色々あってね……実は知らない人から嫌がらせを受けてたんだよね……怖かったけど、今はもう大丈夫」
琥珀ちゃんの口ぶりからして、彼女もまた事実を知らないようだった。
内心ホッとしている自分に嫌気がさした。
「こ、琥珀ちゃん、あのね」
全てを話すことが彼女を傷つける結果になるのだとすれば、本当のことは言わない方がいいのかもしれない。
これも、私の自分勝手な思いかもしれないけれど。保身のためと言われてしまえば何も返す言葉はない。
私は言いかけた本音を寸でのところで飲み込み、言った。
「私、悠希と別れたの」
その言葉を口にした瞬間、私はもう後戻りは出来ないのだと思った。
琥珀ちゃんが悠希を一人の男の子として見ていることは当の昔に知っていた。
彼女はいつも、うらやましそうな、うらめしそうな顔で私を見ることが多かった。
最初はただの独占欲なのかと思っていた。
けれどその疑問は悠希が試合中に怪我をしたあの日、確信に変わった。
彼女もまた、二宮悠希に想いを寄せる一人の女の子なのだ。
そして彼女は、他の誰も手にすることが出来ない悠希からの特別な愛情を受けている。
「幼なじみ」という最強の立場を持つ琥珀ちゃんが自らの恋心を自覚してしまった時、彼女に本当の意味で勝てる者は存在しないだろう。二宮悠希の好意を手に入れたとしても、高橋琥珀が持っている「特別な女の子」というものは、彼女にしか手にすることは出来ないのだから。
私は琥珀ちゃんが怖かったのだ。怖かったから、怖気づいて逃げた。
「それって本当なの?希望ちゃん」
驚いた表情を見せる琥珀ちゃんに、私は苦笑しながら首を縦に振った。
「うん。全部本当だよ。休んでたのも体調不良じゃなくてそれが原因。黙っててごめんね」
「……あいつに、何か嫌なことされた?」
「ううん。違うの。全部私が悪かったの……悠希は何も教えてくれない?」
「あいつに聞いても、教えない、の一点張りで何も知らないんだよね。希望ちゃんはこんなにツラい思いをしてたっていうのに、酷くない?」
悠希は今回のことを誰にも言わないでいてくれた。
その事実が嬉しくて、私は泣きそうになるのを堪えた。
信号待ちをしながら、私の頭の中は彼への想いでいっぱいになっていた。
私はまだ、こんなにもあの人のことが好きなのだ。その想いに気が付いた時、自然と手が伸びていた。
「幼なじみ」がいなくなれば、彼は私の元に戻ってきてくれるかもしれない。
そんな醜く歪んだ感情を孕んだまま、私の手は信号待ちをする琥珀ちゃんの背中に伸びた。
このまま背中を押せば、彼の大切な幼なじみは「消えてなくなる」かもしれない。
その時、背後から何者かの声が聞こえ、私は寸でのところで正気を取り戻した。
「あれ?琥珀ちゃんに隣の子は……あ、悠希の彼女!珍しい組み合せだね。仲良いの?」
「廈織くん!そうだよー最近仲良くなったんだ」
楽しげに会話する二人の横で、私は顔面蒼白で立ち尽くしていた。
琥珀ちゃんの背中へ伸ばした手はカタカタと震え出す。自分が何をしようとしたのか理解するのに時間がかかった。
そうして私は自分自身が抱えた本音を自覚し、自分が怖くなった。
私は今、何をしようとしたのだろう。自分を心配してくれた友達に何をした?
これが……今の本当の私の姿なのか。なんて醜い有様だろう。
これ以上、琥珀ちゃんの近くにいてはいけない。
本能的にそう感じた私は、楽しげに談笑する琥珀ちゃんたちに声をかけた。
「琥珀ちゃん、ごめんね。私、急用を思い出して……悪いけど先に帰るね」
「え、ちょ……希望ちゃん!?」
困惑する琥珀ちゃんに申し訳なく思いながらも私は強引にその場を走り去った。
逃げるように走り、自宅に帰った私はお姉ちゃんの横を全速力で走り抜け、自室に鍵をかけるとそのままベッドに潜り込んだ。
寒くもないのにカタカタと全身の震えが止まらない。
「……自分が怖いよ」
私は自覚のない自分の本質の部分に酷く怯えていた。
怯えが自己嫌悪に変わる頃、窓の外はすっかり暗くなっていた。
私服に着替えるため制服を脱ぐ。そこで電話が鳴った。
「……もしもし」
「あ、希望?急で悪いんだけどさ、明日合コン出れない?彼氏には秘密にしてさー」
電話の相手は仲の良い友達の一人だった。
この際、新しい出会いを求めるのもありかもしれない。
失恋の薬は新しい恋と聞いたことがある。
半ばやけを起こしていたのかもしれない。
「彼氏とはもう別れたから、いいよ。行く」
「え、マジ!?」
私は友達に勧められるがまま合コンに参加することをその場で決めてしまった。
長電話の後、私は下着姿のままベッドに深く沈み込み、大きな溜息をついた。
次の更新は11月6日の昼過ぎです
希望を幸せにしてやりたいのに道が遠い……




