3773話
レイが許可を出すと、セトが選んだ攻撃方法はファイアブレスだった。
「グルルルルルゥ!」
クチバシを大きく開けたセトの口から、炎が吐き出される。
氷樹のトレント……つまり氷系のモンスターが敵だから、セトも弱点となるような攻撃を選んだのだろう。
それはレイにとっても意外でも何でもない。
もっとも、敵が氷樹のトレントとして林に紛れ込んでいる中で、ファイアブレスを使っても問題ないのか? とは思っていたが。
ただ、そんなレイの懸念はすぐに消える。
元々が氷樹による林だ。
氷に覆われている以上、多少ファイアブレスが命中したからといってどうにかなるとはレイには思えなかったのだ。
(それに、ここはダンジョンの中だしな)
これが地上なら、あるいはレイもセトがファイアブレスを使ったら止めたかもしれない。
だが、ダンジョンの中であれば話は別だ。
林の中に冒険者がいる様子もない今、ダンジョンでなら多少破壊行為を行っても十階でリッチがいた小屋のように、時間が経過すれば自動的に直るのだから。
そんなことを考えているレイの視線の先で、氷樹の林をファイアブレスが蹂躙する。
氷樹と……そして何より、その隙間をファイアブレスが通り抜けていくのだ。
氷樹の表面にある氷は、見る間に溶けていく。
これは、氷樹のトレントにとっても対処が難しい。
……それでも氷樹のトレントにとって幸いだったのは、林の外側というファイアブレスをまともに浴びる場所にはいなかったことだろう。
林の外側に存在するのは、あくまでも普通の氷樹でしかない。
その為、セトの使うファイアブレス……それもレベル五という魔獣術によって一気に強化されるレベルに達している威力を持つ攻撃に、間近で当たることがなかったのは本当に幸運だったのだろう。
「っと、消火しようとするか」
林の奥……木々の隙間から、冷気が大量に吹き出される。
セトのファイアブレスに対抗しての行動なのは、レイにも容易に予想出来た。
「さて、今の攻撃で向こうにどれだけのダメージを与えられたと思う?」
「グルルルゥ?」
レイの問いに、セトは分からないと首を傾げる。
つい先程までは猛烈な炎を放つファイアブレスを使っていたとは、到底思えないような、そんな愛らしい姿。
そんなセトの二面性に笑みを浮かべつつも、レイはデスサイズと黄昏の槍を手に氷樹の林に向かう。
結局のところ、こうして外にいても敵の姿は分からない。
レイならこの状況からでも林を丸ごと燃やしつくして敵を倒すといったことも出来るだろうが、そうすると魔石も燃やされてしまいかねない。
また、トレントの身体はかなり貴重な建築資材でもあった。
例えば、ギルムの増築工事においてトレントの森から伐採した木に錬金術的な処理をしているのは、トレントの身体と似たような性質を木材に与えている。
他にも魔法使いが使う杖の素材として非常に有用だったりもする。
あるいはマジックアイテムの素材であったり、若芽のような部位であれば何らかの薬品を作るのにも使える。
そのような諸々に使えない余った部分も、薪としては普通に使えるので、トレントというモンスターは冒険者にとっては美味しい相手でもあった。
……もっとも、普通の冒険者ではトレントを倒したとしても、丸ごとその死体を持っていくことは出来ないので、売れるよう部位だけを選んで持っていくことになるのだが。
(まぁ、氷樹のトレントだというのは、あくまでも予想でしかない。もしかしたら、実際には氷樹の林を住処にしている、別のモンスターという可能性も否定は出来ないんだが)
そんな風に思いつつ、レイとセトは氷樹の林に入っていく。
林の中は先程のセトのファイアブレスによって生まれた焦げ臭さと、それに対抗して放たれた冷気によって周囲よりも気温が下がっていた。
しかし、焦げ臭さはともかく、ドラゴンローブや素の状態で十一階の寒さに対抗していたレイとセトだ。
冷気の類は全く気にならない。
勿論、ドラゴンローブやグリフォンのセトであっても、冷気に対する絶対的な耐性がある訳ではない。
ドラゴンローブやグリフォンの耐性を上回る冷気が放たれれば、レイやセトもその冷たさによってダメージを受けるだろう。
しかし、この氷樹の林にいる敵の攻撃は、その耐性を超えることは出来なかった。
その為、レイとセトは特に何も気にした様子もなく氷樹の林の中を進み……
「グルルルルゥ」
不意にセトが、一ヶ所を見て喉を鳴らす。
その視線の先にあるのは、他と変わらない氷樹。
いや、セトがこうして警戒しているところから、氷樹のトレントであるのは間違いない。
「さて、そうなると……手っ取り早く伐採してしまうか」
氷樹のトレントはレイやセトに反応してはいない。
これはまだ自分の存在をごまかせていると思っているのか、それとも何らかの覚悟を決めたのか。
その辺についてはレイも分からないが、それなりに間合いが近いのに未だに攻撃してこないのはレイにとっては悪い話ではない。
氷樹のトレントの胴体を、文字通り伐採してしまおうとデスサイズに魔力を流す。
木を伐採するというのは、それこそトレントの森で何度も経験しているので、既に慣れている。
勿論、トレントの森の木と氷樹のトレントを一緒にすることは出来ないだろうが。
それでも、レイはデスサイズがあればどうにか出来るという確信がそこにはあった。
レイがデスサイズを振り上げると、その瞬間氷樹のトレントが動く。
何故この段階になって動いたのか、レイには分からない。
だが、恐らくはこのままだと自分が死ぬと、そう思っての判断だったのだろうとレイは頭の片隅で考える。
幹の部分に顔と思しきものが浮き上がると同時に、氷樹で出来た身体を大きく振るう。
すると木の枝の先端から、蔦……正確には植物の蔦ではなく、氷で出来た蔦がレイに向かって振るわれる。
氷で出来ているのに強い柔軟性を持っているのは、一体どういうことなのかレイには分からない。
とはいえ、氷樹のトレントによる攻撃……スキルか魔法による攻撃なのだろうというのは予想出来たが……
「面倒な!」
身体を反らし、レイは氷の蔦による一撃を回避し……そうした動きをしながらも、デスサイズを振るうのは止めない。
振るわれたデスサイズの刃は、あっさりと氷樹のトレントの幹を……顔と思しきものが浮き出ている部分の下を、切断する。
レイの魔力によって強化されたデスサイズの刃は、それこそ豆腐を切る包丁よりも抵抗が少ないのではないかと思えるように、あっさりと氷樹のトレントの幹を通り抜け……
「セト!」
少しだけ焦った様子でレイが叫ぶ。
氷樹のトレントが氷の蔦による一撃を放っていなければ、レイは万全の体勢でデスサイズを振るうことも出来ただろう。
だが、最後の足掻きとばかりに行われた氷の蔦による一撃を回避しながらの一撃だったので、デスサイズの軌道は当初予定していた真横に一直線とは違う、斜めのものになってしまっている。
そうなると、どうなるか。
木を伐採する時、斜めに切れ目を入れて伐採した時と同じになる。つまり……
ズズ……と、そんな音を立てながら、氷樹のトレントの切断面がずれていき、そこを中心にして地面に倒れ込む。
これが例えば普通の樵が斧で伐採したのなら、途中で木が自重に耐えられなくなって幹が折れるだろう。
だが、今は違う。
レイの振るった一撃は綺麗に木の幹を切断したので、木の幹が折れるミシミシといった音はせず、そのまま地面に倒れ込む。
それはつまり、普通の樵の時とは違って木の幹が倒れるまでの時間の猶予がそこまでないことを意味していた。
レイはセトに指示を出し、そのまま素早く氷樹のトレントが倒れる方向から離れる。
セトもまた、レイの指示に従って氷樹のトレントが倒れる方向から移動し……そして、氷樹のトレントが倒れる。
ズズズ、といった音を立てながら倒れ込み……
「あ」
その瞬間、レイが見たのは氷樹のトレントが倒れ込んだ先にあった別の氷樹が、咄嗟に……あるいは必死になって木の枝を振るい、そして氷の蔦を振るうといった光景だった。
つまり、レイが伐採した氷樹のトレントの倒れた方向にまた別の氷樹のトレントがいたということを意味している。
「グルルゥ」
レイが見た光景は当然のようにセトも見ていたが、その鳴き声に呆れに近い色がある。
倒れ込んできた氷樹のトレントを何とかして防ごうと、せめて倒れる方向を自分ではない方向にしようと頑張っているものの、氷樹のトレントの質量を考えると難しい。
あるいは氷樹のトレントには何らかの強力な一撃を放つスキルや魔法があれば、まだ話は別だっただろうが……そのようなものもない。
あるいはあっても咄嗟に出せるようなものではないのだろう。
結果として、氷樹のトレントは自分に倒れ込んでくる仲間をどうにも出来ず……仲間の身体によってダメージを受けるという、悲惨な結末となる。
せめてもの救いは、仲間が倒れてきてダメージを受けたものの、その一撃はそこまで致命的なものではなかったことか。
それだけで倒されるのは勿論、致命傷にも届かず、重傷にも届かない。
軽傷程度のダメージしかないのは明らかだった。
とはいえ、それでもそれなりのダメージを受けたのは間違いなく、レイとセトがそのような隙を見逃す筈もない。
そもそもの話、魔獣術を使うには魔石が必要なのだ。
そしてセトとデスサイズでそれぞれ一つずつ必要となる。
それだけに、最低でも二匹の氷樹のトレントを倒すのは当初からの予定通りだった。
そういう意味では、狙った訳ではなかったものの、このような流れになったのはレイやセトにとって悪いものではない。
「セト」
「グルゥ!」
レイが伐採した氷樹のトレントが完全に倒れてもう危険はないと判断したレイは、すぐにセトに呼び掛ける。
それを聞いたセトは、すぐに行動に出る。
周囲に生えている木々の隙間を縫うように……そして、氷で出来た地面で転ばないようにしながら、氷樹のトレントの倒れた先に向かう。
その時、伐採された氷樹のトレントの残骸……切り株のある場所を見ると、既に動く様子はなかった。
これはつまり、氷樹のトレントが既に死んだことを意味しているのだろう。
……植物というのは非常に強い生命力を持っているので、本当にこれで安心出来るのかと言えばそれは微妙なところではあったのだが。
ただ、それでも切り株が動かないのは一応の目安にはなるだろうと、レイを安堵させる。
そうした中でセトはレイよりも早く進んでいた。
レイが倒した氷樹のトレントが寄りかかった別の氷樹のトレントを、出来るだけ早く倒したいと判断したのだろう。
人でもそうだが、自分と同じくらいの体重の持ち主に寄り掛かられるというのは、思った以上に身動きがしにくいものだ。
ましてや、明確に手の類がある訳ではない氷樹のトレントだ。
自分に寄りかかっている相手を寄せるにも、それこそ枝であったり、先程レイに使ってきた氷の蔦であったりでどうにかするしかない。
ないのだが、それは当然ながら簡単ではないのも事実。
自分よりも圧倒的に軽い相手にダメージを与えるのならまだしも、自分と同じくらいの重量を持つ相手を動かす必要があるのだ。
そのようなことは、氷樹のトレントも想像していないだろう。
勿論、それはすぐにでは出来ないということで、相応の時間があれば出来る。
しかし、今の氷樹のトレントにはその時間がなく……
「グルルルルゥ!」
氷樹のトレントが何とかして自分に寄りか掛かっている仲間を……いや、仲間の死体を退かそうとしたとこに、セトが到着する。
必死になって仲間の死体を動かそうとしていたところを見られているだけに、当然ながら普通の氷樹の振りをして誤魔化す訳にもいかない。
もっとも、今更普通の氷樹の振りをしようとしても、完全に遅かったのだが。
「グルルルルルゥ!」
セトは氷樹のトレントに向かい、跳躍しながらスキルを発動する。
パワークラッシュというそのスキルは、元々のセトの持つ一撃の威力をより強化したような一撃だ。
氷樹のトレントは、その一撃に耐えられない。
あるいはもっと自由に動けたのなら、セトの一撃を防ぐべく魔法を使うなり、スキルを使うなり、あるいは氷の蔦を使うなりと、色々な対策もあっただろう。
しかし、レイの一撃によって絶命した氷樹のトレントが寄りかかっていることによって行動を制限されていた氷樹のトレントが出来ることは少ない。
それでも必死になって小さな氷柱を飛ばしたりもしたのだが……
バギン、と。
木をへし折るというイメージからは程遠い音が周囲に響き渡り、その氷樹のトレントも幹からへし折られて死ぬのだった。