3397話
洞窟の中で野営をし、朝になると……
「うわ、嘘だろ。洞窟の入り口が埋まってやがる」
心底嫌そうに言ったのは、レリュー。
とはいえ、そんなレリューの意見は他の面々も同様だった。
何しろレリューが言うように洞窟の入り口が埋まっていたのだから。
唯一の救いは、洞窟の入り口を埋めているのが崩落した洞窟の天井部分といったようなことではなく、雪によるものだろう。
もし洞窟が崩落して入り口が塞がっているのなら、その崩落した部分を排除する時に追加で崩落がしないか注意しながら作業する必要がある。
しかし、雪が積もって洞窟の入り口が埋まっているのなら、その雪をどうにかすればいい話しだ。
(とはいえ、洞窟がこうやって完全に埋まるってことは、昨夜一体どれくらい雪が降ったんだ? 昨日までは積もっても数cmといったところだったのに)
洞窟の中で一晩すごしている間に、洞窟の入り口が塞がる程の雪が積もったのだ。
それは驚くべきことではあるが、雪国に生まれ育ったレイにしてみれば、一晩で一mくらい雪が降るのはそう珍しい話ではない。
さすがにTVのニュースで見たように、一晩で五mも雪が積もるといったような経験はなかったが、ここは日本ではなくエルジィンという異世界なのだから、このくらい雪が降るようなことがあってもおかしくはないのだろうと思う。
(あ、でもこうして入り口が塞がれてるってことは、換気とかどうなったんだろうな? マリーナがいれば風の精霊でどうにか出来たかもしれないけど、この様子を見るとマリーナもこの件については知らなかったみたいだし。だとすれば、どこか別の場所に空気穴があったりするのか?)
ふとそんな疑問を抱くも、まずは洞窟から出るのが先だと判断し、レイはマリーナに視線を向ける。
「マリーナ、頼む」
あっさりと事態の打破を任されたマリーナだったが、特に反対をしたりといったことはない。
小さく頷き、前に出る。
短く呪文を唱えると、洞窟の入り口を塞いでいた雪が自然と……それこそ己の意思でも持っているかのように、移動していく。
『おお』
その光景にレイ達以外の者達が感嘆の声を上げる。
マリーナが規格外の精霊魔法使いというのは、レイ達はしっかりと理解している。
一緒に行動することも多いので、実際に精霊魔法を使う光景を目にすることも多い。
だが、他の者達はレイとは違う。
冒険者としてギルドマスターをしていたマリーナに接することは多かっただろう。
また、騎士の二人はダスカーに会う――正確にはからかう――為に領主の館に顔を出したマリーナを見たこともある。
そうして接しており、言葉だけでマリーナが凄腕の精霊魔法使いであると聞いてはいただろうが、それはあくまでも話を聞いただけで、実際にマリーナが精霊魔法を使っているところを見たことはない。
怪我の治療で精霊魔法を使っているところを見たことがある者はいるかもしれないが。
とにかく、こうして実際にマリーナが直接その力を振るう光景は、レイ達以外の者にしてみれば驚くべき光景なのだ。
やがて洞窟の入り口を塞いでいた雪は全てなくなるものの……
「うわ……やっぱり」
洞窟から外に出たヴィヘラが、周囲の光景を見てそう言う。
その言葉にマリーナの精霊魔法に目を奪われていた者達も洞窟から出ると、ヴィヘラの言葉の意味を理解した。
元々洞窟の入り口が雪で塞がれていた以上、昨夜のうちにかなりの雪が降ったのは間違いない。
だが、もしかしたら……本当にもしかしたら、何らかの理由で実際にはそこまで雪が降ってなかったのではないかと、そのような思いもあったのだろう。
だが実際にこうして洞窟から出ると、そのような願いは一瞬にして消えてしまう。
目の前に広がっているのは、どこまでも続く銀世界だったのだから。
「昨日出発してよかったな。もし一日出発が遅れていたら、最初からうんざりすることになっていただろうし」
レイの言葉に何人かが不満そうな様子を見せるものの、実際に言葉に出すようなことはない。
レイの言うように、昨日の早朝の時点でこれだけ雪が積もっていたら、面倒臭いという思いを抱いてもおかしくはなかったのだから。
「でも、セト籠があるから私達はそんなに辛くないでしょ。そういう意味では、セトに直接乗ってるレイの方が厳しいんじゃない?」
「ちょっとマリーナ。大変なのは私でしょ!?」
マリーナの言葉に異論を唱えたのは、ニールセン。
マリーナの目の前まで飛んでいくと、そう主張する。
そのようなニールセンの言葉に、マリーナは笑みを浮かべた。
「そうね。ニールセンもレイと一緒に行動してるんだから、ニールセンも厳しいのかもしれないわね。……でも、ニールセンはドラゴンローブの中にいるんでしょう? なら、そこまで気にしなくてもいいんじゃない?」
「う……それはそうだけど……」
マリーナの反論にニールセンは何も言えなくなる。
実際、昨日はずっとドラゴンローブの中に入っていたので、マリーナの言葉は正しいのだ。
「なら、今日もドラゴンローブの中に入っていれば、そんなに寒くても気にしなくてもいいんじゃない?」
「それはそうだけど……私もセト籠の中に入ろうかしら」
「ニールセンがそれでいいのなら構わないけど、セト籠の中では外にいる時のように自由に動き回れないわよ? ドラゴンローブの中にいる時と比べると、それなりに動けると思うけど」
「え? うーん……それは……」
ニールセンは悩んだ様子を見せる。
マリーナの言うように、ドラゴンローブの中にいれば好きなように動けないというのは事実だ。
だがそれは、ドラゴンローブから出ればそれなりに自由に動けるというのも事実。
それと比べると、セト籠の中ではある程度自由に動き回れるものの、それでも動ける範囲はどうしても決まってしまう。
また、セト籠の中にいる者達のことを考えると、その分だけ余計に移動するのが難しくなってしまう。
「やっぱりレイのドラゴンローブの中にいるわ」
最終的に、ニールセンが選んだのは昨日と同じくレイのドラゴンローブの中に入ることだった。
「さて、そうなると……この積もっている雪の中でどうやって移動するかだな」
ニールセンの件が一段落したと判断したのか、グライナーがそう言ってくる。
普通ならレイはセトが雪の上を走ればいいと主張するところだが、セトでも雪に足が埋まって走るのが難しい程度には雪が積もっている。
「マリーナ、どうにかならないか? セトが走れる程度の範囲でいいから」
「そのくらいなら簡単よ」
「ギルドマスター……凄いな」
あっさりと雪をどうにかするというマリーナに、グライナーは改めてそう言う。
その言葉に、レイも心の底から同意する。
純粋に強さという点では、レイは自分の実力に相応の実力を持つ。
だが、能力の多様性……出来ることの多さとなると、マリーナには到底及ばない。
精霊魔法というのは、その汎用性がレイの知っている普通の魔法とは大きく違う。
……もっとも、レイも本来なら炎しか使えない自分の魔法を、魔力を大量に――それこそ普通の魔法使いなら死んでもおかしくない量を――使用することによって、他の用途に使えるようになっている。
だが、マリーナの精霊魔法はそんなレイの無理矢理な方法とは全く違い、自由に精霊を使って色々な現象を起こすことが出来る。
人によっては、それを奇跡と呼ぶような、そんな規模であっても。
「そうだな。マリーナの行動は素直に凄いと思う」
レイがグライナーの言葉に同意すると、話を聞いていた他の者達も同意するように頷く。
そんなレイ達を見て、精霊魔法を使おうとしていたマリーナはそれを一旦中断し、呆れたように口を開く。
「雪をどうにかするだけなら、それこそレイの魔法でどうとでもなるじゃない」
「俺の魔法でどうにかなるのは事実だが、実際にそうした場合は周囲に水蒸気とかがかなり広まるし、何より雪崩とかになる可能性も否定出来ないんだよ」
レイの魔法……つまり炎でどうにかした場合、当然だが雪は溶ける。
それがどこまで影響するのかは分からないが、本当に最悪の場合、レイが言うように雪崩が起きる可能性も十分にあった。
そんなレイの魔法と比べると、マリーナの精霊魔法は雪を溶かしてどうにかするのではなく、精霊に干渉して雪そのものを移動させるといったことが出来る。
そうである以上、やはりここはマリーナに任せるのが一番だった。
「レイがそう言うのなら仕方がないわね」
レイとの会話を終え、マリーナは意識を集中させて精霊魔法を発動する。
精霊魔法は使えないレイだったが、何がどうなったのかまでは分からない。
分からないが、それでも洞窟の前に積もっていた大量の雪が、自然と動いて地面が剥き出しの状態となったのは事実。
「うわ……」
先程もそうだったが、マリーナの精霊魔法の凄さを見て驚きの声が上がる。
とはいえ、いつまでもこうしていられる筈もなく……
「じゃあ、出発出来るようになったし、幸い今は雪も止んでいる。また降る前にさっさと出発するから、準備をしてくれ」
そうレイが指示を出す。
昨夜は雪が降って大量に積もったらしいが、今はもう雪が降っていない。
レイとしては雪が降っていない今のうちに、この場所から離れたかった。
(ギルムでも雪が積もったかどうかは分からないけど、もしここと同じように一晩で積もっていたら、かなり忙しくなりそうだな)
レイ達はマリーナがいるので、こうして簡単に除雪が出来たものの、ギルムにおいては自分達で除雪をしないといけない。
中にはギルドに依頼して冒険者に除雪をして貰う者もいるくらいだ。
ギルムの広さを思えば、除雪に使う労力は一体どれだけのものか。
ましてや、今のギルムは冬になったことで増築工事が途中で止まっている。
雪というのは軽いように見えて重い。
屋根に積もった雪の重みで家が潰れるのは珍しくない。
レイが日本にいた時も、除雪車によって公園に雪が集められた結果、公園の柵――それも金属製――の上にも大量の雪が乗った結果、春になって雪がなくなった時、柵がぐにゃりと曲がっているのを見たことがある。
それだけに、ギルムでもこのくらいの雪が降っていた場合、今頃増築工事の現場では除雪作業が急ピッチで行われているだろう。
もっとも、増築工事で使われている材木の多くはトレントの森で伐採した木で、錬金術師達によって魔法的な処理がされている。
普通の木とは比べものにならない頑丈さを持っていてもおかしくはなかった。
「レイ、こっちは準備出来たから、荷物の収納をお願い」
そう言うや否や、ミレイヌはセトに向かう。
一分一秒でも、セトと一緒の時間を楽しみたいと思う、そんな態度。
そんなミレイヌの態度に若干の呆れを感じるレイだったが、それでもしっかりとやるべきことはやっているのだから文句は言えない。
「出発するまでの短い時間だし、いいか」
そう呟き、レイは洞窟の中に戻る。
するとミレイヌを含め、他の面々も荷物の整理はほぼ終わっていた。
レイが少しだけ意外だったのは、ガーシュタイナーとオクタビアという二人の騎士も素早く荷物の整理を終えていたことだろう。
レイのイメージ的には、騎士というのはそのようなことは従者にやらせるというものだった。
そんなレイの視線に気が付いたのか、オクタビアが口を開く。
「どうしました?」
「いや、騎士って割にはこういう雑用にも慣れてるんだと思っただけだ。思い込みかもしれないが、そういうのは従者にやらせると思っていたから」
「そうですね。それは間違っていません。ですが、従者の中には騎士になる前の勉強という意味もあります。私もガーシュタイナーも、騎士になる前は従者でした。その時、この手の仕事はしっかりとやっていますから」
「ああ、そういうことか」
それならレイにも納得が出来る。
そうして疑問が解決すると、他の面々の荷物も次々にミスティリングに収納していく。
その後はこちらも簡単に朝食を食べる。
もっとも、簡単にとはいえ、それはあくまでもレイにとってだ。
焼きたての状態でミスティリングに収納していた白パンは、それこそパンだけで食べても大量に食べられるくらいには美味い。
それ以外にも野菜とオークの肉のスープと果実水、それでもちょっと足りない者には串焼きを数本。
街中でもこのような朝食を食べるとなると、それなりの値段がする。
ましてや、野営をしている冒険者が食べる朝食としては、破格だろう。
普段なら焼き固めたパンと干し肉……後は野草を使ったスープがあれば、それでも御の字なのだから。
これらの、街中でも美味いと言える料理を食べることが出来るのは、当然ながらレイが持つミスティリングのお陰だった。
こうして朝食で士気を高めると、レイ達は再びベスティア帝国に向かって飛び立つのだった。