3372話
ダスカーは最初レイの言った意味が理解出来なかった。
いや、理解は出来たものの、それが事実かどうか分からなかったというのが正しいか。
「妖精郷に護衛を置く、と。そう聞こえたんだが。気のせいじゃないよな?」
「はい、その通りです。妖精郷のあるのがトレントの森……より正確には辺境でなければ、わざわざ護衛を置いたりといったことは必要ないと思うんですが、ここは辺境です。俺が言うまでもなく、ダスカー様ならその意味が理解出来るかと」
「……高ランクモンスターの出没か」
レイはダスカーの言葉に頷く。
ダスカーにしてみれば、ギルムの領主をしている以上、レイが何を言いたいのかはすぐに理解出来た。
今回のようにランクAモンスターが姿を現すことは珍しいが、それでも百年に一度、千年に一度といったような希少さではない。
数年に一度、十数年に一度くらいの割合でランクAモンスターがギルムの近くに姿を現すことは多い。
また、ランクBモンスターならもっと頻繁に姿を現すだろう。
……もっともレイの相棒のセトはランクAモンスターのグリフォンで、しかも多数のスキルを使いこなす希少種ということでランクS相当のモンスターという扱いになっているのだが。
そういう意味では、ランクSモンスターが頻繁にギルムの側にいるということを意味していた。
ただしセトはレイの従魔という扱いで人懐っこく、ギルムのマスコット的な存在と認識されている為、ランクS相当のモンスターがギルムの近くにいることを疑問に持つ者はまずいないが。
「はい。今回は俺が間に合いました。それに妖精の多くも長の力で守られたのも事実です。けど、次も今回のように上手くいくとは限りません。それに……知ってのように、俺は妖精郷を寝床にしてますけど、常に妖精郷にいる訳ではないですし」
レイの説明にダスカーは頷く。
実際、レイはもう少ししたらベスティア帝国に向かい、穢れの関係者の本拠地を奇襲することになっている。
それが具体的にどのくらいの日数が掛かるのかは、ダスカーにも分からない。
だが、一日二日で終わるようなことでないのは間違いなく、その間に妖精郷の守りをどうするのかといったことはダスカーにとっても重要な問題なのは間違いない。
「だが、そうなると……妖精郷の中で守ることになるのか?」
「そうなります。だから冒険者じゃなくて、ダスカー様の騎士に任せたいと思って。冒険者の場合……その、中には妙なことを考える者もいますから」
「だろうな。だが、それは冒険者だけではない。騎士の中にもそのような者は存在する。それでも騎士を?」
「はい。雷蛇の一件を考えると、多少の危険は覚悟した方がいいかと。正直なところ、妖精郷の中に人を入れるのは問題になるかもしれませんけど。……ただ、それでも今の状況を考えると護衛はいた方がいいと思います」
「長の了承は、当然とってあるんだな?」
「はい。さすがに長の了承もなしに、部外者を勝手に妖精郷の中に入れたりする話を持ってきたりは出来ませんよ」
レイの言葉を聞いたダスカーは、ニールセンに視線を向ける。
レイを信じていない訳ではないが、それでもこの件は非常に大きな意味を持つ。
そうである以上、長の後継者と目されているニールセンに確認するのは当然だった。
「レイが言ってるのは嘘じゃないわよ。正直なところ、昨日はレイがいないとかなり危なかったもの」
「……分かった。騎士だな。何人くらい出せばいい?」
ニールセンの言葉が嘘ではないと判断したのだろう。
レイにそう尋ねる。
「そうですね。腕が立つならそれだけいいです。こう言ってはなんですが、人数だけが多くても腕が立たないような者はあまり好ましくありませんね」
「腕の立つ者を選ぼう。具体的にいつくらいに送ればいい?」
「早ければ早い程いいかと。穢れの関係者の本拠地の奇襲までの間に妖精郷で行動することで妖精達に慣れて貰う必要がありますから」
腕が立ち、妖精を前にしても妙な考えを起こさない者。
非常に厳しい条件だったが、レイにとってはそれが最低限であるという認識だった。
元々雷蛇のような高ランクモンスター……あるいは雷蛇よりも強力なモンスターの襲撃を防ぐ必要がある以上、腕が立つのは当然だろう。
それだけではなく、妖精を連れ去るようなことをするような者がいた場合、大きな問題になる。
だからこそ妖精郷に派遣される人員は相応の者でなければならないというのがレイの考えだった。
「分かった。選んでおこう」
「ありがとうございます。それで魔剣についてですが……」
妖精郷の護衛を了承して貰ったレイは、話題を変える。
ダスカーも魔剣については気になっていたので、興味深そうな視線を向けた。
魔剣が穢れに対する特効を持つというのは、ダグラスの鑑定で予想出来ていたし、その鑑定なら間違いないだろうとダスカーも思っていた。
しかし、それでも実際に魔剣を使ってみないと本当にダグラスの鑑定通りの効果を持つかどうかは分からない。
それをレイがこうして口に出すということは、実際に使ってみたからこそなのだろうというのは容易に予想出来る。
「どうだった?」
「俺が使った限りでは、穢れに対して圧倒的な効果を持ちます。具体的には、魔剣の刀身が穢れに触れると、それだけで穢れが消滅しました」
「ほう」
レイの言葉に、ダスカーは嬉しさの込められた声を出す。
穢れに対する特効と、魔剣の能力については予想出来ていたものの、まさか刀身で触れただけで穢れを消滅させることが出来るとは、と。
ただし、レイの説明には少し気になるところがあった。
「レイが使った限りというのはどういう意味だ?」
「ダスカー様も知っての通り、俺は大きな魔力を持ちます。そんな俺が使ったので、刀身に触れた穢れが消滅するという効果になった可能性は十分にあるかと」
「……なるほど。魔力の量によって魔剣の効果が変わるかもしれないということか」
「そうなります。なので、ギルムに来る前に野営地に寄って試して貰おうと思ったんですが……」
「どうだった?」
期待を込めて尋ねるダスカーに、レイは首を横に振る。
「試そうにも、そもそも野営地の周辺には穢れがいませんでした」
「何? それは……ああ、なるほど。ブルーメタルの罠か」
「恐らくは。今日も穢れが多数いましたし。それでも昨日よりは少なかったですが。そんな訳で、俺以外の者が魔剣を使っても効果があるのかどうかは、妖精郷に護衛に来た騎士にやって貰おうかと思っています」
「それで問題ないだろう。……だが、それにしてもレイが使った場合の魔剣の効果は凄いな。そこまで楽に穢れを殺せるとは」
「俺もそう思います。魔法でも殺せますけど、どうしてもある程度の範囲が必要になりますし。エレーナの竜言語魔法にいたっては、下手をすると周辺に大きな被害を与えますから。そういう意味では、ヴィヘラが穢れを倒すのに一番向いていたんですけどね」
浸魔掌を改良したヴィヘラは、周囲に大きな被害もなく穢れを殺せる。
だが、オーロラから奪った魔剣があれば、誰でも……それこそレイの仲間の中では一番戦闘力が低いビューネであっても、容易に穢れを殺すことが出来る。
基本的に穢れというのは移動速度が遅く、こちらから攻撃するまではすぐ側まで近づいても攻撃をしてこないのだから。
とはいえ、オーロラを始めとした穢れの関係者が穢れを遣うような場合は話が別だが。
それでも穢れである以上、魔剣の刀身に触れればそれだけで消滅させられるというのがレイの予想だった。
「それで、ダスカー様。魔剣の件はともかくとして、ブルーメタルの件はどうなりました? 細く、鋼線状に出来るといった話でしたけど」
「問題ない。ただ、ブルーメタルそのものがまだ出来たばかりの魔法金属だからな。それに穢れに対する実験もその性質上、好きな時に出来る訳でもない。だから、もしかしたら鋼線状にしたことによって穢れを寄せ付けない力が弱くなっている可能性がある」
「それは……言われてみれば納得は出来ますけど」
今のところ、インゴットとして使っているので特に問題はない。
だが、鋼線状にすれば当然ながらブルーメタルの量は少なくなる。
その時、穢れを相手に同じような効果があるかどうかは、実際に試してみないと分からないだろう。
「一応理論上は大丈夫ということだが、こういうのは実際に試してみないと何とも言えないからな」
「一応、昨日俺が切断したブルーメタルのインゴットで作った罠は、さっきも言いましたけど今日も普通に機能してましたよ。もっとも鋼線状と比べると随分と量がありましたけど」
ブルーメタルのインゴットをデスサイズで切断したものの、それでも鋼線状になるまで細くとまではいかない。
レイの感覚だと割り箸よりも少し太いくらいのものだった。
そのくらいのブルーメタルであってもきちんと効果を発揮したのだから、鋼線状でも同じように効果が発揮した……という可能性があった。
「同じように効果を発揮してくれればいいんだがな。……とにかくそんな訳で、最初から使えるブルーメタルのインゴットを鋼線状にするのは不安があるということで、少量だけ鋼線状に加工して貰った。それを使ってみて、それで成功したのならまた同じように加工して貰うということでどうだ?」
ダスカーの提案……というか決定事項に、レイは少し考えてから頷く。
「分かりました」
そう言うレイだったが、ダスカーの様子からするとそう言うことしか出来なかったというのが正しい。
もっとも、それがレイにとって好ましくない内容であれば、レイもそれを断ろうとしただろうが。
今回の件は多くのブルーメタルのインゴットを鋼線状にして、その結果駄目でしたということになったら、それをまたブルーメタルのインゴットにする必要がある。
その手間が具体的にどのくらい大変なのかは、レイには分からない。
だが、もしその手間がそう難しいものではなくても、失敗するか成功するか分からないことに全力を傾けるのは意味がないだろう。
これが例えば、本当にどうしても、すぐにでもそのようなことをしないといけないのなら、職人達も頑張るだろうが、今回はそうではない。
あくまでも試してみて、それで成功したらいいなといった程度のものでしかないのだ。
なので、レイもダスカーの言葉に不満はない。
無理矢理不満を挙げるとすれば、少量だけである以上は今日そのブルーメタルの鋼線を使って罠を仕掛けて明日の朝に穢れを倒した後で、また鋼線状にしたブルーメタルを取りに来る必要があるかもしれないということか。
まだ鋼線状になったブルーメタルが実際にどれだけの量があるのか分からないので、もしかしたら明日、明後日、もう数日くらいの量はあるかもしれないが。
その場合でも鋼線状にしたブルーメタルが効果を発揮したかどうかを説明する必要があるので、どのみちまた明日にでも領主の館に来る必要があるのだが。
「では、ブルーメタルを持ってこさせるから、少し待っていてくれ」
そう言い、ダスカーは扉の外で待機していた護衛に声を掛ける。
ダスカーの立場としては、信頼しているレイと話す時であっても、護衛は必要なのだろう。
もっとも、今までレイと話している時に護衛がいない時も珍しくなかったのだが。
そもそもダスカーが元騎士で、普段から訓練を欠かしていない。
春から秋の忙しい時も、騎士としての訓練は基本的に毎日行われていた。
……それは訓練というよりも、ストレス発散の為だったりもしたのだが。
ダスカーより強い者は、ダスカーの部下の中でもかなり少ない。
「よし、じゃあ少し待っていてくれ。……そうそう、さっきの雷蛇の話だが。未知のモンスターなのだろう? ギルドに報告しなくてもいいのか?」
来た、と。
何気なく尋ねてきたダスカーに、レイは少し緊張する。
今回のダスカーに対する報告の中で、一番突かれたくない場所がそこだった。
「そうしたいと思ったんですが、ダスカー様から貰ったドワイトナイフで解体してしまいましたし、何よりモンスターにとって一番大きな意味を持つ魔石が、戦いの中で破壊されてしまったので」
「ふむ、それなら仕方がないのか? ただ、そういうモンスターがいたと、ギルドには報告しておいた方がいいと思うが」
「今度ギルドに行ったら報告はしておきます」
セーフ、ギリギリセーフ!
内心でレイはそう叫ぶ。
何がギリギリなのかは、レイ本人もよく分かっていなかったが。
とにかく、ダスカーは雷蛇についての詳しいことを聞いてきたのではなかったので、レイにとって非常に助かるのは間違いなかった。