3366話
長の口から出た、穢れの件が解決しても妖精郷を別の場所に移すつもりはないという言葉。
最初それを聞いたレイは、今のは自分の聞き間違いではなかったのかと、そんな風に思う。
「一応聞かせてくれ。今、穢れの件が解決しても妖精郷は移さないって言ったのか?」
「はい」
見間違えようもなく、レイの問いに長は頷く。
それを見たレイは、嬉しく思うのと同時に疑問を抱く。
「いいのか? 俺にとってはそれは嬉しいし助かるけど、雷蛇の件は……」
「そうですね。ですがそれは同時に、貴重なマジックアイテムの素材を手に入れることが出来るという意味でもあります。……実際、私がレイ殿から貰うことになった、雷蛇の鱗。まだ具体的にはどのようなマジックアイテムに使えるのかは分かりませんが、それでも貴重な素材なのは事実」
だろうとレイは頷く。
雷蛇はランクAモンスター、その中でも恐らく中位から上位に位置する強さを持つ。
そのような存在の素材なのだから、貴重なのは間違いない。
そして妖精の作るマジックアイテムは、普通の錬金術師が作るマジックアイテムよりも強力だ。
それだけに、長にしてみれば雷蛇の鱗というのはマジックアイテムを作るのに大きな意味を持つのは間違いなかった。
長が言ったように、まだどのようにして使うのかは決めていなかったらしいが。
「いや、それはありがたいと思うけど、素材を目当てに高ランクモンスターがいつ襲ってくるか分からないこの場所に妖精郷をそのままにするというのは、問題がないか?」
何で自分が妖精郷を他の場所に移すのを薦めるようなことを言ってるのだろう。
そんな風に思ったレイだったが、そんなレイに向かって長は笑みを浮かべる。
「勿論問題はあるでしょう。ですが、この鱗を使って高ランクモンスターが近付かないようにすれば問題はないかと」
「いや、その鱗の使い方はまだよく分からないとか言ってなかったか?」
「そうですね。それは間違っていません。ですが、最悪この鱗をそのまま使うだけでもモンスター除けには十分かと」
その言葉にレイはセトの存在を思い出す。
正確にはセトの存在感。
レイが野営をする時、セトが夜の見張りをしているのはその存在感によってモンスターを近づけさせない為というのが大きい。
もっとも、モンスターの中にはゴブリンのように実際に戦ってみるまで相手の強さが分からなかったり、中にはレイが強者だと理解した上で戦いを挑むような者もいるのだが。
「分かった。そこまで言うのなら、俺からは何も言わない。……俺としては、妖精郷が残ってくれた方が嬉しいのは事実だし」
そう言ったレイは、ニールセンが他の妖精達を引き連れてきたのを見る。
「どうやら来たみたいだな。他の素材が持って行かれないように、鱗以外は取りあえず俺が預かっておくな」
「あ、はい。分かりました。お願いします」
長の言葉に頷き、レイは素材が置かれている場所に向かう。
そんなレイの後ろ姿を見た長は、小さく……それこそ声にはならないくらいの小声で口を開く。
「私は長失格かもしれませんね」
長がここから妖精郷を移さないのは、レイに言った理由があったからなのは間違いない。
だが同時に、それ以外にも個人的な……本当に個人的な理由があった。
長はそう思いつつも、レイとニールセン達の方に向かうのだった。
「よし! 私の勝ち!」
「ぶーぶー!」
「ちょっと、ニールセンは何か狡いことをしてない?」
運んだ鱗の数が一番多かったニールセンは勝利の声を上げる。
そんなニールセンに他の妖精達は不満の声を出す。
だが、そのような状況であってもニールセンは満面の笑みを浮かべたままで口を開く。
「ふふふ。私が一位なのは間違いないわ。クリスタルドラゴンの肉は私が美味しく食べさせて貰うわ!」
「ぐぐぐ……」
勝ち誇ったニールセンの言葉に、不満そうな様子の妖精達。
……実際には、ランクAモンスターの雷蛇の肉も、普通ならとてもではないが食べることが出来ない高級食材なのだが。
それでもランクSモンスタークリスタルドラゴンの肉の貴重さを思えば、やはり劣ると思ってしまうのだろう。
「あー……その辺にしておけ。取りあえずニールセンに肉を渡すぞ」
レイはミスティリングから取りだした、クリスタルドラゴンの肉を一塊……重量にして三kg程を渡す。
「おうふ……重い、重い、重い!」
ニールセンにとって、三kgの肉というのはかなりの重さなのだろう。
掌程の大きさしかないのだから、それも当然かもしれないが。
そんなニールセンの様子を見て、他の妖精達は目を輝かせる。
ニールセンがクリスタルドラゴンの肉を持った状態でだと、間違いなくそこまで早く移動は出来ない。
つまり、妖精達に追われても逃げ切ることは出来ないのだ。
それはニールセンが持っているクリスタルドラゴンの肉を奪おうとする者にしてみれば、これ以上ない幸運だった。
「……あ、あははは……」
そんな周囲の状況に気が付いたのだろう。
ニールセンは追い詰められ、もう笑うしか出来なくなったかのような笑みを浮かべる。
そして慌てて――それでもクリスタルドラゴンの肉を持ったまま――飛び、他の妖精達に追われる。
半ば無理矢理騒いでいるかのように思える様子だったが、レイは特にそれに突っ込むようなことはしない。
ニールセンを含む妖精達にしてみれば、自分の仲間を雷蛇に喰い殺されたのだ。
そのことを全く悲しく思っていない……などということはない。
だがそれでも、いつものように騒がしくして、死んだ者達が安心出来るようにと、そう思ってはしゃいでいるのはレイにも分かる。
「ニールセン達の方は放っていて、こっちはこっちで肉を食べるか。俺が切っていくから、鍋で焼いて食ってくれ。石焼きとかにしたら美味そうだけど、そういう石はないしな」
炭焼きで食べれば美味そうだったが、生憎とレイは炭を持っていない。
今までは炭がなくても特に気にならなかったが、あれば色々と便利そうだとは思う。
(あれ? でもギルムに炭って売ってたか? そういうのを見たことはないような……いや、あるよな? 周辺に森や林はかなりあるし。ない場合は自作するのか?)
レイが日本にいた時、日曜の夜にやっていたバラエティ番組で炭を作るのを見たことがあった。
とはいえ、それでもしっかりと内容を覚えている訳ではない。
何となく密封して燃やせばいいのかと、そう覚えているくらいだ。
ただ、徹夜をして延々と火の番をしていたのを思い出すと、もしギルムに炭がなかった場合、作り方を教えて作って貰おうと思い直す。
あくまでもレイが知ってるのは大雑把な知識だ。
だが、大雑把な知識でも完成形を知っていて、そこに辿り着く道があると知れば、実際に作る者も頑張るのは、うどんで知っていた。
レイが満腹亭でうどんを教えた時、詳細な作り方を教えることは出来なかった。
しかし、それでも今ではギルムでうどんという料理は広く知られており、かなり離れた場所でも普通にうどんが売られるようになっている。
それもただのうどんではなく、焼きうどんのようにちょっと違う種類のうどんも開発されていた。
そういう意味では、もし炭がなかった場合はレイが大雑把な作り方だけを教えておけば、最終的には完成するような気がした。
「レイ、準備が出来たわよ。肉とか出して貰える?」
ニールセンを追わなかった妖精の一人が、素早く料理の準備を整える。
浅い鍋……レイの認識だとパエリアを作るのに使うような鍋を取り出す。
焚き火の上には鍋を置けるように木で準備が整えられていた。
「これ、木が燃えるんじゃないか?」
鍋を置いたところで、改めてレイは木を組み合わせて作られた場所を見る。
普通に考えれば、木というのは燃えやすい。
このように焚き火の上に木を置けば、その熱で木が燃えてしまってもおかしくはないのだが……こうしてレイが見た限りでは、特に燃えたりはしていない。
これが生木なら燃えにくい――代わりに煙が大量に出るが――ものの、レイが見た限りではそのような感じでもない。
「へへん、どう? これは私の魔法なのよ!」
レイの側にいた妖精の一人が自慢げに言う。
実際、その魔法によって木が燃えないようになっているのなら、レイから見ても素直に凄いとは思うが。
(というか、もしこの妖精の使った魔法が絶対に燃えないのなら、俺の天敵だったりするんじゃないか?)
炎の魔法を得意としているレイにしてみれば、それは問題だった。
もっとも実際に絶対に燃えないという訳ではなく、限界があるのだが。
レイの魔法で生み出された炎であれば、その限界をあっさりと突破して燃やしてしまうだろう。
そういう意味では、そこまで心配するようなことではなかった。
「レイ、肉は?」
また別の妖精に急かされ、レイは雷蛇の肉のブロックを取り出す。
ざわり、と。
ミスティリングから取り出された雷蛇の肉に、妖精達がざわめく。
もう見慣れた、レイがミスティリングを使ったことに対するざわめきではない。
この妖精郷を襲ってきた雷蛇が、こうして実際に肉になっているのを見たことに対する驚きだろう。
実際、雷蛇はかなりの巨体だった。
尻尾、下半身、上半身といったように三等分されたものの、それでも一つずつの大きさはどうしてもかなりのものになる。
そんなモンスターをあっという間に解体して、こうして肉に出来るとは……と。
もっとも、妖精達に凄いといった視線を向けられたレイだったが、少し困った様子を見せる。
雷蛇の解体は自力で行った訳ではなく、ドワイトナイフというマジックアイテムを使って行ったものなのだから。
レイの魔力を使ってドワイトナイフを発動させた以上、レイの力で解体をしたというのは間違いではないのだろうが。
それでも一般的にその人物が解体したというのとは明らかに違う。
そう思ったものの、取りあえず今はまずバーベキューをやるのが先だろうと判断して口を開く。
「それで、この肉は誰が切る? 一応言っておくけど、肉はこれ以外にも大量にある。自分の分だけ分厚く切るとか、そういう心配はしなくてもいいぞ」
「あ、じゃあ私がやるー!」
妖精の一人が真っ先に立候補する。
そうしている間にも、焚き火の上に置かれた鍋は熱せられ始めており、出来るだけ早く肉を焼いた方がいいのは間違いなかった。
そんな訳で、最初に立候補した妖精はレイからナイフを借りるが……
「うん、これは俺が切った方がいいか」
レイが妖精に貸したのは、普通のナイフだ。
つまり、普通にレイが使う大きさのナイフで、掌程の大きさの妖精が使うのは難しい、そんなナイフ。
これが長なら、そのようなナイフでも自分で直接持つのではなく、念動力を使って肉を切ることが出来ただろうが……生憎と、肉を切るのに立候補した妖精にそのようなことは出来なかった。
「やっぱり俺がやるか。次々に肉を切って鍋に入れていくから、それを焼いて自由に食ってくれ。味付けは……あー、取りあえず塩はあるけど、それでいいか?」
ミスティリングの中には多数の料理があり、その料理の中にはソースの類もある。
焼いた肉をそのソースにつけて食べても、美味いのは間違いない。
だが、レイはそのことを思い出せず、結局口にしたのは塩だけだった。
いわゆる焼き肉のタレでもあれば、こういう時に便利なのだが。
焼き肉のタレという言葉に、レイはふと日本にいた時のことを思い出す。
(焼き肉のタレは最強の調味料ってのを何かで見たか聞いたかした記憶があるけど……まぁ、どのみちここにない以上はどうしようもないか)
実際には焼き肉のタレを作るのはそう難しい話ではない。
その焼き肉のタレが美味いかどうかは、また別の問題だったが。
醤油に梨のような甘みのある果汁を搾り、ニンニクや生姜の絞り汁やゴマ、好みによって柑橘類を絞って入れればいい。
もっとも、現在このエルジィンにおいて醤油は見つかっていないので、何かで代用する必要があるだろう。
「香辛料とか……今度ある程度纏めて買っておいた方がいいかもしれないな」
カレーを食べたい。
そんな気持ちもそこにはあったが、問題なのはそれこそカレーを作るのにどのような香辛料を使えばいいのか分からないことだろう。
ガラムマサラといった有名な香辛料は分かるが、言ってみればそれだけでしかない。
それ以外の香辛料をどうにかするには、それこそ自分で試してみる必要がある。
それは面倒なので、これもいっそうどんの時のように料理人に任せようと思いつつ、レイは雷蛇の肉を切っては鍋の上に置いていくのだった。