3303話
「……ん? あれ? 私は一体どうしたのだ?」
ヌーラが我に返ったのは、ちょうどレイ達がそろそろ食事を終える頃だった。
「ヌーラ、目が覚めた……いや、我に返った? ともあれ、正気に戻ったのか」
「私は一体?」
自分の身に何が起きたのか、全く理解出来ていない様子のヌーラは、戸惑ったように周囲の様子を確認する。
そして周囲の光景が洞窟の近くの森ではないことに気が付いたらしく、驚きの表情を浮かべる。
勿論、ヌーラも洞窟から出ることは基本的に許可されていない。
しかし、現在レイ達がいるのは以前ブレイズ達が野営をした場所……結構な人数が寝泊まり出来るように、邪魔な木は伐採し、茂みは払い、大きな草は抜き……といったように、簡単ではあるが整備されている場所だ。
それだけに、洞窟の近くとは全く違うとヌーラにも理解出来たのだろう。
「どこまで覚えてる?」
「覚えている? 私は……そう、セト籠とやらに乗って、浮遊感があって……駄目だ。そこからは何も覚えていない」
「あー……そこからか。マリーナから聞いた限りだと、そんな感じだったしな」
「それで、私は一体?」
「簡単に言えば、お前はいわゆる高所恐怖症……つまり、高い場所が苦手なんだ。それも意識を飛ばすのを考えると、少しといった感じではなく、かなりの高所恐怖症だな」
「……私が……?」
ヌーラは、まさか自分がそのようなことになっているとは全く思っていなかったのだろう。
唖然とした様子でレイを見る。
その表情の中には、嘘だろう? という思いがあるのがレイにも理解出来た。
ヌーラにしてみれば、今まで自分が高所恐怖症という自覚は全くなかったのだが、それが急に目の前に突きつけられてしまった形だ。
レイにしてみれば、そういうのは自分でなれるかどうか決められる訳ではない以上、仕方がないと思ったが。
(とはいえ、かなりの高所恐怖症ではあっても、例えば二階くらいの高さとかからなら、そんなに問題はなかったとか? 血筋的に今まで遊んで暮らしてきたんだから、多少は高い場所とかに行った事があっても不思議じゃないだろうし)
レイにしてみれば、そんなに気にする程のことではないと思う。
今回セト籠に乗るのにはちょっと問題かもしれないが、普通に暮らす分には全く問題ないのだ。
勿論、ワイバーンに乗るとか、そういうことになれば致命的だが。
「今はそこまで気にするな。とにかくここで野営をしてから、明日またセト籠に乗って出発する。それまでは楽にしていてくれ。ここはギルムのような辺境ではないから、高ランクモンスターが襲撃してくるということは基本的にないから」
レイは軽く言ったが、あくまでもそれは基本的にの話だ。
以前この森を襲撃した巨大な鳥のモンスターのように空を飛べるモンスターにしてみれば、辺境かどうかというのはあまり関係ない。
それ以外でも、地上を移動するモンスターが何らかの理由で道に迷ってこのような場所に姿を現す……といったことも、ない訳ではない。
それでも基本的にはセトがいるので、その気配を察知すれば近付いてくるモンスターはそういないのだが。
「分かった。こうして洞窟の外に出るのも久しぶりだし、私もゆっくりさせて貰おう。だが……まだ随分と明るいのに、もうここで野営をするのか? レイのことだから、進めるうちはもっと進むと思っていたんだが」
「ヌーラとは今日会ったばかりなんだが、それで俺の性格を知ってるように言われてもな」
そう返すレイだったが、自分でもヌーラの言ってることは間違っていないと思っていた、
もし降り注ぐ春風の妖精郷に寄る必要がなければ、レイもわざわざこのような時間から野営の準備をしようとは言わなかっただろう。
それこそヌーラが言うようにもっと進んで、夕方近くになってから野営をするのに向いている場所を探して、そこで野営をしていた筈だ。
「こっちにも色々と理由があるんだよ。洞窟の中では結構魔力を使ったしな」
無理矢理な内容ではあったが、それらしい理由を口にする。
レイについて詳しい者にしてみれば、一体何を言っているのかと疑問に思うだろう。
実際、マリーナとヴィヘラは一瞬だがレイに向かって呆れの視線を向けていた。
しかし、ヌーラやオーロラのようにレイについて知っていても、その詳細までは知らない者にしてみれば、レイの無理矢理な理由にも素直に納得する。
「そうか。私は知らないが、洞窟の中でそこまで魔力を使ったというのなら、仕方がないな」
ヌーラが納得したように呟き、オーロラは鋭い視線をレイに向けている。
レイはその強力な魔法が有名だったが、魔力そのものは少ない……訳ではないにしろ、強力な魔法を何度も連発出来るような魔力は持っていないと判断したのだろう。
オーロラの様子からそう予想するレイだったが、別にそれを正すつもりはない。
ヌーラは寝返ったが、オーロラは今でも敵のままなのだ。
そうである以上、自分の間違った情報を与えておくというのは悪い話ではない。
万が一にも自分達から逃げ出したり、あるいはギルムで引き渡した後で逃げ出して、穢れの関係者に合流してレイの間違った情報を伝え、それを使った罠を仕掛けるといったことをされた場合、レイにとっては破るのはそう難しくはないのだから。
「そういうことだ。今日はゆっくり休んで、明日はかなり進める。もしかしたら、明日中にギルムに到着出来るかもな」
ここにやって来た時のことを考えると、恐らく無理だろうと思いつつ、レイは言う。
出来ればギルムに行く前に以前寄った村……数人の盗賊団に襲われそうになっていた村に立ち寄ってみたいという思いもそこにはあったのだが、今の状況でそれは難しいだろうと思う。
ヌーラはともかく、クールビューティのオーロラが縛られ、猿轡をされているのだから。
このような状況であの村に立ち寄ろうものなら、それこそレイ達が誘拐犯だと思われかねない。
説明すれば納得はして貰えると思うが、わざわざそのような面倒なことをしなくてもいいのなら、その方が楽なのは間違いない。
そんな訳で、レイは村に寄るのは即座に諦める。
「ねぇ、レイ。ちょっといい?」
「ヴィヘラ? どうした? オーロラの方はいいのか?」
「そっちの方は問題ないわ。ただ、ちょっとレイに聞いておきたいことがあって」
「俺に?」
「ええ。だから、ちょっといい?」
わざわざこうやってレイを呼ぶということは、オーロラやヌーラに聞かれたくないことなのだろう。
レイはヴィヘラの言葉に素直に頷き、ヌーラ達のいる場所から少し距離を取る。
「それで? 一体どうしたんだ?」
「今日の野営で、マジックテントを使うのは止めておいた方がいいんじゃない?」
「……何?」
ヴィヘラの口から出たのは、レイにとっても予想外の言葉だった。
まさかここでマジックテントについての話が出て来るとは、思ってもいなかったのだ。
だが、その驚きもすぐに消え、ヴィヘラに尋ねる。
「それで、一体何でマジックテントを使わない方がいいんだ? もう冬だし、マジックテントの中で寝た方が疲れは取れると思うけど」
「そうね。それについては私もそう思うわ。けど、オーロラ……はともかく、ヌーラにはマジックテントについて教えない方がいいと思って」
「は? 逆じゃなくてか?」
今のヴィヘラの言葉からすると、オーロラよりもヌーラを警戒しているように思える。
ヌーラはレイ達に寝返り、オーロラは捕らえられた相手なのだ。
だとすれば、普通はヌーラよりもオーロラを警戒するだろう。
なのに、何故ヌーラの方を警戒するのか。
そんなレイの疑問の視線に、ヴィヘラは特に勿体ぶるようなこともなく口を開く。
「レイがマジックテントで寝るとなると、捕虜のオーロラはともかく、ヌーラはマジックテントに入れる必要があるわ。レイはヌーラをマジックテントの中に入れてもいいくらいに信用している?」
「それは……いや、まだそこまでの信用はないな」
ヌーラが寝返ったのは間違いないが、だからといってそれを完全に信じることは出来ない。
そしてレイの持っているマジックテントはダスカーから貰った中古だが、それでも十分に貴重な品だ。
もしヌーラをマジックテントの中に入れて、それによって何らかの被害……それこそ最悪マジックテントが壊れたりするかもしれないと考えると、レイも素直にヌーラをマジックテントに入れようとは思えない。
「でしょう? けど、こっちに寝返ったヌーラを外に放り出して、私達だけでマジックテントに入るのも、それはそれで問題でしょう?」
「そう……だな」
レイとしてはそこまで問題ではないと思えるのだが、後々それが発覚した時に面倒なことになりそうなのは間違いない。
なら、今日の野営で……いや、ギルムに到着するまでの野営でマジックテントを使わない方がいいというのはレイにも理解出来た。
(面倒だな)
そうレイは思うが、仕方のないことだと受け入れる。
ただ、そうなるとテントの類がないままで野営をすることになってしまう。
以前はレイのミスティリングにもテントがあったのだが、ダスカーからマジックテントを貰ってからは使うようなこともなく、処分してしまった。
そしてマリーナとヴィヘラは道具を全てレイに預けている。
普通に考えて、マジックテントがあるのに普通のテントを使う機会はほぼない。
そうである以上、今までは普通のテントがなくても全く困らなかった。
他の冒険者達と行動をする時は、その冒険者達が寝袋なり、テントなりを自分達で持っていたし、もし持っていなくてもテントや寝袋がない状況で野営をするのに慣れていた。
……もっとも、寝袋というのは野営をする際に便利ではあるが、いざモンスターや動物、盗賊に襲われた時に素早く対処出来ないということもあり、それを嫌って好まない者も多かったが。
ともあれ、レイの場合はマジックテントがあり、近寄ってくる敵もセトがいれば安全だ。
そんな訳でマジックテント以外の野営道具は何もなかったのだが、それが今回は祟った形だった。
「つまり、俺達も普通に野営をした方がいいということか」
「そうなるわね。まぁ、私達の場合はそれでも普通の冒険者と比べるとかなり有利な状況なのは間違いないけど」
「それは否定しない」
実際、レイ達はマジックテントがなくてもかなり恵まれているのは事実だ。
レイは魔法を使って焚き火の用意が出来るし、そもそもドラゴンローブは簡易エアコン機能がついている。
ヴィヘラの着ている薄衣もマジックアイテムで、寒さに対する抵抗力を持つので、冬の野営であっても問題ない。
マリーナは精霊魔法が使えるので、寒さを和らげることが出来る。
……もっとも、オーロラがいるので穢れの気配が濃く、精霊魔法を使うのは難しいが。
「そう言えば、今更だけどオーロラはセト籠の中で目を覚ましたのに、穢れを出してあばれたりとかはしなかったんだな」
「ああ、その件ね。それは私の方でしっかりと言っておいたからでしょう。穢れを出した瞬間にオーロラの意識を奪うと言っておいたから。これがもし殺すと言ったら、オーロラも即座に穢れを出したかもしれないけど」
オーロラは、自分が捕まってギルムにいるダスカーに……正確にはダスカーの部下の尋問を専門にしている者達だろうが、そのような相手に引き渡されると知った瞬間、自害しようとした。
そんなオーロラにしてみれば、穢れを使ったら殺すというのは脅し文句にならない。
だが、気絶させるというのは死ぬ訳ではない。
もしかしたら自分が気絶している間に何らかの重要な情報を見たり聞いたり出来るかもしれないとなると、気絶させられるのは困るといったところか。
「なるほど。なら、穢れが出て来た時の対処や、その時にオーロラを気絶させるという意味でもヴィヘラにはこのままオーロラの担当をして貰った方がいいな」
「分かったわ」
レイの言葉にヴィヘラはあっさりと頷く。
別にオーロラの担当になるのが嫌な訳ではないのだろう。
戦闘狂のヴィヘラの好みに引っ掛からなかったのは、オーロラにとって幸運だったのかもしれない。
以前はヴィヘラも穢れと戦えないのを残念に思っていたものの、実際に浸魔掌で穢れを倒せるようになってしまうと、穢れそのものはともかく、穢れの使い手は基本的にそこまで強くはない……どころか、殆ど戦闘訓練をしたことがないような者でもあると理解したのだろう。
結果として、ヴィヘラにとってオーロラは穢れは強いものの、本人は自分が相手をするまでもない存在として認識されることになったらしい。
「じゃあ、戻るか。マジックテントを使わないのなら、いつも以上にきちんと野営の準備をする必要があるし」
そうレイが言うと、ヴィヘラは素直に頷くのだった。