3301話
ヌーラを引き込むことに成功したレイは、そのヌーラを連れて見張り用の部屋に入る。
その部屋の中は先程レイ達が出て行った時と同じようにオーロラとヴィヘラの姿があった。
ただし、先程と違うところが一つ。
「ヌーラ……裏切ったわね!?」
レイとマリーナの側にヌーラがいて、縛られたりもしていない。
そんなヌーラの様子を見れば、ヌーラが自分達を……穢れの関係者を裏切ったとオーロラが判断するのは、おかしな話ではない。
オーロラから鋭い視線を向けられて叫ばれたヌーラは、しかし動揺した様子も見せずに頷く。
「裏切ったのは事実だが、最初に人質だった私を切り捨てたのはお前だろう?」
実際にはその言葉は全てが正しい訳ではない。
ヌーラはオーロラに切り捨てられる前に、既にそれなりに穢れの関係者に対する情報をレイ達に話していたのだから。
しかし、ヌーラはその件には全く触れず、人質に取られた自分を切り捨てたと口にする。
オーロラはそんなヌーラに反論出来ない。
あるいはこれで、オーロラがもっと感情的な性格をしていればヌーラを責めることも出来ただろう。
だが、オーロラは冷静な性格をしている。
だからこそ、自分が先にヌーラを切り捨てたという思いがあり、それを理由にヌーラが裏切ったと言われれば、その言葉に反論するのが難しい。
「分かって貰えたようだな。……そんな訳で、私はレイ達と行動を共にする」
「そういう訳だ。勿論、ヌーラだけじゃなくてお前にも来て貰うから、安心してくれ」
そのような言葉に、誰が安心出来るのか。
そう言いたかったオーロラだったが、ここで自分が抵抗をしても無駄に終わるだけなのは間違いない。
何しろヴィヘラがいるだけで自分は穢れを封じ――正確には出しても即座に倒される――られるのだ。
そこにレイとマリーナという腕利きがいては、それこそここで暴れるだけ無駄なのは間違いなかった。
……実際には、マリーナが穢れのいる場所で精霊魔法は基本的に使えないのだが、幸か不幸かオーロラはそれについて知らない。
「納得して貰ったようだし、行くとするか。お前にはヌーラと違って色々と……本当に色々と聞きたいことがある。何がなんでも絶対に一緒に来て貰うぞ」
協力的な相手ということであればヌーラだったが、そのヌーラは穢れの関係者について殆ど知らない。
それに対し、オーロラは詳しい情報を色々と持っている以上、ここで逃がす、もしくは連れていかないという選択肢は存在しなかった。
「それを素直に聞くとでも?」
オーロラにしてみれば、自分が捕らえられて情報を聞き出されるというのは絶対にごめんだった。
自分のせいで穢れの関係者に迷惑を掛け、その上で世界の崩壊が失敗するというのは、絶対に避けたい。
その為なら……
そう思ったオーロラが何をしようとしているのかを理解したレイは素早くヴィヘラに視線を向ける。
レイに視線を向けられたヴィヘラは……いや、あるいはレイに視線を向けられるよりも前に動き出していたヴィヘラは、オーロラの首筋に一撃を放ちあっさりと意識を奪う。
気絶したことによって、音を立てて床に上半身を倒すオーロラ。
「レイ、猿轡をちょうだい。それも簡易的なものじゃなくて、奥歯を噛んだり出来ないようなの」
「分かった」
ヴィヘラが何を言いたいのかは、レイにも十分に理解出来た。
暗殺者の類に多いのだが、奥歯に毒物を仕込んでおき、自分が負けたら……もしくは捕まったらそれを使って自害するという行為。
その為、奥歯に毒が仕込まれていても、それを噛み潰したり出来ないようにする為にしっかりとした猿轡をヴィヘラは欲したのだ。
ミスティリングから取り出した猿轡をヴィヘラに渡しながら、レイは気絶したオーロラに視線を向ける。
自分の存在が組織にとって不利になると判断すると、即座に自分の命を絶とうとした。
(こういう、世の中に後悔も何もなく、自分はいつ死んでもいいと思っているような奴ってのは厄介だよな)
そんな風に思っていると、レイはふとヌーラの様子が変なことに気が付く。
信じられないものでも見るような視線をオーロラに向けているのだ。
その身体も微かに震えているのを見たレイは、何となくその理由を察知出来た。
「何だ、まさかこうして自殺しようとするのはヌーラにとっても予想外だったのか?」
「……あ、ああ」
レイの問いに数秒の沈黙の後にヌーラは頷く。
(ヌーラと一緒にニールセンを捕らえようとしてやって来た連中も、全員が死んでるんだ。人の死に今更そこまでショックを受ける……いや、違うか。ヌーラが連れてきた連中は、俺達に殺された。それに対して、今のオーロラは自殺しようとした。同じ死という結末でも、その過程には大きな違いがある)
人に殺されるか、もしくは自分で死ぬのか。
その二つは、結果は同じでも実際には大きく違う。
ヌーラが受けたショックは、まさか自分で自分を殺そうとするとは思わなかった……といったところか。
(ヌーラは今まで遊んで生活してきた。穢れの関係者が危険な連中だというのは知っていただろうが、こうして改めて見て実感したといったところか)
レイの目から見れば、ヌーラのような生活は羨ましいと思うと同時に、退屈そうだとも思う。
ましてや、どこかの街にいるのではなく、この洞窟の中で暮らしているのだ。
それなりに人数はいるようだったが、それでもその数は限られている。
そうである以上、特に何かをして遊ぶといったようなことも難しいだろう。
本人がどう思っているのかはレイにも分からなかったが。
「出来たわ」
オーロラに猿轡をしたヴィヘラの言葉にレイは頷き、オーロラに近付く。
この場にいる誰がオーロラを運ぶかとなると、当然ながらそれはレイとなる。
単純に、この場にいる者の中でレイが一番力が強いからだ。
あるいはマリーナが精霊魔法を使えるのならそちらに任せてもよかったが、穢れを使うオーロラがいる以上、精霊魔法を使うのは難しい。
(というか、それ以前に今のマリーナはかなり疲れているように見えるしな)
ニールセンと一緒にオーロラの家に向かった時に、精霊魔法を使ったのだろう。
穢れやその使い手がすぐ側にいる訳でもないので、精霊魔法を使えないということはなかったのだが、それでも穢れの痕跡のある場所で精霊魔法を使い続けるのはマリーナに大きな負担になったのだろう。
そんなマリーナに無理をして精霊魔法を使えとはレイも言えない。
あるいはこれが、本当にどうしようもない状況であればそのような手段を採ったかもしれないが。
今は別にそのような無理をする必要はない。
レイは気絶して縛られ、猿轡をされているオーロラをあっさりと持つ。
オーロラが下手に美人なだけに、何も知らない者が今のこの状況を見れば、レイを犯罪者だと考えてもおかしくはないだろう。
「これは……」
あっさりとオーロラを持ち上げたレイに、ヌーラが驚きの声を上げる。
特に鍛えている訳でもないヌーラにしてみれば、筋骨隆々の男とは比べものにならない程に軽いとしても、女一人をこうもあっさり持ち上げるというのは信じられない光景だったのだろう。
オーロラの体重は、軽そうに見えてそれなりに重い。
とはいえ、それを口に出すとマリーナやヴィヘラから一体どのような目に遭わせられるか分からないので、今は黙っておく。
「ほら、このままここにいても仕方がない。さっさと洞窟を出るぞ。目的は果たしたんだし、出来るだけ早くギルムに戻るとしよう」
「レイ、降り注ぐ春風の件はどうするの? 一応、ここでの用事が終わった以上、話をした方がいいんじゃない?」
「それは……」
マリーナの言葉に、レイはヌーラに視線を向ける。
ヌーラは何故ここで自分に視線を向けられたのか理解出来ていない。
(オーロラは目が覚めたらまた気絶させればいい。常にヴィヘラが一緒にいることになるけど、まさか放っておく訳にもいかないしな。けど、ヌーラは……一応こっちに寝返った以上、オーロラと同じようにする訳にもいかないんだよな)
レイにしてみれば、ヌーラの取り扱いは難しい。
ヌーラの素性を考えれば……それにニールセンを捕らえて心臓を奪おうとしたことを考えれば、ヌーラを妖精郷に連れていく訳にはいかなかった。
大丈夫だとは思うものの、万が一が起きないとも限らないのだ。
だからこそレイは降り注ぐ春風の妖精郷にヌーラを連れていく訳にはいかなかった。
トレントの森の妖精郷の方は、ヌーラ達をギルムでダスカーに引き渡してから戻ればいいので、特に問題もなかったのだが。
「ニールセンに任せて、俺達は森で待ってるか」
「それが一番かしらね」
最終的に出したレイの結論に、マリーナが同意する。
ヴィヘラもまた、オーロラが目覚めないか警戒しつつ、レイの言葉に異論はないようだった。
「一体何のことだ?」
この中で唯一理解出来ていないのは、ヌーラだった。
「気にするな。今回の件が終わった後で帰る前に、ちょっと寄る場所があるってだけだ」
それが妖精郷であるとは言わずに誤魔化す。
寝返った以上はヌーラも妖精にそこまで執着は持っていないかもしれないが、それはあくまでもかもしれないだ。
また、穢れの関係者の拠点の一つからそう遠くない場所に妖精郷があったと知れば、ヌーラがどう思うのかは分からない。
大丈夫だとは思うが、それを知って悔しく思い、穢れの関係者……それもオーロラよりも上位の存在にその件を教えるといったようなことを考えないとも限らなかった。
オーロラにははっきりと裏切ると口にしてはいるものの、それは妖精郷について聞き出す為の嘘だったと言えば、それが信じられる可能性はある。
穢れの関係者にとって、妖精の心臓とはそこまでして入手すべき物なのだから。
「そうか。詳しい話は知らない方がいいみたいなので、これ以上は聞かないでおくよ」
ヌーラもレイの話が危険だと……それこそ、場合によっては自分の命に関わってくるかもしれないというのを理解したのか、それ以上は無理に聞いてくる様子はない。
そのことに助かりながら、レイは足を速める。
そうして洞窟の出口……岩の幻影によって外側からは隠されている場所に到着した。
特に何かをするでもなく、洞窟から出る。
この洞窟から出るのは初めてという訳ではないが、それでも洞窟から出て後ろを見ると、そこには岩の幻影が存在していた。
レイが見ても、本物の岩との違いは分からない。
それだけリアルな幻影がそこにはあった。
「この幻影は、どうやって作ってるんだ? 何かマジックアイテムでも使ってるのか?」
ふと気になったレイはヌーラに尋ねる。
もしこの岩の幻影がマジックアイテムによるものであれば、そのマジックアイテムは出来れば奪っていきたいと思った為だ。
マジックアイテムを集める趣味を持つレイにしてみれば、そう考えるのは当然だろう。
だが……そんなレイの問いに、ヌーラは首を横に振る。
「悪いが、私も分からない。具体的にこの岩がどうなっているのかは……それこそ、オーロラなら知ってるだろうが」
使えないな。
ヌーラの言葉にレイがそう思ったのは、そうおかしな話ではない。
それを実際に口にすることはなかったが。
(本当にヌーラは高い地位にあるのか? 血筋だけでその地位にいるお飾りだとしても、さすがにこれはちょっと許容出来ないぞ)
もしヌーラが現在レイが自分のことをどのように思っているのかを知れば、もしかしたら怒り狂うかもしれない。
何しろ今までその血筋から大事に扱われてきたヌーラだ。
まさか自分が使えないと思われているとは、思ってもいないだろう。
「オーロラにその辺を聞いておくべきだったか」
レイは自分が持っているオーロラに視線を向けて呟く。
この洞窟の責任者であるオーロラなら、間違いなくこの幻影が具体的にどのような理由でここに存在しているのか知っているだろう。
「もしオーロラが知っていても、それを口にするとは思えないわよ?」
「それもそうか」
ヴィヘラの言葉に、レイもそう答える。
オーロラと話した時のことを思えば、岩の幻影についての秘密を知っていても、それを素直に話すとはレイにも思えなかった。
「出来ればちょっと調べていきたいところなんだけどな」
岩の幻影を見てそう言うレイだったが、すぐにマリーナがその言葉に首を横に振る。
「いつまでもここにいる訳にもいかないでしょう? 今は少しでも早くギルムに戻らないと。でなければ、最悪の結果になるかもしれないんだから」
そう言うマリーナの言葉に、レイも残念そうにしながらも頷くのだった。