2872話
灼熱の地獄は、ネクロゴーレムが完全に消滅……焼滅してからも全く収まる様子はない。
「グルゥ」
遠くに見える灼熱地獄を見ているレイの横に、セトが喉を鳴らしながら着地する。
セトの様子を見る限りでは、かなりさっぱりとした様子だ。
ネクロゴーレムに対して抱いていたストレスは、思う存分攻撃した事で発散させたのだろう。
セトの攻撃以外にも、レイが使った魔法がネクロゴーレムに対しては非常に大きな効果を発揮したのだが、セトにとってはそのような状況でも十分満足出来たのだろう。
とはいえ、だからといってネクロゴーレムを滅ぼすような真似をした結果として、周囲には灼熱地獄が生まれており、その熱が収まる様子は全くない。
「さて、この状況で一体どうしたらいいと思う? ネクロゴーレムを倒すことは無事に出来たが、だからといってこのままにしておくのは不味いだろうし」
少し傷を付ければ腐液を出し、その腐液が触れた場所は毒煙となる。
そんな腐液や毒煙によって周囲に被害を与えない為には、腐液や毒煙そのものを燃やしてしまった方が手っ取り早い。
液体や気体を燃やすというのは表現的におかしいが、レイの魔法ではそのような無茶も可能だった。
その為に行われたのが、レイの魔法……それも一度だけではなく、四度の連続して放たれた魔法だったのだが、その結果としてネクロゴーレムを倒すことは出来たものの、その影響によって周囲の気温はかなり上がっている。
今この時点ではレイには分からなかったが、エグジニスにおいても気温が十度近くも上がるといった状況になっていた。
ようやく暑さも落ち着いて季節は秋になってきたというのに、それがまた夏真っ盛りに戻ってしまったかのような、そんな気温に。
いや、十度近くも上がったとなれば、夏よりも更に暑くなっているのは間違いないだろう。
「グルルルゥ、グルルゥ、グルルルルルゥ」
レイの言葉にセトはそう喉を鳴らす。
それは、この状況ではどうしようもないので、とっととエグジニスに戻ろうと、そのように言ってるのだとレイは理解出来た。
実際、その言葉は決して間違っている訳ではない。
今この状況では自分が何かをしても、意味はないのだから。
いや、実際にはセトのアイスアローや水球といったように氷や水属性のスキルを使ったり、レイも流水の短剣で生み出した水で消火を試みたりといったようことは、やろうと思えば出来るのだが。
ただし、現在灼熱地獄の中で燃えつきたネクロゴーレムが本当に死んだのかどうか、レイにはまだ分からない。
あれだけの魔法を食らったのだから、それでまだ生きている可能性はかなり少ない。
しかし、この場合問題なのは敵がモンスターのような生き物ではなく、ネクロゴーレムであることだろう。
生き物ではなくゴーレム……一種のマジックアイテムに近い存在だ。
その上で、ネクロゴーレムはダイラスが死体を吸収して誕生した存在。
そのような特殊な存在である以上、あの灼熱地獄の中でもまだ生き残っている可能性は否定出来ない。
(それでも、実はかなり元気だとか、そういうことはないと思うけど。もし生きていても、あの灼熱地獄の中でなら、時間が経てば死ぬ可能性があるし。この辺については、俺がどうこう考えるよりも、ローベルやドワンダといった連中に任せた方がいいな)
灼熱地獄を一瞥すると、レイはセトに向かって声を掛ける。
「さて、いつまでもここにいる訳にもいかないし、そろそろ帰るか。セトもいつまでも暑い場所にはいたくないだろ?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは勿論といったように喉を鳴らす。
セトにしてみれば、暑さは我慢出来るものの、だからといって好き好んで暑い場所にいたいとも思わない。
より快適な場所に行けるのなら、そちらの方がいいと判断するのは当然だろう。
そんなセトの鳴き声を聞き、レイはセトの背に跨がる。
「じゃあ、行くか。目的だったネクロゴーレム討伐は終わったし、エグジニスに帰るぞ!」
「グルルルルゥ!」
嬉しそうにセトは鳴き声を上げ、そのまま数歩の助走と共に翼を羽ばたかせながらエグジニスに向かって飛び立つのだった。
「うわ……まぁ、こうなるのも当然か」
エグジニスに戻ってきたレイが見たのは、崩れた正門を……正確には枠の残骸を片付けている者達の姿だった。
正門はエグジニスにとっても権威のある場所だ。
そうである以上、そこを破壊されて瓦礫が積み重なった状態のままにはしておけなかったということだろう。
そんな瓦礫を片付けていた者の一人が、不意に空を飛んでいるセトの姿に気が付く。
一人が気が付けば、続いて他の者達もまた同様に何人もがセトの存在に気が付き……そしてレイとセトがのんびりと空を飛んでいるのを見れば、その意味を理解した者は喜びの声を上げる。
「うおおおおおおっ! あれ見ろ、あれ! レイとセトだ! レイとセトだ! レイとセトだぁっ!」
「ネクロゴーレムが戻ってこないで、レイとセトが戻ってきたってことは……ネクロゴーレムを倒したんだ! つまり、エグジニスは生き残った、生き残ったんだ!」
そんな風に騒ぎ出す者達。
エグジニスにおいては、レイとセトの名前はそこまで知られてはいなかった。
実際には深紅の異名を持つ冒険者ということで色々と知られていたものの、実際にその顔を知っている者は冒険者以外ではそう多くはなかったのだが……エグジニスで起きたネクロゴーレムとの一戦において、その名前は爆発的に広がっていた。
また、街中でセトを連れて歩いている光景を見た者も、レイの顔を覚えている者がいた。
既に多くの者がレイの名前を知り、その顔も知っている。
何より、グリフォンのセトを連れているのだから、そのような者はレイでしかないと、多くの者がそう判断してレイだと認識するのは間違いなかった。
そんな視線を向けられつつ、レイはセトに頼んで地上に向かって降下していく。
近くで見れば、多くの者がかなりの汗を掻きながら作業をしていたのが分かる。
その汗を掻いている理由は、間違いなくレイがネクロゴーレムを倒す時に使った魔法だろう。
(魔法について謝った方がいいのか? ……いや、それについて謝ってもどうかと思うし、今この場で俺が何か言っても困らせるだけだと思う。なら……)
謝る代わりに、レイは別のことを口にする。
「ネクロゴーレムは倒した。ここからかなり離れた場所で、燃えて灰となって消えた。まだネクロゴーレムを燃やした場所はかなり熱いから近付いて確認するような真似は出来ないが、ある程度時間が経てば残骸は確認出来る……いや、残骸も何もないくらいに燃えてしまった可能性が高いから、そういう意味では燃えた場所に行っても見つかるような物はないと思う」
そんなレイの言葉を聞いた者達は、最初意味が分からないよう疑問を抱き……だが、次の瞬間には歓声を上げる。
『うわああああああああああああああああああああ!』
周辺一帯に響き渡る程のその歓声は、それこそ正門の側で瓦礫の撤去作業をしていたような者達だけではなく、エグジニスの中で作業をしていた者達にも十分に聞こえる声だった。
いきなりの声に、それこそ最初はまた何か別のゴーレムやモンスター、もしくは山にいる盗賊達がやって来たのかといったように動揺した者もいたのだが、聞こえてきた声が悲鳴ではなく歓声であると知ると、何が起きたのかは分からないが、少なくても自分達にとって悪いことではないのだろうと判断する。
そうして判断すると、当然のように次は何があったのかと興味を抱く。
エグジニスの中の者達の視線が正門の残骸の方に向けられる中、レイとセトがそこから姿を現す。
そうなれば、当然のように多くの者達も正門前で皆が歓声を上げた理由に納得が出来た。
レイとセトが戻ってきて、ネクロゴーレムはいない。
それが全ての状況を説明していた。
そして再び歓声が上がり、それを聞いたエグジニスの中で瓦礫の撤去作業をしていた者達が疑問を抱き……という風に歓声は広まっていき、最終的にはまるでエグジニス全体が歓声を上げているような状態になってしまう。
(それだけネクロゴーレムが脅威だったってことなんだろうが……この状況で、どうしろと?)
普通に考えれば、ネクロゴーレムを倒したというのはエグジニスの最高責任者……ダイラスが裏切り、ルシタニアが死んだ以上、ローベルとドワンダの二人に報告する必要がある。
しかし、今のこのエグジニスの状況ではローベル達がどこにいるのかも分からず、今からどこに行けばいいのか迷っていたのだが……
「レイ、無事だったみたいじゃな」
「レイの兄貴、無事で何よりだったっす」
不意に聞こえてきた聞き覚えのある声に、視線を向ける。
その視線の先にいたのは、マルカとニッキー。
いつも通りで特に何も起きていないといったような様子でそこにいる様子を見れば、もしかしたらネクロゴーレムが通った大通りが大きな被害を受けているのが何らかの間違いなのでは? と、そんな風にすら思ってしまう。
とはいえ、周囲の状況を改めて見ればそんなことはないと理解出来るのだが。
「ああ、色々と問題はあったが何とかな。……それで、そっちは何でこんな場所に?」
「レイを迎えに来たに決まっておるじゃろう。それにしても、色々と事情があったのは聞いておるが、妾やニッキーには教えてくれてもよかったのではないか?」
マルカのその言葉に、レイはそう言えばマルカと最後に会ったのはいつだったかと考える。
実際には最後にマルカと分かれてからそんなに日数は経っていないのだが、その間に起きた出来事が色々とありすぎたので、もう随分と長い間マルカやニッキーと会っていなかったような気がする。
「悪いな、こっちも色々とあったんだよ。ただ、そうだな。本来ならもう少し早く連絡を取るべきだった。……で、俺を迎えに来たって話だったが、それは誰の使いとして来たんだ? というか、マルカの立場でそんな真似をしてもいいのか?」
こうしてレイと気軽に話しているマルカだが、その実家はクエント公爵家。
ミレアーナ王国の三大派閥のうち、国王派の中でも強い影響力を持っている家だ。
公爵家というのは王族に次ぐ爵位を持つ存在。
そんな公爵家の令嬢が使いぱしりのような真似をしてもいいのかと、そうレイが思うのはある意味で当然だった。
「本来なら色々と問題もあるのじゃろうが……今のエグジニスの状況を考えれば、それはとてもではないが普通とは言えぬじゃろう? ならば、妾も出来ることをするべきじゃ」
「ってことっす。……とはいえ、この状況でお嬢様に出来ることはないっすから」
はぁ、とニッキーが大きく……これ見よがしに溜息を吐く。
あるいは、これでモンスターや盗賊の類がエグジニスを襲っているなら、それに対処する為に力を持つマルカと護衛のニッキーの出番もあっただろう。
だが、現在敵らしい敵は存在しない。
唯一にして最大の敵だったネクロゴーレムも、レイとセトによって焼滅させられていいる。
あるいは、建物の残骸を纏めてどうにかしたい時は、マルカの魔法が役に立つかもしれないが……生憎と、今のところそのような要請はない。
「まぁ、それはいいけど。じゃあ、マルカはローベル達と協力体制をとってるのか?」
「そうじゃな。レイがいない間にも色々とあったのじゃよ。それこそ中には意味もなくこの街の者達を責める者もいたのじゃが、その辺は取りあえず現状ではどうにかなっておる」
どうにかとは?
一瞬そうレイは思ったものの、レイはその辺は別に聞かなくてもいいと判断する。
そもそもの話、聞いてもそれは決してレイにとって面白い内容ではないと思えたのだ。
だからこそ、改めてそのようなことを聞くのではなく、素直にマルカに案内されることにする。
実はここでマルカがドーラン工房やダイラスと繋がっていて……といったようなことは、全く考えていない。
レイにしてみれば、マルカの性格は十分に知っている。
それこそドーラン工房やダイラスと協力関係にあるということは、まず考えなくてもいい筈だった。
「じゃあ、案内を頼む。どこに行くんだ? 聖なる四会合をやっていた場所は、ネクロゴーレムに完全に破壊されたけど」
「エグジニスを実質的に動かしておる建物じゃな」
この場合の、実質的にというのは別にローベルやドワンダが張りぼての権力者であるという訳ではなく、事務仕事をしている者達が働いている場所……一種の役所に近い場所のことだ。
マルカの説明でレイにもそれは分かったので、大人しくそれに従う。
そうしてレイはマルカとニッキーの二人に話し掛けられ、それに答えながらもエグジニスの大通りを進むのだった。