2870話
ネクロゴーレムの視線を向けられたクロウは、再度短剣を投擲しながら正門に向かって駆け出す。
当然のようにネクロゴーレムはそんなクロウに向け、手を伸ばし……
「回避しろ、クロウ!」
レイが鋭く叫んだ瞬間にクロウは回避し、同時にネクロゴーレムの腕から触手が放たれる。
タイミングよく行動したクロウは、そんな触手の一撃を無事回避することに成功する。
もしクロウが触手の攻撃を見てから回避しようとした場合、恐らく回避することは出来なかっただろう。
レイの叫びに咄嗟に反応したからこそ、何とか触手の一撃を回避出来たのだ。
幸い、触手の攻撃を連発されずにすみ、クロウは正門を潜り抜けることに成功する。
そんなクロウを追って、ネクロゴーレムもまた動き出す。
先程まで正門の前で身動きしなかったというのに、今度は躊躇することなく正門に向かい……あっさりと正門の枠を破壊しながらエグジニスの外に出た。
「よし、後はクロウか。セト、頼む。さっきの弓を使っていた男の要領だ。あの男の場合はかなり無理矢理だったけど、クロウならその辺は大丈夫だと思う」
先程の男とクロウの違いとして、怪我の有無がある。
踏み潰されるのを助ける為とはいえ、レイの放った槍の投擲によってネクロゴーレムは膝裏から貫かれ、その結果として男は腐食液に触れることになってしまった。
それに比べるとクロウは特に怪我らしい怪我をしておらず、また腕利きの暗殺者ということもあって体術にも優れている。
またクロウの身体からは毒煙を放っていないので、前回のように速度をそこまで出さなくてもいいというのも影響を与える筈だった。
「グルゥ!」
レイの言葉を聞いたセトは地上に向かって降下していく。
当然ながら、クロウはすぐにそんなセトの存在に気が付く。
「レイ!?」
セトの姿を見ながらも、クロウの口から出たのはレイの名前だ。
レイはセトの背に乗っているので、そういう意味ではレイの名前を口にしてもおかしくはなかったのだろうが。
「セトの足に掴まれ!」
端的に指示するレイだったが、クロウはすぐにレイの言いたいことを理解したのか、降下してきたセトの足に掴まる。
それを確認したセトは、再び翼を羽ばたかせて高度を上げる。
次の瞬間、クロウのいた場所に向かって再度ネクロゴーレムの触手が放たれ、地面を抉る。
まさに間一髪といったところだったが、そのような状況になったクロウは特に安堵したりしている様子はない。
「無茶をしたな!」
「する必要があっただろ!」
空を飛びながら、それもセトの背の上と足にぶら下がりながらなので、どうしても話をする時は怒鳴りながらになる。
「それは間違いないけどな! ただ、お前がネクロゴーレムに狙われた時に俺達が助けなかったら、どうなっていたと思うんだよ!」
「助けに来ただろ! それで、これから一体どうするつもりなんだ!?」
「ネクロゴーレムは無事に街の外に出たから、後は離れた場所まで連れて行って倒す! ただ、その前にお前をどうにかする必要があるけどな!」
触手の攻撃は素早く、セトも余裕を持って回避出来る訳ではない。
そんな状況で前足にクロウをぶら下げていた場合、セトが攻撃を回避したつもりでもクロウの身体に触手が命中する可能性は十分にあった。
それは触手の攻撃だけではなく、紫のブレスについても同じだ。
だからこそ、前もってクロウをどうにかする必要があるのは間違いなかった。
クロウもそんなレイの考えは理解しているのか、不満を言うつもりはない。
「一旦ネクロゴーレムの周辺を回りながら、セトが地上近くでクロウを離す! クロウはそれで街中に避難してくれ!」
「分かった!」
クロウはレイの言葉に素早く返事をする。
それを聞きながら、レイはセトの首の後ろを軽く撫でる。
「じゃあ、そういうことで……セト、頼む」
レイの言葉にセトは喉を鳴らしてネクロゴーレムに向かって近付いていく。
既にネクロゴーレムは完全にエグジニスの外に出ており、そういう意味ではクロウのおかげで一番難易度が高かった状況をどうにかしたということになる。
ネクロゴーレムは先程と同様にセトに自分の獲物を横から掻っ攫われたのが面白くなかったのか、自分に向かって近付いて来るセトに対し、拳を振り上げ……そして振り下ろす。
触手の一撃とは違って拳の一撃の速度はかなり遅いが、代わりに一撃の威力という点では圧倒的なまでに優れている。
とはいえ、どのような威力の攻撃であっても当たらなければ意味はないのだが。
セトは素早くその一撃を回避し、ネクロゴーレムの側を通りすぎるようにして離れていく。
ネクロゴーレムの横を通り抜け、次にセトは正門に向かう。
ただし、正門は既にネクロゴーレムによって破壊されている。
その場所にクロウを突っ込ませるような真似をしても、まともに正門を通り抜けるような真似は出来ない。
もっともクロウの能力を考えれば、瓦礫を乗り越えるといったような真似をしてもおかしくはないのだが。
「このまま、あの瓦礫のある場所に俺を離してくれ!」
レイとセトに向かい、クロウはそう叫ぶ。
いいのか? とレイは思ったものの、クロウがそう叫ぶのなら何とか出来るという見込みがあるのだろう。
「セト」
「グルルゥ!」
レイの言葉に喉を慣らしつつ、地上に向かって降下していき正門の残骸がある場所に向かってクロウを離す。
クロウは空中で身体を動かして軌道を変更し、正門の瓦礫の上ではなく、そのすぐ側にある地面に着地すると、即座に瓦礫を乗り越えてエグジニスの中に入っていく。
その素早さは、さすが暗殺者という感想を抱くのに十分な行動だった。
クロウの行動にレイは感心した様子を見せたレイだったが、すぐにまたネクロゴーレムの方に視線を向ける。
セトがクロウを離したのを見ていたのか、いないのか。
その辺りはレイにも分からなかったものの、セトはすぐに再び上空に……ネクロゴーレムの頭部のある場所に向かって上昇していく。
そんなセトに向けてネクロゴーレムは触手を放つ。
セトは翼を羽ばたかせて回避しながら、ネクロゴーレムとの間合いを詰めつつ、その顔のすぐ前を飛ぶ。
明らかな挑発以外のなにものでもない行動。
……もっとも、同じような行動を今まで何度も行っているだけに、そんなセトの行動にどこまで挑発する意味があったのかは分からなかったが。
「よし、後はネクロゴーレムを引き付けつつ、エグジニスから距離を取るぞ。ある程度離れることが出来れば、ネクロゴーレムを殺せる!」
「グルルゥ!」
やる気を見せるセトの様子を確認しつつ、レイはエグジニスの方を……正確には正門の方を見る。
クロウの件ではなく、先程無理矢理エグジニスの中に突っ込んできた馬車の一件から、正門の外側にはまだ結構な人数が集まっているのではないかと、今更ながらに思った為だ。
だが、先程クロウを離した時にも確認したが、そこにはやはり誰の姿もない。
疑問に思ってより詳細に周囲の状況を確認すると、正門からかなり離れた場所に結構な人数が集まっているのが確認出来る。
(なるほど。纏まって避難はしていたのか。なら、それはそれで問題はないか)
正門の近くにいなかったのは、ネクロゴーレムがそこから出てくると言われていたからだろう。
それを聞き、素直にその場から退避した辺り聞き分けのいい者達が集まっている。
……もっとも、命令を出したのはローベルとドワンダという、エグジニスを動かしている者達だ。
これからエグジニスでゴーレムを買おうとしたり、あるいは何らかの用事があってやって来たのに、街に入る前にエグジニスの最高権力者とでも呼ぶべき者達の不興を買うのは最悪だと判断すれば当然だったが。
悪趣味な馬車に乗った者達については、貴族か何かで、そのような命令をされてもどうにかなると判断していたのだろう。
避難していた者達から視線を逸らし、レイは改めてネクロゴーレムの方に視線を向ける。
今まで何度もその行動を邪魔してきた為か、ネクロゴーレムの視線は真っ直ぐセトに向けられていた。
「セト、準備はいいか? ネクロゴーレムをエグジニスから離すぞ。向かうのは、街道とかがない場所だ」
街道の側でネクロゴーレムを攻撃した場合、当然ながら街道にも腐液や毒煙による被害が出ることになる。
街道の修繕の手間を考えれば、やはりここはそのような真似が必要のない場所……街道から外れた場所に移動した方がいい。
そんなレイの判断により、セトは街道から離れた方に向かっていき……
「こっちだ、ついてこい!」
その叫びと共に、レイは使い捨ての槍をネクロゴーレムの足元に向かって投擲する。
本来ならネクロゴーレムの顔の側を通るように投擲したかったのだが、ネクロゴーレムの後ろにあるのはエグジニスだ。
ここで下手に槍を投擲した場合、その槍がエグジニスに被害を与えかねない。
そうならないようにする為には、顔ではなく足の近くにある地面に向かって投擲するのが最善だった。
槍がネクロゴーレムの足のすぐ横に突き刺さり、まるで爆発したかのように周囲に土砂を撒き散らかす。
当然だが、その土砂はネクロゴーレムにも降り掛かる。
とはいえ、レイにしてみればネクロゴーレムが自分に降り掛かった土砂を気にするかどうか……不愉快に思うかどうかは、分からなかった。
それでも今回のようにしたのは、これで多少なりとも嫌がらせになり、ネクロゴーレムが自分に敵意を向けてくれればと思ったからだったのだが……そんなレイの行動は、予想以上の成果をもたらす。
ネクロゴーレムの動きが今まで以上に素早くなったのだ。
もっとも、ネクロゴーレムの動きそのものは今までもそこまで素早い訳ではなかった。
その巨体から一歩の歩幅が大きかったので、そういう意味では動きが鈍い訳でなかったのだが。
ただし、触手の一撃のように鋭い一撃でなかったのは間違いない。
「土砂を掛けられたのが気にくわなかったのか? なら……」
ネクロゴーレムを誘導するように速度を落とし、ある程度の距離を保って飛ぶセトの背の上で、レイは再び使い捨ての槍を取り出し、投擲する。
放たれたその一撃は、ネクゴーレムの足元に再度命中し、先程と同じように周囲に土砂を撒き散らかす。
その土砂は当然のようにネクロゴーレムにも降り掛かる。
レイの攻撃に苛立ったのか、ネクロゴーレムが手を伸ばしたのを見たレイは素早く叫ぶ。
「セト!」
「グルゥ!」
レイの叫びに素早く反応したセトは、翼を羽ばたかせながらその場から退避する。
次の瞬間、ネクロゴーレムの放った触手の一撃がセトのいた場所を貫くものの、その行動は遅かった。
ネクロゴーレムにしてみれば、自分の攻撃が通用しないのも苛立つのか、あるいはその核となっているダイラスにはそのような感覚が残っているのかどうかはレイにも分からないが、ともあれ次に大きく口を開く。
「セト!」
短く名前を呼ぶだけで、セトはレイが何を言いたいのかを理解し、素早く飛ぶ方向を変化させる。
この辺りの阿吽の呼吸は、レイとセトが深く結びついているからこそだろう。
そうしてセトがいなくなった場所を、紫のブレスが通りすぎていく。
(ここまで来たら、もう好きにブレスを使っても構わない。いや、当然だがブレスを使うにも何らかのエネルギー……魔力か? それとも他の何かかは分からないが、そんな風に使っている筈だ。なら、エグジニスから出た今なら、寧ろ出来るだけ多く使わせた方がいいのは間違いない)
エグジニスの中でレイがネクロゴーレムにブレスを使って欲しくなかったのは、街に被害を与える為だ。
それが建物であったり、あるいは人の命であったり。
実際に何度かネクロゴーレムが使った紫のブレスによって、エグジニスが受けた被害はかなり大きい。
しかし、今はそのようなことを全く気にする必要がない。
……もっとも、触手の攻撃と同じくらいの速度で放たれるブレスである以上、当然だがその攻撃を回避するのはセトだからこそ出来ているのだが。
「怒れ、怒れ。その調子でずっと俺を追って来い。エグジニスに戻るなんて真似は絶対にするなよ」
このままレイとセトを無視して、エグジニスに帰るというのが、レイにとってはまさに最悪の出来事だった。
だからこそ、今は少しでも敵の注意をこちらに引き付けるように行動する必要があり……そういう意味では、レイの狙いはこれ以上ない程に成功し、ネクロゴーレムはレイとセトを自分の倒すべき敵と判断して、エグジニスから離れてでも追ってくるのだった。