2819話
オルバンとの話し合いが終わると、レイは自分の部屋に戻ることにする。
本来ならオルバンももう少しレイと話をしていたかったのだが、用件だけで終わってしまったのは忙しさからだろう。
それを示すように、いつもならサンドイッチのように軽く摘まめる料理があったりするのだが、今日は何もなかった。
風雪のアジトにゴーレムで穴を掘って侵入してくるという、全く予想していなかった方法で襲撃されたのだ。風雪を率いる人物として、オルバンにも現在の状況に色々と思うところがあるのは当然だろう。
だからこそ、現在のオルバンは非常に忙しい。
(そう言えば、目の下に隈があったような……多分、眠っていないか睡眠時間が短いんだろうな)
レイ達は朝方からではあったが、それなりに眠ることが出来た。
だが、オルバンを始めとした他の面々は、それこそ寝る暇もないくらいに昨夜の後始末に追われていたのだろう。
(ん? でも……)
ふと疑問に思ったレイは、自分の隣を歩いているニナに視線を向ける。
オルバンですら疲れている様子を見せ、目の下に隈があったように思えたのに、ニナは全く疲れている様子を見せていない。
「どうしました?」
レイの視線に気が付いたのだろう。ニナが自分を見ているレイに不思議そうに尋ねる。
これがレイ以外の相手なら、自分の美貌に目を奪われているといったように考えてもおかしくないのだが、レイの仲間にはエレーナ、マリーナ、ヴィヘラといった圧倒的な美貌を持つ女達がいる。
……実際にはその三人以外にもビューネやアーラといった仲間がいるのだが、そちらについては知らないのか、知っていても美貌という点では数にいれてないのか。
そのような相手を身近に置いているレイだけに、自分に見惚れているという可能性はニナには考えられなかった。
「いや、ニナも昨夜から休まないで働いていたんだろ? その割には疲れた様子がないと思ってな」
「そうですか? まぁ、女には色々と秘密があるんですよ。顔に疲れを出さないというのも、その秘密の一つです」
そう言い、笑みを浮かべるニナ。
実際に疲れていないのか、それとも疲れていてもそれが顔に出にくいだけなのか。
その辺りはレイにも分からなかったが、今の様子を見る限り疲れ切っているという訳ではないのは理解出来た。
本当に疲れ切っている場合は、もしただ顔に出ないだけであっても動きのどこかに影響は出るのだ。
レイもニナについて全てを知っている訳ではない以上、絶対にニナが疲れていないとは言い切れなかったが。
「そうか、ならいい。ニナは風雪にとっても重要な位置にいるんだろ? そんなお前が疲れ切っていて全く動けないということにはならないですんだみたいだしな」
「そこまで風雪のことを心配して貰えるのは嬉しいです。組織の中には時々交渉の重要さを理解出来ないような人もいるんですよ」
「あー……まぁ、そういう奴もいるだろうな」
交渉をするよりも力で示した方がいいと考える者がいるのはレイも知っている。
それが全て間違っている訳ではないにしろ、一切交渉の類をしないとなると、際限なく敵が増えていくことになってしまう可能性が高い。
余程のことがない限り、最終的に詰むことになるのは間違いなかった。
「交渉のおかげで色々と助かってる人も多いんですけど、その辺の事情を理解出来ない人も多いんですよ。……失礼しました。愚痴になってしまいそうですね」
レイに愚痴っていたことを謝るニナ。
同じ風雪の仲間にならともかく、レイに向かって思わず愚痴ってしまいそうになってしまっている辺り、表情や態度には出ていないものの相応に疲れているということの証だろう。
「気にするな。そういうこともあるだろ。……さて、そろそろだな」
自分達の借りている部屋が近くなってきたのを察して、レイがそう言う。
同じような通路が続いている作りになっているものの、それでも何度も同じ場所を通っていればレイにも何となく理解出来るようになる。
ニナも周囲の様子から部屋に戻るのは近いと理解していたので、素直に頷く。
「そうですね。では、レイ様は今日は外に出掛けるような真似はせず、ゆっくりと身体を休めて下さい。今夜の襲撃の時にレイ様が寝不足で実力が発揮出来ないということになると不味いですし」
そう言われると、レイも首を横に振ることは出来ない。
自分の体調を心配してそう言ってるのが明らかだった為だ。
ただ……ゆっくりと身体を休めるにしても、その前にやっておくべきこともある。
「なら部屋に戻る前に一度セトに会いに行ってもいいか? 昨夜の件でセトも活躍したって話だったし、褒めておきたい。それに……俺に会えばセトも喜ぶだろうしな」
昨夜の件というのが何を言ってるのかは当然ながらニナにも分かった。
本来なら昨夜の襲撃はゴーレムを使って地中から奇襲し、その後に地上から正規の出入り口を使って二正面作戦をするつもりだったのだ。
だが、それを防いだのが、セト。
そうである以上、それを行ったセトはレイに褒めて欲しいと思うのは間違いない。
セトとの付き合いも長い――それこそ魔獣術によって生まれた時から――レイだからこそ、セトが何を期待しているのかは予想出来た。
「そう、ですね。そのくらいなら問題ないと思います。では、まずは地上に向かいますか?」
「そうしてくれ」
こうして、レイとニナは地上に向かうのだった。
「グルルルルゥ!」
地上に出て来たレイの気配を察したのか、セトは嬉しそうに喉を鳴らす音が階段を上がったばかりのレイの耳にも聞こえてくる。
そんなセトの鳴き声に導かれるようにレイは建物から出ると、すぐにセトがやって来た。
嬉しそうに喉を慣らしつつ、レイに向かって顔を擦りつける。
「セト、元気だったみたいだな。お前のお陰で昨日は助かった。ありがとな」
「グルルゥ!」
レイに撫でられながら気持ちよさそうに目を細めつつ喉を鳴らすセト。
猫科である獅子の下半身を持つセトだったが、そうして喉を鳴らしている様子からは上半身の鷲の部分もまるで猫科のように思えてしまう。
そんなセトを撫でていると、ようやくセトも多少は落ち着いてきたのか、はしゃぐのを止める。
「落ち着いたな。……セト、今日は夜に用事があるから、お前と一緒に外を出歩いたりは出来ないんだ。悪いな」
「グルゥ」
レイの言葉に残念そうに鳴くセト。
そんなセトの様子に、門番の二人が何かを言いたそうにするも……近くにニナがいるせいか、黙ったままだ。
門番達はセトと一緒にいる時間が長く、しかも昨夜は一緒に戦ったのだ。
最初こそセトの存在を怖がっていたものの、今となっては門番達はセトに好意的な感情を抱いている。
それでも何も言わなかったのは、幹部のニナが側にいる為だ。
直接の上司という訳ではないが、だからといってここで妙な姿を見せる訳にいかないのも事実。
ここで妙な姿をニナに見せれば、後々何らかの罰が下る可能性がある。
そうならないようにする為には、やはりここは波風を立てずに大人しくしている必要があった。
「その代わり、夜の用事にはセトにも付き合って貰うからな」
「グルルゥ? グルルルルルゥ!」
レイの言葉に嬉しそうな様子を見せるセト。
レイの用事に自分が一緒に行けるかどうか分からなかったのだが、レイの口から一緒に行けるということを聞いたのだ。
レイが大好きなセトが喜ばない訳がない。
「え? レイ様、本気ですか?」
と、レイとセトのやり取りを見ていたニナが、セトを連れていくというレイの言葉を聞いてそう尋ねる。
だが、レイはそんなニナの言葉に何を言ってるんだ? といった様子で視線を向けて口を開く。
「アジトの中じゃなくて外なんだから、セトを連れていくのは当然だろう?」
レイにしてみれば、風雪のアジトの中での戦いはセトの大きさから一緒に行動するのは無理だと理解していたものの、今回は自分達が襲撃する側だ。
そうである以上、そこにセトが一緒にいるのは当然の話だった。
セトの能力は、当然ながらレイが一番知っている。
もし襲撃する標的が屋敷から逃げ出そうとしても、セトであればそれを見つけることは容易だろう。
また、屋敷の外にいるだろう敵を倒すのも、あるいは援軍としてやって来るだろう相手に対処するのも、セトは大きな力を発揮するのは間違いなかった。
だからこそ、レイは自分の相棒のセトを襲撃に連れていくつもりだった。
「寧ろ俺はニナがセトをしゅ……いや、今夜の用事に連れていかないと思っていた方に驚くぞ」
襲撃と言いそうになったレイは、それを何とか誤魔化す。
今この状況で襲撃という言葉を口にしてしまえば、どこからどう話が漏れるか分からない。
この周辺には現在特に部外者の姿は見えないのは事実だ。
レイが最初にスラム街に来た時にそこの住人に聞いてすぐに分かったように、ここが風雪のアジトであるというのはスラム街の住人なら知っていて当然のことなのだろう。
だからこそ、この建物の周辺には特に何か用件がない限り近付かない。
ましてや、昨夜の襲撃の件は当然ながらスラム街の中でもそれなりに情報は広がっており、それによって風雪が神経質になっているのも容易に想像出来る。
そのような状況でわざわざ何の意味もなくこの辺りに近付くような者は……それこそ自殺志願者くらいのものだろう。
あるいは、少しでも風雪やレイの情報を集めてドーラン工房に売りつけようとしているような者達か。
幸いにも昨日の今日ということもあってか、今ここにそのような真似をするような者はいない。
(いや、昨日の今日だからこそ、そういう奴がいてもおかしくはないんだが。……まぁ、その辺についてはいいか。警戒しなくてもいいのは楽だし)
口を滑らせ掛けたことを誤魔化すように、レイは再び口を開く。
「セトの能力はニナも十分に理解しているだろう? なら、セトを連れていかないという選択肢はない。……違うか?」
「それは……」
ニナもレイの言葉に一理あるのは理解出来る。
事実、セトの能力の高さはニナも昨夜の件で十分に知っているし、レイやセトについての情報を集めた者の一人がニナなのだから。
「納得して貰えたようだな。なら、セトも今日は一緒だ」
「グルゥ!」
レイの言葉で自分が一緒に行動出来ると知ったセトが嬉しそうに喉を鳴らす。
セトを撫でるレイ。
そんな一人と一匹を見ながら、ニナは諦めたように息を吐く。
実際セトがいれば助かることが多いというのも、この場合は影響してるのだろうが。
何しろセトは空を飛べるのだ。
襲撃をする上で、空を飛べるというのは非常に大きな意味を持つ。
……本来なら街中でセトが飛ぶといったようなことをした場合は警備兵に捕まってもおかしくはない。
しかし、今のエグジニスの警備兵はドーラン工房の……あるいはその裏にいる人物によって買収されている者も多い。
全員が買収されている訳ではなく、きちんと自分の中にある正義に従って行動している警備兵もいるものの、そのような人物は当然ながら煙たがられる。
そして影響力という点では当然のように買収されている者の方が大きく……そういう意味では、今となってはやはり警備兵は信頼出来ない。
だが、そのおかげでレイがセトに乗ってエグジニスの上空を好き勝手に飛んでも、警備兵側で出来ることは多くなかった。
それを理由としてレイを捕らえるといったような真似も出来るだろうが、問題なのはそのように行動することが出来るというのと、本当にレイを捕らえられるかというのは全く別の話だということだろう。
エグジニスにはそこそこの冒険者はいるものの、レイをどうにか出来る冒険者はいない。
これがレイの拠点であり、辺境だからこそ多数の腕利きの冒険者が集まってくる――現在は増築工事で低ランク冒険者も多数集まっているが――ギルムなら、レイ以外にも結構な数の異名持ちであったり、ランクA冒険者がいるので単独でレイに対処出来る者もいるのだが。
あるいは単独ではレイに対処出来ずとも、集団で行動すればレイを押さえられる可能性を持つ者もいる。
……ただし、レイを捕らえるということはセトを捕らえるということでもある。
その時点でセト愛好家の者達を敵に回すことになるのだが。
そしてセトの愛好家の中には有力な冒険者も多い。
それ以外にも店を経営している者もいる。
そのような者達を敵に回してまでレイをどうにかするかと言われれば……普通ならまずそんな真似はしないだろう。
どうしてもそのようにしなければならない理由、それこそギルムという街が崩壊するかもしれないということにでもなれば、話は別だったが。
そんな、ある意味で災害に近い存在と言ってもいい一人と一匹は、楽しそうに遊ぶのだった。