2818話
オルバンとレイの話し合いは、まずはオルバンが感謝の言葉を口にして頭を下げることから始まった。
これは普通なら到底有り得ないことだ。
この場合の有り得ないというのは、ニナが知っているオルバンはそう簡単に頭を下げるような真似をしないというのもそうだし、それ以外にも話し合いの最初に頭を下げるという行為そのものが有り得ない。
そのような真似をすれば、当然のように主導権を相手に渡してしまうことになる。
ここは交渉の場ではなく、あくまでも話し合いの場だ。
しかし、それでも相手に主導権を与えるというのは決して好ましくないのは事実。
レイとオルバンが友好的な関係にあってもそれは変わらない筈だった。
当然のようにオルバンも風雪を率いる者としてそのようなことは分かっている筈だったのだが、それでもこうして頭を下げたということは、そこに何らかの意味があるのは間違いない。
オルバンの隣に座っているニナはそう判断してオルバンの考えを読もうとするも……生憎とその理由について思い当たることはなかった。
……実際、オルバンがレイに頭を下げたのは何らかの思惑があってのものではなく、本当に心の底から感謝しているからというのが大きい。
もしレイがいなければ、昨夜の襲撃で一体どれだけの被害を受けていたのかは考えるまでもないのだから。
そうして混乱しているニナをよそに、レイとオルバンの会話は続く。
「ドーラン工房が仕組んだのは間違いないが、侵入してきた暗殺者達も雇われたからといって一方的に利用された訳じゃなくて、風雪を排除したい思いがあった訳か」
「そうなるな。事実、風雪と友好関係にある組織からは暗殺者が派遣されていないし、そんな依頼があったという連絡も来ていない。最初から俺達と親しい組織以外に声を掛けたんだろう」
「風雪に友好的な組織があったのか?」
「当然だろう。レイは俺達を何だと思ってるんだ?」
レイの言葉には納得出来ないといった様子のオルバンだったが、レイは当然といった具合に言葉を返す。
「エグジニスにおける最大の暗殺者ギルドだろう? ……そんな組織だからこそ、友好的な組織はないと思ったんだけどな。下部組織なら話は分かるが」
「こっちも色々とあるんだよ」
レイの言葉は完全にではないにしろ、若干はオルバンの図星を突いていたのか、オルバンはそっとレイから視線を逸らす。
「その辺はいいとして。……問題なのは、これからどうするかだな。エグジニスを動かしている中でドーラン工房と繋がってる奴は見つかったのか? そっちの調査は風雪に任せるって話だったよな?」
レイとしては、ドーラン工房がここまで無茶をやるようになった以上、もう情報収集を待っているようなつもりはない。
それこそ誰かが怪しいと思ったら、証拠固めをする前でも殴り込みをすればいいと思ってしまう。
当然だが、もしそのような真似をした場合は色々と問題になるだろう。
その辺については、レイがダスカーやエレーナ、マリーナといった面々とのコネを使えばどうとでもなるだろうし、それ以前にエグジニスを動かしていた者達がドーラン工房の真実……具体的には盗賊を呼び寄せたり、違法奴隷を使っていたり、そのような者達の魂をネクロマンシーの儀式によってゴーレムの核にしていた……といったことを知ればどうなるか。
普通に考えれば、何とか揉み消してなかったことにしようとするだろう。
だが、もしこの状況でそのような真似をするとなれば、第一にその秘密を知っている者達の口を封じる必要がある。
当然のように、その中にはレイも存在している。
実際には秘密を知っているどころか、ドーラン工房がネクロマンシーの儀式で使っていた祭壇を持っているのだが。
そのような状態である以上、エグジニスを動かしている者達が口封じをするような真似は不可能だ。
何よりもエグジニスを動かしている者のうちの一人であるローベルは、レイ達……正確には風雪の味方だ。
だからこそ、今の状況では余計にレイを排除するといった真似は出来ない。
ましてや、レイからドーラン工房の秘密について聞いている風雪もいる。
レイだけではなく、エグジニス最大規模の暗殺者ギルドである風雪を敵に回すという選択をするかどうかと考えれば、普通はしないだろう。
「かなり強引な真似をしても、問題ないと思うんだけどな」
「そうだな。俺もそのつもりだ」
「……そうなのか?」
てっきり自分の意見は却下されると思っていただけに、レイにとってオルバンの言葉は少し意外だった。
レイとそれなりに話の合う相手ではあったが、同時に慎重派であるという認識をレイは持っている。
「ああ。ここまでやられて大人しくしていると、風雪の名前に傷がつく」
「ああ、なるほど」
風雪のアジトに侵入するような真似をされて、そのままにはしておけないということなのだろう。
捕らえたり、死体からその暗殺者の所属が分かれば、そこに対して追い込みを掛けるのは間違いない。
だが、昨夜侵入してきた暗殺者達はあくまでもドーラン工房の、そして裏で糸を引いている者の手先でしかない。
オルバンが潰そうとしているのは、それを指示した者達。
(そこまでやらないと、敵によってアジトに侵入された風雪の名前に傷がついたままってことか。その辺は俺にはあまり分からないけど、オルバンがそう言うのならそうなんだろうな。それにこのまま無駄に時間を潰すよりも、強引に物事を動かした方が俺にとってもやりやすいし)
レイも自分で望んで大きな騒動を起こそうとは思っていない。
だが、今の状況を思えばそうした方が手っ取り早く話が進むのは事実。
そうである以上、レイにオルバンを止めるつもりはない。
「それで強引に行くって話だったけど、具体的にはどうするんだ? 今すぐに正面から乗り込むのか?」
「さすがにそれは難しいだろう。強引に行くとは言ったが、エグジニスの住人を無意味に怯えさせるつもりはない。それはレイも同様だろう?」
「それは……まぁ、そうだな」
レイが敵対してるのは、あくまでもドーラン工房の主流派の面々と、その背後にいる者であって、エグジニスという街ではない。
……実際にはジャーリス工房を襲撃した冒険者であったり、ドーラン工房に買収されていると思しき警備兵達もいるのだが。
細かいところを言っても意味がない以上、大まかにはやはりドーラン工房とその背後にいる者達となる。
オルバンの隣にいるニナもまた安堵する。
レイが言っていたように今すぐこれから怪しい相手の住んでいる場所に殴り込みを行うといったような真似をした場合、交渉を担当とする自分がもの凄く忙しいことになるだろうと考えていたので、オルバンがレイの提案を断ってくれて本当に助かった。
とはいえ、現在の状況を思えば悠長にしていられる筈もなく……
「なら、どうするんだ? このまま時間を掛ければ、それこそ風雪は襲撃されても何も反撃しないといったようになると思うが」
「分かっている。何もしないとは言っていない。……今夜だ。今夜襲撃を仕掛ける。怪しい……というか、状況証拠的にまず間違いなく真犯人と思しき者がいる。出来ればしっかりとした証拠を確認してから攻めたかったんだが」
「そちらに関しては、私に任せて下さい。捕虜にした者を交換条件にして、幾つかの組織に交渉を持ちかけてみせます。上手くいけば……」
「出来るのか?」
「はい。全力をつくします」
オルバンとニナの会話を聞いていたレイだったが、本当にそれで大丈夫なのか? と疑問に思う。
風雪のアジトに侵入した者達については、それを依頼したのは誰か分からないようになっているのではという話だった為だ。
あるいはドーラン工房には辿り着けても、その裏にいる相手については辿り着けないようになっているといった話を聞いていたし、レイも恐らくそうなのだろうという予想はあった。
そのような状況で、ニナの言うように組織と交渉をしたところで黒幕の場所まで辿り着けるのか。
そうレイが疑問に思うのも当然の話だった。
……とはいえ、オルバンがニナを信用して任せると言っている以上、ここでレイが口を挟むのもおかしな話ではあったが。
「今夜か」
「その予定だ。レイにも協力して貰えると考えていいのか?」
「勿論だ。この状況で相手の好きなようにさせておくとなれば、次は一体どういう手段に出るか分からないしな」
ジャーリス工房を襲撃させ、警備兵を買収してそれを取り押さえず、助けに来たレイを捕らえようとした。
スラム街でゴーレムを暴れさせ、夜中には地中を掘るゴーレムを持ち出して風雪と敵対している、あるいは面白く思っていない暗殺者ギルドを雇って風雪のアジトに侵入させた。
今でさえこのような手段を取ってる以上、次に一体どのような攻撃をしてくるのか、想像も出来ない。
この場合はレイも想像出来ないような攻撃をする相手を褒めればいいのか、あるいはそのような馬鹿な真似をしていると責めればいいのか。
ともあれ向こうがどのような手段で攻撃してくるのか分からない以上、そのような真似をさせない為には防御一辺倒ではなく攻撃をするというのは決して間違っていない筈だった。
「どんな手段、ですか。昨日の諸々の一件はドーラン工房と、その裏にいる者。どちらの考えだったのでしょうか」
ニナのその言葉に、レイは自分の右腕に嵌まっているミスティリングを見る。
「多分ドーラン工房だとは思うけどな」
そうレイが言うのは、やはりミスティリングに収納されている祭壇の件が大きい。
今までの向こうの反応から、恐らくレイが奪った祭壇はドーラン工房にとってもかなり貴重な物なのだろうというのは容易に予想出来る。
そこまで貴重な物なら、いざという時の為に予備があってもよさそうだが。
(あるいは貴重だからこそ、予備がないのか)
金を出せば買えるといった、高額だからこそ貴重な物ならゴーレム売買で儲けているドーラン工房にしてみれば、すぐにでも代わりを購入出来るだろう。
だが、祭壇が金を出しても購入出来ないような希少なマジックアイテムの類だとすれば、どうか。
幾ら金を持っていても、商品となる祭壇そのものがなければ購入しようと思っても入手することは不可能になる。
レイとしては、ある意味で一番理想的な展開でもあった。
自分が祭壇を持っていれば、これ以上人の魂を使ってゴーレムの核を作るといったようなことが行われる可能性が少ないのだから。
「ドーラン工房か。厄介だな。そこの裏にいるということは、ドーラン工房のゴーレムを入手している可能性が高い。昨夜の一件に使われたゴーレムもドーラン工房が用意したものだろうし。そうなると、今夜の襲撃の時にはドーラン工房のゴーレムと遭遇する可能性は高いな」
微かに眉を顰めたオルバンが、嫌そうに言う。
オルバンにしてみれば、今回の一件は本当に厄介だという思いがあるのだろう。
実際にレイもまたそんなオルバンの言葉に異論はない。
スラム街で戦ったゴーレムは自立性の類はあったものの、そこまで強い相手だとは思えなかった。
しかし、それは相手の不意を突いたり、あるいは自分という戦力が持つ戦闘力が高いからこそ、そのような状況になった可能性が高いのだ。
であれば、自分より弱い相手がドーラン工房のゴーレムと遭遇するようなことになった場合、その被害が大きくなるのは間違いないだろう。
(とはいえ、それはあくまでも正面からまともに戦った場合だが)
風雪はあくまでも暗殺者であって、冒険者ではない。
……中にはレイが以前スラムに来た時に遭遇した血の刃の暗殺者のように、騎士かと思われるような外見をして正面から堂々と襲ってくる暗殺者もいるが、当然ながらそのような暗殺者というのは少数派だ。
「そうなると、ゴーレムの相手は俺がした方がよさそうだな。……風雪に余計な被害を出さない為にも」
「そうしてくれると、こちらとしても助かる」
オルバンにしてみれば、レイが自分からそのようなことを口にしてくれたのは嬉しい限りだ。
オルバンも当然のように自分の部下の実力は信じている。
信じてはいるものの、だからといってドーラン工房製のゴーレムを相手に戦った場合に上手く勝てるかと言われれば、素直に頷くことは出来ない。
そうである以上、戦力として期待出来るレイが協力してくれるというのは、オルバンにとって非常に助かることだった。
「分かった。協力に感謝する。今夜でこの騒動を終わらせるとしよう。……もっとも、実際には騒動が解決した後も色々と動かないといけないから、本当の意味で終わるのがいつになるのかは分からないけどな」
そう言い、オルバンは笑みを浮かべるのだった。




