2620話
マリーナとの約束を取り付け、ダスカーに知らせに行こうとしたレイだったが、返事はマリーナが自分でするということだったので、任せることにする。
ダスカーにとっては、またマリーナに弄られる時間となるのかもしれないが、レイの目から見て、ダスカーもマリーナに弄られるのは本気で嫌がっている訳ではなく、どこか嫌がりながら楽しそうにしているようにも思えた。
ダスカーにその件を指摘しても、決して頷くといったことはなかっただろうが。
少しでもそれがダスカーの気分転換になればいいだろうと判断し、それ以外にも警備についての相談の類があるだろうと、レイはマリーナに任せることにしたのだ。
マリーナにしても、診療所が少し落ち着くまで待ちたいという思いがあったのだろうし。
そんな訳で、レイは次の用事を済ませるべくギルドに向かう。
セトがいないからだろう。レイを見ても、ドラゴンローブの隠蔽の効果でレイはどこにでもあるローブを着ているようにしか見えない。
フードを脱いでいれば、顔を見てレイだと認識出来るのだろうが、レイとしては妙な注目を浴びる必要がないのなら、そうした方が楽でいい。
とはいえ……ギルムの倉庫の前にいる冒険者達には、フードを脱いで顔を見せなければならないのだが。
「ああ、何だレイか。ここに来たってことは、倉庫か?」
「そうだ。中はどうなっている?」
「特に問題はないな。ああ、でもちょっと前に軽く摘まめる物ってことで串焼きを結構大量に持っていったな」
軽く言葉を交わし、レイは倉庫の中に入る。
これは、レイだからこそこうしてすぐに倉庫の中に入ることが出来たのだが、もし見知らぬ相手が無理に倉庫の中に押し入ろうとしていれば、ギルドに雇われた腕利きの冒険者達がその力で排除していただろう。
現在のこの倉庫というのは、それだけ重要な場所なのだ。
「お、今日は起きてるな」
串焼きが持ち込まれたということだったので、レイも予想はしていたのだが、倉庫の中でギルド職員達がそれぞれ串焼きやパン、果実水の類を飲みながら寛いでいた。
何人かは、解体したキメラの素材を興味深そうに調べている者もいる。
「レイか、随分と遅かったな」
倉庫の中に入ってきたレイを見て、不満そうに言ったのは親方だ。
昨日置いていったキメラの解体が終わった後は、本当にやるべきことがなかっただろう。
レイの倒したモンスターについての情報を広めない為に、また万が一にもギルド職員が妙な考えを起こして素材を盗んだりしないように、解体を担当しているギルド職員はこの仕事が終わるまで倉庫からは出ることを禁止されていた。
それでもギルド職員達が不満を抱かなかったのは、最初にワーカーに選ばれた者達は解体の技量が高い人物で、当然のようにレイの倒したモンスターに興味を持っていたからだろう。
また、後から来たギルド職員達は、その辺を全て承知の上で倉庫に入ることを望んだのだから、現状に不満を持つことはなかった。
冬にはスラム街の住人が暮らしていたのを見れば分かるように、生活に不自由しない程度の設備は整っている。
そして料理の類も、頼めばすぐに持ってきてくれる。
酒の類は、酔っ払って素材に傷を付けたり、気が大きくなって素材を盗もうとしたりしないように、そして何より酔っ払った状態で解体をしないようにということで、禁止となっているが。
あるいは、そのような状況であっても数十日、数ヶ月といった長期間となれば、また不満を抱く者もいたかもしれないが、数日程度なら文句も出ない。
「ああ、色々とやるべきことがあってな。そうそう、祭りは明後日に決まったぞ。今日で狼の解体をやって、明日は休んで明後日は祭りを楽しんでくれ。……もっとも、お前達が一番忙しくなるのは、祭りが終わった後だと思うけど」
その言葉に、親方は数秒前まで浮かべていた不満そうな表情を消し、獰猛なという表現が相応しい笑みを浮かべる。
親方にしてみれば、魔の森に棲息していたランクSモンスターにして、新種のドラゴンだ。
解体作業を楽しみにするなというほうが無理だろう。
「けど、クリスタルドラゴンを解体するには特殊な道具が必要になるとか言ってたけど、どうなったんだ?」
「その辺は問題ない。ギルドマスターに頼んで、もう準備して貰ってるよ。それより、あのキメラの素材だ」
そう言う親方と話し合い、レイは自分の分となったキメラの素材をミスティリングに収納する。
かなりの巨体だったので、肉の部位も結構な量があるのは、レイにとっても幸いだった。
「ふむ、尻尾の蛇は欲しかったのだが……しょうがないか」
親方が残念そうに呟く。
親方にしてみれば、尻尾代わりの蛇というのに興味があったのだろう。
だが、レイとしてもそのような蛇だけに、何らかの素材に使えそうだと思い、交渉の末にレイが蛇を手に入れたのだ。
元々、素材の所有権はレイにある以上、交渉では圧倒的にレイが有利なのだから、これは当然の結果だった。
「さて、じゃあ最後のモンスター……巨狼だ」
その言葉と共に、レイはミスティリングの中から巨狼を取り出す。
ざわり、と。
レイが出した巨狼に、途中から解体に入って巨狼を初めて見た者だけではなく、最初に巨狼を見た者達までもがざわめきの声を上げる。
巨狼とレイが表現しているように、その姿はまさしく巨大な狼と呼ぶに相応しい。
ギルド職員達が今まで解体してきたモンスターも、ランクAモンスターに相応しい迫力があったが、この巨狼はその中でも別格の迫力を持っているように思える。
……実際には、この巨狼はそれだけの力を持っていたのは間違いないが、レイとセトの存在を侮るような真似をしたところで、強力な攻撃を連続して放たれ、本来の実力を完全に発揮するまでもなくやられてしまったというのが、正確なところなのだが。
それでも、こうして見ただけで感じる迫力は、この巨狼が圧倒的なまでの実力を持っているのは間違いないと、そう思えるだけのものではあった。
「凄いな」
親方の言葉が、倉庫の中に響く。
その言葉に、他のギルド職員達もそれぞれが頷く。
「こんなモンスター……初めて見た」
「俺は巨大な猪のモンスターを解体したことがあるけど、それでもここまで迫力はなかったな」
「前にも見たけど、こうして改めて見ると、やっぱり凄いな」
そんなギルド職員達の言葉を聞きながら、レイは親方に話し掛ける。
「親方、解体を頼む。この巨体だと、明日また倉庫にくればいいか? それとも、今日の夕方か?」
「どうだろうな。これだけの巨体だ。それを思えば、恐らく今日で終わるのは……難しいかもしれん。一応、今日の夕方に顔を出してくれ。その時にまだ終わってなければ、明日の朝だな」
「祭りは明後日だし、明日でも俺は問題ないけどな」
レイとしては、急いで解体をして粗末にされるよりは、丁寧に解体をして貰いたい。
もっとも、親方を始めとしたギルド職員達の解体の技量が高いのは、今までの経験から十分に分かっている。
そうである以上、相手を侮辱するようなことを言っては無意味だと、そう判断するのは当然だった。
「任せろ。しっかりと解体してやる。……いつまで騒いでいる、始めるぞ!」
問題ないとレイに言うと、巨狼を見て騒いでいるギルド職員達に向かって怒鳴る。
親方のその言葉に、ギルド職員達はすぐに自分の仕事に戻っていく。
この巨狼の解体には緊張するが、同時にこれだけのモンスターを解体出来る機会は、辺境のギルムにおいても滅多にない。
だからこそ、モンスターの解体を仕事としている者として、興奮するなという方が無理だった。
「頑張ってくれ」
そう告げ、レイはミスティリングの中から何個か酸味の強い――甘さも十分にある――果実を取り出して、ギルド職員達の生活スペースとなっている場所に置いておく。
今は冷たいが、休憩をする頃にはもうその冷たさもなくなっているだろう。
だが、それでも疲れた身体に酸味の強い果実は十分に美味く感じる筈だった。
これ以上倉庫にいても、親方達の邪魔をするだけだと判断して外に出る。
護衛の冒険者と軽く挨拶を交わし、そのままギルドから離れる。
いつもならギルドの前にはセトがいて、多くの者達に遊んで貰っているのだが、セトは現在マリーナの家でイエロと遊んでいる筈だった。
(今日はマリーナの家はどうなってるんだろうな? 昨日聞いた話だと、それなりに面会を求めて来るだろうけど、間違いなく少なくなってるってはなしだったけど)
エレーナと面識を得たいといった者や、何らかの取引がある者、もしくは情報を売買する為に来る者……それ以外にも様々な者がエレーナに会いにくるが、昨日と今日に限ってはレイと面識を得たいと思っている者が大半なのは間違いなかった。
そんな連中の相手をエレーナにさせるのは、レイとしても悪いと思う。
だが、向こうがエレーナとの面会を理由にレイに会いに来る以上、対応は当然ながらエレーナにやって貰う必要があるのも事実。
……そのような相手に対して、レイがどのような感情を抱くのかは、考えるまでもないだろう。
ましてや、レイは相手が貴族であっても敵対した相手には容赦しない。
こうして面会に来た貴族達は、揃ってレイから好ましくない連中と判断されることになる。
エレーナの手を煩わせている以上、当然の話だがアーラはその相手がどのような人物なのかを理解している。
そしてアーラからレイに報告されるのだろう。
そんな風に考えながら、レイは大通りに進む。
街中では、多くの者が明後日の祭りについて話している声が聞こえてくる。
その祭りの主役たるレイだったが、本人には祭りに対して特に何か思うところはない。
いや、祭りを楽しむという意味では、レイもまた周囲の者達と同じではあるのだが。
(祭りか。それでもあるのは料理系の屋台くらいなんだよな。くじ引き系の屋台も……まぁ、準備時間があるのならともかく、そんなに時間がないとどうしようもないけど)
そうして考えていながら歩き続け、やがてローリー解体屋に到着する。
地下倉庫に向かう前に、地上にある店舗に寄る。
「いらっしゃい。レイか。解体は終わってるぞ」
レイの姿を見た店員の言葉に頷き、料金を支払って引換証を受け取った。
「今日もやっぱり忙しいのか?」
「そうだな。レイの大規模な注文もあったけど、そういう意味ではかなり忙しかった。他の客からの注文もあるし」
「祭りの件も何か関係してるのか?」
「してるだろうな。祭りともなれば、屋台はいつも以上の売り上げになる。なら、その分多くの食材を仕入れる必要があるから、ギルドの方にも結構な依頼がいってるはずだぜ? レイは知らなかったのか?」
「ああ、ギルドの倉庫はともかく、ギルドの中は今は忙しいだろうし」
これは大袈裟でも何でもなく、純粋な真実だ。
何しろ、レイが顔を出した時に見た感じでは、ギルド職員の多くが多数の書類を整理していたのだから。
それだけではない。本来なら冒険者に対応しなければならない受付嬢達にすら、書類整理の仕事が回ってきているのだから、ギルドに回ってくる書類がどれだけ膨大なものなのか理解出来るだろう。
だからこそ、レイとしてはギルドで働いている者達の仕事を邪魔したくはなかった。
ケニーはレイがギルドに顔を出せば喜び、レイにいいところを見せようと書類仕事を頑張る可能性はあったのだが。
その軽い言動と色気を強調される服装から、仕事に関してはそこまででもないと見られることも多いケニーだが、実際にはかなり有能な受付嬢なのだ。
だからこそ、あそこまで奔放な言動が許されているという理由もあるのだが。
それでもストッパー役としてレノラが用意されている辺り、ギルドの方でもケニーの性格には思うところがあるのだろう。
「祭りだと、ローリー解体屋は何かやったりしないのか?」
「何かって……こういう職種で何をやれと?」
「そうだな、モンスターの解体を見せるとか」
レイが思い浮かべたのは、寿司屋で時々やることがある――もっともTVでしか見たことはないのだが――マグロの解体ショーだった。
「モンスターの解体を? それで喜ぶか?」
「それだけだと喜ばないから、そのモンスターの肉を使った料理が出来る屋台と協力して、解体したモンスターの肉をその屋台で料理して売るとか?」
「……なるほど」
レイの口から出たアイディアは予想外だったのか、店員は感心したように言う。
そうして何かを考え始め……やがて、満面の笑みを浮かべてレイに感謝の言葉を告げるのだった。