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第四話 一輪の花

 そこに現れたのは、いつも通りのアルベルト皇子だった。

 ヨーゼフは慌ててアルベルトへ向き直り、臣下の礼をする。レオノーラはスルーだ。顔だけアルベルトへ向けるだけだ。ただ、内心はかなりドッキドキだが。


(うおおお、なんで皇子がこんなところに?! このままじゃ、皇子が染み抜きした服の弁償代を貰おうとしているのがバレてしまう!)


 弁償代の二重取りだと思われても仕方ないところもある。皇子が染み抜きしたのだから、弁償は必要無いと言われては、交渉は決裂する。レオはとにかく焦った。細かい事情を理解してしまう前に、皇子を追い返さなければ。

 アルベルトの姿を認めて、急にあたふたしだしたレオノーラの様子を見て、アルベルトは頬を緩める。まるで、隠れて悪いことをしていたのが見つかった子供の様だ。正解である。


(レオノーラは、また誰かを救おうとして、僕に見つかって怒られるとでも思っているのかな。ハグマイヤー卿は僕に暴言を吐いたから、彼の為に行動すると僕が嫌がるとでも考えたのかもしれない)


 アルベルトには確かにレオノーラに対して独占欲がある。彼女の献身は周囲の人間をやきもきさせる事も少なくない。自分を顧みなさ過ぎるのだ。


(今日の商談はここまでなのか? いや、何か手があるんじゃないか?)


 レオは必死に自分の身を顧みて、何か次の一手が無いかを考える。


(とりあえず皇子を追い返す)


 何をしに来たのかは知らないが、何もせずに帰ってもらおう。商談中に予定外の出来事が発生するのは好ましくない。

 しかし、先手はアルベルトに取られてしまう。


「レオノーラ、申し訳ないが、ハグマイヤー卿との話は聞かせてもらったよ」


 そう言いながら、アルベルトが近づいてくる。その顔に緊張は見られないが、油断は出来ない。表情で心情が読めるなら、今頃レオは大金持ちだ。

 しかし、聞かれたというならば、当然ドレスの弁償も知られているだろう。皇子の魔力で綺麗になったドレスを、他の人間に弁償させるということは、皇子の魔力を換金している様なものだ。これからの対応を間違えると、皇子からドレス洗濯代を請求されかねない。なんたることか。


 牢内のヨーゼフ、鉄格子越しにレオノーラ。そこにアルベルトが近づいて来る。そしてヨーゼフに向かい合った。最初に話かけるのはヨーゼフへらしい。


「ハグマイヤー卿、あなたの処遇が決まりましたよ」

「本当ですか、殿下。いささか早いようにも感じますが」

「ああ、早いでしょうね。さっきのレオノーラの話を聞いて、僕が今決めました」


 そういうアルベルトの顔は、精霊祭以前とはまるで違う。以前も皇子として風格を漂わせていたが、今では帝王としての片鱗すら見えてくるほどだ。イケメン度合いが当社比で1.44倍ぐらいは増えているかもしれない。女で変わるとは下世話な表現だが、それが聖女なら話は別だ。稀代の聖女(偽)は、稀代の王を生む(予定)のだ。


「! それは、また乱暴ですな」

「かまわないさ。陛下から言質はとってあります。それに、これは誰にとっても良いことになるでしょうから」

「良いこと? 私もですかな?」

「はい、みんなレオノーラのおかげですよ。彼女が卿を救おうとしなければ、僕も何かしようとは思ってなかった。陣が少々の越権だったのは自覚しているから、それなりの減刑を要請したかもしませんけどね」


 なんだか関係ない話を始めたので、レオは一歩引いて終わるのを待つことにした。てっきり二重弁償を追及されるかと思っていたので、そうで無いならば一応は安心できる。レオノーラの名前も話題に出ているようだが、それ以外の会話に全く心当たりがない。

 皇子はレオにとって意味が解らない話をよくするので、とりあえず聞き流すのも慣れたものだ。

 アルベルトの話は続く。


「ハグマイヤー卿、あなたの今後の処遇についてですが、細かいことは改めて説明させて貰いますが、今後はベルンシュタインと手を結んで、帝都の治水事業に取り組んでもらいます」

「?」


 ハグマイヤーは困惑する。つまりレオノーラの提案そのままということなのだろうか。


「先ほどの卿の間違いを訂正させて貰うと、あなたを下働きにはさせない。陣ビジネスで主導を握っているのは、ベルンシュタインの現当主ではなく、その息子たちだが、あなたの知識が彼らには必要なんです」


 アルベルトの話を要約するとこうだ。

 陣による給水事業はやっと試験運営を始めたばかりだが、問題も当然あった。陣による給水は効率的だし、カーネリエントの湖は水源として満足いく効果を発揮している。だが、陣は設備としては脆弱過ぎるし、カーネリエントは気まぐれで変態な精霊である以上、いつ気が変わるか分からないのだ。結果、それ以外の保険も用意しておくべきだとの結論に至ったのだ。


「そこで、我がハグマイヤー家の治水事業のノウハウを頼りたいということですか?」

「その通りです」


 ハグマイヤー家には帝都とその周辺の水源や地下水の調査記録がある。皇地と貴地に上水道を通した実績がある。効率的な井戸の設置個所の記録もある。その他にも長い月日をかけて収集した資料が山ほどある。


「今回、卿を追い詰めたことは、こちらにも責任があります。もちろん、だからと言ってハグマイヤー卿の行ってきた事が消えて無くなる訳ではありません。その償いは当然してもらいます」


 消えて無くなったのは、せいぜい頭髪ぐらいだ。

 アルベルトの話は続く。


「ハグマイヤー卿に限った話ではありませんが、貴族には培ってきた知識と経験があるのです。それを存分に発揮してもらいたいのですよ。いいですか、ハグマイヤー卿。これからこの国は変わります。魔力による支配は遠くない未来に終わりを迎えるんです」


 陣という、魔力に頼らない道具はその第一歩だ。


「じゃあ、貴族は必要無くなるのかと言えば、決してそうじゃないんですよ。貴族には魔力以外にも強みがある」

「それが、蓄積されてきた経験と知識ですか」

「そうです。今まで貴族がこの国を動かしてきた。それは紛れもない事実です。それは尊重されるべきですが、必要なら協力もし合うべきなんだと考えましたよ、今後には。僕は今回、それを失敗した」


 繰り返しになるが、ハグマイヤー家に話を通さなかったのはやはり越権なのだ。


「ハグマイヤー卿、あなたに失敗を取り戻す機会を与えます。平民であるベルンシュタイン家と手を取り合って、頑張ってください。貴族と平民が肩を並べるその姿を、新しい国の在り方を、僕に見せて欲しいのです。それがあなたに与える、一番大きな罰になります。」

「それが、殿下の作る新しい国ですか」

「いや、恥ずかしながら、レオノーラがハグマイヤー卿を助けると言うまで、僕にはそんな発想は思いつくことも出来ませんでしたよ」


 そう言って、自嘲気味に笑うアルベルト。

 彼にとって、義務を果たさない貴族は害悪でしかなかった。もちろん、それも正解なのであろうが、それは国が積み重ねてきた伝統や技術を、歴史を否定することではないのだ。さらに言えば、もしハグマイヤー伯爵が義務を果たしていたら、そこに無造作に陣による新制度を組み込むことが出来たのか。組み込んだ場合に問題が出なかったのか。たまたま彼に落ち度があったから、そこを落とし所に選んでしまっただけなのだ。

 新しく作り出すことと、古いものを壊すことはイコールではない。積み重ねてきたものの重みを理解するには、アルベルトはまだ若かった。


「レオノーラが教えてくれました。古きもの。至らぬもの。不健全なもの。怠惰なもの。それらも全て国民であると。その中にも、希望はあると」


 自らが絶望の、暗闇の中で育ってきたレオノーラは、光の中に救い出されても、眩しさに目を眩ますことなく人々に手を差し伸べ続けた。

 無欲に。

 誠実に。

 無垢に。

 まるでこの国そのものを、その手で救い上げるかの様に。


「眩しいものは直視出来ない。でも、目をそらしてはいけないんです」


 アルベルトは目線を上へと向ける。ここは地下だから、彼の愛する国は当然に頭上にある。


「………え?」


 その様子を見ていたレオは、目を見開いた。

 皇子の目線の先には、ハゲマイヤーさんの頭部の地肌が見えるのだ。


(ここに来て、急にオスカー先輩を全否定!?)


 さっきまで、熱く吸収合併の話をしていたのではないのか。ベルンシュタイン商会に、ハゲマイヤー家が組み込まれるとか言っていたではないか。新旧の同業者が合併し、事業拡大、給与増加。アイデアを提供したレオへの報酬もアップかと喜んでいたのに。


 レオから見たオスカー先輩は、眩しいものに蓋をして、直視出来ない現実から目をそらしている人だ。その上、その頭上の人工物に彼の価値が集約しているとでも思っている様子だ。そっちが本体か。

 ちなみに、ハグマイヤーは隠してないので、目をそらしてないらしい。どうでもいい。


(そういえば、この前もヴァカの花を使って、オスカー先輩を脅そうとしていたし、ここで内部分裂!?)


 ベルンシュタイン家にはまだ彼の兄がいる。そういう意味では問題は無いのかもしれないが、さすがのレオも、ここまで一緒に頑張ってきたオスカー先輩を切るのは如何かと思う。


(オスカー先輩の変わりにハゲマイヤーさんって事? そのポジションには特定の身体的特徴が必須条件なのか?)


「皇子、オスカー先輩は……?」


 さすがに見過ごせない。もしオスカー先輩を排除するのであれば、役員の退職金制度について詰めなければ。


「もちろん、オスカーにも了承済みだよ」


 そう言って、アルベルトはレオノーラに笑いかける。

 レオノーラがハグマイヤー伯爵に会いに行くと聞いて、アルベルトは可能性の一つとして、共同事業の是非をオスカーに確認していた。

 オスカーは、過去の治水事業について参考に調べていて、その当時のハグマイヤー家の事業内容を評価していた。何があって落ちぶれたのか心配するほどだった。


(まさかの本人納得済み!!)


 こうなってはレオに出来ることは無い。急な人事にビックリだが、そもそもアドバイザーのレオは部外者でしかない。

 しかし、ここで大きな問題が残る。ハゲマイヤーさんにオスカー先輩を紹介するわけにはいかなくなったのだ。手土産の上乗せが出来なくなり、挨拶が遅れたことが許してもらえなくなり、ドレスの弁償代が貰えなくなる。


(は!? まさか、皇子、ここまで計算づくなのか!!?)


 皇子が綺麗にしたドレスの弁償代を取る。言うなれば皇子の魔力を換金する様なものだ。もし彼が知れば許すはずもない。ハゲマイヤーから提案されたのはついさっきなのに、ここまで先を読んでいたというのか。


 青ざめるレオノーラを、アルベルトが心配する。

 オスカーの了承済みということは、さっきまでレオノーラがハグマイヤーに提案していた内容を、先回りしてしまったことになる。

 まだ12歳の政治の事など何も知らない彼女が、自分と同じ結論にたどり着いたことは、正直に驚いていた。しかも切っ掛けになったのは彼女がハグマイヤーに会いに行こうとしたことだ。それなのに、オスカーに先に話を通したのは、彼女を軽んじたと思われたのかもしれない。


(いや、レオノーラはそういう娘じゃない)


 もしかして、皇子の役に立つつもりが、から回ってしまったことを嘆いているのか。多少自分本位な考えだが、名誉にこだわらないレオノーラが青ざめる理由としては、妥当ではないだろうか。


「レオノーラ、君が此処にいなければ、僕も此処には来ていないんだよ」


 アルベルトはやさしくレオノーラに微笑み掛ける。

 君が居るからこそ、僕は頑張れるのだと。

 君が動いたからこそ、僕も動けるのだと。


(やっぱり、つけ狙われたのか)


 駄目だ。何をやっても皇子に先手を取られる。まさかの、もうお前は逃げられない宣言。

 死の宣告にも等しい皇子の言葉に、レオノーラはふらついてしまう。慌てて皇子が手を差し伸べ抱き寄せる。


(震えている、先ほどより顔色も悪い)


その様子を見ていたハグマイヤーが、彼に助け船を出す。


「殿下、もしや彼女は牢屋にトラウマがあるのでは?」

「!? なぜそれを?」

「彼女を見ていれば、それなりには察することも出来ます」


 アルベルトは自分の迂闊さを呪った。

 レオノーラの過去を考えれば、こういった地下の牢屋など本来なら近寄りたくも無いはずだ。それを僕の為に無理してくれたのに、気づくのが遅れてしまったなんて。

 ちなみに、本編では牢屋なんて単語は一度も出てきていないが、レオノーラの過去に比べれば、些細なことだ。


 青ざめ、震えるレオノーラを心配したアルベルトは、急いでレオノーラの警護騎士に人を呼びに行かせた。その後、医者を含む大人数が、レオノーラをかっさらって行くことになるのだが、その間レオはされるがままだ。皇子の凶行が思い出される。命の危機に体が上手く動かなかったとしても、誰が責められようか。レーナぐらいか。


 そして、無欲の聖女レオノーラ・フォン・ハーケンベルクは、また一つ、伝説を残した。


 残してしまった。




 ヘアンナ・ゲン・ハグマイヤーは憔悴していた。精霊祭当日に夫が皇族に無礼を働き投獄さたと聞き、面会も禁止され眠れない日々を送っていた。数日後に家が取り潰しになると通達が来てからは、倒れそうになるのを堪え、使用人たちの再出発の面倒を見ていた。

 事態を聞きつけた娘のモーリンが、嫁ぎ先から様子を見に来てくれなければ、どうなっていたことか。夫と娘との確執は、娘が大人になったら自然と解消された。若気の至りと娘は笑っていたが、若いとは振り向かないことだ。

 ハグマイヤー一家は、今後ある商家の世話になり、夫も商人として働くという。ヘアンナは夫さえ居ればやり直せると信じていたが、あの貴族らしい貴族である夫が処遇に我慢出来るのかが、唯一の心配事だった。しかし、その心配は杞憂に終わった。

 釈放され、久しぶりに再会した夫はとても素晴らしい表情をしていた。まるで新婚当時の、夢や希望を胸に抱いていたあの頃の様だった。

 「心配かけたな」と夫から優しく声を掛けられたヘアンナは、「いいえ。惚れ直しました」と頬を染め、いい歳して娘と息子にからかわれてしまった。

 これからの人生、想像も出来ない事ばかりだろうか、夫婦で頑張っていけば良いと、ヘアンナは思った。



***



 ベルンシュタイン財閥は、金貨王アルベルトとともに、魔力に頼らない新しい国造りの舵取りをした平民の代表格だ。

 弟のオスカーが代表として、兄のフランツがその補佐として数々の成功を収め、金貨王の金の時代は、ベルンシュタイン兄弟が居たからこそとも言われている。


 そして、兄弟を支えた一人の社員も忘れてはならない。名をナインデスと言う。恰幅の良い体格にイヤらしい笑みを浮かべ、禿げ散らかした頭を惜しげもなく披露していた彼は、まさに悪徳商人そのものだったと言われていて、残っている肖像画もひどいものばかりだ。

 だが、その外見とは裏腹に、商会の為、国の為と難しい商談などでも先陣を切って、兄弟の為に場を整えてきたといい、そのネゴシエーション能力は国でも有数だと言われていた。

 ただ、彼は中年に差し掛かったころに突然、ベルンシュタイン財閥の歴史に名を連ねるようになり、それ以前に関する資料はほとんど残されていない。

 彼について残っている資料は、愛妻家である事、息子や娘との仲も良好であった事、無欲の聖女を信奉していた事、そして、ヴァカの花を好んでいた事ぐらいである。

 一説には、彼の登場と同時期に取り潰しになった、ハグマイヤー伯爵家との関係を唱える歴史家もいる。しかし、最後の当主ヨーゼフは私欲に塗れ、投獄までされたと記録に残っている為、ナインデスの正体としては珍説扱いでしかない。




 ヴァカの花


 その黒い花弁が無欲の聖女の黒髪を連想させるとして、市民に愛されている花である。

 以前は消臭効果があったとされているが、花弁の黒を際立たせる品種改良の結果、失われてしまった。ただ、水道が完備された帝都では必要のない効果ではあるが。

 その品種改良の末に生まれた、黒檀の様な輝きを持つ希少な品種は、その元となった少女の名を冠してこう呼ばれた。


 ヴァカーナ・レオノーラ


ちなみに、ヨーゼフの息子の名前はヘルンデスです。

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