【N】 白亜回廊
回廊付きというだけでも当時はかなりの建造物だったであろう事が窺えるのに、またその回廊の規模がハンパなく、さしもの俺も瞠目した。
風化による痛みはあるものの、未だ形はしっかりと保たれていて、吹き抜ける風は気温以上の冷たさを感じるほど。
そこへジェイドの言葉が加わり、体感温度はだだ下がりだった。
ここへ来るだけでも一般人レベルにはキツい道のりなのに、更にまだ何か待ち受けているというのか。
ステラさん……、俺を殺す気だろうか。
いや、昨日の御機嫌の損ね具合を勘案すれば、有り得ない話ではないのかもしれない。……俺自身は何もしてないような気がするんだけど。
しかし、いくら悩んだところで、前に進まなければ目的を遂げる事はできない。
仮に、ここが厄介な場所というのなら、尚更早くに用事を済ませて撤収したいのも確かで、おそらくその思いは同じだったジェイドが「行くぞ」と歩き出すと、その後ろに隠れるようにして俺も続いた。
白い床にはどんな素材が使われているやら、やけに足音の響く回廊だった。
おまけに、風属性だか何だか知らないが、やたら風が吹く。森の中じゃ、こんな事はなかった筈なんだけど――魔素が何らかの影響を及ぼしているのか。
フェザーリオは平和ではあるけれど、他国よりも魔素の濃度が高いのか質が良いのか、魔術の才に恵まれた人材が多くいるという側面も持っているのは有名な話だ。
そしてその最たる者が、王族。
しかし当の彼らが争い事を良しとせず、平和の維持や民の生活の向上に注力しているお陰で、フェザーリオは平民にも住み良い国になっているという寸法で。爪の垢でも煎じて帝国の奴らに飲ませろ、と言いたい。
「ところで例の精霊さんって、どんな子なんです? ステラさんは可愛いって言ってましたけど」
と、先に思っていた事は勿論口に出さず、俺は全く別の話題を振った。こちらの件も気になっていたところだ。
これから会えるという、ジュエル・フィッシュのメンバー。であれば自ずと、これから直に接する事になってくるのだろうし、会えばわかるにしても事前情報を入れておくに越した事はない。
それに、あのステラが『可愛い』と形容する――というか、彼女の言葉については、如何様にも捉えられそうな気がしてならない。つまり参考にならない。彼女にかかれば何でも『可愛い』になってしまいそうだ。
というわけで、おそらくは常識人の基準を持つジェイド騎士団長に尋ねてみたのだけど、
「あー……、まあ間違っちゃいない。ただ――」
何故か歯切れが悪い。
しかし、ジェイドが間違いないというなら、その『可愛い』は一般的な意味で捉えて差支えないのだろう。少しだけ安心した。
「ただ?」
「ちみっちゃいくせに騒がしい」
安心ついでに先を促すと、うんざりとしたような溜息交じりの返答。
ああ、成程ね。苦手なのか。(笑)
なんかちっちゃくて可愛いのに懐かれて困っている強面の団長の図が容易に想像できてしまって、俺が声に出さず密かに笑みを零すと、しかしジェイドにはすぐバレたらしく、予想通り睨まれた。けど、そう何度も短期間に睨まれると、それだけ慣れてくるのも事実で、怖くないどころか受け流すスキルも備わってきたらしい俺は、気付かない振りをして軽快に先へ進む。
が――最初にジェイドが警告したのは伊達ではなかった。
違和感は足元と、耳に聞こえた音。
地面についた時の感触が、他の床と違うと感じた。そして響いた足音にも、微妙な違いが生じる。あれだけ高らかに響いていた音が、その一点だけ、沈む。
俺の右足は、何かのスイッチ的なものを踏み込んでいた。
途端に走る緊張感。
直感的に一歩、体の位置がずれる。しかしそれよりも強く、手を引かれた。
今まで見たどの表情よりも真剣なジェイドの顔。
少し前まで俺が立っていた場所を貫き、突風のような3本の矢が放たれていた。
左右の壁にはいつの間にやら穴が開いていて、左側の壁から発射された矢が反対側の壁の穴に吸い込まれていく。その一連の流れが終わると、壁は何事もなかったかのように口を閉じ、また元の通りの風の音だけが残る。
「い――いいいいま今のって」
「あ…の、性悪女! やっぱり碌な場所じゃねえ!」
狼狽する俺と、この場にいない相手へ向けて怒鳴るジェイド。
反応は対照的だったが、それが指すものは一緒だ。
……なんて、典型的なトラップ。だけど、矢が放たれるまでの間隔、速度、精度――。総じて、そのシンプルな破壊力は絶大だった。
建物は風化しているくせに、仕掛けられた罠は全然錆び付いちゃいない。一番性質の悪いパターンじゃないか。
こんな危険な場所で暢気に寝てるなんて、どんな可愛い子ちゃんだ。……やはりステラが仲良しというだけある。
とにかく、こうなったらトラップが此処だけという都合の良い可能性はまず皆無と言っていい。
えらい憂鬱になったのは言うまでもないが、来てしまったものは仕方がない。それにこのまま手ぶらで帰ったとしても、その事をステラに報告しなければならないと考えたら、その方がより危険だ。
ここは腹を括って、可及的速やかにミッションをクリアしてしまうに限る。
団長もいるし、何とかなるだろう。さっき俺を引っ張った時の反応速度も、流石というべきだった。瞬時に矢の方向を判断して射程範囲外に逃れ、壁と自分の体とで俺を挟むようにして盾になっている。
間近で顔を見ると、思った通り迫力数割増しだったが、敵意や悪意が向けられでもしない限り何の問題もない。むしろ、その精悍な顔つきは心強いばかりだった。
安全が確認出来たところで、ジェイドの手と体が離れて行く。
俺も壁から背を離そうと、また先に進む決意を新たに、後ろの壁に手を付いた。それは、起き上がる時に床に手を付くような、無意識の何気ない行動で。
だけど、ほんの些細なその一手が、こういった危険地帯では命取りにだって成り得るのだ。
その証拠に、ついさっき足元で受けた感触が、今度は指先に移る。
「……あ」
端的にいうと、さっきトラップのスイッチを踏み込んだ時と同じような感覚が、した。
嫌な予感。
けど、それを感じた時は大抵もう遅い。
「ジェイド!」
「走れ!」
床の表面に、ぽつぽつと細かな穴が開いたかと思うと、そこから槍のようなものが一斉に飛び出してくる!
返事を受けた時には既に、彼の名前を呼んだのとほぼ同時に、走り出していた。
トラップ床は、疾走する俺達を追いかけるように後ろから次々と槍を生やしていく。間違いなく、後戻りが出来ない。
また、手を引かれていた。
俺の速度に合わせるように気を使っていたようだけど、出し惜しみしている場合じゃない。流石に命がかかっているので、こんなところを死に場所にするわけにもいかず全力で走ると、彼も前だけを見て駆けていた。
「ちっ……誘い込まれていやがる」
風とトラップの作動音が煩い中、ジェイドが舌打ちする。
同じく前を見る俺の表情も、珍しく険しかった事だろう。
トラップが背後だけではなく、前方からも押し寄せていた。
このままでは挟み撃ちで逃げ場がなくなる――のだが、丁度よく中心地点がT字路になっているようで、助かるにはそこを曲がるしかないという状況だ。
しかし、こんなトラップを仕掛けておいて、わざわざ逃げ場を作るという事は、そこに何らかの意図が組まれていると想像せざるを得ないわけで、
――曲がった先。
大きく体が傾いだ。
転んだのかとも思った。……が、どうやら違う。
がらがらと、足元が崩れていた。
つまり、落ちる。
「あああぁぁぁぁぁ――――!?」
それは単純な驚きか、何処かしらへの抗議か、行き場のない憤りか、……ともかく、落ちた。床の下――そこに広がっていた地下の空間へ。
落下時の衝撃に備えて受け身を取ろうと構えていたが、着地の直前、それが無用となった事に気が付く。
衝撃も、予想していたより大幅に少ない。
原因は明らかだった。
地に触れた部分は、当然のことながら硬い。けどそれは、石や土が固められた地面の硬さとは違っていて。
どちらかといえば僅かに温もりが感じられるような、生きているものに触れたような感覚。それが、彼の鍛え上げられた筋肉だったのだと気付くまでにそう時間はかからない。
俺と同じか少し背が高いくらいのジェイドの顔が、見下ろす位置にあった。
確認するまでもなく、彼が下敷きになって衝撃を和らげてくれたのだ。
己も決してノーダメージというわけではないだろうに、身を挺して守ろうとしてくれたという事実。
騎士の精神や責務から考えれば当然だと、彼は言うのかもしれないが、俺は複雑な気持ちになる。
この国や民のために計り知れないほどの貢献度を有し、いなくてはならない人物であるジェイドが、こんなに簡単に躊躇いもなく、たった一人の人間を守るためにその身を差し出してしまって良いのだろうかと。
ましてや自分は、国民ですらない外の人間なのに。
告げるべき感謝の言葉が、すぐには出てこない。
ジェイドの上に乗っかった体勢のまま、信じ難いものを見るような心境でじっと彼を見つめていた。
けれど、いつまでもそうしているわけにもいかず、数秒程度で自然と笑みが装備される。
「――――本当、優しいんだから。団長さんは」
茶化すようにそう言って。
俺がどんな顔をしても、ジェイドは変わらずしかめ面だ。何をどう感じて、思っているのかは知らない。わからない。
「無事か? 無事なら離れろ。痛むところがあったら言え」
ジェイドの方が体格が良いとはいえ、大の男に上に乗られて鬱陶しくないわけがなく、ぶっきら棒に言い捨てられた。
なんか、はぐらかされた気がする。……が、悠長に会話をしている場合じゃないのも確かで。
それに何より俺が、人の事を言えた立場じゃないし。
この期に及んで自分より他人を優先した言葉に。こいつ誰よりも悪人面のくせに、どこまでお人好しなんだ――と軽く呆れにも近い感想を抱いて、俺はジェイドの体から降りる事にした。
「……この場合、どうみても重傷負うのはそっちの方ですよ。団長こそ、怪我ないんですか?」
少しだけ、その感情を表に出して溜息を吐いて。
けれど、俺はジェイドの具合を確かめる――つまり返事を待つ間にも、周辺の様子を把握する方に行動を移していた。
人は好いんだろうけど、そればかりで自分の身を顧みない、かえって状況を悪くするような無能には見えない。というか、そんな人間じゃ騎士団長のポストは務まらないだろう。
だったら必然的に、今後の探索に支障が出るようなヘマはしないだろうし、心配するほど深刻な可能性は低いって事になる。
それよりも、今は少しでも早く正確に、めまぐるしく変化した状況の把握分析に努める方がよほど有意義だ。
ジェイドが言ったとおり、ここが『碌な場所じゃない』という事を、この短時間で嫌というほど体験させられているのだから――。




