第二章 第三節〜海喰い〜
交易船へ乗り込んで一日目。
「海だー!!」
マギルは甲板ではしゃいでいた。
潮風。水平線。空飛ぶ海鳥。
異世界へ来てから火山と鉄ばかり見ていたせいか、青い海が妙に新鮮だった。
「お前元気だなぁ」
レジーナが呆れ半分で笑う。
「だって船ですよ船!異世界航海ですよ!」
「子供か」
「ロマンあるじゃないですか!」
実際、少し浮かれていた。
ゲブラーを出る。
別領域へ向かう。
それはマギルにとって、“異世界転生”を実感する初めての瞬間だった。
そして。
二日目。
「う゛ぇ……」
マギルは船室のベッドへ沈んでいた。
顔色は真っ青。
完全敗北である。
「だから言っただろ」
呆れた声。
ベッド脇に立っているのはレジーナだった。
「揺れに弱い奴は最初だけ死ぬって」
「海が……回る……」
「情けねえなぁ」
「地面って偉大だったんですね……」
レジーナは吹き出しながら、水差しを置いた。
「飯は?」
「無理です……」
「お前、前も熱で倒れてたよな」
「環境適応力に問題が……」
「冒険者向いてねえんじゃねえか?」
「否定できない……」
レジーナは笑いながら部屋を出ていく。
その背を見送り、マギルは天井を見上げた。
船は揺れている。
一定のリズム。
だが、それが気持ち悪い。
「……異世界生活、思ったよりハードだなぁ」
着の身着のまま放り出され。
熱中症で倒れ。
働いて。
戦って。
気づけば、今は船に乗って別領域へ向かっている。
流されるように進んできた。
けれど。
不思議と嫌ではなかった。
「必要だから、か……」
自分は特別な目的を持ってこの世界へ来たわけではない。
ただ生きるために働いて。
誰かに必要とされたから動いてきた。
それは前の世界でも同じだった。
自分の力を削って。
誰かへ渡して。
そうやって生きてきた。
「……ほんと、変わんないな私」
苦笑する。
だが。
最近、少しだけ思う。
何故、自分はこの世界へ来たのか。
何故、あの力を持っているのか。
その答えの欠片が。
これから向かう“蒼き砂海の領域ネツァク”にある気がしていた。
◇
「……失礼します」
静かな声と共に、船室の扉が開く。
入ってきたのはエリセアだった。
相変わらず真面目そうな顔。
ただし、表情は微妙に嫌そうである。
「船酔いが酷いと聞きました」
「お世話になっております……」
「横になってください」
マギルは大人しく従う。
エリセアは小さく息を吐き、手を翳した。
淡い光。
身体の不快感が少しずつ薄れていく。
「おお……文明……」
「回復術です」
「僧侶って偉大ですね……」
「……当然です」
その返答には、僅かに棘があった。
マギルは苦笑する。
この人、本当に自分相手だと刺々しい。
だが同時に。
誰より真面目なのも伝わっていた。
エリセアの回復術は丁寧で、無駄がない。
長年積み重ねてきた技術なのだろう。
実際、彼女は幼い頃から神殿で修練を積み続けてきたらしい。
魔力制御。治癒術式。浄化術。
日々の祈りと鍛錬。
積み重ねた年月の果てに、今の力を得た。
命を預かる仕事だからこそ、努力を怠れなかった。
だから。
マギルの力を見る度に、心がざわつくのだ。
魔術師であるはずの少女が、自分の専門領域に踏み込んでくる。
しかも、“与えられた力”として。
「……どうしてそんな無茶をするんですか」
不意に、エリセアが呟いた。
「え?」
「あなた、自分を削る事に躊躇がなさすぎます」
マギルは少し黙る。
「癖みたいなものです」
「悪癖です」
「否定できないなぁ」
エリセアは眉を寄せる。
その顔には、苛立ちと、どこか心配が混ざっていた。
「……あなたが倒れれば、結局周囲も困るんですよ」
「善処します」
「信用できません」
「ですよね」
そこだけは意見が一致していた。
◇
数日後。
海は比較的穏やかだった。
マギルもようやく船酔いから回復し、昼食後に甲板で風に当たっていた時。
突然。
甲板に警鐘が鳴り響いた。
「魔物だ!!」
「右舷!!」
空気が一変する。
乗組員達が怒鳴り声を上げながら走り回る。
マギル達も即座に武器を取った。
「行くぞ!」
レジーナの号令。
甲板へ駆け出す。
そこにいたのは。
「うわっ……」
海面から這い上がってくる異形だった。
魚のような頭部。ぬめる青黒い皮膚。鋭い鉤爪。
小型だが数が多い。
「海喰いだ!十以上!」
狩人シグが矢を放つ。
一体の頭部を射抜く。
だが残りが一斉に船へ飛びついた。
「乗り込ませるな!」
騎士ガルドが盾で押し返す。
レジーナが剣を振るい、海喰いを斬り飛ばす。
マギルも魔力を練り上げた。
「――燃えろ!」
火球が海喰いの群れへ炸裂する。
蒸気。
悲鳴。
数体がまとめて吹き飛んだ。
「ナイス!」
「海産物焼けました!」
「食うなよ!?」
盗賊ミナが背後から海喰いの喉を掻き切る。
エリセアは負傷した船員へ回復術を施していた。
戦闘自体は長引かなかった。
連携が機能していたのだ。
だが。
「負傷者多いな……」
戦闘後、甲板には傷ついた船員達が横たわっていた。
噛み傷。裂傷。打撲。
命に関わる傷もある。
エリセアは必死に回復術を使い続けていた。
だが。
「っ……」
彼女の呼吸が乱れる。
魔力切れが近い。
「まだ……あと二人……」
額に汗が滲む。
マギルはその様子を見て、小さく息を吐いた。
そして。
「エリセアさん」
「……何ですか」
「魔力、渡します」
エリセアが目を見開く。
「あなた、また――」
「今なら戦闘終わってます」
マギルは静かに言った。
「魔術師の出番、しばらくないですよね?」
「……」
「なら、大丈夫です」
そう告げて。
マギルは彼女へ手を伸ばす。
魔力が流れていく。
自分の中の熱が抜け落ちる感覚。
視界が少し揺れた。
「っ……」
エリセアが息を呑む。
流れ込んできた魔力は、驚くほど澄んでいた。
他人の魔力なのに、拒絶感が少ない。
「……どうして」
「目の前で困ってる人がいるので」
マギルは苦笑した。
「放っとくと寝覚め悪いんです」
エリセアは数秒黙り込み。
そして、小さく唇を噛む。
「……馬鹿です」
「知ってます」
だが彼女は、その魔力を受け取った。
そして再び回復術を展開する。
淡い光が、負傷者達を包み込んでいった。
◇
その夜。
「う゛ー……」
マギルは再び船室で沈んでいた。
「また倒れてる……」
レジーナが呆れ顔で覗き込む。
「魔力空っぽです……」
「学習しねえなぁお前」
「でも全員助かったのでヨシ……」
「よくねえ」
だが。
結果として。
乗組員にも、商人一行にも死者は出なかった。
交易船は航海を続け。
数日後。
マギル達を乗せた船は、無事に上陸地点となる港湾へ到着する。
港へ近づくにつれ、景色が少しずつ変わっていった。
ゲブラーのような黒煙と火山灰の空ではない。
空は明るく。
海は深い青を映している。
巨大な帆船や交易船が幾重にも停泊し、港湾では無数の荷運び人達が忙しなく動き回っていた。
「……賑やか」
甲板へ出たマギルは、思わず呟く。
ヴァルガロムにも活気はあった。
だが、こちらは方向性が違う。
鉄と炎の工業都市ではなく。
金と物流の街。
そんな空気を感じた。
「あれが“栄光と交易の領域ホド”の港湾都市、ルミハルトだ」
隣でレジーナが言う。
「ここで一旦下船する」
「ここ、ネツァクじゃないんですね」
「ネツァクまではまだ陸路だ」
狩人シグが欠伸混じりに補足する。
「海路で直接行くより、こっち経由の方が安全なんだよ」
「領域間交易の中継地点でもありますしね」
エリセアも続けた。
ホド。
“栄光と交易の領域”。
名前の通り、流通と商業で栄える土地らしい。
港を見渡すだけでも分かる。
様々な種族。様々な衣装。様々な言語。
商人達の熱気が渦巻いていた。
「うわぁ……異国感すごい」
「ここはまだ入口だぞ」
レジーナが笑う。
「ネツァク行くともっと変わる」
交易船がゆっくり接岸する。
重い汽笛。
軋む縄。
乗組員達の怒鳴り声。
そして。
「荷下ろし急げー!」
「そっちの木箱は商会印付きだ!」
港全体が巨大な市場のようだった。
マギル達も荷物を持って下船する。
地面へ足をつけた瞬間。
「……陸だ……」
マギルが心底安心した顔で呟いた。
「生還した……」
「大袈裟だなぁ」
「船酔い舐めないでください……」
レジーナが吹き出す。
一方でエリセアは、少し疲れた顔をしていた。
マギルから受け取った魔力で回復術を酷使した反動もあるのだろう。
視線が合う。
数秒。
エリセアは何か言いたげに口を開きかけ。
だが結局、小さく息を吐いただけだった。
「……行きますよ」
「はい」
まだ距離がある。
ここから更に内陸を進み、“蒼き砂海の領域ネツァク”を目指すのだ。
港湾区画の向こうには、大きな街道が伸びている。
交易路。
多くの旅人が行き交う道。
その遥か先に、ネツァクがある。
マギルは乾いた風を受けながら、静かに目を細めた。
胸の奥が、少しだけ騒いでいた。
この先に。
自分がこの世界へ来た理由の欠片がある。
そんな予感だけが、確かにあった。
…俺達の戦いはこれからだ!
(リピート鑑定依頼待ち)




