第二章 第六節〜攻略前夜〜
滞在八日目の昼。
長期遠征者用宿舎の会議室には、紙をめくる音だけが静かに響いていた。
机の上には冒険者ギルド ビナー支部 トンネル都市拠点から共有された大量の資料が広げられている。
現在判明しているダンジョン内部の地図。
遭遇した未知の魔物についてまとめられた観察記録。
そして――『第一次探索報告書』。
クレイス、騎士、赤髪の女狩人、盗賊、小柄な女僧侶、そしてソフィア。
六人は机を囲み、それぞれ資料へ目を通していた。
◇
「思った以上に苦戦してるな」
騎士が報告書から顔を上げた。
太い指でページを叩く。
「探索自体は進んでる。だが攻略は別問題か」
盗賊も頷く。
「連戦で削られて撤退。こっちも撤退。あっちも撤退」
報告書には似た記述が何度も並んでいた。
地下二層到達。
交戦。
消耗。
撤退。
地下二層到達。
交戦。
撤退。
地下二層が一つの壁になっているのは明らかだった。
◇
赤髪の女狩人は未完成地図を眺める。
彼女は元々、知らない土地の地図を見るのが好きだった。
だが今回ばかりは妙な違和感がある。
探索済み区域。
未確認区域。
階段。
分岐路。
全体像はまだ見えない。
それでも何故か作為的なものを感じる。
(妙なんだよね)
天然の洞窟ではない。
誰かが設計したような構造。
けれど廃墟にしては綺麗すぎる。
まるで誰かが使うことを前提に造った場所のようだった。
◇
報告書には新たな魔物についても記されていた。
顔の代わりに何も描かれていない銀色の仮面を付けた木偶人形。
現在の呼称。
『顔無しのデクル』
「この名前、誰が付けたんでしょうね」
女僧侶が首を傾げる。
「さあな」
騎士が腕を組む。
「最初に見つけた連中じゃねぇのか?」
「背笑いのミムルに続いて顔無しのデクル、か」
赤髪の女狩人が苦笑した。
「なんか統一感あるよね」
「確かに」
ソフィアも頷く。
「特徴そのままって感じです」
冒険者らしい単純明快な名前だった。
覚えやすいし伝わりやすい。
盗賊は資料を眺めながら口元を緩めた。
(いや、それ絶対あの流れだろ)
背笑いのミムル。
あれはクレイスが付けた名前だ。
そして顔無しのデクル。
命名の雰囲気が妙に似ている。
おそらく後続の冒険者達が真似したのだろう。
最初の命名者が分かりやすい名前を付けると、後の連中も自然と同じ調子になる。
冒険者という生き物は案外そういうものだった。
◇
ソフィアも資料へ目を通していた。
宝箱出現報告。
未知の魔物。
地下二層。
探索記録。
読むほどに胸が高鳴る。
危険なのは分かっている。
だが。
(冒険してるなぁ……)
思わず頬が緩む。
ケテルで活動していた頃。
彼女の冒険者生活は即席パーティばかりだった。
依頼を受ける。
集まる。
終われば解散。
それが当たり前だった。
固定パーティなど縁がなかった。
だからこそ。
今こうして皆で資料を囲み、明日の探索を相談している時間が楽しい。
自分が憧れていた冒険者の姿そのものだった。
「ソフィア」
「はい?」
「なんか嬉しそうだな」
騎士が笑う。
ソフィアは少し慌てた。
「そ、そんなことないですよ?」
「いやあるな」
「あるね」
狩人も笑う。
「分かりやすい」
「顔に出てる」
盗賊まで頷いた。
「えぇ……」
ソフィアは耳を赤くする。
△
▽
クレイスはそんなやり取りを聞きながら窓の外を見ていた。
トンネル都市の灯り。
行き交う人々。
遠くから聞こえる鍛冶場の音。
だが意識は別の場所にあった。
昨夜のことだ――
◇
滞在七日目夜。
研究員達との調査報告を終えた後。
クレイスは主任研究員の部屋を訪れていた。
「失礼します」
「入ってくれ」
部屋の中には大量の資料が積み上がっていた。
地底湖。
氷鏡の洞窟。
未知のダンジョン。
全てが混在している。
◇
主任研究員は椅子へ腰掛けたまま言った。
「まず結論から話そう」
クレイスは黙って耳を傾ける。
「君の記憶との一致率は?」
「入口周辺と地下二層まではほぼ一致しています」
「やはりか」
主任研究員は頷いた。
「未知の魔物も一致するのかね」
「ええ。確認されている二種類は、どちらも記憶にある魔物です」
「顔無しのデクルもか」
「姿も習性も一致しています。ただ、その名前は本来のものではありません」
「なるほど」
◇
「私の見立てでは」
主任研究員が言う。
「今回出現したダンジョンと魔物は、君の記憶を再現している可能性が高い」
クレイスも同意見だった。
偶然では説明できない。
あまりにも一致している。
「だが問題はそこではない」
主任研究員は机へ肘を置いた。
「私は力の保存と継承を研究している」
魔術。
技術。
知識。
経験。
人が一生をかけて積み上げたもの。
それを保存し、別の人間へ受け渡せないか。
それが主任研究員の研究テーマだった。
「しかし今回起きている現象は、その範疇を超えている」
静かな声だった。
「知識だけではない」
「場所そのものが再現されている」
クレイスも頷く。
まさにその通りだった。
◇
「原因は地底湖ではない」
主任研究員は断言した。
「手掛かりは氷鏡の洞窟にある」
「俺もそう思います」
「だから調査を優先した」
未知のダンジョン攻略を急がなかった理由だった。
「氷鏡の洞窟の調査結果も、まだ整理の途中だ」
主任研究員は机の上の資料へ視線を落とした。
そこには採取された氷のサンプルや観測記録が積み上がっている。
「結論を出すには時間が掛かるだろう」
そして。
主任研究員はクレイスを見る。
「その間に、君達探索班にはダンジョンの調査兼攻略を進めてもらいたい」
クレイスは頷いた。
「既にギルドの冒険者達も攻略を開始している」
主任研究員は未完成の地図へ視線を落とす。
「だが報告を見る限り、地下二層で足踏みしている状態だ」
連戦による消耗。
未知の魔物同士の連携。
そして先の見えない構造。
報告書からも苦戦の様子は明らかだった。
「もし君の記憶と一致しているなら、彼らだけではいずれ行き詰まる可能性が高い」
「……そうですね」
クレイスも否定しなかった。
少なくとも地下二層以降は、知識の有無で危険度が大きく変わる。
構造を知らずに進めば消耗は増え続けるだろう。
「だが君は違う」
主任研究員は静かに言った。
「ダンジョンそのものを知っている」
クレイスは黙っていた。
「もちろん記憶通りとは限らない。油断は禁物だ」
主任研究員は続ける。
「それでも先行探索者達より圧倒的に有利なのは間違いない」
未確認区域。
危険箇所。
魔物の傾向。
それらを把握している可能性がある。
それだけで探索効率は大きく変わる。
「学術院にとってダンジョン攻略は目的ではない」
主任研究員は続ける。
「研究を進めるための手段だ」
必要な情報を得る。
そのためにダンジョンを探索する。
探索を続けるためには障害を取り除かなければならない。
そして探索班の生存率も上げる必要がある。
「だからこそ、君の知識を最大限活用する」
主任研究員は未完成の地図を指先でなぞった。
「幸い、この二日でギルド側もかなりの情報を集めてくれた」
地下二層までの地図。
未知の魔物の特徴。
戦闘記録。
撤退事例。
先行した冒険者達が得た情報は決して少なくない。
「彼らは攻略に苦戦している」
主任研究員は静かに言う。
「だが、その苦戦も無駄ではない」
どこで消耗したのか。
何が脅威なのか。
どこまで進めたのか。
その全てが次の冒険者の糧になる。
「彼らの報告は、君の記憶が正しいかを確かめる材料にもなる」
「加えて、ビナーや冒険者ギルドへ貸しを作ることも出来る」
主任研究員は小さく笑った。
「未知のダンジョンの攻略に貢献すれば、今後の調査も進めやすくなるだろう」
◇
「もっとも」
主任研究員は苦笑した。
「我々が刺激した結果だとしたら、実に研究者らしい失敗だがね」
クレイスは思わず眉をひそめた。
冗談として流すには、少々笑えない話だった――
◇
「クレイスさん?」
ソフィアの声で我に返る。
「どうしたんですか?」
「いや」
クレイスは窓から視線を戻した。
「少し考え事だ」
そして机の上の地図を見る。
地下二層までの構造。
記憶通りだった。
だが。
だからこそ油断はできない。
ここはゲームではない。
死ねば終わりだ。
やり直しは存在しない。
△
▽
その日の夕方。
会議は解散となった。
六人はそれぞれ翌日の準備へ向かう。
ソフィアは自室へ戻ると机に座った。
白紙の書を開く。
ペンを取る。
そして書き始めた。
背笑いのミムル。
未知のダンジョン。
氷鏡の洞窟。
調査の日々。
仲間達との会話。
少しずつ増えていく思い出。
◇
ペンを走らせながら、ふとクレイスの顔が思い浮かぶ。
未知の魔物への対応。
初めて訪れたはずの場所で見せた反応。
そして時折見せる、何かを知っているような視線。
きっと彼には、まだ話していない事情があるのだろう。
だが問い詰める気はなかった。
世界柱で聞いた転生者の話を思い出す。
前の世界。
失われた過去。
それは簡単に語れるものではないはずだ。
それに。
今ここで無理に聞き出そうとしても、良い結果になる気がしなかった。
せっかく築いた信頼関係に余計な影を落としたくない。
「今は、いいか」
ソフィアは小さく笑う。
いつか本人が話したくなった時に聞けばいい。
そう思いながら、再び白紙の書へ視線を落とした。
◇
翌朝。
滞在九日目。
クレイス達六人は氷鏡の洞窟へ向かっていた。
そして。
何度も足を運んだ氷壁周辺へ到着した時。
「うわぁ……」
ソフィアが思わず声を漏らした。
景色が変わっていた。
巨大な鉄格子。
頑丈な鉄扉。
黒い岩肌へ固定された鉄製の檻。
未知のダンジョンへ続く大穴を完全に封鎖している。
その周囲には多くの冒険者達が集まっていた。
物資を整理する者。
地図を広げる者。
情報交換を行う者。
臨時の野営地のような賑わいだ。
人が集まったせいか周囲の氷も一部溶け、黒い岩肌が露出している。
◇
「すげぇな」
騎士が感心したように言う。
「もう前線基地じゃねぇか」
「新しい迷宮が見つかったって聞いた時の冒険者なんて、だいたいこんなもんだよ」
狩人が笑った。
「違いねぇ」
盗賊も肩を竦める。
研究員達を先に連れて来て調査を済ませたのは正解だった。
今では探索者が多すぎる。
純粋な現地調査は難しかっただろう。
◇
ギルド職員へ身分証を提示する。
職員が頷き、頑丈な鉄扉が開かれた。
六人は鉄格子の内側へ足を踏み入れる。
その先には、氷鏡の洞窟の奥へ続く通路が伸びていた。
未知のダンジョンがあるのは、その先だ。
氷壁に開いた大穴を抜け。
数分ほど進んだ先。
石造りの迷宮が姿を現す。
クレイスは静かに息を吐いた。
懐かしい場所。
そして今は未知の場所。
「行こう」
その一言に。
五人が頷く。
◇
こうして六人は、未知のダンジョンとして知られる迷宮の攻略を開始した。
まだ誰も知らない異変の核心へ向かって。




