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異世界転生数秘術〜転生するのはあなたです〜  作者: Z.KEY
XNo.16 施しの魔術師 マギル編
1/7

プロローグ〜セフィロトにようこそ〜

 雨の匂いが染みついた古いアパートだった。


 四畳半の部屋に置かれているのは、折り畳み机と安物の寝具、それに湯気の消えたカップ麺の容器だけ。窓の外では、深夜の道路を走るトラックの音が、絶え間なく壁を震わせていた。


 彼女は、薄暗い部屋の中でスマートフォンの画面を閉じる。


「……今月も、ギリギリか」


 口に出してみても、誰も返事はしない。


 学生時代に親を亡くし、借金だけが残った。高校を出てからは昼も夜も働き詰めで、食費を削り、睡眠を削り、人付き合いを削り続けた。


 誰かを頼るという選択肢は、早い段階で捨てていた。


 頼れば、相手に負担を背負わせる。 甘えれば、いつか見捨てられる。


 だから彼女は、一人で考え、一人で耐え、一人で生き延びる方法ばかり磨いてきた。


 けれど――。


「……あー、もう」


 彼女は小さく笑った。


 その日、職場の後輩が泣きながら相談してきたのだ。家賃が払えず、弟の学費も足りない、と。


 断る理由はいくらでもあった。


 自分だって余裕などない。 貯金だって、ようやく積み上がり始めたばかりだ。


 それでも彼女は、財布から生活費を抜き取り、後輩へ振り込んでいた。


『なんで、そこまでしてくれるんですか』


 震える声でそう聞かれた時、彼女は少し考えてから答えた。


『今のあんたを放っとくと、昔の私を見てるみたいで嫌だから』


 結局、その月はまたカップ麺生活に逆戻りした。


 だが不思議と、後悔はなかった。


 苦しい人間を見捨てる方が、自分にはずっと苦しかった。


 窓の外では雨が降り始めていた。


 彼女は古い電気ケトルのスイッチを押し、壁にもたれかかる。


 昔は、ただ生きるだけで精一杯だった。


 けれど最近は違う。


 借金はほとんど返し終えた。資格も取った。職場でも頼られるようになった。


 少しずつだが、自分の人生を取り戻せている実感があった。


「……そのうち、海でも見に行くか」


 そんな独り言を漏らした、その時だった。


 部屋の明かりが、不意に消えた。


「え?」


 瞬間。


 視界が白く染まる。


 雷ではない。停電でもない。


 光だった。


 どこまでも透き通った、終わりの見えない白光。


 彼女は立ち上がろうとして、身体が動かないことに気づく。


 音が消えた。


 空気が消えた。


 重力さえ、消えていく。


 意識だけが、果てのない白の中へ落ちていく感覚。


『――見つけた』


 声が響いた。


 男とも女ともつかない、不思議な声だった。


『苦境の中で己を磨き』


『力を得てもなお、他者へ与えることを選び』


『燃えるような困難の中で、生を切り開いた魂』


 白い世界の奥で、何か巨大な存在がこちらを見ている。


 姿は見えない。


 だが、理解だけはできた。


 自分とは比べ物にならないほど大きな“何か”だと。


『来るか』


 その問いに、彼女は眉をひそめた。


「いや、説明くらい――」


『汝には資質がある』


「人の話聞いて?」


『新たな世界は、お前を必要としている』


「ブラック企業のスカウトみたいな言い方やめて」


 思わずそう返した瞬間、白い空間が静まり返る。


 数秒の沈黙。


 やがて、その存在はどこか愉快そうに告げた。


『面白い』


「いや、だから説明を――」


 その瞬間、世界が反転した。


 落下。


 轟音。


 熱。


 焼けるような風が全身を叩く。


「っ――!?」


 彼女は硬い地面に転がり落ちた。


 鼻を突く硫黄の臭い。乾いた熱気。赤黒い空。


 見上げれば、遠方で火山が噴煙を上げていた。


 大地には黒い岩肌が広がり、地熱の蒸気が白く噴き出している。


「……は?」


 混乱したまま身体を起こした彼女の耳へ、遠くから鐘の音が届く。


 海の方角だった。


 振り向けば、赤銅色の巨大な港湾都市が見える。


 無数の煙突。立ち昇る黒煙。鉄を打つ轟音。海を行き交う大型船。


 灼熱の荒野と、鉄と炎の街。


 その異様な光景を前に、彼女は呆然と立ち尽くした。


 すると。


 頭の奥に、静かな声が響く。


『セフィロトへようこそ、転生者』


 彼女はしばらく黙り込んだ後、乾いた声で呟いた。


「……とりあえず、水欲しい」


 その言葉と共に、異世界での彼女の人生が始まった。

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