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「最初から決まってたの!?」
私は、手にしていたお茶がこぼれそうな勢いで、前のめりになる。ジェレミー、お父様とお母様の三人で居間にいた。結婚の許しをもらうつもりが、事の顛末を三人から聞かされていた。
「最初からではないけどね。それに、そもそもジェレミーのことが大好きだったのはアイリスだよ?」
「私?」
お父様の答えに、はてな、と首をかしげる。
「八歳の頃から、王太子様のお茶会に招待されていたでしょ。私たちは、お茶会にアイリスと気の合うご令嬢やご子息がいればと思っていたんだけど、アイリスは全く興味を持たなくて。お茶会に行っても、一人で過ごしているから、どうしてみんなと遊ばないのって聞いたら……ねぇ?」
お母様は、お父様と相槌をうって、続ける。
「ジェレミーがいいって。話も楽しいし、かっこいいし、一番素敵だって。早く家に帰りたいって言って、よく困らせたのよ」
それ、人見知り作戦の一環だったやつだわ。でも、そんな言い方はしていないと思う。
恥ずかしさで、赤くなる。
「それに、二人ともずっと一緒にいたでしょう。家庭教師の先生に教わる時も、遊ぶ時も。毎日決まって三時に、二人が一緒にお茶をする様子は、小さな紳士と貴婦人みたいで可愛らしかったわ。そうそう、小さい頃は、一緒に寝ていたこともあったわね。自分の部屋で寝かせようと、抱き上げようとしたら、手を繋いでいたから、かわいそうでそのままにしたのよ」
懐かしいわと、お母様が目を細める。
「こうして四人で一緒にいる時も、アイリスは、ジェレミーのことをとても気にしていたしな」
お父様が笑顔で、追い討ちをかける。
もう、いいです、お父様、お母様。なんの羞恥プレイですか。キーフラグをへし折るための行動が、すべて両親に筒抜けだったなんて。
暑くもないのに汗が出る。私は気持ちを落ち着けようと、お茶を飲んだ。
ちらりと横を見ると、隣に座って嬉しそうに話を聞いているジェレミーと目が合う。
「アイリスがお茶会で、僕のことをあまりにも褒めるものだから、殿下が僕に興味を持たれてね。それからは、僕もお茶会に招待されるようになったんだよ」
ジェレミーにとどめを刺されて、お茶を吹き出しそうになる。
途中からジェレミーも参加するようになって、疑問に思ったことがあったのよね。私、殿下に、何言ったのかしら。恥ずかしすぎる。
「アイリスがそこまで好きならと、他の婚約のお話は断ることにしたのよ」
自分に婚約者がいない理由がよくわかった。しかも、私のキーフラグ撲滅運動が両親に筒抜けだったおかげで、私を溺愛する両親によって、結果的に、キーフラグが完膚なきまでに破壊されていたとは。ジェレミーは巻き添えを食らった感が否めないが……私は遠い目をした。
「婚姻は、二人ともまだ子供だったし、何よりアイリスがどこまで自覚しているのかわからなかったから、しばらく様子を見ることにしたんだよ」
「そうよ。アイリスが、全く自覚がなさそうだったから、正直どうなるかと思ったわ」
お母様が眉を下げて、心配したのよ、と言った。
はい、全く自覚がありませんでした。それどころじゃなかったし。
「二人が大人になっても、好き合っていたら、婚姻は認めるつもりだったんだ。私達にとっては、二人とも可愛い子供だからね。二人が公爵家を継いでくれるなら、嬉しい限りだよ」
両親の眩しい笑顔に、私は笑うしかなかった。
ジェレミーの部屋で、私達はソファに座ってくつろいでいた。
「ジェレミーはいつから知っていたの?」
「十一歳の時だよ。お茶会にアイリスが行くようになってしばらくして、公爵様からお話があったんだ。アイリスが、すごく僕のことを気に入ってくれてるって聞かされて。僕は嬉しくて、すぐに承諾したんだよ」
そんな頃から……私一人知らなかったんだ。あんなに一生懸命、キーフラグをへし折るために頑張っていたのに。
「あれくらいの年頃の女の子って、勉強より可愛いものが好きだったりするでしょう? なのに、アイリスは可愛いものにはあまり興味がなそうで、代わりにすっごく勉強してたよね。凄まじい気迫だったよ。お妃になりたい訳でもないのに、なんであんなに頑張ってたの? まあ僕としては、何もしなくても、悪い虫がつかなくて、願ったりだったけど」
自ら殺虫剤撒いていたなんて。ジェレミーが殿下との婚約について、何回も質問してきたことにも納得。
自分の努力が随分明後日な結果を招いていたことに苦笑する。
「私ね、一人で生きていくつもりだったの」
「え!? そうなの!?」
ジェレミーの慌てた様子がおかしくて、私はおもわず笑ってしまった。ジェレミーが拗ねて、ふいと顔を逸らす。
「ごめん、ごめん。あの頃、意味もなく焦燥感に駆られてて。一人で生きていかなきゃって思っていたの」
キーフラグをへし折るためだなんて、言えない。前世の記憶があるとか言うと、医者を呼ばれかねない。
私は、現実世界だと言いながら、結局はゲームの世界に囚われて、回避することばかりを考えていたのだろう。
今だから言えるんだろうけど。
それにしても、すべて思い出さなくて良かった。もしもっと悲惨な最期を迎えることを幼い頃に思い出していたら、耐えられなかったわ。十年もの間、悲惨な最後に怯えながら、頑張れる気がしないもの。気がおかしくなりそう。
解放感から、全身の力が抜けていく。私の横でジェレミーは、静かに耳を傾けてくれている。背中に回された手の温もりが、布越しにも心地いい。
「私ね、学園を卒業したら、魔法省へ就職するつもりでいたの。……実はね、入省試験に合格したの。昨日手紙がきたの」
ジェレミーは驚いた表情で私を見る。
「アイリスは本当にすごいな。僕としては、このまま家にいてほしい気もするけど、すごく努力してきたことも知っているからね。せっかくだから勤めてみたらいいんじゃないかな」
「え、本当に!?」
予想外の言葉に、私は胸がおどる。
「構わないよ」
「嬉しい!! ジェレミー大好き」
私はジェレミーに目一杯抱きついた。毎日一緒に王宮に通勤だね、ジェレミーは私を抱きとめながら、囁いた。
*
私はドレスの裾を少し上げるように摘み、ゆっくりとホールの入り口への階段を上がっていく。
今日でこの学園ともお別れね。
三年前、決意を胸に、この階段を登ったことが懐かしい。
あれからすぐに、ジェレミーとの婚約が発表され、半年後に結婚式を挙げることになった。
新居は公爵邸の離れに決まった。どこか借りてもよかったが、ジェレミーが両親と相談して、仕事や警備のことを考えると、公爵邸の離れが一番良いということになった。離れといっても、居間や寝室に加え、食堂やちょっとした台所、お風呂もあり、二人が暮らすには十分な広さと機能を備えている。
三年後にジェレミーと婚約して、この階段を登ることになるなんて、何が起きるかわからないものね。
隣でエスコートするジェレミーは、黒に銀糸の刺繍が施された上着と揃いのズボン、中には白のシャツの上にグレーのベストという、シックな装いだ。
私はといえば、平均点の令嬢を返上することにした。
ドレスはすみれ色で、スカートには同色のシフォンが波打ち、後ろには黒のシフォンを幾重にも重ねたリボンが緩やかに裾に向かって流れている。レースで囲まれた胸元の中央には、黒いリボンが飾られ、ドレスと揃いの手袋をはめていた。
髪は緩く編み上げ、首のあたりでまとめてアクアマリンと真珠が散りばめられた髪飾りをつけ、首には揃いのネックレスをつけている。どちらもジェレミーから婚約のお祝いとして贈られたものだ。
ジェレミーは、私のドレスとお揃いになるようにと、すみれ色のタイを締めている。
私が見惚れていると、視線に気づいたジェレミーが、目を細めて微笑む。
「いつにもまして綺麗だよ。ドレスもアクセサリーも、アイリスによく似合っている。誰にも見せたくないくらいだよ、特に虫どもには」
ジェレミーは素早く私の頬に口付けをした。
「っ‼︎ こんなところで! 誰かに見られたらどうするのよ」
「真っ赤になって可愛い……誰もみていないって。婚約してるんだし大丈夫だよ。ところで、見られてなかったらいいの?」
「知らない」
これ以上赤くなった顔を見られたくなくて、私は顔を背ける。
扉が開き、私たちは歩みを進める。皆が一斉に振り返り、感嘆の声に混じって私に向けられたと思われる、驚愕の顔が見える。
好奇の目に晒されながら、私たちが一通り挨拶を終えた頃、王太子様が入場された。妹の王女様をエスコートされている。続いて、エミリア様とレイモンド様も入場された。舞台でも見ているような、美しく荘厳な雰囲気にため息が漏れる。
「……見とれすぎ」
横を見ると、やや拗ねたようなジェレミーと目が合う。
「見とれていないわよ」
勘違いしているジェレミーに呆れた視線を送る。
「エミリア様、今日ご出席されたのね」
私は、疑問を口にした。正式決定ではないとはいえ、婚約を解消したのだから、エミリア様は出席されないと思っていた。
「エミリア嬢は、欠席されるつもりだったんだけど、殿下が参加するように言われたんだよ。今回の婚約解消は、双方に問題がないこと、エミリア様が嫁ぐことで、両国に諍いが起きていないことを示す必要があるからね。
殿下が言われるには、先々代の国王の王妃様、つまり殿下の曾祖母様が、政略結婚で随分苦しい思いをされたそうだ。それをそばで見ていた、先代の国王様や現国王様が、一人の女性さえも幸せにできないのに、どうして国を治めることができようかって。王妃の役割は重責だからね。政略結婚であっても、互いに手を取り合う関係を築くことが大切だとお考えで、物事の判断がつく年頃に、婚約者を正式に決定することになったんだって」
「そうなの」
「長い目で見て、国政を安定させるってことだろうね。今回の件について、殿下は、婚約者の問題さえ乗り越えられないなら、それまでの器だったってことだと言われてた。
何よりも、殿下は、エミリア嬢に学園最後のパーティーを楽しんで欲しかったんだと思うけど」
本当にゲームは関係なくなってしまったのね。
私は感慨深げにふた組の入場を見ていた。彼らは、向けられる好奇の視線に臆するどころか堂々とされていて、今回の決定が皆にとって幸せであることが伺われた。
私たちに気づいた殿下がこちらに向かってきた。エミリア様とレイモンド様も続く。
「婚約おめでとう、アイリス嬢」
「ありがとうございます、殿下」
殿下とお会いするのは、公爵家へ訪問されて以来だった。ちょうど婚約が解消された時期から、三年生は卒業試験に向けた追い込みが始まるので、学園でお二人とランチをすることは無くなっていた。
「ようやくといった感じだけどね」
殿下の言葉にエミリア様も頷く。まさか、この二人も私とジェレミーの関係を知っていたのだろうか。
「誰が見てもわかるだろうって言うくらい、アイリス嬢は、それはそれは、ジェレミー贔屓だったからね。よかったなジェレミー」
私ってば、一体どれだけジェレミーをべた褒めしてたんだろう。恥ずかしくて、倒れそう。
真っ赤な私の横で、ジェレミーは、当然だと言わんばかりの、涼しい顔をしている。
「ジェレミー、色々と世話になった」
「そうですわ。本当にありがとうございました」
「お気になさらないでください。それはそうと、三日後にご出発でしたね」
エミリア様はレイモンド様と、三日後に隣国に向けて発たれることになっていた。レイモンド様は、短期留学を終えて一度帰国されていて、今回はエミリア様を迎えに来られたのだった。
フロアの中央では、楽団の準備ができたらしく、皆が集まりだしていた。
「さて、そろそろダンスが始まるな。卒業と新たな門出を祝って踊ろうじゃないか」
殿下がダンスを促した。
「お手をどうぞ、お嬢様」
私は、差し出されたジェレミーの手を取る。
私たちは、豪華なシャンデリアに照らされているフロアの中央に進む。そこには、まるでこれから訪れる未来が幸福であるかのように、優しい光が降り注いでいた。
End
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。