休日の顛末 ②
店内の客が消えたことで多少緊迫感の削がれた男の眼がモクに向けられた。
「で、あんたは・・・ああ、親父さんか。」
「いや、恋人。」
速攻で訂正した暁の言葉に男の動きが止る。
暁からは見えないがモクに向けた視線は不愉快そうな光を湛えていた。
「・・・援助交際か。」
吐き捨てる様な響きに暁は首を傾げた。
知らないだろうなぁ、暁じゃぁ。
「若い娘が金目当てにオヤジと付き合う事を云うんだ。」
「それって・・・売春じゃないのか?」
「オブラートを掛けているだけだな、お付き合いをしてお小遣いを貰う体だが実質は確かに売春だ。」
この状況での呑気な質疑応答は男の声で止められた。
「黙ってろ! そこのオヤジは出て行け。」
見返したモクに続ける。
「彼女が大事なら車を用意させろ。」
「俺達の車なら裏の駐車場に置いてあるが。」
「じゃあ・・・廻して来い。」
外に出たモクを真横から警官の手が捉えた。
「大丈夫か、なかはどんな様子だ。」
足早に歩きながら身分証を示すと相手の態度が一変した。
「ちゅ、中佐・・・では人質は・・・」
「同じく立川連隊所属の少尉だ、此処は任せて貰おう。」
「ですが・・」
「警視庁SPの山科さんとは面識がある、確認してくれ。それと立川連隊のG倶楽部に連絡を頼みたい。」
「はっ!」
警官の指示で店の前が大きく開けられた中、モクは車を入り口近くに停めて再び店内へと入った。
「運転は俺がする。おかしな物は付いて無いから安心して乗ってくれ。」
出て来た男は暁のこめかみにピタリと銃口を押し当てている。
これでは狙撃も出来ないとモクは感心してしまった。
男の頭を撃ち抜くだけならSATでも出来るだろうが、反射で発砲されれば暁の生命まで危険に晒される。
案の定、遠巻きにした警官隊の見守る中、男は暁と共に悠々と車に乗り込んだ。
運転席に座ったモクに尋ねたのは走り出してすぐ。
「片目で大丈夫か?」
「ああ、多分そいつより真面だ。何処へ向かう?」
「浦安・・・ディズニーランド近くのヒルトンホテルだ。」
「ああ、其処にターゲットが居るのか?」
ミラー越しに男の表情が動くのが判った。
「・・・・・ああ。何故解かった?」
「さっき、まだ替りが要ると云っていたからな、目的が残って居なければそうは云うまい。女でも寝取られたのか?」
どうやら違うようだ。
呆れたように横を向いた先に暁の眼が有った。
「お前幾つだ、こんなオヤジのオモチャで何が楽しい。」
八つ当たりとも思えぬ真面目な言葉が続く。
「金なんか働けば困る事は無いんだぞ。親を泣かすな、せっかくこんなに可愛く生んでくれたのに可哀想だろう。」
ほほう、これは迂闊な事は出来ないぞとモクは当然、暁も考えたようだった。
「さっきの援助何とかと云う奴か。残念ながら違うなぁ。
親に関して言えば私がこのモクを好きなのを知ってるし、応援もしてくれてる。だいたいお金なんか貰った事も無いし、貰う気も無いしな。それよりこんな騒ぎを起こしてお前の親こそ泣かないのか?」
長い時間が過ぎて出た言葉は、
「・・・・・・・生きて居たら泣くだろうが、生きていたならこんな事にはならなかった。」
「亡くなったのか、ご両親とも?」
「そうだ。」
思いを吐き出すような言葉が続いた。
「親父の経営する会社は順調だった。大きくは無いが一代で起こしたにしては社員数も300人を下らないし、業績も良かった。姉も取引先の三代目社長との縁談も決まっていてこれほど幸せな事は無いと両親も喜んでいた。
ついこの間まではだ。
慎重な親父がどうして先物取引なんかに手を出したのかは判らない。
俺が気づいた時には莫大な損失を抱えていた。会社は姉の婚約者が引き取ってくれると云う事だったが・・・それは仕掛けられた罠だった。
家も土地も人手に渡り手塩にかけて作ってきた会社も手放した両親のもとに警察から電話が入ったのは先週。姉が投身自殺をしたという連絡だった。
遺書に書かれていたのは兄と呼ぶはずだった男が仕掛けた、親父の会社の乗っ取りと破談された事実。妊娠三カ月の姉は・・・耐えられなかったのだろう。
だが、それを知った両親も首を吊って・・・残ったのはお気楽な学生生活を送っていた俺だけだった。
俺に出来ることなんか一つしかない。
先物取引を勧めた男を問い詰めて、姉を裏切った男の居場所を聞き出して殺した。
後一人だ。そうしたら俺も・・・」
長い沈黙の降りた車内にやがて男の声が流れた。
「済まないな。出来るだけ怪我をさせたくないから静かにして居て呉れ。それと・・・本気で好きな男なら余計な事を云ったな、悪かった。」
暁は何も言わなかったがモクが口を開いた。
「姉君とご両親のお悔やみを申し上げる。」
深く低い、何処か優しい声は暁でさえも胸に響いた。
男は詰まった様な声を堪えて頭を下げた。
きちんと育てられたのだろう。
どんな汚いやり方でも形が整っていれば司法は手を出せない。
あくどい手口で家族を失ったこの男にはせめて相手を殺す事しか出来なかったとモクならば解かる。
だが、
「お前のような真っ当な人間がこれ以上手を汚すのは遣りきれんな。考え直す気は無いのか?」
返事の無い事にも構わず続ける。
「それは警官から奪った銃だろう。既に一人を殺して居るが、これ以上その銃で罪を犯せば奪われた警官の将来に関わる。人質になったそいつより悲惨な結末となるのを解かって居るのか。」
さすがに其処まで考えてはいなかったようだ。
「懲戒免職は固いな。罪の分だけ重くなる。お前は死ねば済むかも知れんが、あの女性店員もトラウマは残るだろう。他人の中に出れない状態は想像しただけでも辛い物だ。
そいつを使わずに自分の手で顔の形が変わるまで殴ってやると云うのは考慮できないか。
痛みは覚悟の上だろうし、簡単に死なせるのも業腹な事だ。
自首をして警官に詫びれば今なら首は繋がるだろうし、二人を殺した男に銃を突き付けられた記憶も店員には残らない。
それとも自分の恨みの前には他人の人生なんかどうでも良いか。
彼等にも家族は居ると今のお前なら解かるはずだが。」
「済まないと・・・思っている。年配の警官だったし、家族も居るだろうが・・・本当に申し訳ないがこれだけは許すことは出来ないんだ。
父が何をした、母がどんな罪を犯したっ。姉は・・・幸せになってはいけないのか!」
堪えきれずに泣きだした男をモクはミラー越しにちらりと眺める。
「許して貰おうとは思わない。せめて俺を恨んで、俺が死ぬことで遺恨を晴らして呉れれば良いと・・・」
「死ぬ事でお前の罪は消えるのか。都合の良い考え方だな。」
冷ややかな、今までとは違う言葉に男は顔を上げる。
「人間はそう簡単には死ねないものだ。」
それはモク自身に告げた言葉。
「罪を背負い、心の闇を引きずっても生きて行かなくてはならない。
俺は仲間二人を死なせてただ一人生き残ってしまった。
生きて行く事は出来ないと、このまま死のうと考えていたその時に貰った言葉が有る。
『お前が生きる意味は必ず見つかる、お前が生きる事で生まれる笑顔が必ずある筈だ』と。
その言葉をお前にやろう。
俺の54年の人生の中で二番目に大切な言葉だ。」
胸を突かれた様な表情を暁は黙って見ていた。
静かな車内の空気はその中に緊張をはらんだまま、やがてフロントガラスに華やかな塔を映す。
緊急警戒態勢が敷かれたのは当然だろうが、モクの車の後ろにはパトライトも点けないままの警察車両がぞろぞろとまるでお伴の様に付き従い、車列はそのまま浦安は夢の国へと降り立った。
上空には解かる限りで三機のヘリが飛び回り、おそらく今頃は彼の遊園地も浮き足立っている事だろう。車が向かう先が判らない以上警察は先手を打てない筈だが、街中も道路も一瞬の停滞も無く瞬く間にヒルトンホテルの堂々とした正面玄関前に滑り込んだ。
「さて、この先はどうする。」
落ち着き払ったモクの声に男が応えた。
「まだこの娘を離す訳には行かない、悪いがもう少し付き合って貰うがあんたはもう良い。必ず無事に・・・」
「駄目だな、そいつを連れて行くなら俺も一緒だ。俺は暁から離れる事は無い。」
詰まった男に続ける。
「心配するな、お前がそいつを撃たない以上手を出す気は無い。先触れをして遣る。相手の名前は?」
「・・・根岸高明・・・ペントハウスの常連だそうだ。」
「ペントハウスか。なるほど、良い御身分のようだな。」
フロントでは少々揉めた物の、暁のこめかみに突き付けられた銃口とモクの落ち着いた説得で支配人とベルボーイが先導して最上階のペントハウスへと案内された。
其処に居たのはペントハウス専属のボーイと秘書の女性。
招かれざるゲストに息を飲んで室内に通して壁際に引き下がった。
モクの手が寝室のドアを開く。
「お取込み中失礼する。」
絡み合っていた二つの影が弾かれた様に離れ、男の怒声が響いた。
「何だ! お前はだれ・・・・」
モクの後ろから現れた男の顔を見た途端動きが止った。
「其処の女性は離れてくれ。巻き込みたくない。」
眩い照明の下には蒼褪めた半裸の男と相手の女性しか居なかったが、するりと入って来た秘書が女性の身体をバスローブで包み寝室から連れ去る。
だが根岸と云う男はそれさえ意識の中に無い様だった。
呆けたように見つめている、それに対して男は冷静な声を掛けた。
「服を着ろ。死ぬにしても裸では嫌だろう。」
暁もモクも男の拳銃が既に暁から離れ、空を彷徨っている事を知って居たが二人とも全く気にもして居ない。
今はそれ処では無い。
そそくさと衣服を身に着けて根岸が向き合うと、男は拳銃をごく自然に暁の手に渡して云った。
「根岸、吉田から総て聞いた。お前と組んで父の会社を乗っ取ったそうだな。それだけが目的で姉まで死に追いやったのか。」
「・・・龍之介・・・待て、話を聞いてくれ。」
引きつった様な声が続く。
「私は江梨子を愛していた、だが・・・両親が・・許さなかったんだ。家風に合わないと・・・私に自由は無い。判るだろう、両親が許さなければ結婚などできな・・・」
「お前の子供がいた事は知って居ただろう。」
「・・・・・・・だが・・」
「姉さんはお前を心から信じて居たのに、お前はそれに応える事は無かった。父の会社だけが目当てだったんだな。手に入れば姉などどうでも良かった、そう云う事だな。」
黙り込んだ男の表情が総てを語っていた。
「俺はお前を殺したいと、お前だけはこの手で殺さなくてはならないと思っていた・・・・だから銃まで奪い吉田を撃ち殺したんだ・・・が、俺の為に何の罪も無い第三者をこれ以上苦しめる訳には行かない。」
男の苦汁を飲んだ声が堪えきれずに吐き出された。
「根岸、俺はお前を殴り殺す。この手で、この拳ひとつで殴り殺してやる!」
寝室の扉の両側に立つ暁とモクの前で男の身体が弾ける様に根岸に飛び掛かった。
掴んだ胸倉も、ふるう拳もおそらく男の意識には無いだろう。
型も何も無い。男の思いのたけをぶつける様な、まるで子供の様な滅茶苦茶な掌が根岸に襲い掛かった。
「や、止めろ・・・離せ、離せ!」
男の手を振りほどいた根岸が転げて床に這いつくばった。
「済まなかった。許してくれ・・・」
みるみる腫れあがる顔を血で汚したまま根岸は土下座をする。
それは恥も外聞も無く命を請うためだけの浅ましいと云っても良い姿だった。
肩で息をしながら男はそんな姿を見つめていたが、やがて眼を背けた。瞬間、根岸の身体が跳ね起き暁に飛びついた。
無造作にぶら下げていた拳銃を奪い取るとそれを男に向ける。
「これで逆転だな、ふざけやがって!」
血まみれの顔が歪んで薄汚い本性が其処に浮かび上がった。
「企業の戦いなんかこんな物だ、お前達は負けたんだよ。
せっかく借金を消してやったのに恨みがましく自殺なんかしやがって。お前も親の処に行け。」
硬直した男に向けた銃口が・・・・沈黙を守った。
焦って何度も引き金を引く根岸に声が掛かる。
「弾は抜いた。」
声は確かに若い女性の物、その顔かたちも。
だが、その声の冷ややかな響きは全く別人だった。
「語るに落ちたな。根岸高明、他人に銃口を向け引き金を引くと云う事がどんな事態になるか、その身で思い知って貰おうか。」
落ち着いたモクの言葉に根岸が唖然と立ち尽くす中、警官たちが雪崩れ込んで来た。
男の前に私服刑事が立つが、男の眼は手錠を掛けられ手荒く連れ出される根岸を呆然と見送っている。
「川上龍之介だな、罪状は・・・多いな。公務執行妨害、強盗致傷、銃刀法違反と殺人容疑で逮捕する。だが人質に対しての人道的配慮は私達が確認している。
刑に服し罪を償う機会を無駄にするな。来なさい。」
引かれて行きかけた男の脚が暁とモクの前で止まった。
「迷惑を掛けて申し訳なかった。」
深々と下げた頭にモクの声が掛かる。
「良く思い留まったな、ご両親が自慢できる息子だ。」
ぼたぼたと涙をこぼす男に暁が真顔で続けた。
「人間は必ず死ぬんだ、天国の門で再会する時、胸を張って逢えるように精一杯生きろ。」
何度も頷いた男を刑事が連行する。
入れ替わりに鑑識が入り込む室内を後にモクは暁を連れて外に出る。と、其処には支配人のナイトと専属ボーイのオリ-と秘書のトーイの三人が待ち構えていた。
「トーイ、良く似合うな。」
暁の呑気な一声にだが三人は笑い返す事は無くその視線をモクへと向けた。
(・・・・しまった、忘れてた・・・)
ナイト達がヒルトンホテルに駆けつけたのは、モクのつけっ放しにした携帯端末で車内の会話を聞いて居た為だった。
的は判らないものの警察との連携を取りホテルで待ち構えていた三人の只中に一行は見事に嵌まり込んだ。
当然モクも暁もホテルマンに扮したナイト達に表情ひとつ動かさなかったが・・・
「何でナイトが車で帰るんだ?」
トーイの操るヘリで立川連隊に帰る暁が尋ねたのはオリ-だった。
今頃はモクは居心地の悪い思いをしているだろうとオリ-とトーイは承知していたが、暁には全く通じて居ない。
「身に覚えがあるだろう、俺達は良いがナイトとしてはモクに文句の一つも云わないと気が済まない筈だぞ。」
「・・・・・え、何で解かるんだ。」
真顔で聞かれてオリ-は撃沈した。
そしてその頃、やはりナイトは渋い顔でハンドルを握っていたが、それに対してモクはオリ-が考えるほど居心地の悪い思いはして居なかった。
不自然な長い沈黙の末に口火を切ったのはナイト。
「それで・・・どうする気だ。」
「・・・何をだ?」
煙草の先に火を点けてモクが問い返した。
「あ、あんたは・・・まさか遊びじゃないだろうな。」
上がりかけた声を押さえて冷静さを保とうとしている。
ナイトのこんな真剣な表情は滅多に見られないがモクは動じもせずに淡々と答えた。
「遊ぶほどの時間は俺には無いな。俺は丸ごと全部を暁に呉れてやったから決定権は奴が握っている。」
「キリ-とキッドは・・・」
「あの二人はそんな事は承知だろう。」
でも無いのだが今この場でナイト相手に云う事でも無い。
近い内にフェニックス基地に頭を下げに行かなくてはならないとモクは考えていたが、そんな内心を知らないナイトは横目で先達を盗み見る。
余裕を見せる表情、寛いだ物腰も落ち着いた声も大人の男の魅力が満載で、例えナイトと云えども到底追いつかない。
陸短の教官時代、受け持つ女子学生が軒並み秋波を送ったと聞いた事が有ったが、確かにそれも頷けるほどモクはいい男だった。
ちなみにモクがそれに応えたと云う噂は無い。
数多の誘いを顧みずちびだけを待ち続けて来たのは信じていいだろう。
「・・・了解した。俺が云う事じゃ無いのは判ってるが、ちびは貴方に任せよう。」
「ああ、任せて貰う。」
一歩も二歩も、しかも軽々と余裕で上を行く男にナイトは到底敵わないと改めて思い直した。




