第三話 竜の咆哮
夜明け前の陣地は、静かに張り詰めていた。
焚き火の赤は弱まり、空はまだ白みきらない。兵達は無駄口を叩かず、それぞれ黙って支度を整えている。遠くで馬が鼻を鳴らす音だけが、冷えた空気の中によく響いた。
レオンは天幕の外に出ると、眠たげな顔のまま大きく欠伸をし煙草に火を入れる。
「だぁ~はぁ、腰が痛い帰りてぇ……」
「今さらですか」
すぐ背後から、落ち着いた声が返る。
振り向けば、アリアはすでに支度を終えていた。
白を基調とした聖女服に外套を羽織った姿が、薄明かりの中でも目を引く。
「いや、だって竜だし寒いし眠いし」
「最後の一つが本音ですね」
「全部本音だよ」
アリアはわずかに口元を緩め、それからレオンの手元を見た。
「朝食は食べましたか」
「――食った」
「本当に?」
「疑いすぎだろ!パン二つとスープ一杯、どうだ?」
「それなら合格です」
「なんだよ、その採点」
「その………空腹で前に出られると困りますから」
レオンは肩をすくめ、少し離れた武具台へ歩いた。
そこに立てかけられていたのは、彼の大盾と大槍だった。
聖力を持つ勇者が扱うために、硬く重い漆黒の金属――アダマンタイトで造られている。表面には、いくつもの傷が刻まれていた。
レオンは大槍を手に取り、念入りに点検した。
次に盾を取り、左腕に通して留め具を確かめる。
その瞬間だった。
さっきまで眠たげに欠伸をしていた男から、だらけた気配が消えた。
目つきが変わる。
立ち方が変わる。
呼吸の置き方まで変わる。
同じ男のはずなのに、まるで別人みたいだった。
アリアは小さく息をのむ。
「……やっぱり」
レオンがちらりと見る。
「何がだよ」
「そうやって構えると、ちゃんと格好いいですよ」
「朝から面倒なこと言うな」
「本当のことです」
「そういうの、戦う前に言うな。調子狂う」
ぶっきらぼうに言いながらも、レオンは少しだけ目を逸らした。
アリアはそんな反応を見て、ほんの少しだけ笑う。
そこへ、大きな足音が近づいてきた。
「ガハハ! もう支度は済んだようだな、太陽の勇者!」
エルフの勇者ハンスだった。
朝靄の中でも分かるほど大柄な体に、背負った大剣が異様に似合う。筋骨たくましいその姿は、まるで山が歩いてくるようだった。
「だからその呼び方はやめろって」
「断る!」
即答だった。
ハンスは豪快に笑い、それからアリアへ向き直る。
「聖女アリア殿も、準備は万端のようだな!」
「はい。いつでも出られます、エルフの勇者様」
アリアは柔らかく一礼した。
ハンスも満足げに頷く。
「よし! では最後に役目を確認するかの!」
―――――数刻後
竜の潜む岩場の手前。
浅い谷を挟んだ平地に、討伐軍は四つに分かたれ展開し主力部隊が竜に向かい侵攻していた。
前方にレオンを中心とする盾兵。
左右の谷に魔術師部隊。
そして最後方には後詰が待ち受ける。
見通しの利く小高い谷の斜面に、アリアのための台が組まれていた。
朝日が山の端から差し始めた。
設置された台の上で、アリアが一歩を踏み出す。
風が変わる。
白い袖がふわりと舞い、静かな所作が朝の光を受ける。
戦場を変えるために『 舞 う 』
彼女の足運びに合わせ、白銀の光が戦場をそっと照らす。
淡い白銀の光が地を撫で、戦場に広がっていく。兵達に力がみなぎった。
『聖域展開』。
勝利の女神マリアが考案した、聖女の力。舞によって空間そのものを有利な場へと変える。戦況そのものを変える力。
<邪を払い、敵を弱らせ、味方には力を与える>
レオンが声を上げる。
「よし、やれ!」
兵の一人が銅鑼を叩き、大きく響かせた。
直後、岩場から唸るような咆哮が轟き、竜が飛び出してきた。
「放て!」
兵士長が叫んだ。
次の瞬間、矢が竜へ降り注いだ。
効くはずもないが倒す必要はない。
轟音。
土煙。
砕ける岩。
竜は暴れ、怒り、地の底を揺らすように走ってくる。
「・・・・・・来る!」
レオンが目を細め聖力を全身から放出し身体を強化、神秘的な白銀の光で包まれる。
「暴れるなよ、気持ち悪ぃ」
同じく聖力で強化され白銀の輝きを放つ大盾で竜を受け止めた。
竜が大きく胸を膨らませる。
「来るぞ!」
レオンが叫んだ、その直後。
咆哮。
音というより衝撃だった。
空気そのものが殴りつけてきたような圧力だが、前列の兵達は大盾を合わせ必死に堪える。
直後、白銀の光が強くなった。
兵達の中に力が湧き踏ん張り耐えた。
「……やるじゃねぇか、アリア」
レオンが小さく呟く。
その後も、主力部隊は竜の攻撃を受け誘導しながら後退していた。
「予定通りだ! このまま下がり合流だ!」
レオンは声を張り上げ、将兵を鼓舞した。
やがて予定地点に到着した。
竜へ巨石が叩きつけられ、上空から氷塊が降り注ぐ。
砲術部隊による砲撃魔術だ。
主力部隊は、砲撃が終わるまで待機する。
「がはは、うまくいったのう! よくやった、太陽の勇者殿!」
ハンスが豪快に笑いながら歩み寄ってきた。
後詰部隊が合流したのだ。
騎士達はいくつかの隊に分かれ、竜の進路を絞る。
レオンとハンスを中心に左右へ散って、勇者達の援護に回った。
「さて、手合わせ願おうか!」
ハンスは真正面から斬り込む。
大剣が唸り、竜の前脚へ叩きつけられた。
火花が散り、鱗に浅くも確かな傷が走る。
竜が怒りに任せて爪を振るう。
ハンスはそれを大剣の腹で受け後方へ滑ると笑った。
「がはは、こりゃあ重いわい!」
「馬鹿か、あいつ」
呆れながらも、レオンは走り竜の正面へ出る。
大盾を前に出し、距離を詰める。
竜の右腕が薙ぐ。
重く速い。だが見えないほどではない。
受ける。
衝撃が右腕から全身へ抜ける。足が地を削る。
「っ……なるほどな」
次は左腕。
次は噛みつき。
そしてまた、胸が膨らむ。
「咆哮の前に溜めがある!」
レオンが叫ぶ。
「大丈夫です。私も協力します!」
谷の斜面からアリアの声が張った。同時に、白銀の光が強くなった。
盾兵が前に出て盾を構え、身を伏せた騎士達の壁になる。 咆哮が放たれるが、先ほどより被害は小さい。準備があるだけで違う。
「もう一つ!」
レオンは竜の首元を見た。
咆哮の直前、喉元の鱗の一部だけがわずかに開く。 硬い外殻の継ぎ目。呼吸と発声のために、完全には守りきれない箇所。
「ギャーギャーうるせぇのはアリアだけで十分だっての」
レオンは地を蹴った。
竜がこちらへ前脚を叩きつける。大盾で受け、大槍を突き上げる。
槍先が喉下の隙間へ刺さり、深く食い込んだ。
血が飛び、竜が絶叫する。 巨体がのけぞり、首が上がる。大きな隙だった。
「今だぁぁぁっ!」
工作兵達が一斉に網を竜へかける。
「退けえぇい!」
直後、ハンスが吠えた。
聖力を振りかぶっていた大剣へ溜めていた。
「皆で作った隙じゃ!ありがたく頂戴する!」
ハンスは一気に距離を縮め、白銀に輝く大剣が線を引く。
振り下ろされた斬撃は、竜の首筋へ深々と食い込んだ。
鈍い破砕音。
鱗が割れ、骨が軋み、巨体が大きく傾ぐ。
ハンスはさらに吠え、もう一歩踏み込み大剣の白銀の輝きが増した。
「そぉら!沈めぇぇぇっ!」
ついに竜の頭が落ちた。
竜の巨体が大地を揺らして崩れ落ちる。土煙が上がり、しばらく痙攣したのち、ようやく完全に動きを止めた。
静寂。
「がははは、竜を討ち取ったぞ!皆での勝利じゃ!」
ハンスは大剣を大地へ突き立て勝ち鬨を上げた。
次の瞬間、討伐隊から大きなどよめきが上がった。
「討ち取った……」
「やったぞ!」
兵たちの声が、歓声へ変わっていく。
レオンは大槍を振って血を払い、大きく息を吐いた。
「っはぁ……疲れた……」
「ガハハ! 見事だ、太陽の勇者!」
「だからその呼び方――んなっ!?」
そう言いかけたレオンが、突然、真剣な顔で自分の身体中をまさぐり始める。
「太陽の勇者様、ご無事ですか!」
騎士が心配そうに声をかけた。
「だぁー! あの咆哮を受けた時か!? 持ってた煙草がパーだ!」
懐から出てきたのは、潰れて見るも無残な姿になった煙草だった。
レオンは活力を失い、げっそりとした顔でそれを見つめる
そこへ、聖域を解いたアリアが駆け寄ってきた。
外向きの穏やかな表情は保っている。けれど、その目だけは少し本気で心配していた。
「レオン」
「大丈夫だって。本当に煙草が潰れただけだ。なんだ? 一緒に吸いたいのか?」
レオンがそう言って歯を見せると、
「……バカ」
アリアはそう言って、顔を逸らした。
ハンスが大剣を肩に担ぎ、豪快に笑った。
「よし! 勝ちは勝ちだ! 負傷者の確認を急げ! 兵達は持ち場を離れるな!」
騎士と兵が一斉に動き出す。
僧侶隊は負傷者のもとへ走り、魔術師達は警戒を続ける。
戦いは終わった。
だが、戦場の仕事はまだ終わっていない。
レオンは竜の骸を見上げ、短く鼻を鳴らした。
「……ほんと、面倒な仕事だった」
「でも、あなたのおかげで多くの人が犠牲にならずに済みました。皆を代表して、お礼を言わせてください。ありがとうございます、太陽の勇者様」
アリアはレオンに向き直り、笑顔で頭を下げた。
レオンは竜の骸へ顔を向けたまま、横目でアリアを見る。
少しだけ間を置き、面倒くさそうに言った。
「……まあな」
アリアの口元が、ほんのわずかに緩んだ。
だが、すぐに固く結ばれる。
人類の為……聖人法……必要なこととはいえ、こんな戦場へ彼を連れてきたことで胸が痛い。
………あの時 砲撃が始まった時、彼の動揺が、聖域を通じて伝わってきた。
レオンは空を見上げ、横目でちらりとアリアを見た。
「なんだかんだ、来てよかったよ。面倒だが、人を助けられたってのは気持ちがいいもんだ。こんな俺連れてきてくれて、ありがとよ。アリア」
早口でそう言うと、
「タバコ! 誰か、タバコくれー!」
と人混みの中へ走っていった。
アリアは一瞬、キョトンとしていた。
だが、すぐに俯き、
「本当にありがとう。レオン」
呟いた彼女の耳は赤かかった。。




