第十話 終わらない物語の約束はあなたと共に その2
一方。
「聖ワシリイ会の者達ばかりがなぜ!?」と、神官達の戸惑う声に、ムスケルが思わず「それよりこっちの結界を張るのを手伝って欲しいんだけどな!」とぼやいた。
旧神殿を取り囲むように結界を展開していたムスケルと聖竜騎士団だったが、そこに大神殿へ無言、無表情で不気味な雰囲気でやってきたのは、修道僧や修道女、まだ年若い少年や少女も混じっていた。
彼らはいきなりこちらの二重の結界の中に入ろうとした。ムスケルがとっさに、聖竜騎士団達の結界を彼らへと向けさせて、自分の結界のみで旧神殿をおおい続けた。
しかし、旧神殿からふくれあがる不穏な空気が、張った結界越し、びりびりと伝わってくる。いくらムスケルが攻撃はからっきしだが、防御特化型でもこれはヤバくないか?と思ったときに、旧神殿の結界が一部破られた。それと同時に扉が開く。
そこから飛び出したきたのは大神官長に史朗、そして見知らぬ少年二人であることに、ムスケルがその糸のように細い目を、かすかに見開く。
「おい、シロ君。これはどういう?うわっ!」
開いた扉から目にも見える黒いもやのような闇が飛び出そうとするのに慌てる。が、それは矢のように飛んできた輝くなにかによって、内側へと押し込められる。
それは燃えあがる炎の魔法紋章となって、開いた黄金の扉の向こうに見える闇が出るのを押しとどめている。
とんでもない炎の魔力の結界だ。史朗が“彼女”に「女神アウレリア!」と呼びかける。それは修道女姿の若く美しい娘だ。
「どうして、ウージェニーさんの姿に?」
「この娘に身体を貸してもらったの。ちゃんと呼びかけて許可は得たわよ!」
神官達は「おお、ドロティアにアウレリア女神様が降臨なされた」などと彼女に向かい祈りを捧げているが「いや、だから、結界張るのを手伝ってくれよ」とムスケルがぼやく。
しかし、同時に聖竜騎士団の結界を破ろうと、体当たりや手で叩き続けていた、修道僧や修道女達が全員ぱたりぱたりと倒れて意識を失う。
「どういうことだ?」
「旧神殿の中にいる、闇の魔術師が倒れたんだ。その精神制御が効力を失ったんだ」
「彼らはもう無害だ」と言って、史朗は炎の結界に覆われた黄金の扉へと再び戻ろうとする。それにムスケルが「どういうことだ?シロ君」と声をかければ。
「ヴィルがまだ中にいる。みんなに代わってあふれた闇の力の直撃を受けたんだ」
「おい、それは」
「助けないと」
さらに一歩、炎の結界へと進んだ史朗に「叡智の賢者!」と呼びかけたのは、ウージェニーの身体を借りた女神アウレリア、いや、炎の賢者というべきか。
「私達はずっと心残りだった。あなたをあの崩壊した世界に残したことを」
「こんなときに言うべきことではないでしょうけど」と彼女は悲しげに微笑んだ。
「あのときはそうするしか道はなかった。生き残った者達を箱船に乗せて、私達は旅立つしか」
「そう、箱船を送り出す。それが僕の役目だった。そこに悲しみや、まして、僕を残して去って行く君達に対しての憎しみなんかもなかったよ。
それが僕の生まれた意味だったからだ」
育成槽を出された瞬間から、自分のやるべきことはわかっていた。それが自分の素体となった叡智の賢者の意思だったのか、刷り込みだったのか、わからないけれど。
「だけど、今は違う。僕は僕の意思でヴィルを助けに行くんだ。だってヴィルを愛しているから」
冷徹な賢者の判断からすれば、この旧神殿ごと漏れ出た闇を封じてしまうのが最善なのだろう。この中に入るのは自殺行為だと、もう一人の自分がいたらせせら笑うだろう。
「二人で必ず戻ってくる。でも、万が一戻らないときは、この神殿ごと封じて欲しい。あなたなら、それが出来るはずだ、アウレリア女神」
「よろしく頼むよ」とそう言って、史朗は火の魔法紋章を発動させて、女神の結界を乗り越えて黄金の扉の向こうへと消えた。
「……恋も知らなかったクセに。戻って来なかったら承知しないんだから」
女神は微笑み、そして旧神殿の周りを炎で取り囲み漏れ出ようとする闇を封じた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
炎の結界を越えたとたん、濃密な闇に息が詰まる。
ヴィルタークは祭壇のむこうにうずくまっていた。奥の扉は閉まっている。闇に身体を冒されながら、この人はそれをしたのか……と胸が痛む。
「なぜ来た?」
聞いたこともないような苦しげな声。闇が内で暴れているのだろう。
ましてこの人は闇にけして侵されることのない。心の持ち主だ。光の魔力というより、太陽そのもののような。闇を受け付けるわけがない。
だから、闇に乗っ取られることもないが、身の内で暴れる闇に苦しめられ続ける。
彼が死ぬまで。
「あなたを助ける……ううん、一緒に助かるために来たよ」
そんなことはさせないと、史朗は膝をついてヴィルタークに抱きついた。「触れるな!」なんて悲しいことをいう唇に、唇を押し当てる。
「ふ…ぅ……」
そして彼の中にある闇を分かち合う。ひりりと喉が焼けるような感覚。それは触れあった肌からも。
「なにを考えている!」と唇をひきはがされて「でも、もう触れちゃった」と史朗はヘラリと笑う。
「今さら出ていけなんて無駄だよ。あなたの中の闇ももらっちゃったし」
「一緒に死ぬなど俺はゴメンだぞ」
史朗がヴィルタークの闇を今、触れあっている部分からも吸い取っているから、彼が前よりは楽そうに会話しているのが嬉しい。史朗のほうがちょっと、いや、かなり辛くて「はあ……」と息をつく。
「お前だけでも……」
「だから今さら、それに僕は心中するつもりはないよ」
触れあっている場所から闇が侵食する。だが同時にヴィルタークの中にある光の魔法紋章も発動している。光と闇が互いを相殺し合い、ぶつかりあってる。
「ヴィルの中に僕の光の魔法紋章がある」
「そうだったな」
「闇は欠けたままだった。そりゃそうだ。ヴィルは光そのものだもん。
だけど、ここに闇がある。だから、これを僕の魔法紋章にして定着させれば……っ……」
びりっと全身に走ったしびれに息が詰まる。心臓が止まるかと思った。いや、止まったかな?あわてて光の魔法紋章をさらに発動させて、どっと自分に押し寄せる闇から、心臓を守ったけど。
「おい、大丈夫か?」
やはり自分と触れていると良くないのだと、ヴィルタークが史朗の身を引き剥がそうとするのに、史朗は彼の首に両腕を回してしがみつく。
「ダメ…だよ……助かるなら…一緒……」
「シロウ……」
「本当は時間をかけて紋章は作るん…だけ…ど……急いで作らなきゃ…だか…ら…ヴィルと
僕…の…魔力を混ぜ合わせて……」
光しかないヴィルタークの身体から、逃れるように史朗の身体に闇の力が襲ってくる。一部だけ漏れたとはいえ闇の賢者の力なのだ。それは純粋で濃くて冷たくて本当にこのまま身体が凍えそうだ。
「わかった」
だけど、ヴィルタークが抱きしめてくれると、ぽうっと胸の奥が温かくなる。唇を重ねればそこからもキラキラ輝く光の力が入ってくる。
衣をはぎ取られて、重ねた胸。鼓動も一緒になるようだ。ドクンドクンとヴィルタークの力強い心臓に、自分も励まされるみたいにトクントクンと。
「神聖な……神殿で…こんなこと…したら……神様の罰…あたる……かな?」
まあ、その女神様の顔は良く知ってはいるんだけど……。
「それこそ今さらだろう?」とヴィルタークの唇を胸に押し当てられて「あ……」と史朗は声をあげる。
ヴィルタークの熱といまだ自分の身体をむしばむ闇とのせめぎ合いに、気持ちいいのか苦痛なのか?いや、やっぱりこの人と抱き合うのは幸せだとぼんやり思う。
「このまま…死んでもいい……かな?」なんて言ったら「馬鹿、二人で生き残るんだ」と言われた。
「うん、二人だから、約束だから」
「ああ、誓いだ」
両手の指をはなれないとばかりに絡ませてきつく握りあって、それからもう何度目かわからない、口付けを交わした。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
窓の外はなにもない暗い空間。誰もいない通路、数え切れない部屋にも、機械人形がカタカタと動いている以外、生きているものはいない。
自分以外。
ああ、ここは……と史朗は思う。
崩壊した次元をさまよう魔法城だ。
箱船は旅立ち。自分一人がそれを送り出すために残った。
淡々と暮らす日々。魔道具によって必要な栄養と水は無限に生み出された。感情もなく言葉も発さないが、住空間を快適に保つ自動人形達も働いている。
心はいつしかマヒしていたのかもしれない。自分一人しかいない世界が当たり前で、それが寂しいとも……。
寂しい?
どうしてそんなことを考える?
自分はこの世界に一人のはずだ。誰かなんているはずもない。
誰か?
誰?
そのとき、ふわりと史朗の前に光が現れた。反射的にそれを捕まえようとして、するりと逃げられた。
史朗?
シロウ……。
それが自分の名前だ。
光を追い掛けて、呼びかける声に答える。
「ヴィル!」
と。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
ぱちりと目を開けば「起きたのか?」と安堵の声。裸の腕に抱きよせられて、両頬に口づけられた。それから次に唇。
「うんっ……」
ひとしきり舌をからめられて、このまま流されてもよかったけど、でも、状況確認が必要だと、厚い胸板に手をつく。
「ヴィル、僕達、助かったの?」
「当たり前だ。それが約束だっただろう?」
寝台の中。四方の天蓋のカーテンは下ろされているが、ここが大神官長宮殿で国王代理にあてがわれた部屋だとわかる。もう幾日も、一緒の寝台で過ごした。
「えーと、あれから?」
「お前は俺の腕の中で気を失ったんだ。そのときにはもう闇の気配はなかった。
お前が呼吸して心臓が動いていることにホッとして、俺はお前を抱えて旧神殿の外に出た」
外に待ち構えていた人々は歓声をあげて喜んだというが、ヴィルタークは「まずシロウを休ませたい」とこの寝室に籠もったのだという。
「それからどのぐらい?」
「丸一日か?お前がいつ目覚めるか、気が気じゃなかった」
それでこの人は互いに裸で肌を合わせて、魔力循環しながら待っていたのだろう。
そのヴィルタークの胸には、史朗の魔法紋章である光の紋章があいかわらず、まばゆく輝いて見える。
そしてヴィルタークの視線は史朗の胸に、自分の光の紋章を見えるこの人にも見えるのだろう。
「ともに生きよう」
「うん、約束したでしょ?」
史朗の胸には闇の紋章が小さく光を放っていた。




