75.アルファルド ーユノー the third time
アルファルド君。
そう言って俺をいつも俺の名前じゃないその『名』で呼ぶレイトについて、俺が知っていることはとても少なく数えるほどしかない。
この世界の人間じゃなくて。魔王で。女で。本当の名前は俺と同じで。煩くて。いつも楽しそうで。やりたがりで。知りたがりで。怒ると融通が聞かなくて。泣き顔はとてもじゃないが見ていられない。
最初はなぜか見えなくて。
いつの間にか声が聞こえてて。
唐突に姿が見えて。
俺に嬉しそうに触れて来る。
一緒にいたあの数ヵ月間。一緒に旅してたあの数ヶ月間。
レイトの言葉は俺には分からないことだらけだった。レイトの考えもレイトの行動もレイトという存在も何もかもが全然分からなくて。
分からなかったから。
だから俺はレイトが俺のそばにいる時、安心出来たんだと思う。
何も知らないから。
何も分からないから。
何も見えないから。
何も理解などしていなかったから。
知らない。分からない。見えない。
透明な存在、レイト。
まさにその名を持つ花のようだ。
『だってほら。アルファルド君は勇者様でしょ?着いてくっきゃないじゃん、って思ったんだよ』
あの時レイトがそばにいて。
ずっと最初からレイトが側に居てくれたんだと言う事を知って。
『街に戻ってどうするの?』
だから俺は旅の終わりにあんなにも簡単に自分の街に戻れたんだと思う。贄となることを、『死』を受け入れられたんだと思う。
『レイト』という存在が俺のそばにいたから。
何も知らなかった、何も気がついていなかった、何も分からずにただ楽しそうに。そんなレイトが俺の後ろを、隣を、笑って俺を見て魔王と同じ名前じゃない『アルファルド』という名で呼んでいてくれたから。
『つけてつけて!アルファルド君の名前も私がつけてあげたんだし。私の名前はアルファルド君がつけてよ』
まだレイトの姿が見えていなかった頃。声だけが聞こえてて、だけどそこに『いる』のは分かっていたあの頃。俺はレイトの存在を、俺が造り出した虚像の産物だと考えていた。俺の造り出した想像の物。逃避するための幻影であり、奔逸するための道具。
現実から目を逸らし、『最後』から目を逸らし、やるべき事から目を逸らす。
そのための俺のもの。
俺が作り出した俺の弱さと、そして強さ。
『魔王は、貴方のためなら命すらいとわない』
あの時あの場所で、俺にそう言った勇者に、俺は何の言葉も返せなかった。
肯定も否定も。
そうだな、とも。
違うだろ、とも。
俺は何も言えなかった。
レイトの事を俺はよく知らない。
これから先も深く知ろうとは思わない。
異世界から来たという奇妙な女。俺の造り出した、俺のものじゃなかった異世界の人間。魔王であって魔王でなくなった透明な存在。
色のない透明という色。
レイトについて俺が知るべき事はそれだけでいい。
レイトとネイル、それにアケルもここにはいない。今、ここにいるのは俺と『ブカ』と呼ばれる魔物だけだった。
レイトとともにやってきた魔物。
先程までは小さな子供の姿だったが、今は前に見たときと同じ大人の姿になっている。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
無言が続く。
話すことなどないのだから当たり前だ。
俺はチラリと魔物を見る。
俺の剣は今、この魔物が持っている。レイトがこの魔物に渡したのだ。
俺を守れと、そう言って。
だが魔物に守られるほど、俺は落ちぶれちゃいない。それにレイトがこの魔物を信用していようと信頼していようと、勇者やネイルがこの魔物の事をどう思おうと、こいつは『魔物』なのだ。
幾度となく人間を襲ってきた魔物なのだ。人間の生活を脅かし、ただ快楽のために人間を殺す。
そんな生き物。
「…俺の剣を返せ」
そんな魔物に剣を持たれていて、いい気分はしない。こっちは丸腰。それにさっきもこの魔物は俺にその切っ先を向けてきたのだから。
俺は魔物を睨み付けながらそう言った。いくらレイトが『守れ』と言っていたとしても、俺はこの魔物を信用してはいない。
小さな姿から大人の姿に。
そんなことが出来るこいつは紛れもなく魔物なのだ。
『造られたもの』なのだ。
魔物は俺にちらりと視線を向ける。
「これは結乃様からあずかったものであり、結乃様以外に何を言われようと返す義理はない」
「そもそも俺に義理なんてもの自体ないがな」と、鼻で笑い魔物は凭れていた木から体を離し、俺に剣の切っ先をまた向けてきた。
「お前を守れと言われている。ひ弱な人間よ」
魔物は言う。魔物は笑う。
「ひ弱な人間はひ弱な人間らしくそこで大人しくしているがいい。それが一番楽で一番確実で一番簡単な方法だろう?」
薄く笑った魔物は少しだけ首をかしげてそう言った。何も言わない俺に魔物は表情を元に戻してからまた口を開く。
「いつまでも結乃様に守られていれば良い」
魔物のその言葉に俺の頭の中は一瞬真っ白になる。だけど、次の瞬間には、ガッ!!と俺は魔物の胸倉辺りを掴み、引き倒していた。片腕だったが魔物に馬乗りになって見下ろし睨みつける。魔物は下から俺を見上げる。抵抗はしなかった。
そして俺の口からは、意識しなくともこんな言葉が自然と出てきていた。
「俺がいつ、守ってくれなんて頼んだよ……」
魔物は黙ったまま、俺に視線を向けている。
「俺がいつ、自分を犠牲にしてまで守ってくれなんて……、助けてくれなんて頼んだよっ!!」
最後は叫んでしまっていた。
だけど分かっている。
分かっていた。分かってたけど、俺には何も言えなかった。言おうともしなかった。
考える事すら、放棄した。
『っ、死んじゃやだっ!!!ねぇ、アルファルド君っ!!!!』
他人のために命を棄てる。
それはそんなに簡単に出来ることじゃない。命とは誰かのために棄てるものなんかじゃないはずだから。
命は自分のもの。命は自分。
生命とは、生きるとは、それすなわち『自分自身』のことなのだから。
だけどそれが義務や因果や、そして『運命』だったのならば、また話は別だ。
それは変えようのない社会や世界や人間達の定められた仕組みなのだから。
俺は俺としてその運命に従った。従ったんだ。
『運命 』という輪の中に組み込まれた俺は運命によって死ぬはずだった。
贄として。
魔王の仮の器として。
選ばれた者として。
俺には『死』が待っていた。
俺には『死ぬ事』が生きる事だった。
誰かのために、だなんて綺麗な理由なんて俺にはない。ただ、運命に従うまま俺は旅をしてきて魔王の力を集めて、そして街に帰って来た。
俺が贄として死を迎えた時、世界は救われる。そんな話を聞かされて、だけど俺はそれがどうしたと思っていた。世界が救われる。皆が救われる。平和になる。
そうか。と。
俺は別にそんなことのために贄となると決めた訳じゃない。
ただただ、運命に従ったまで。
そう思わずには居られなかった。運命なんだよ。全部全部。俺が今まで生きて来たのだって、この運命のレールに乗って来ただけ。これまでの全てがこの最後の『運命』に繋がっていただけ。
だけどその運命はねじ曲がる。
俺の『死』の運命はねじ曲げられた。レイトがそれを最初にねじ曲げた。
「俺がいつ……それを望んだよ」
俺は死の運命から解放された。だけど俺には呪いがかけられる。
死の呪い。『運命』の呪い。変わらないレール。終わらない終着点。
『運命』の呪い。多分それもレイトが捻じ曲げた。呪いから俺を解放したのはレイトだろう。
詳細は聞いていない。だけど勇者のあの口振りじゃ、きっとそうなんだと思う。レイトのあの惨状は、きっとそうなんだろうと思う。
運命の中、贄として死なず。
また、運命の中。呪いとしても死なず。
そして今回、レイトを助けるためにも死ななかった。
だけど俺にはずっといつまでも『死』が纏わりついてきているのは確かだ。
だってこれが俺の運命なのだから。きっと『死』が、俺の運命なのだから。贄として死ぬ、呪いとして死ぬ、レイトを助けるために死ぬ。
『死』自体が俺の運命。
だけどレイトはそのどれをもねじ曲げる。
最初から最後まで、全てレイトがねじ曲げ続ける。多分、きっと。これからも。
レイトはずっとずっと俺の運命を捻じ曲げ続けて、変え続ける。
勇者の『魔王は、貴方のためなら命すらいとわない』という言葉を俺は信用してはいない。真実だとは思えない。
思いたくない。
だけど嘘偽りだとも、思えない。
『一人で残るだなんて、絶対に駄目っ!!』
レイトは多分、そこまで俺に固執しているから。
「なぁ……、レイトに言ってくれよ」
運命は変わらない。運命は変えられない。定められた宿命は終わりまで終わらない。
これ以上運命に逆らっていたら、今後はどうなるか分からない。
『最後まで俺の傍にいて欲しい』そんな思いも。
死ぬのは全然怖くは無い。そんな想いも。
『最後の時に側にいて欲しい』そんな願いも。
この世から消えさる事を恐れはしない。そんな祈りも。
『最後の最後まで一緒にいたい』そんな感情も。
俺が怖いのは、不安なのは。そんな気持ちも。
『一人にするな』そんな希望も。
一番怯えているのは。一番恐れているのは。そんな絶望も。
『一緒にいてくれるんだろう?最後まで』そんな欲深さも。
何も知らずに傍にいる。知らずに笑って傍にいる。そんな失望感も。
「…………」
そう、思いたかっただけだ。
「俺にその言葉は……俺の言葉は、レイトには届かない。だから……、お前が伝えてくれよ」
俺は下にいる魔物に言う。魔物の表情は見ていないから分からない。そんな魔物に俺は伝える。
レイト。
「俺の前から消えろ」早く。
「顔も見たくない」早く。
「声も聞きたくない」早く。
「話したくもない」早く。
『ねぇ、願い事ないの?アルファルド君』
だから早く。
「なぁ、レイト。前に言ってたよな。願い事ないのかってさ」早く。
「これが俺の願いだ」早く。
「ナガレボシに願う俺の願いだ」
だから早く。
『俺の目の前から消えてくれ』
そう俺が言ったのなら。
レイト、お前は。
俺は下にいる魔物を見る。魔物の顔は何も読み取れないほどの、何も思ってもいないほどの、何も感じていないほどの、完璧すぎる『無表情』。
レイトの傍で。レイトを守る。
ただそれだけの『造られたもの』。
「……なぁ、お前はレイトが元の世界に戻る方法を知っているんだろ?」
だったら。
「だったらさっさとアイツをこの世界から消してくれないか」
大事な宝物は鍵をかけて閉まっておこう。
誰にも取られないように。
奪われないように。
大事な宝物は鍵をかけて何処かへと閉じ込めておこう。
無くしてしまわないように。
忘れてしまわないように。
大事な宝物は触れない所に隠しておこう。
壊さないように。
傷付けないように。
『アルファルド君』
その声が耳に張り付いて離れない。
俺の耳にこびりついて剥がれない。
俺の作り出した幻影。俺の作り出した虚像。道具。それの声が頭の中で、記憶の中で、心の中で鳴り響く。
耳障りだ。
耳障りだ。
みみざわりだ。
ミミザワリダ。
『当たり前でしょ?だってさ、アルファルド君はこの世界での私の唯一の人なんだからさっ』
大事なものは失ってから気付く。
だけど、失ってからじゃ何もかもが遅すぎて。
それが本当に『大切』だったのかどうかですら、見失ってしまいそうで怖かった。




