◇18 雌雄
◇18 雌雄
陽光が目の奥を焼く。
冷たい外気が肌を刺す。
視界を覆う闇は、それを形作る通路と共に斬り裂かれた。
そこには通路の内側からはまったく理解の及ばない光景が広がっていた。
眼下に漂う疎らな雲。
その遥か下に覗く灰色の大地。
見覚えのある、死の荒野だ。
見上げると、つい先程までいた通路だったものが遠ざかってゆく。
まだ新しい切断面を窺うことが出来た。
先程までいた場所、その異常な全貌が露になっていた。
通路を支えて然るべき柱や壁は、どこにも存在しないのだ。
先端が地上へと繋がっていても、ほぼ浮かんでいるようなものだろう。
空中回廊とでも呼ぶべき代物だったのかもしれない。
その位置する場所は、想像していたよりも遥か高い場所にあった。
自分の事ながら、よくもまあこんなに高い場所まで登ったものだと思う。
惜しむらくは、すべて過去形でしか表現できないことである。
あと、現時点のそれを比喩するべき名称が何も思い浮かばないことか。
どこにも繋がっていない通路は、もはや通路と呼ばれることも無いだろうから。
肌に叩きつけられる風が次第に強くなる。
もうすでに全身に掛かる負荷が酷いことになっている。
人体構造に支障がでそうなくらい血流や神経への圧迫がある。
おそらく空気抵抗による減速が重力加速と均衡しているのだろう。
ちょっと地面が遠すぎるんじゃないだろうか。距離感が狂いそうな高さだ。
ていうかなんでまだ雲が下に見えるの。
大賢者さんに投げられた時だってこんなに高い場所までは飛んでいない。
絶対に二度と投げられたくないとか考えたことが悪い方向に働いたのか。
投げられなければ高い位置から落ちても良いって意味じゃないから。
だから何事にも限度があると思うんだ。
空気が薄いとかなんとか猫耳さんが言ってたけどそういう段階じゃない。
気温とか気圧の変化などだけでも、常人の身体構造では体調の維持が困難だろう。
道理で騎士さんたちが追いかけっこを途中脱落してた訳だよ。
猫耳さんが合流したのは、騎士さんたちを引き離した後だった気がするけど。
なんで猫耳さんがこの環境下で動けるかという疑問は野暮というものだろう。
どう控えめに見ても常人枠に当てはまらないから考えても仕方が無いよね。
あと、ここから通路の構造を眺めて解決した疑問がある。
猫耳さんが途中から合流したときの様子に関して、疑問だったのだ。
猫耳さんは自分との接点が多すぎた。少なくとも、他の人からペアを組んでる仲間だと思われている程度には。
騎士さん達との追いかけっこの最中に猫耳さんと騎士さん達とが通路で鉢合わせしていたら、押し問答というか話が通じなくて戦いになっていたはずで、自分が猫耳さんと再会したときには話がもっと拗れていたはずだ。だから不思議に思っていたのだけど。しかし、実際にはそういった事は起きなかった。
長く捩れた通路が、一本道ではなかったというだけの話だ。
所々で分岐して他の通路と繋がっているのが、外から見るとよく分かる。
つまり他の通路を経由して同じ場所に辿り着くこともできるのだろう。
よく考えてみれば、自分が通った通路と騎士さんたちが来た通路だって違う。
おそらく最も長い一本道だったのは自分が通った通路だけかもしれない。
いや偶然にしても出来すぎているような気がしなくも無いけど。
絡まるように繋がって形成された、巨大な構造物。
空高くで通路が縦横無尽に走って、所々で接続し合っているのが見える。
いやこれ、よく考えたら支柱が無い。どこにも見当たらないのだ。
まさか宙に浮いているなんて事はないだろう。
もし浮いているなら、通路崩落の一連の流れが起きなかったはずだ。
こんな構造物、時間や人手だけで造成できる代物ではない。
あまりにも規模が大きすぎて、建造方法もその過程も想像が付かない。
大変だとか困難だとかいう段階を通り越して、実質不可能に思える。
死の荒野は、そもそも人間が何世代も定住できるような環境ではない。
中から見た限りでは、人工の建物にしか見えなかったというのに。
外から見た限りでは、人の手には余る幻想の産物にしか見えない。
とりあえず空中回廊とでも呼んでおこうか。
空中回廊の外側を見る限り、傷ひとつ付いていない。
滑らかな表面には磨いたかのような光沢すら浮かんでいる。
途方も無く巨大な『何か』が長い年月をかけて砂嵐に削られた痕跡か。
時間の力すらも『何か』を完全に崩壊させるには至らないとも解釈できる。
既に崩壊しかかっている残骸なのに、自立できるほど頑丈な『何か』。
おそらく猫耳さんとか皇帝さんとか犬耳のような超人が加工したのだろう。
それこそ自分には原理を理解できない超常の力でくり貫いたに違いない。
いわば人為的な超常識加工物だ。
とはいえ、加工元の『何か』が自然に生ずる物質とも思えない。
おそらく通路を構成しているのは、石や金属といった常識的な物体ではない。
もっと何か根本的に、世界の理に適合できないような異物だ。
うーん……特徴を見る限り、魔物の親戚か何かだと思うんだけどなあ。
まさか触れることができる固体が、空気より軽いなんてことは無いだろうし。
いや、もしかするとこの世界での質量みたいな基準も通用しないのかな。
ただ、通路が動いて襲ってきたりはしなかったから魔物そのものではないはずだ。
まあ動物と植物みたいに数十億年くらいの歴史を隔てた遠い親戚かもしれないけど。
しかし、こうして眺めているとますます原形の『何か』が気になってくる。
いくつもの通路が空高くで完結して、ほとんど地上まで届いていないようにも見える。
地上に届く光は、構造物の隙間を縫って漏れてくるものだけだ。
例えるなら、網状の巨大な蓋と言ったところか。
ひっくり返したザル……というには目が粗すぎるかな。
そして比喩ではなく、見渡す限りの空がこの蓋に覆われている。
おそらく、この巨大な蓋は死の荒野の全域にまで広がっているのだろう。
死の荒野で風が無くても薄暗いのはこの蓋のせいなのかもしれない。
灰色に見える暗い空は、べつに砂嵐の影響だけではなかったんだな。
これなら通路の一本や二本くらい無くなっても全部は落ちては来ないだろう。
そう考えると犬耳の人が遠慮も無くぶった斬った気持ちも分かるかもしれない。
こう希少価値が低いなら、少しくらい斬っても問題ないはずだ。
まあ数本斬った程度じゃ荒野が明るくなることは無いという意味でもあるけど。
でも、こうして部外者を平然と巻き込んでいるのは感心できないよね。
人間関係の清算みたいな話は当事者同士だけで済ませて欲しいものである。
まあ、やはり限度があるだろうということに話は戻る。
なぜこんな理解不能な強度の謎物質を打撃武器で斬ることができるんだ。
どうしてそんな威力を込めた一撃を自分の弟子に向けるんだと。
いまだに剣を打ち合うような金属音が聞こえてくる。
まだ猫耳さんが生きてるという証拠だ。無茶苦茶だよね。
結果的に殺していないのだから良い、などという話でもないけど。
一撃に込められた威力は、単体でも人を殺すのに十分なのだ。
というより人を相手にするには過剰ですらある。
犬耳の放つ斬撃は、いままで見たどの魔物でも相手にならない。
相手の防御や回避すら巻き込み、その上でなお圧殺するような斬撃だ。
けっして、じゃれ合いや試合稽古の類で行っていい攻撃ではない。
もはや殺さないように手加減できるような範囲を超えているように思える。
いや、もしかするとこれは、そうする必要があるという話なのだろうか。
犬耳が猫耳さんを殺すつもりなら、話しかける必要すら無かったのだ。
だが、熾烈な剣戟が終わる様子は無い。
人間ではありえないような剣技の応酬は、未だ続いている。
猫耳さんはつまり、まだ生きているのだ。
殺すつもりが最初から無いとでも言うのか。これで?
ならば、この戦いはいったい何だと言うのだろう。
そう、驚嘆すべき事実だ。
猫耳さんはあんなヤバイ攻撃と剣を打ち合わせ続けているらしい。
破壊不可能っぽい謎物質通路すらも切断してしまうような出鱈目な範囲攻撃を剣一本で凌ぐとか、全く以って理解不能である。当たり判定がゆるゆるのガバガバなんじゃないですかね。
まあこれを言うなら棒切れ一本でそんな出鱈目な攻撃を放っている犬耳も意味不明だけど。物理法則とかどうなってんだ。ストライキ中かな?
あとついでに言うなら、戦闘を継続している周辺環境からすでに色々とおかしい。
いや、戦闘というか通路の残骸まで粉砕中というか、普通に足場が無いんだけど。
まさかあの二人、落ちながら戦っているのか。
いやこれ飛んでいるだろう。
でもよく考えたら片や跳躍の軌道を空中で変える人であり、片やその師匠だ。
戦いでヒートアップし過ぎてつい空を飛んでしまったって不思議ではない。
いや、不思議だけど。翼も無いのに飛ぶなよ。理解は諦めたほうがいいのか。諦めは肝心だ。不思議だけど可能なのだろう。可能なのか。それでいいのか人類。
ただし獣耳に限る、という注釈が後世のために必要になるかもしれない。
ていうか注釈はどこに書いておけばいいのかな。疑問は尽きない。
ちらりと頭上のほうで、というか体勢の都合上で横目に、影が見えた。
ふたつの影が一直線上に向かい合って高速で飛翔している。
刹那の交差。
瞬きほどの時間の後に、衝撃。爆発音が轟く。
余波だけで通路の残骸が砕けた。全方位に破片が撒き散らされる。
わー、すごーい。大迫力だー。
思わず語彙に乏しくなってしまうほど激しい戦いだ。
なるほどこれが空戦というものかと納得せざるを得ない。
ここまで常識から外れると、先の特大魔物との戦いよりも現実味が希薄だ。
そして知識に基づいた航空戦力の強さに関する自分の勘違いに気が付く。
航空戦力だから強いのではなく、強いから航空戦力なのだと。
法則が力なのではなく、力こそが法則なのだ。なるほど、強ければ空だって飛べる。
物事の正しい順序を知らないまま誰かに語っていたら恥をかくところだったね。
語ったところで誰が信じてくれるのか。理解してもらえないかもしれない。
こんなこと語ってまともに聞いてくれるような相手もいないけど。
そういえば現実味ってどんな味だっけ? これも記憶の中には無いな。
つくづく自分の記憶の不備や知識の不完全さを思い知らされる。
いや暢気なことを言っている場合じゃないか。
先程から結構な頻度で破片が飛来してくるのだ。
このまま無防備に被弾が増えるのも頂けない。早急に対策する必要がある。
いや別に対策しなくても死ぬわけじゃないから危ないわけじゃないのか。
何もせずに墜落するだけなのも今ひとつ芸が無い。
いや別に芸能で身を立てようとしているわけでもないけど。
まあ、死ぬようなことはしないことに越したことは無いだろう。
落ちているにも関わらず、上の空で対策が思い浮かばないとはこれ如何に。
もはや自分でも何を言っているのかよく分からなくなりつつある。
数度の連続した金属音の後、再び激突音。
間が開く。
何かがすぐ近くを通り過ぎる。
「――――」
犬耳が見えた。
何かを呟いている様子だったが、こちらに向けられた言葉では無かったようだ。そもそも風が強すぎてはっきり喋っても全然聞こえないけど。
そして相変わらず白い。白すぎてどこからどこまでが服なのか頭髪なのか眉毛なのか髭なのか区別が付かない。もしかするとアレ全部繋がってるんじゃないだろうか。鼻毛とか一本抜いたら全部からまって抜けてきたりしないのだろうか。しないだろうな。剛毛でも癖毛でもなさそうだし、絡まってもいない。
変則的な軌道で近くを通過しそうなのが分かったので、やはり飛んでいたんだなあとかある種の納得と諦観を覚えつつ、飛んでいるなら着地に利用できるかもしれないと思い立ち、思い立つより先に反射的に手に持っていたナンチャッテ・ソードを何となく突き出していた。結構な速度で落ちていたので急には止まれないわけだし位置を間違えなければ引っかかるだろうと考えたのだけど、よく考えたらナンチャッテ・ソードにはうまく引っかけられるような突起も無いし、引っかかったところで犬耳の人が自分ひとりの体重を支えて地上まで降りられるかどうかも分からない。まあどうせ分からない事だらけなので運を天に任せてみたものの、天に任せるほど運なんてあったかなという疑問がここへ来て脳裏を過ぎる。いや自分に備わっている脳が脳裏を過ぎるための機能を有しているものかどうかも分からないんだし今は何も考えない。人事を尽くして天命を待つというけども、人ではないらしい自分にも尽くすための人事なんてあるのか。人でなしには人事すら尽くせなくて天命すら訪れないのではないだろうか。まあそれはさておき突き出したナンチャッテ・ソードには手応えすら無かったので、どうやら運任せは上手くいかなかったようで、まあ順当かなと思った。正直な話、視認すら難しいような速度で飛び回る相手への干渉だなんて期待すらしていなかったけど。当たらなくて当たり前だ。当たる前もなにも当たらないんだけど。やはり運頼みは良くない。九十九.九九九九九……パーセントみたいな成功確率だって連続で失敗する可能性はゼロじゃないしね。ゼロではないという事はありえるという事だ。つまり逆説的に言えば起死回生のチャンスなんてものはなかった。いやよく考えたら起死回生っていうのはつまり一度は死んでるってことなんだから実はもう手遅れという意味になる気がする。でも死んだ後でやっぱり生きているっていうのはギリギリでセーフなのかもしれない。ちなみにこの場合のセーフとは安全という意味では無いんだけど、何処がセーフなんだろう。セーフとは何だ。よく分からないけど哲学かもしれない。哲学ではないかな。微妙なところだ。
というか、ここでふと気になったけど、猫耳さんは大丈夫なのか。
空を飛んでたくらいだからたぶん大丈夫だとは思うけど。
いや猫耳さんのことだから空を飛べなくても大丈夫だろう。
むしろ自分のほうが大丈夫じゃないような気もする。
というよりどう考えても大丈夫じゃないんだけど。
まあ大丈夫じゃなかったときも大丈夫だったから大丈夫かもしれない。
でもよく考えたら粉々になった経験は記憶に無いな。
あれ、ちょっと不安になってきたぞ。これ、本当に大丈夫なのかな?
バラバラになったら元に戻れなくなったりしない?
しかしそんな心配を他所に、背中に強烈な衝撃が走る。
何だ、と振り向こうとして、いや、駄目だ、振り向けない。
むしろ振り向いても目に砂が入って開かない。
落下が急に加速したせいか。落下は急に止まれない。
いや急にじゃなくても引力による落下加速は止められないけど。
止められない。止まらない。止まろう。止めて。
地面の接近よりも先に、意識が遠のいて――――




