◇17 剣の真髄
◇17 剣の真髄
「つまるところ、剣は道具に過ぎぬ」
犬にも似た白い獣が二本の足で立って語りだした。
猫耳さんは剣の柄に手を添えたまま対峙している。
二人が師弟関係であることは猫耳さんの言葉によって推測できた。
いや、でも、どちらも気心の知れた相手に対する態度に見えないのはなぜだろう。
とくに冗談とも本気とも付かない師匠側の台詞の内容も、困惑を深める一因だ。
剣術や武術にありがちな精神的なアレコレを軽んじているようにも受け取れる。
師匠って剣術とか武術に関する話だと思っていたけど、違うのだろうか。
「道具とは即ち、手足の延長に他ならぬ」
ちなみに、白い獣という表現はあくまで比喩である。
正確には『犬耳と犬尻尾を生やした白い毛の小柄な獣っぽい人』を示す。
なにか異常な力で知覚や認識が歪められて獣に見えているだけなのだろうか。
いや、そんな形に認識を歪めて何の意味があるのか見当もつかないのだけど。
よもや自分の知らない間に薬を盛られているということもあるまい。
「そして意に沿わぬ手足など無いにも等しい」
あと自分の頭がおかしくなったという可能性もあるけどあまり考えたくは無い。
ただ説明を省いて大雑把にまとめているだけなのに、何が悲しくて自分自身の認識能力を疑われなければならないのか。いや疑っているのは他でもない自分自身なんだけど。
まあここには聞く耳を持つ人がいないから、上手く説明できなくても問題はないか。
獣耳を持っている人ならすぐ近くに二人もいるけど……二人いることは認めよう。
だがアレは飾りだ。付け耳でなく本物なのに聞く耳ではない。だから飾りなのだ。
「故に、意に従うよう技を磨かぬ道理もまた無い」
何にせよそのままだと呼び名が長すぎて、分かりにくい。
とにかく知る限りの情報を呼び名に詰め込めば、間違えることなど無い。
でも名前を思い浮かべるだけで時間がかかってしまうのも間違いないだろう。
もとより省略というのは繊細な作業で、その加減を間違えると大変な事になる。
なるべくわかりやすく。そして長すぎても短すぎても要件は満たせない。
ルールのようなものは無いが、ネーミングとは絶妙な調整が必要なのだ。
「そこへ到るまでには思索など要らぬ、ただ修練を重ねるのみ」
獣とか人のように一文字まで削ると、個体の特徴を示す部分が残らないだろう。
人と獣の二文字を組み合わせるだけだと、猫耳さんと区別が付かない。
いっそ白犬耳白犬尻尾白毛皮人とか……でもこれは長過ぎて途中で舌を噛みそうだ。
ならば犬耳の人とか四文字くらいの適当なところで妥協したほうが良いのだろうか。
いや、どうせ声に出して呼ぶわけでも、他に特徴が被る人がいるわけでもないけど。
「だが剣の自在に足りえても、それもまたひとつの道に過ぎぬ」
犬耳の人は黒い棒状のものを地面に突いていた。微動だにしていない。
なんとなく、朝は四本で昼は二本とかいう謎かけを思い出す。
謎かけの内容に従って数えるならば、犬耳の人の足は三本。
しかし地面に付いている部位を見境なく足と呼ぶのも何か変な気もする。
寝ている間とか腕立て伏せをしている間とかを省く必要があるはずだ。
「身体の一部と変わらぬ剣、剣身一体こそ理想の状態である」
たぶん、道具を身体の一部とみなすのも具合がよろしくないのだろう。
その道具から手を離したとき、はたしてそれは身体の一部として成立するのか。
もし成立しないなら、手や足などの身体の一部が切断された場合はどうなるのか。
その切断された部位を縫合して癒着した場合は、身体として成立しないのか。
もうこれは何気に人の呼び名を決めることよりも難しい問題かもしれない。
「無剣とは他ならぬ、無の有、不在の在にまで到る剣」
駄目だ、また思考が逸れているな。なぜか犬耳の人の話に集中できない。
犬耳の人の話が取りとめも無く、結論を理解できないのが問題だ。
もしかすると本当に意味なんて無いのかも……いや、でも、この状況で?
老人が杖を突いているだけの状況に、意味など無いのかもしれない。
いや、杖ではないのだから、意味はあるはずだ。
しかしそれなら、なぜこんな欺瞞を擁したのだろうか。
「刃がなくば斬れぬのは物の道理、されど物を斬るのに道理は要らぬ」
剣とは、すなわち斬るための刃を持つ道具だ。
いや、最近確認したような気もするけど、刃が無くても剣は剣かな。
主に形あるものを壊すために作られている。細かい作業には向かない。
相手を殺す以上の破壊力を引き出しても、相手を殺す以上の結果は得られない。
ただし、鈍器より耐久性に劣るため、硬いものを粉砕するには向いていない。
もちろん、常識的な身体能力の人が扱う場合に限るわけだが。
「例え斬れぬ刃が付いていようと、剣は斬るためのもの」
あと、剣を扱う技術を洗練させても剣に他の機能が備わったりはしない。
剣を他の用途で扱う技術を洗練させようとしている人はいるけど。
洗練とは本来、無駄を削ぎ落として省いて無くしてゆくことだろう。
とはいえ、剣術において剣とは中核である。
決して削ることの出来ない存在理由であり、最低限の必要条件だ。
だから技術の洗練によってどれだけ変化しようと、剣を使わない剣術は存在しない。
剣術において剣を使わない理由が無いとも言える。
「そういう意味で……お前はまだ、無剣八行の真髄には届いておらぬ」
そう、猫耳さんのように、剣にそれ以上の何かを求める意味なんて無い。
というか他の機能が備わるのなら、それはもう剣である必要ですらない。
間違っても、裁縫とか板金加工とか木造建築の役に立つものは剣と呼ばないだろう。
そんな生産業の工程に剣を使って対応する意味もわからない。需要もないはずだ。
これは逆に相手を殺すだけなら棍棒でいいという暴論にも繋がりかねないけど。
「研ぎ澄まされた刃に頼らねば斬れぬとは、未熟の証」
犬耳の人が床に突いていた棒状のものを構える。
あ、いや、犬耳の人が構えたのは杖でも棒でもない。
まぎれもなく……刃の無い剣だった。
アンタは刃も無い剣で何を斬るつもりなんだ、とか自分が聞くのも野暮な気もする。
まあ、目が不自由で刃のある剣だと思い込んでいるだけかもしれないけど。
でも思い込むだけで斬れるというなら、それはもはや思い込みと呼べない。
ならば今、犬耳の人が語るものこそが剣の真髄を示す言葉なのではないだろうか。
「剣術とは、剣が無くとも通じるものでなければならぬ」
……いや、待てよ、そこは剣の真髄の話じゃないのかよ。
剣を使わないのなら、それはもう剣術とは呼ばないだろう。
極意どころか根本というか前提条件が今の一言でどこかへ吹っ飛んた。
犬耳の人もちょっとアレだ。どこかおかしい。
猫耳さんに通じる部分がある。似ている……というよりこちらが本家か。
血は争えないのか。犬と猫だから血が繋がってないだろうけど。
「然るに、アイビスや」
犬耳の人の唐突な呼びかけ。
心なしか空気が張り詰め、鋭さを増したような気がする。
「……何?」
それに対し猫耳さんは答えるが、微動だにしない。
構えた剣が揺らぐことすらない。
……と見せかけて、実は猫耳と尻尾がぴんと伸びて総毛立っている。
剣の師匠を前にして緊張しているのだろうか。
実戦形式の稽古でも始めるのか?
「この旅で、お前の……お前自身の剣は見つけたか?」
違う。何かが違う。
いや、だから、何が違う?
「…………」
何がおかしいのだろうか。
もしくは、何かを見逃しているのかもしれない。
「質問を変えよう」
話の内容、ではない。
たしかに話の内容もおかしかったのだが。
「旅の目的は果たしたか?」
いや、しかし、それが違和感の原因なのかと問われれば、やはり何かが違う。
おそらくもっと前の――――話が始まる前の段階だ。
「……まだ、ニャ」
うん?
すると、犬耳の人は今まで、いったいどこにいたんだ?
「ふむ? 何か他では得られぬようなものでもあったようだな」
「少し、ニャ」
「……ぬ?」
犬耳の人は、東征討伐隊に同行していたのだろうか?
見たことがあれば、覚えていはずがない。
ていうか、あの格好では嫌が応にも目立つだろう。
なにしろ小柄で白いフサフサワンコである。見逃す要素がない。
いや待てよ、近くにいなかっただけという可能性はどうだろう?
「そうか。何も得られぬわけでは無かったということだな」
誰かが先行して斥候していた訳でもないし、後発部隊みたいなのも見なかった。
もしもそういう別部隊があれば、いつ合流したんだっていう話になる。
だから……おかしい、どういうことだ?
「今はもう、これ以上の騒動は要らぬな」
犬耳の人が最初からここにいたとも考えにくい。
だというのに、この場に存在するというのは不自然なことだろう。
大量の物資がなければ来るのも不可能で、水や食料の補充も侭ならない。
物資を運ぶ人員を使い捨てなければ、東征討伐隊だって辿り着けない場所だ。
「なれば、ひとまずここらで区切りを付けねばならぬ」
何かしらの実体が無ければ空気は揺れない。声は聞こえないだろう。
そこには犬耳の人が存在して、声が聞こえている。幻聴ではない。
まさか、透明になっていて目に見えなかったなんて事は無いだろう。
たとえ目に見えなくとも、猫耳さんの異常な察知能力からは逃れられない。
「ホバーホークを生かせば次の騒動を避けられぬ。あれは後で斬るか」
言葉が軽い。言葉で扱う人の命が、どこまでも軽い。
いや、それ以上に、犬耳の人の存在感が軽薄に過ぎるのだ。
そういえば猫耳さんは何かを察知したような事を言っていた気もする。
もしかすると猫耳さんや犬耳の人の突飛もない話こそが正解なのか。
「アルカンドラは替えが効かぬゆえ拾ってくる必要がある」
人一人の存在をまるごと隠すのは、普通に困難だ。
だがこれだけ存在感が薄っぺらなら、隠すのも簡単なのだろう。
剣との合一を果たした結果、剣一振り分の存在感しか無い?
もちろん、現実にそんな理屈など通じるはずもない。
だがそれも、あくまで常識的な存在に限るのだろう。
「まったく星の力とは如何ともしがたい。侭ならぬものだ」
猫耳さんは通じるはずも無い道理を押し通す。
なにしろ目の前にいるのはその猫耳さんの師匠だ。
ありえない事などありえない。そう考えるべきだろう。
ならば、犬耳の人がここにいるという結果こそがすべてなのだ。
あとの原理とか過程とか順序だとか、そういう瑣末なものは何の意味も無い。
「では、アイビス」
犬耳の人が無造作に歩きはじめる。
足取りは確かだ。見た目よりもはるかに機敏で、無駄も無い。
もとより杖を突く老人、などという生易しい存在ではないのだから当たり前かもしれない。
「これより後お前を生かすか否かは、今ここで決めるとしよう」
猫耳さんが剣で受け流しつつ大きく回避した。
犬耳の人が剣を振り下ろす。
そういう順番にしか見えなかったが、やや遅れて金属が擦れ合う音がした。
これで認識が歪められていないなんて保証はどこにもない。
なにしろ最外郭拠点から討伐隊が出発してからつい今しがたまで、
「お前が見つけたという生きるべき所以、まだ死ぬべきでない理由」
ひとときの間断も無く、人目を欺き、真実を偽り、世界を騙し続け、誰からも察知されることなく通してきた理外の存在なのだろうから。
「お前自身の剣でその意味を、その価値を示せ――」
剣のためならば弟子の生死すら些事。
道徳や良心などという概念も通用しない。
それが犬耳の人の在り方ということか。
なにしろ猫耳さんの師匠である。
ただそこにいるだけで正常な世界のほうが忌避してもおかしくない。
むしろ非常識な人に常識を期待するのが間違いかもしれない。
世界の条理など、物理的にねじ曲げられてしまって当たり前。
相対するにはそのくらいの覚悟が必要なのだろう。
ああ、それじゃあまるで、魔物みたいなものじゃないか。
いや、考える頭脳があるだけ魔物より酷いのか。
あれこそが正真正銘のバケモノ。
いわゆる本物の、規格外の化け物なのだ。
「――――ゆくぞ」
片や、猫耳さんが飛び退く。
対し、犬耳の人は剣を納めた。
すうっ、と、線が走る。
やや遅れて、
かん高い不協和音と共に、線に沿って壁が動く。
支柱がくるくると回り、螺旋の軌道を描いてずれる。
頭上から舞って落ちる粉塵が煌めいた。
天井に開いた細い隙間からわずかな光が覗く。
直線は天井から床まで、通路の全方向に及ぶ。
結ばれた線によって幾何学的な模様が描かれた。
輪郭に沿って、模様が音を立ててゆっくりと沈み込んでゆく。
あらゆるパーツが満遍なく滑り続けている。
すでに通路のすべてがどこかを向いて傾いでいた。
退避する先が無い。足場も無い。掴むところすらも無い。
というよりも、身辺に落ちていない場所が見当たらない。
通路を構成していた要素が失わてゆく。
足下が揺らぐどころか、構造を保持する要素がすでに跡形もない。
残されているのは磨かれた鏡のように平滑な切断面を晒した巨大な破片。
もはや通路と呼ぶにも呼べない、何か別の残骸だった。
ええと、何これ?
剣術とかこういう感じの技術じゃないだろう。
理解が追いつかないというか、発生した現象が色々とおかしい。
この状況で剣術的な要素を探すほうが難しいんだけど。
そもそも運動量がどこから来て反作用はどうなって熱量はどこへ消えた。
なにこの超常現象のバーゲンセール。
しかし、この状況を想定しなかったのは見通しの甘さだろうか。
後悔は先に立たないって、後悔する時には立っていられないって意味だっけ?
でもまあ、どうにもならないという意味では間違っていない。
これは確かに逃げた程度ではどうにもならない。
奇しくも猫耳さんの危惧と自分の予想は正しかったことになるわけだ。
ただ決めたつもりの覚悟は、その実、全然足りていなかったのかもしれない。
通路が落ちる。
何で自分が当たり前のように巻き添えになってるんだろう。
そういう疑問さえもどこかに置き去りにして、落ちてゆく。




