魔女と来訪者 8
「…無事についたら、報告してほしい」
玄関口で俯き加減のロザはぽつりと呟く。…素直に手紙がほしい、とは言えなかった。
菜園の向こうには、馬車が見えた。オールドリッジ家の紋章が入っている。
マーガレットの目が覚めた三日後。帰りの馬車の準備も済んだイヴァンは、ロザに帰る旨を伝えた。魔女はなにも言わず、ただコクリと頷いただけだった。
そうして今日、実際に彼らが帰省する。
イヴァンはロザの手を握った。
「必ず手紙を出すよ」
上目で見つめるロザの視線を受け、青年は笑った。
「そんな寂しそうな顔しないで」
「…っっ。別に寂しくなんてないっ」
そっぽを向いた。顔を見られたら、確信されてしまう。黒茶の髪で、彼の視線を遮れたらいいと、思った。
「もとの日常に戻るだけだ」
自分の声が震えたことに気づき、ロザは下唇を噛んだ。
イヴァンは目元を和ませる。大切な女にだけ見せる、優しい笑みを浮かべる。魔女の手を握るそれに、力をわずかに込めた。
「必ず、また会いに来る」
力強い声に、ロザは顔をあげる。
「甘いお菓子も持ってくるから、お茶を淹れて」
軽く笑ったイヴァンに、ロザは気取ってみせた。
「…お土産があるなら、仕方ない」
「いつまでも御者を待たせるな」
さりげなくロザからイヴァンの手を外し、フローは追い払うように手を振る。
切なく笑んでいたマーガレットは、溜息をつく。
(イヴァンのこれは…天然なのかしら)
自分に向けてくれなかったそれも、第三者からの視点になってみれば、厄介なことこの上なかった。
(王弟殿下が不機嫌だわ)
仕方なく、マーガレットは急かすようにイヴァンの袖をひいた。権力者が敵にならないうちに、さっさと立ち去りたい。
次いで、裾を持ち上げ、礼をした。
「それでは魔女様、王弟殿下、失礼致します。またお会いしましょう」
少女の優艶な表情に、ロザは「あ、ああ」と返す。
思わず、この美少女に落ちなかった騎士に首を捻った。
踵を返し、馬車に乗り込もうとする二人に、フローは声をかけた。
「イヴァン」
振り返ったイヴァンは、フローが投げたなにかを受け止める。
目を瞬いた。
「これは?」
「紹介状だ。私は次期公爵であって、今はまだ王弟だ。もし公爵領に来たら、それを見せればいい。騎士として雇ってやる」
フローはやはり無表情で告げた。
見慣れた彼の表情に、イヴァンは苦笑する。
そのまま馬車に乗り込む騎士から、小さく「ありがとう」と聞こえたのを最後に、馬車の扉が閉じられた。
遠ざかっていく馬車を、ロザとフローは視界に捉えられなくなるまで見送った。
やがて、ロザは寂しそうに笑う。イヴァン馴染みの苦笑も、フローの無表情も、揃って眺める事ができるのは、今日が最後なのだろう。
なるべく元気に見えるように口端を上げて、フローを振り返った。
「君も、今日帰るんだろう?」
「…そうだな。迎えの馬車が来たら」
「じゃあ、これでさよならだ」
赤茶の瞳を細めるロザは、腰で組んだ手に力を込めた。――独りには、慣れていた。それでも、それはずっと独りでいたから。一度でも誰かといたなら、今度は誰かといることに慣れてしまう。そうして来る別れは、いつだって辛かった。だから、距離をいつだってあけてきた。
(…大丈夫。きっと、すぐまた独りに慣れる)
自分に念じ、フローを見上げた時だった。
目の前にあるのは、フローの顔ではなく、羊皮紙。黒々と文字が連なっていた。
「…なんだ、これは」
棒読みになった。
ロザは眉間に皺を寄せる。――なぜか嫌な予感がしてならなかった。
文字を読んでみる。
「………」
読み終えた時期を見計らい、フローは妖艶に笑った。天使のような悪魔の笑み。背後に黒い空気が漂っている気がする。
「納税金を要求する」
「………」
ロザは顔を斜め下に向け、無言を貫いた。冷や汗が背筋を伝うのがわかる。
(なにか言わなければ…)と思った。
「わ、わたしは魔女だ。人間の決め事など関係ない」
「一権力者として、人種差別をするつもりはない」
「………。フ、フロー、ではわたしは滞在費を請求しようじゃないか」
強がってフンッと鼻でせせら笑ってみる。
しかし、あえなく却下された。
「私の滞在日数とあなたがここに住み始めた月日を比べれば、納税金はまだまだ不足だな」
わざとらしい溜息。
ロザの肩に、がっしりと手が置かれた。
「ななな、なんのつもりだ?」
どもる魔女に、フローは首を傾げて囁いた。
「領主邸に連行する」
優しい声音も悪魔の囁き以外の何者でもなかった。
「き、君はこの領地の領主か!? 徴税官かっ!?」
ロザはなんとか抵抗してみた。が、相手の方が上手であることに変わりはない。
「まぁ、どちらでもないが。次期公爵だからな。現公爵に、親しい友人――この領地の主――の手伝いをしてこいと言われていてな」
ロザは口をあけ、放心した。
先刻までの、別れを惜しんでいた自分を殴り飛ばしたい。なんてことだ。納税しなければ、身柄確保ということか。けれど、持ち金はない。薬師として得る金は、毎回糖菓子とその材料に消えていくのだ。
馬車の近づく音が聞こえた。
(空耳であってくれ。…いや、そこの小石で馬車の車輪が外れてくれ!)
強く願ったが、むなしく終わった。
馬車の扉が開く音がした。
続いて、足音が近づいてくる。
そして目前でとまる。
「無事、身柄確保しましたか?」
冷たい声音だった。思わずロザが顔を上げると、そこにいたのは漆黒の髪の青年。魔女を見下ろすアメジストの瞳には呆れを秘めていた。
彼は片目だけのメガネのレンズをふきながら、「確保できたならさっさと乗ってください」と王弟よりも偉そうにいった。
顔を引き攣らせたロザは、戸惑いながらフローに問う。
「…随分偉そうだが…君の親戚かなにかか?」
「…いや、異端審問官だ」
「異端審問官…? それにしては高慢…」
「そこ、聞こえてますよ。ほら、さっさと乗らないと、紐で腰くくって馬車で引きずりますからね」
絶対零度の声音で囁いた審問官に、ロザとフローは追いたてられ、馬車に押し込められた。
そうしてロザの領主邸行きが決定した。
「魔女と来訪者」はこれにて一章、完です。
とはいっても、人物紹介のような章だったので、来訪者メインでした。
次の更新は…まだ未定ですが、2月までには一話くらいがんばりたいです、はい。
一章は「イヴァンのターン!」とか意味不明なことを呟きながら書いていましたが、二章からはもうちょっと王弟がでしゃばります。
予告どおりうだうだと、しかも怒涛の展開もなかったり、伏線すらなくない?と思わずにはいられませんが(orz)、お付き合いくださいましたら嬉しく存じます。