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62 予期せぬ来訪者


 叫びだしそうなところなのに、息すらつけなかった私は、それだけ気が動転してたんだと思う。


「ウィル……」


 よろよろとウィルの前に膝をつく。血に濡れた腕や足をさすって、傷がないことを確かめる。一番血で濡れた上着をめくる手が震えた。

 ───大丈夫。無傷だ。


「何があったの、ウィル」


「ぼく、クマさんころしちゃった」


 ウィルの大きな瞳から、ボロっと涙がこぼれ落ちた。


「人を、おそってたの。やめてっていったのに、きいてくれなかったの。だから……」


 じゃあ、ウィルを汚すこのおびただしい血はクマを倒したときの返り血?


 私はウィルを抱きしめた。

 小刻みに震える小さな体。むわっとした獣臭い血の匂いが、甘いミルクの匂いをかき消していた。


 そのとき、


 茂みが揺れ、二人の男女が森から出てきた。女の人が男の人の肩を支えるように抱いて、こちらに歩いてくる。

 

 ウィルが顔を上げた。悲しいのを我慢して、使命感を全面に押し出したような顔つき。


「あの人たち、おなかへって、つかれてるの。姉さま、うちにいれてあげて。だいじょうぶ。いい人、だよ」


《『ビビアン・トランスバール』と『セオ』が境界線越えの許可を求めています。許可しますか》


 『安寧の地』がドーム内へ入ろうとしている者の存在をアナウンスする。


 気になる単語があった。


 おそらく、女性の方のファミリーネーム。

 "トランスバール"ってもしかして……


 『鑑定』をかけると、やっぱり、思った通りだった。

 彼らの訪問を許すことが、吉と出るか凶と出るか……


 ───迷っちゃだめだ。

 『真実の目』を持つウィルが大丈夫って言ったんだもん。

 

「『許可します』」


 ドームを越えたところで、女の人の力が尽きたのだろう。二人して、地面に倒れ込んだ。


 ふと気づくと、ハティが私の腰を抱いている。さっきまで酔っ払っていたとは思えない強い視線を二人に投げかけていた。


「ハティ、ウィルをお願い」


 こく、と頷き、ハティがウィルを抱っこする。


「姉さま……」


「大丈夫。あの人たちはちゃんと助けるから」


 ウィルを抱いたハティがログハウスに入るのを見届ける。ウィルが連れていた小動物たちが、慌てて後を追いかけていった。


「さて、と」


 大変なことになったな。


 色々と聞きたいことはあるけど、尋問(じんもん)はあと。まずはウィルに約束したとおり、この人たちを助けないと。


 倒れた男女に近づくと、女の人が顔を上げた。かろうじて上半身は起こせるようだけど、立ち上がるのは難しいみたい。

 そして、びっくり。彼女、黒髪だ。血に塗れて、茶髪が濃い色に染まっているのかと思ったけど、そうじゃない。ポニーテールの長い髪は、濡れたかんじがない。

 この世界に来て、初めて見る私以外の黒髪。けれど、瞳は水色だ。


「私は、ビビ。冒険者です。『中立の森』で狩りの途中、ジャイアントベアーに襲われ、死にかけたところを弟君に救われました」


 息継ぎしながら、彼女、ビビが苦しそうに言う。ハスキーで、意思の強そうな声だ。


「彼はセオ。私と同じ冒険者で、私の仲間です」


 気を失った男性のお腹のあたりを見て、私は息を呑んだ。ひどい。血まみれの服が大きく裂けてる。


「怪我は、弟君にいただいたポーションで回復しました」


 あ、治癒してるのか。よかった……


 ウィルにはアロンから買った『ハイポーション』を含め、いくつかのポーションを渡してあった。森へ行くときの、お守りとして。

 それを使ってあげたんだね。


「ですが、空腹で力が出ず、帰り道もわからず、途方に暮れております。助けていただいたうえに、こんなことまで、図々しいお願いだと承知しております。けれど、どうか、どうか、食べ物を恵んでいただけないでしょうか」


 私は彼女の手を握った。すごく冷たい。女の人にしては、ゴツゴツした手だった。たくさんの豆ダコ。剣を持つ手だ。


「もちろんです、ビビ。食べ物も、薬も、十分にお渡しします。それから、よければ回復するまでうちにいて。部屋を貸します」


 切れ長の水色の瞳が大きく見開かれた。みるみるうちに、うるんでいく。


「ありがとうございます、ありがとうございます……!」


 土下座するように、頭を下げるビビ。私はそんなビビを必死になだめた。


 胸元で、金属のチェーンが揺れている。あれが本で見た、冒険者の認識票かな。


 冒険者、か。

 でも、どうして、彼女のような人が──?


「ララ、ウィルはイヴに預けてきた。彼らを運ぼう」


 戻ってきたハティが言う。

 この人たちは安全。そう判断した私達を信じて手を貸してくれるハティの優しさが嬉しい。


「男性の方をお願い。女性は私が───」


「私が運ぶよ」


 アロンが名乗りを上げた。ちょっと顔色が悪いし、ふらついてるように見える。相当飲んだみたい。大丈夫かな。

 心配が伝わったのか、「心外だ」と言うようにアロンが怒った顔をする。


「女性一人くらい運べる。私だって男なんだ」


「───じゃあ、お願い」


 お客様を運び入れるのは二人にまかせ、私は先にログハウスに戻った。二階に駆け上がり、空いている左側の部屋の戸を開ける。定期的に掃除して換気もしてるから、そのまま使える。


 部屋にはシングルベッドがひとつ。ベッドが足りない。

 『収納』内を検索。代わりになりそうな大きめのソファを出す。クッションを(まくら)代わりに。あとは余ったタオルケットを。

 部屋を改めて整えたところで、男性を抱えたハティが入ってきた。ちゃんとお姫様抱っこをしてる。アロンがアドバイスしたのかも。病人を荷物担ぎはさすがに、ね。

 ロマンティックのかけらもないあの荷物担ぎは、苦い思い出だ。


「ベッドはセオに使ってほしい」


 ビビがどうしてもというので、言われた通りにする。


「ビビもソファに──」


 ビビだって疲れているだろうに、眠るセオに寄り添って、枕元を離れようとしない。不安そうに眉を寄せ、しきりにセオに声をかけている。


「傷もないし、呼吸も安定している。体力回復ポーションを飲ませたから、そのうち目覚めるよ」


 セオを診察したアロンが、ビビに報告する。薬師だと名乗ったアロンの言葉を聞いて、ようやくビビも安心できたようだ。勧めたポーションを、やっと飲んでくれる。


 たまご(かゆ)とすり潰したりんごを食べてもらい、ビビをソファに寝かせる。


「ビビ、話は起きてからね。いまは眠って、ゆっくり体力を回復させて」


 何か話したそうにするビビをなだめ、彼女が眠るのを確認してから、私達は部屋を後にした。


 ドアに背を預け、はぁ、とため息をつく。


 平穏な生活に、さざ波が立つ音を聞いた気がした。




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