シャイレンドルの力
「怒りに飲み込まれるな!」
ユレイオンの声が耳を素通りする。
シャイレンドルにはもはや、目の前に立つあの男しか目に入っていない。あの男――アダの聖獣の半身。
腕に巻きついた金の鎖の先に揺れる黄色い石。
「それを返せ。それは――ファローンに預けたものだ」
「ああ、そうらしいね。セゼルからもらったよ」
「返せ」
ころころと楽しげに笑う男の声に苛立ちを抑えられない。
風が足元から轟々と吹き上がる。風の精霊が次々と渦に加わる。――いや、精霊を力づくで従える。
「さすがだねえ、その力。でも、まだ本気じゃないよね。本気を出さないと――僕は倒せないよ?」
石を睨みつける。
銀二位のサークレット。塔で着用を義務付けられているものだ。
が、シャイレンドルはポケットに忍ばせておくだけで、普段身に付けることはしなかった。
サークレットにつけられている宝石はは魔力の増幅器、そして制御器。
通常、塔の魔術師が魔法を使う際、サークレットの宝石を通じて力を引き出す。使役する精霊の力を己という器に貯めこんでから魔法は発動する。
その容量を越えた時、石は割れて魔術師のランクアップを告げるのだ。
故に――。
シャイレンドルは故意にサークレットを身につけては来なかった。力を五割抑えこむことで、暴発も防いできた。
だが。
そんなことはもはや関係ない。
意識して抑えていたものを開放する。
いつもと違う膨大な力が集まってくるのを感じながら、怒りを目の前の地の王に向けるだけでいい。
手を伸ばすだけで、力は放出される。
シャイレンドルは動く右手で地の王を示し、力を放出した。
怒りを含んだ力の奔流が地の王めがけてほとばしり、刃となって斬りつける。
地の王は避けもせず、すべての力を受けきった。だが、表皮や服を削るのみで、致命的な傷は追わせられない。
「こんなものかい? 君の力って……言っちゃぁなんだけど、ちっぽけだね」
その言葉は煽り文句だと分かっている。だが――シャイレンドルの感情に着火するには十分だった。
「舐めるなぁっ!」
怒りが増幅する。力の色がどんどん濁っていく。だが、シャイレンドルは気がつかない。視界が赤く染まる。あの記憶のように、赤く、血の色に――。
全てを消し飛ばすように、怒りを込めて――。目の前の男が狂おしく自分を見つめている事に気が付かぬまま。
「シャイレンドル! 怒りに任せるな!」
ユレイオンが渦の外で怒鳴っているのが分かる。が、分厚いガラスの向こう側にいるかのように、くぐもって聞こえない。
「忘れたのか! 怒りは負の感情だ! 地の王に力を与えるだけだ!」
――煩い……。
すい、とそちらに目を向けた途端、力の一部が迸った。ガラスの向こうで――誰かが倒れ伏すのが見える。赤い――血の色。
「そうだ、その力だ。我らの力は聖でも邪でもない。思うままに振るえばよい。なかなかにいいな、おまえ。やはり。仲間でさえあっさり殺せるのだな」
――仲間? 誰が? 殺した?
「俺に仲間なんて……」
ちり、と首筋に違和感が走る。風に押し上げられて、シャイレンドルの金髪は空に向かってたてがみのように波打っていた。
「来い、こちらへ」
手を伸ばす地の王が見える。が怒りを込めてシャイレンドルは力を叩き込んだ。
先ほどより与えられたダメージが低いのが見ていても分かる。皮膚を貫くどころか、衣服を切り裂くこともできない。
「シャイ……レンドル……」
先ほど吹き飛ばした男がよろめくように立ち上がる、黒衣の男。額の青い石が輝きを増している。
「さあ、あいつを殺して、こっちに来い」
気がつけば自分のすぐ側に、地の王は浮かんでいた。耳元で唆すように囁く、その声に、シャイレンドルは黒衣の男に向き直る。
白い顔のあちこちに赤い筋が走っている。滴る血の――鉄の匂い。
「あいつは……」
「おまえの足かせだったものだ。力弱い者のくせに、仲間だなどと偽っておまえを利用していた者だ。あれを殺せ。さすれば、おまえは自由だ」
背後に立つ地の王の手が、シャイレンドルの両肩に置かれる。じわり、と広がる闇の気配が、シャイレンドルの中に染みこんでいく。
――足かせ……。仲間……。俺に仲間なんていない……いなかった。誰も、俺を必要としてなかった。誰も俺を守ってくれなかった。だから、俺は……。
「シャイレンドル!」
――俺は……仲間が欲しかった。居場所が欲しかった。大切な人たちを守りたかった。ただ……それだけだったのにっ……!
「目を覚ませ、シャイレンドル! しっかりしろ! おまえは、塔の魔術師、銀二位のシャイレンドル=リュフィーユだろう?! この俺の相棒の! 闇に惑わされるな! おまえはもう克服したはずだろう!」
黒衣の魔術師の声がはっきりと聞こえてくる。
「……うるさいハエだな」
地の王がユレイオンを黙らせようと手を伸ばす。その手首の黄色い石を、シャイレンドルはつかんだ。
「何……?」
自分の優位を微塵も疑わない地の王は、一瞬反応が遅れた。周囲に渦巻いていた暗い影も闇の気配も消え、純粋に青い風の渦に変わっている。
「俺の……仲間に手を出すなぁっ! メルキトッ」
邪眼を閃かせ、両腕を拘束した状態で、名前で縛り付ける。そして、己が体に集めた全ての力をメルキトの体に叩き込んだ。
「が……はっ! ば、かなっ」
メルキトの体から離れる瞬間に手首からサークレットを奪い返し、己の手首に巻きつけると、石はミシッと音を立て、粉々に崩れて落ちた。




