塔と王国
不意の来訪を知らされ、塔長は一階に設えられた応接室へと足を運んだ。
分厚い扉を開いた向こうには、黒を基調とした正装に身を包んだ人物が座っている。
「陛下、お呼びいただければ王宮の方へと参りますものを」
侍従にお茶を言いつけて、塔長は恭しく礼をして反対側のソファに体を沈めた。
黒髪を短く整え、口元を引き締めた国王クロンカイトは、にこりともせず黙礼した。
「して、急なご用件ということでお伺いいたしましたが、どのようなお話でございましょうかな?」
「あれは――ファローンは元気にしておりますでしょうか」
クロンカイトは十番目の弟を心配する言葉を口にした。だが、その表情にも声にも心配の色はない。事務的な冷たさしか感じられない。
「しておると思いますぞ。今はちょうどとある依頼のため、導師ともども塔を離れておりますが」
「塔を……? こちらにあれのことをお願いしたのは、身柄の保護、生命の保護のためです。それはよくご存知でございましょう?」
わずかに左眉が上がる。どうやらかなりの不興を買ったようだ。が、塔長は微笑みを浮かべて受け流した。
「ええ、存じております。ファローン殿の置かれた立場も。ですから、普通に魔術師として一人前になれるよう、最高の導師につけております。ファローン殿も魔術に興味を持たれた様子で、初等教育もまじめに取り組んでおられました。冠位をいただくのもじきの間でございましょうな」
だが王の表情は晴れない。
「本人から一度、入塔が遅すぎたのではないか、と手紙で相談を受けました。あれは真面目な子ですから、思い悩んでいたのではないかと思います。それならば、他の方法を考えるべきかもしれない、と思っておりました」
「ご本人から、魔術の道を進みたいとの意志も確認しております。先だって入塔なされたゴドレイ殿も同じく、魔術の道に邁進しておられる。わしは、本人の意志を尊重したいと思っておりますのでな」
言下にファローンは渡せない、とほのめかす。
「なら、よいのですが。して、今はどこに?」
「おや、ご存知ではありませんかな? 白氏からの依頼は国王陛下にも連絡が行っているかと思いますが」
「白氏の依頼なら確かにそうですが……今のあの地域の状況、シュワラジー殿は把握しておいででしょうな?」
国王の瞳が剣呑な光を宿す。
「さてはて」
塔長はひげを引っ張りながらとぼけてみせる。
「賢王ギーランド二世とラージェス殿の反目は存じておりますが、今のところは特に動きはないと聞いております。さて、陛下は何をご存知ですかな?」
「では、とある貴族が挙兵した話は耳に入ってはおらぬ、ということですか」
「ああ」
ぽん、とわざとらしく手を叩いて、塔長はうなずいた。
「商業都市の離反の話は聞きましたな。が、呼応する都市はなく、ギーランド二世の兵が鎮圧に向かっているとか。問題はございますまい」
「それにあれが巻き込まれているとは思われませぬか?」
「クロンカイト陛下」
居住まいを正して塔長は口を開いた。
「確かに、我ら魔術師の塔は、御身の口添えもあってファローン殿を受け入れました。じゃが、入塔が許可されたのは自身の素質によるもので、御身の口添えがあったからではござりませぬ。素質がなければいかに御身の口添えがあろうとも入塔は叶いませぬ。ゆえに、ゴドレイ殿と同じく、ファローン殿も王子ではなく塔の魔術師としての役目を担っておりまする。いかに陛下といえども横槍を入れられるものではございませぬぞ」
塔は西の国の庇護下にありながら、独立を維持している。それがたとえ西の国の国王の要望だったとしても、容易に聞く訳にはいかないのだ。でなければ、広く大陸全土から魔術師を目指す者たちを受け入れ、教育し、統率する塔としての機能は果たし得ない。
「だとしても……」
「陛下、護衛を雇われましたな」
クロンカイトの鉄の表情が少しだけ歪んだ。
「必要な措置だ」
「では、彼らが――ファローンが依頼を受けて塔を出ることをご存知だった、ということでございますかな」
クロンカイトは開きかけた口を閉じた。
「今回の白氏の依頼となった原因は闇魔導師によるものと伺っております。さて、どちらの闇魔導師でございましょうな」
塔長は言葉を切った。
「――失礼する」
クロンカイトは席を立ち、出ていった。
その背を見送り、塔長はやれやれ、と肩の力を抜く。
――迎えは間に合ったであろうの。
二人の愛弟子と子どもたちの無事を祈りつつ、塔長は立ち上がった。




