小さき者
「子供?」
声の方を見れば、馬の背に誰かが座っている。背丈は低く、体も細い。おそらくファローンよりも小さな子供。長くざんばらに伸びた黒髪に黒い瞳。
「地の王……か?」
「いかにも。封じられておるゆえこの程度しか出来ぬがの。そなたら――我が半身の気配がするのう」
どくん、と心臓が高鳴る。シャイレンドルは胸を押さえ、顔をしかめた。またか。
染み出した悪意が流れこんでくる。煩わしいほど赤のイメージがフラッシュバックする。野盗のぎらつく刃。飛び散る血の匂い。悲鳴。痛み。
「ちょ、なにしやがるっ」
「何もしておらん。ただ、ちいさき者は我の気配に引きずられやすいからの」
にやり、と子供に似つかわしくない笑いが闇に浮かぶ。心臓の昂ぶりは治まらない。
「こ……ちとら時間が惜しいんや。てめぇの遊びに付き合ってる暇、ねぇんだよっ!」
瞳がきらめく。地鳴りがしたかと思うとずん、と足元が縦に揺れた。鼓動の昂ぶりにに合わせて揺れる。
「なんだ、この揺れは」
「なんだか知らねぇが、わいが地の聖獣と共鳴するんだとさ」
それだけ言うと、シャイレンドルは前かがみになり、身構えた。
立っていられないほどの揺れが二人を襲う。黒い馬の背に座る少年はくすくすと笑っている。その笑い方があの悪意の王とそっくりで、二人の感情を逆なでした。
「大丈夫、なのか、シャイレンドル」
揺れに立っていられないユレイオンは地面に膝をつき声をかけた。
「知らん。けどな、えーかげん、コケにされ続けんのは我慢ならんねや」
右手で心臓の上をつかむ。激しく鼓動するのにあわせて、痛みが大きくなる。
「いかにそなたであろうとも、この封印は解けぬぞ。それに解放を我は望まぬ。そなたがこの封印をこじあけようとするならば、我はそなたを敵とみなすがよいかの?」
周囲の温度が急激に冷え込んだように感じた。闇の気配がじわじわ良くないものに変わってくるのがわかる。圧倒しようとする聖獣の意志なのか、これが。
「そなたに分はないと思うがの。無駄なあがきをしてみるか?」
「うるせえ! てめぇみたいな危険な存在、誰が外に出すかよ。わいらが外に出られりゃそれでええんや」
「なれば、その鼓動をやめよ。そなたの鼓動に我が力が連動する」
「それはつまり、わいに死ねっちゅーことやな?」
「我に連動を止められぬ以上、仕方があるまい」
闇の中から黒い髪が触手のように伸びてきた。とっさに風でなぎ払い、二人の周りに風の渦を作る。
「ユレイオン、こっから出るなよ」
「何するつもりだ、おまえ」
そう声をかけるのが精一杯だ。空気の揺れを肌で感じとる。
「あいつの狙いはわい一人や」
「貴様……また置いていくつもりか!」
ユレイオンは相棒の左腕を引っ張った。痛みで顔をしかめる相棒の胸ぐらをつかみ上げる。
「何言って……そんな場合とちゃうやろっ!」
そうでなくとも絶望と後悔と憎悪が繰り返し揺さぶりをかけてくる状態で、シャイレンドルには精神的な余裕がまったくなかった。金の瞳が緑に変色しかかる。
「邪眼を使っても無駄だぞ! 俺はおまえの相棒だろうが!」
「じゃあ、おまえに何かできるのかよ! この状態で!」
右手で逆にユレイオンの胸ぐらをつかむ。が、その手は軽く振り払われた。
「おまえ一人ぐらい守ってみせる! ……おまえには何か策があるんだろう? なら、その間ぐらい、守ってみせる」
だから除け者にするな――。そう、ユレイオンの黒い瞳からシャイレンドルは読み取った。
相棒が闇魔術師の罠の中で、一体何を見てきたのかは知らない。だが、俺の中をさまよったあいつの思いは俺の中にも残っている。あのプライドの塊だったこいつが、よりによって俺に置いて行かれるのを恐れている――。
興奮しきっていた心がゆっくり冷めてくるのがわかる。心臓の鼓動も痛みも治まってきた。
相棒の瞳から視線を外し、シャイレンドルは俯いた。
「悪い……熱くなりすぎてた」
「わかればいい」
そう、そうだ。地の王に喧嘩を売ってる場合じゃない。今やるべきことはこの空間から出ること。それ以外に何もない。
風の精霊を呼び出し、周囲に放つ。
この空間自体、白氏の結界だと言っていた。ならば、塔の魔術では歯がたたないだろう。だが……もしかしたら、黒魔術師の用いた術ならば、可能なのではないか。メルキトの半身と依り代を手にしてここから出られたのは、黒魔術によるものだと白氏の司は言っていた。
シャイレンドルは懐を探り、小さなそれを取り出した。
爪ほどの大きさの金の卵。
「シャイレンドル、それは……」
「ああ、あの時の封じだよ」
モントレーの館で通された部屋に仕掛けられていた、金の封印。シャイレンドルは口元をゆるめた。
「禁呪で構成されたあの罠や。ちょうどわいらの名前も織り込まれとる。これを使う」
「これを……?」
「逆転させるんや。ちぃと時間がかかる。もし地の王がちょっかいかけてきたらよろしゅう頼むわ」
そう言い、金の魔法使いはどっかと腰を下ろした。禁呪を唱え始めると、手元の卵から金の糸が風にのって広がった。文様に見える糸は細かい文字がびっちり書き込まれた細いリボンのようだ。腰のナイフを取り出し、手のひらに傷をつける。
「ユレイオン、おまえの血も要る」
「分かった」
ナイフを受け取り、指先を穿つと相棒の手に血を垂らす。
「何をしている、ちいさき者よ」
「ほっとけ。おまえの相手なんざしてる暇、ねーんだよ」
時折髪の毛の触手が飛んでくる。それをユレイオンは水の力を駆使して切り飛ばす。
「あった……出てく時の仕掛けや。これ。ここを書き換えて……」
ちらと横目でみたものの、ユレイオンは書かれている文字自体が解読できなかった。
「こんな複雑なもの、よく読み解けるな。しかも他人の編み上げた呪を」
「結構面白いんやで。それに知らんままやといざって時に対応もでけん。大昔、禁呪に手を染めて闇に落ちた魔術師のことは知っとるけど、わいはそんなつもりはない。おまえ、知ってるか? 図書館の禁呪の本、塔長が持ってたもんも結構あるらしいで」
手を動かしながら、シャイレンドルは言う。
「長様が?」
禁呪の解除には禁呪の知識が必要。それをユレイオンは痛感していた。禁呪は忌むべきもの、近寄るべきでないもの、と位置づけていた。だから、学ぶこと自体も悪しきことだと思ってきた。
だが、知らねば対応もできない。知識として持っていることと、それを利用したい欲望に駆られるのとは別物だ。
空に舞っていた金の糸が再びシャイレンドルの手のひらの中で球形を取る。卵型だったそれは、まん丸いボールとなった。
「これで、うまくいきゃ外に出られる。出現場所は指定でけんかったから、出たらあとは情報集めやな」
「分かった」
「ほな、行くで。地の聖獣、あんたにゃ二度と会うことはないやろけど、もう片割れに会うたら言うといてくれや。次はぶっ飛ばすゆーてな!」
そう言うやいなや手の中の玉を地面にたたきつけた。
玉から金の文様が一瞬にして広がり――二人の姿は掻き消えた。
あとに残った金色の檻に囲まれた地の王は、面白そうにクスクス笑い出した。
「なるほど、あれが出て行って帰らない理由がわかったよ。彼だね。この私が――盟約を果たすために残った私ですら、ついていってしまいたくなるほどだものな。面白い。実に面白いよ。いずれまた会えることがあれば、今度は私と遊ぼうではないか、小さき者、いや、煌めきし風の王よ」
結界の中、いつまでもクスクスと笑う声だけが響いていた。




