シャイレンドルの闇 2
体がすぅっと浮き上がるような感覚がある。精神を肉体から分離するのにはいつも奇妙な違和感がつきまとう。もっとも、これが感じられなくなったら相当危ないのだが。
胃のあたりで突き上げるものを押さえながら、ユレイオンはそっと目を開けた。
転がった二つの体が見える。ひょっとしたらこれが自分の体の見納めになるかもしれないな、と考え、慌ててその気弱な考えを追いやった。
目指すのはもうひとつの方だ。
金髪が細身の浅黒い顔を取り巻いている。閉じた瞼の下には黄緑色の瞳があるはずだった。時折邪眼になるのは困りモノだが、若草色の相棒の瞳がさして嫌いではなかったことにユレイオンは思いあたった。
若草……春の草原。木の芽の息吹。太陽の光。連想するものを思い浮かべながら精神を集中する。すうっと辺りがその色に染まり、ユレイオンは相棒の中へ吸い込まれた。
中に入ったとたん、足をさらわれた。すさまじい奔流。粘りのある液体に引きずられるように体が巻き込まれ、分解し、溶ける。
記憶の波だ。引き伸ばされ、歪んだ光景に引きずられる。赤い血、緑のドレスのユーフェミア、ティーカップ、金の壁紙、紺碧の瞳、白い剣士……全てがぐるぐるとまわり、溶け合って流れていく。自分の記憶もその中に溶け出し、自分の中にそれらの記憶が混じって流れこむ。風の匂い、水の味。こんがり焼けた肉、切り裂かれる痛み。脈絡のない流れに、次第に自分の存在が消え始める。
――ナニカ……。ドコカ、ヨリドコロニナルモノヲ……。
とっさに見覚えのある光景にしがみついて、薄れ行く自分の自我を立て直そうとする。
それは白い塔だった。
白い石造りの古びた塔……シルミウムの魔術師の塔。
魔術師。塔のイメージに刺激されたように、自分の記憶も鮮明になりながら消えてゆこうとする。その中に光る涼やかな冷たい青い光にしがみついて、自分の額にもあるはずの銀の輪を思い描く。その填めた冷たい金属の感触まで思い出した時、それが混沌の中に具現化した。
ここでは自分は異物なのだ。はっきりと自分の意識を持たなければ、やがては彼の記憶の一部に取り込まれ、消えていく。
ユレイオンは時間をかけながら、銀の輪に連なる自分の姿を細部まで思い描いた。先刻の闇の縛鎖から逃れた時にやったように、黒ずくめの装束をまとい、黒い真っ直ぐな髪をした、黒い姿の自分を描ききると、ようやく自分の存在が安定した。
同時に周囲の光景も一定の安定を見せた。子供の遊ぶ影絵灯のように刻々とすがたを絵を変えながら、移り変わっていく。ごく最近の記憶の層にいるようだ。
探ってみたが、シャイレンドルの意識はこの辺りにはなかった。
――もっと奥のほうか。
意識を集中すると、場がうねってゆるやかな螺旋を描いた。場は相当に不安定だ。しかも、先ほどまで同化しかかっていたユレイオン自身の記憶や意識もかなり混入しているらしい。それとも、物質界でないここでは、情報の受け手であるユレイオンの解釈がそのまま現れているのかもしれない。
――どちらでもいいが……できれば早く見つけたいものだな。
ふわりと体が浮き上がる。異物として排除されたり、同化吸収されたりする前に相棒を見つけたい。
螺旋に従って、ユレイオンは相棒の記憶をさかのぼり始めた。




