ユレイオンの闇 2
「……そう、おまえはわたしを捨てるのね」
伏せられた母親の口から、怨嗟の声が漏れた。あげられた顔は別人のように引き歪んでいる。
世界が揺れる。金色の草原が揺れ、混じり合い、形を変える。その中で女だけが大きく浮かび上がった。
「賢しい子! おまえは昔からそうだった」
髪を振り乱し、夜叉の顔をした女がユレイオンを指さして叫ぶ。
「おまえなんか生むんじゃなかった! おまえさえいなければ、わたしは幸せになれたのよ。おまえが生まれたから、わたしは故郷にいられなくなってレイエスの屋敷に行かなくてはならなかった。レイエスにとってはわたしのことはただの火遊びだったのに」
レイエス・レ・ランスフォール……正妻のいる父親がどうして母を屋敷に引き取ったのか、自分は知らない。だが、自分の誕生が引き金になったというのは、おそらく真実だった。
「レイエスが大事だったのは自分の血を引く子供のおまえだけで、わたしはただの付録だった。わたしがあの屋敷でどれだけ苦しんだと思うの? 全部おまえのせいよ……おまえがわたしを不幸にしたのよ!」
告発者の姿がぐにゃりと曲がる。絵の具を混ぜるように色が渦巻き、新しい姿を取った。……銀の髪の女。
「おまえがわたくしを不幸にしたのよ」
違う姿の女は、違う声で同じ言葉を口にする。銀の髪に青い瞳をした、優しい義母。
「あの女の息子! 愛人の産んだ子をあの人はわたくしの産んだ子よりもかわいがった。あの人は思慮のない人だったわ」
押し殺した、恨みのこもった声。美しく、優しい義母はユレイオンに決してこんなことを言わなかった。だが、これが本音でないと誰が言えよう。自分は確かに彼女にとって、夫をたぶらかした悪い女の息子だった。
「おまえが生まれたから、あの人はあの女とおまえを引き取ると言い出したわ。その上、わたくしとあの女を同列に扱った。ウェルノールとおまえを同列に扱ったように……それがどんな屈辱だったか……。その上、あの女が出ていったあとも、おまえが残っていたわ。あの女と同じその黒い髪! おまえがいる限り、わたくしはあの女が忘れられなかった。おまえが忘れさせなかった。おまえのその黒い姿がわたくしを苦しめたのよ」
深い怨嗟とその奥の嫌悪。綴られる言葉は全て事実だ。誇り高い彼女は決してそれを口に出さなかった。兄と分け隔てなく、心を配ってくれた。その裏で彼女はどれほど苦しんだのだろう。父は優しかったけれど、気配りのできない人だったから、負担は全て義母にかかったに違いない。どれほど自分が邪魔だったことか。
「そうとも、おまえは邪魔だったのさ」
背後から響いたのは優しいとさえ言える声音だった。深みのあるバリトン。銀の髪が肩に揺れる。
「ランスフォール家の汚点。名乗る名を多少変えたからといって、その罪が消えると思っていたのか?」
口元に笑みさえ浮かべているのは、兄だ。
「おまえが出ていったときはせいせいしたよ。二度と帰ってこなければいいと思ったね。だのに、おまえは帰ってきた。……今さら何のつもりだい? 財産でも欲しくなったのかい?」
あこがれていた銀の人たち。邪魔だったのは知っていた。妾腹の、しかも黒髪の自分はこの人達にとって害にしかならない。わかっていたからこそ出ていった。だから、帰るまいと思っていた。……多少なりともこの人たちの役に立てるようになるまでは。
あのままあの館にいたら、いつか自分はこの人を恨んでしまっただろう。美しくて、何でもよく出来たすばらしい兄。疎ましいだろう自分にまで優しかった兄。あこがれて、誰よりもすばらしい人だと思っていた。でも、だからこそ、そばにいると劣等感が身を噛んだ。
誰よりも愛していた人を、いつか憎んでしまいそうな自分が怖くて、逃げ出したのだ。憎む前に……憎まれる前に。
でも、本当はいつか帰りたかったのかもしれない。自分が某かの力を得たら、血統と容姿の負い目を超えて、この人の役に立てるようになったら。
弟という血縁のためだけでなく、この人にとって必要とされる人間になれたら……だが、それはむなしい夢だったのだろうか。
血がゆるく流れる。たとえこれが幻覚だったとしても、それが何だというのだろう。幻たちが言うのは事実だというのに。あの人たちが口に出したことはない。だが、本心でそう思っていないと誰が言える?
「おまえなぞ存在する必要もないな。おまえがいなくても大した損害にはならないだろう。黒髪のおまえなどと血がつながっていると思っただけでぞっとするね。その辺を汚す前にさっさと消えておしまい」
汚らわしいものを見るように兄が軽く手を振った。貴族の貴公子らしい、傲慢で優雅な振る舞い。……その中にかすかな違和感があった。
ひらめいた考えが針で突いた穴のように光明を投げかける。
「……その一言は失敗だったな」
口の端が歪む。幻覚をかけた人間はこれでとどめを刺すつもりだったのだろう。そのために用意された言葉。だがその中にほころびがあった。
「あの人はそうは言うまいよ。あの人の判断基準は容姿にはない。……たとえ弟であろうともな」
投げつけられた言葉は、全て自分の中にあったものだ。的を射ていて当然だ。これらは全て自分自身の中から引き出された言葉なのだから。この幻たちは、ユレイオン自身が作り上げた、ユレイオン自身の恐怖の心。彼自身の抱いていた不安の具現。
だからこそ、これほど的確に自分を傷つける。異端の黒を気にしていたのは自分だけだった。兄は人の評価に容姿を見ない。あの人が自分を見限るとしたら、それは役に立たない人間として見限るだけで、容姿に言及するはずがない。
「……幻の分際で、あの人を騙るな!」
心中にわきあがる怒り。ほとんど信じかけていた自分が腹立たしい。あれほど幻覚だと心に留めていたのに、奥底の不安を突かれただけでたやすく流される自分が悔しかった。
「消えてしまえ!」
破壊の呪文だけでは幻覚は消えない。それは先刻の経験で明らかだ。
ユレイオンは体中に残った光をかき集めた。黒魔術なら、これが一番効果的なはずだ。
手の中で光球を作る。ユレイオンはそれを全力を込めて幻たちに叩きつけた。




