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第六話 事情を知る男


 エドガー・バレンティンは、学院から帰る馬車の中で盛大なため息をついていた。


「……まったく、どうしてこうなったんだ」


 向かいの席に座るアレクシスは、いつもと変わらぬ涼しい顔をしている。


「どうして、とは?」

「今朝の朝帰りのことだよ」

「ああ」


 アレクシスは窓の外へ視線を向けた。


 昨日は激しい雷雨だった。

 学院内ではすでに小さな噂が飛び交っている。


 選抜クラスの才媛、リゼット・モローが、昨夜アレクシスを自室に招いたらしい。

 雨がひどく、アレクシスは朝まで帰れなかったらしい。

 そして今朝、二人はいつになく神妙な顔をしていたらしい。


 ——まあ、そこまでなら、まだいい。


「お前、本当に何も覚えていないんだな?」

「いや、そもそも何もなかったよ」

「だよな」


 即答だった。


 エドガーは額を押さえた。

「じゃあ、どうして『責任を取る』なんて言ったんだよ」

「彼女が、そうしてほしいと思っていたからだろう?」

「……は?」


 アレクシスは少し困ったように笑った。


「昨夜の彼女を見れば分かる。何かを決意していた。私に対して、かなり思い詰めていたようだ」


「それで?」

「それで、私は彼女の望む答えを返した」


 エドガーはしばらく無言になった。


「……お前、分かってて言ったのか?」

「何を?」

「リゼットが何か企んでるってこと」

「もちろん」

「いつから?」

「ちょっと前から」

「……」


 エドガーは窓の外を見た。

 王都は、昨日の嵐が嘘のように晴れ渡っている。


 こいつ、本当に人が悪い。

 もっとも、エドガー自身も人のことは言えない。

 選抜クラスで二人が妙な距離感になっていくのを、半年間ずっと面白がって眺めていたのだから。


 最初にリゼットを見たときから、彼女がアレクシスを狙っていることには気づいていた。


 いや。


 正確には、アレクシスを見つめる彼女の目を見て、すぐに分かった。


 ——あれは獲物を値踏みする目だ。


 本人は隠しているつもりなのだろうが、隠し方が妙に上手いだけで、エドガーの目は誤魔化せなかった。


 そしてリゼットは、アレクシスに近づくために実に見事な努力を重ねた。


 授業では誰よりも勉強してくる。

 グループワークではアレクシスの得意分野を見極め、自分が補えるところを正確に埋めてくる。

 会話では相手の気分を読み、自然にこちらへ主導権を渡してくる。


 あれだけの能力を持ちながら、それを「将来の伯爵夫人になるため」に全振りしているのだから、エドガーとしては呆れるしかない。才能の無駄遣いにも程がある。

 しかも本人はいたって真剣だ。


 ——この子、本当に面白いな。


 そう思った。だから、つい観察を続けてしまった。


 リゼットがアレクシスの隣に座れば見る。

 アレクシスがリゼットを褒めれば見る。

 リゼットが少しばかり色気を出せば見る。


 そしてアレクシスが、それをすべて「優秀な友人への評価」として受け取るたびに、


 ——違う、そうじゃない。


 と、心の中で何度ツッコんだことか。


「そういえば」


 エドガーはふと思い出して尋ねた。


「昨日、リゼットに薬を飲まされたんだろ?」

「うん」

「どうして分かった?」

「味が少し違った」

「……じゃあ、飲むなよ!」

「口には含んだけど、飲んではいないよ。意識はあったさ。寝たふりをしないと、彼女が何をするつもりなのか分からないだろう?」

「お前なあ……何かもっと危険な薬だったらどうするんだよ!」


 エドガーは頭を抱えた。こいつは昔からこうだ。


「それはない。毒物を扱う人間の手際ではなかった」

 

 危険だと分かっていても、興味が勝ってしまう。

 そして、たいていの場合、その興味は本人の想像を超えるところまで事態を進める。


「それで、彼女は何をしたんだ?」

「特に何も」

「何も?」

「私をソファに寝かせて、自分も隣で朝まで過ごしただけだよ」

「……それだけ?」

「それだけ」


 エドガーは目を閉じて、昨夜の状況を想像する。


 雨、密室、眠っているアレクシス、乱れた衣服、涙目のリゼット。


 ——なるほど。


 リゼットの考えたことが、手に取るように分かった。


「既成事実を作ったつもりなんだな」

「たぶんね」

「で、お前は?」

「責任を取ると言った」


 エドガーは思わず吹き出した。


「何がおかしいんだ?」

「いや、だって……!」


 エドガーは笑いをこらえながら、肩を震わせる。


「お前ら、本当に似た者同士だよな」

「そうかな?」

「そうだよ」


 片方は、相手を結婚させるために一世一代の大芝居を打った。


 もう片方は、その意図に気づきながら、相手が何をするのか見届けるために芝居に乗った。


 どちらも頭が切れる。

 どちらも度胸がある。


 そして——


 どちらも自分の本当の意図を、ほんの少しだけ勘違いさせている。


「しかし、どうするつもりなんだ?」

「何が?」

「リゼットのことだよ」

「もちろん、約束どおりにするつもりだ」

「本当に?」

「ああ」


 アレクシスは静かに頷いた。


「卒業後のことも含めて、彼女が不安にならないようにする」


 エドガーはその横顔を眺めた。

 こいつは、昔からこういうところだけは徹底している。

 相手がどんな事情を抱えていようと、一度「守る」と決めたら簡単には手放さない。


 だからこそ、リゼットがこの先どうなるのか、エドガーには少しだけ心配だった。


 彼女はまだ知らない。


 自分が相手にしたのが、ただの「誠実な伯爵家の跡継ぎ」ではないことを。

 

 そして、自分が半年間かけて攻略してきたと思っている相手から、いったい何を与えられようとしているのかも。


「まあ、いいか」


 エドガーは窓の外へ目を向けた。

 夕日が王都の街並みを照らしている。

 これから学院では、二人の噂が広がるだろう。

 リゼットはきっと、人生最大の勝利を確信している。

 その顔を想像すると、また笑いが込み上げてきた。


「……何を笑っているんだ?」

「いや。なんでもない」


 エドガーは口元を押さえた。


 ——さて。


 この二人の話を、アレクシスのお父上にはどう報告したものかな。

 昨夜の出来事をそのまま伝えれば、


『アレクシスが女性の部屋を訪問し、薬を盛られ、朝になったら責任を取ると言い出した』


という、とんでもなく物騒な報告になる。

 事実なのだから仕方がない。


 エドガーは懐から報告用の紙を取り出した。

 しばらく考えてから、筆を走らせる。


『アレクシス様は、学院生活において非常に優秀な女性と親しく交流されております。昨夜、彼女の部屋で一晩を過ごされ——』


「これは駄目だ。曖昧すぎる」


 書き直す。


『昨夜、リゼット・モロー嬢より、婚姻を意図したと思われる大胆な行動がありました』


「……まあ、これでいいか」


 エドガーは満足して紙を畳んだ。


 そして、ふと隣を見る。

 アレクシスは相変わらず涼しい顔で窓の外を眺めている。


「ところで、アレクシス」

「何?」

「お前、本当にこのままあの可愛い詐欺師を内側に入れる気なのか?」


 ほんの一瞬。

 アレクシスの瞳が、わずかに細められた。


「……だって、あの娘は優秀だろう?」


「おい」


 それだけ言って、アレクシスは微笑んだ。

 エドガーは思った。

 ——これは、まだ何か隠している顔だ。


 まあ、いい。

 どうせ卒業まで、あと半年しかない。

 その頃には、すべてが明らかになる。


 たぶん。


 ……きっと。


 ……いや、お願いだからそうなってくれ。


 エドガーは、今日何度目か分からないため息をついた。

 

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