エピローグ 高すぎるハードルと終わらない婚活
モンフォール伯爵邸の広大な執務室に、書類をめくる音が軽快に響いていた。
「リゼット、先月の隣国との関税交渉の議事録と、来週の夜会に出席する貴族のリストを出してくれるかい?」
「はい、アレクシス様。こちらにまとめてございます。ついでに相手方の主たる交渉人の個人的な癖と、好みの銘柄も添付しておきました」
「ありがとう! さすがは私の優秀な秘書官だね」
あれから数年。
モンフォール伯爵家の『筆頭専属秘書』兼『王立外交局の要塞』とまで呼ばれるようになった私は、相変わらず超高密度過重労働、手厚すぎる福利厚生とおやつ付きの日々を送っていた。
アレクシス様は女性としての爵位継承を完璧に成し遂げ、エドガー様と正式に結婚。
前伯爵は外交官としての勤めは果たしつつ、体調がだいぶ回復された奥様をあちらこちらに連れ回し、夫婦水入らずの充実した日々を楽しんでいるらしい。
私は相変わらず王都一美しい上司からの激重な信頼を一身に受け、側近としての地位を盤石なものにしていた。
報酬は相場の三倍、だが短い時間でも相場の二倍は働いているはずなので、これは正当な報酬だと思っている。
充実している?
そう、間違いなく毎日が充実している。
……確かに、仕事面においては、文句のつけようがない完璧な人生である。
問題は、ただ一つ。
……私、ひょっとして理想が高すぎるのかしら?
休日。王都の高級サロンで開かれた社交パーティーの会場で、私は一人、シャンパングラスを手に深く溜め息をついていた。
もちろん、今日の私の目的は「婚活」だ。
外交局で働くようになってからというもの、出入りする男性貴族や若手官僚からのアプローチは絶えない。今の私は「優秀で、高収入で、伯爵家の後ろ盾がある超優良物件」なのだから当たり前である。
もちろん外見磨きだって、一切手は抜いていない。
おやつはしっかりといただきつつ、美肌と体型維持のための努力も欠かさない。アレクシス様の一歩後ろに立つからには草臥れた姿でなんていられない。
今日も何人かの紳士から声をかけられた。……かけられたのだが。
うーん……あの法務局の若手ホープの男爵子息。知性は申し分ないけれど、思考の鋭さと腹芸が……アレクシス様ほどではないのよねぇ。
あちらの財務局の伯爵嫡男様。仕事ができるのは素敵だわ。でも、案件の処理速度、アレクシス様なら三分で片付ける内容よ?
それに、あの外交官。お顔は確かに整っているけれど……立姿の気品と背の高さが、アレクシス様と比べると今ひとつ物足りないというか……
無意識のうちに、あらゆる男性を『元・男装の麗人であるアレクシス様』という、世界最高峰の基準と比較して落選させてしまっているのだ。
知性、容姿、気品、度胸、包容力、そして圧倒的なカリスマ性。
そんな人類の奇跡みたいな存在の至近距離で毎日働いているせいで、私の「男性を見る目」のハードルは、天をも突く高さまで跳ね上がっていたのである。
ダメよリゼット! アレクシス様は女だし、そもそもエドガー様という『食えない旦那』がいるんだから! 私は私で、普通の人間の中から素敵な旦那様を探さなきゃ……!
自分で自分に言い聞かせ、頭を抱えそうになったその時。
「やあ、リゼット。今日も元気に高望みかい?」
聞き捨てならない軽薄な声とともに、極上の礼装に身を包んだエドガー様――モンフォール女伯爵配偶者殿が、意地の悪い笑みを浮かべて隣に滑り込んできた。
「失礼ですね、エドガー様。私は現実的な条件で将来の伴侶を探している最中ですわ!」
「へえ? でも君、さっき話していた財務局のエリートを『アレクシスなら同じ仕事は五分でやる』って顔で見下していただろう?」
「見下してません! 考えていただけです!……それに、五分じゃありません。三分です」
「一緒だよ、てかもっと酷い」
エドガー様はくっくっと肩を揺らし、心底楽しそうにワインを傾けた。
「諦めなよ。君の目をそこまで肥やしたのはアレクだし、彼女は君を他の男に奪われる気なんてサラサラないよ? 『リゼットに男がついたら、業務が滞るじゃないか』って真顔で言っていたからね」
「あの愛重上司……っ!」
恐ろしい。玉の輿を狙って近づいたはずなのに、気づけば一生ものの高密度労働と、絶対に越えられない最高峰の理想像を植え付けられてしまっていたなんて。
「……まあ、がんばりなよ。君の終わらない婚活を観賞するのも、俺の密かな楽しみなんだから」
「終わりますっ!本当に性格が悪いですね、貴方は!」
ニヤニヤと笑うエドガー様に冷たい視線を浴びせ、私は残りのシャンパンをぐっと飲み干した。
理想が高すぎようが、上司の愛が重すぎようが、私は諦めない。
いつか絶対に、アレクシス様にも文句を言わせないくらいの「超・最高級の玉の輿」を掴んでみせるのだから!
最高に優雅で、最高に賑やかな仲間たちに囲まれながら、私の完璧な婚活への道は、まだまだ続いていくのだった。
(Fin.)




