第十一話 玉の輿の成れの果て
「……アレクシス様」
卒業パーティーの翌日、モンフォール邸に招かれて、そしてそこに当然のようにいるエドガーに眉を顰めて。
私は、談話室のテーブルに並べられた『それ』を、呆然と見つめていた。
「君が生涯私のもとにいてくれるために必要な書類だよ」
束という言葉がかわいらしく見えるような書類には「住居使用契約」「給与契約」「機密保持契約」「専属秘書契約」といった文字が踊っていた。
革表紙に金の箔押しが施された立派な冊子もあり、どれもこれも、見るからに公式な法律文書の匂いを醸し出している。
「さあ、リゼット。ペンを」
アレクシス様——いや、世界で一番美しく、そして世界で一番恐ろしい『モンフォール女伯爵』は、可憐な手元から羽ペンをすっと差し出してきた。
その佇まいは完璧で、涼やかな紫の瞳が親愛の情を込めて私を見つめている。
「あの……アレクシス様。これは……?」
「あの日、君に約束しただろう? 『卒業後の書類はすべて私が準備しておく』と」
……あ。
ソンナコトモアリマシタネ——っていうか、婚約とか結婚関係の書類だと思うじゃないですか!
「これはね、君が私の『筆頭専属秘書』として働くための雇用契約書並びに機密保持誓約書、それから……あ、そっちの厚いのは王立外交局への出向同意書だよ。ちょっと字は細かいけれどしっかり目を通してね」
「……はい?」
私の思考がフリーズした。
筆頭専属秘書? 外交局?
「君の素晴らしい記憶力と、相手の言外の意図まで読み取る観察眼、そして目標のためなら睡眠薬をも仕込む恐ろしいまでの度胸……手放すわけがないだろう? 君は外交の場において最高の相棒だ」
「……あ、あの、伯爵夫人というポジションは……?」
恐る恐る尋ねる私に、アレクシス様は「可憐な少女」そのものの微笑みを浮かべた。
「私は女だから、君と結婚して伯爵夫人にしてあげることはできないよ。この国は重婚を禁じているし。
でも、大丈夫。報酬は相場の三倍を約束する。専用の執務室も、私の家に君の住む部屋も用意した。一生遊んで暮らせるだけの金を、君自身の腕で稼がせてあげる」
一生遊んで暮らせるだけの金を……自分の腕で……稼ぐ……!?
それはつまり。
「玉の輿」ではなく、「超高密度過重労働」ということではないか!!
「さあ、サインを。それとも……詐欺罪で、法務局に告訴されたいかい?」
「う……っ!!」
にっこりと笑うアレクシス様の背後でエドガーが通常運転で笑っている。
「くくっ……がんばれよ、リゼット。君なら激務にも耐えられるさ。雑務は任せた」
心底楽しそうなこの男を睨みつけた。
この男! 途中で気づいていたくせに、私を面白がって生贄に捧げただろう!!
「エドガー様……! 嫌味な男はアレクシス様に嫌われますよ……!」
「ははは、愛しい婚約者の補佐官が優秀で、俺も助かるよ」
私は羽ペンを握りしめた。
サインしなければ告訴。サインすれば一生ものの過重労働。……選択肢など、最初から存在しない。
だが、ここで簡単に折れるような人間がアレクシス様を支えられる訳がない!
「福利厚生はしっかりとお願いします……っ。三食昼寝とおやつ付き、定時終了は譲れません」
「雇用条件はこちらの書類にまとめてあるから、まずは目を通すといい」
「……休日は?」
「週休二日」
「有給休暇は?」
「もちろんあるよ」
「住居費は?」
「不要」
「食費は?」
「私の屋敷で食べればいい」
「……おやつは?」
「好きなだけ」
「…………」
なんだ、この超優良過重労働。
カリカリと、書類に次から次へと自分の名前を書き込んでいく。
最終的に大幅な譲歩を引き出し、私の『完璧な玉の輿計画』は、ここに完全に潰えた。
「ありがとう、リゼット! これでずっと一緒だね」
署名を終えた書類を嬉しそうに抱きしめ、アレクシス様が少女らしく花が咲くような笑顔を見せた。
そのあまりの美しさと可愛らしさに、悔しいけれど、私の胸は一瞬だけ跳ねてしまったのだった。
……まあ、いいわ! 玉の輿は逃したけれど、相場の三倍の報酬で、王都一の男前な元男装の麗人に一生愛重く頼られるなら……悪くないかもしれないわね!
自業自得、それはすなわち自分のやらかしの結果を自分で味わうこと。
だからつまり、これも私が選んだ人生と言えなくもない。
それに……外交局にだって出会いは……優良物件の一つや二つは転がっているだろう。
私は大きく息を吐き出すと、ドレスの裾をエレガントに持ち上げ、私の「生涯の主人」に向けて最高の淑女の礼を執った。
「謹んでお受けいたします、アレクシス様。——私の全人生を懸けて、お仕えいたします!」
アレクシス様は満足げにうなづいた。
勘違いから始まった私の婚活は、最高に賑やかな「仕事仲間(逃亡不可)」の結成をもって、幕を閉じたのだった。




