土の上で、次の種を決める
白い野原の出口は、来た時より狭く感じた。
裂け目の向こうから小部屋へ戻り、通路を上り、石台の部屋を抜け、塚のそばを通る。ロルフが先頭で、後ろにシオン、フィン、カッサン、大司教。順番は変わらなかった。
塚の前を通る時、シオンが一度だけ立ち止まった。
ロルフは振り返らずに待った。
十数秒ほどで、足音が続いた。それだけでわかる。挨拶してきたのだろうと思った。言葉かどうかはわからないが、土へ何かを返してきたはずだ。
地上への道は、下りよりずっと体に堪えた。
狭い通路を這い上がり、石台の部屋で一度息を整え、最後の階段を踏む頃には、全員の呼吸が荒くなっていた。白い根に体力を削られたわけでも、毒に当てられたわけでもない。ただ、深いところで張り詰め続けていたものが、上へ向かうにつれて少しずつ解けていくその感覚が、疲れとして出てきていた。
地上に出た時、最初に感じたのは風だった。
地下にはなかった。あの場所には空気があっても、動かない空気しかなかった。それが今、頬に当たっている。湿った土の匂いがする。普通の、生きた土の匂いだった。
「……空が、ある」
シオンが小さく言った。
大げさに聞こえるが、ロルフには正しい言葉だと思えた。白い野原には天井がなかった。遠いだけで、空ではなかった。
フィンが地面に膝をついて、地脈計を地面へ押し当てた。しばらく読んでから、顔を上げる。
「……落ち着いてます。白い本流の圧は、さっきより確かに弱い。地表近くの数値だけで言えば」
「だろうな」
「ただし、消えたわけじゃありません。深い層はまだ動いてる。しかも、さっき白い筋が学習してたように、また別の入り方を探してくると思います」
「時間はどのくらいある」
「わかりません」
フィンは正直に言った。
「今日みたいな押し方ならしばらく耐えられる。でも向こうが変えてきたら、また話が違います。一晩か、三日か、それ以上か、根拠を持って言える材料がまだない」
「なら、その材料を集めるための時間として使う」
ロルフはそう言って、周囲の土を見た。
神殿跡の敷地だ。石列が並び、黒土の一角がある。窪地があり、石柱がある。それらが全部、あの白い野原の封じの一部として長い時間をかけて配置されていた。
一行が歩いてきた地面も、踏みしめるたびにかすかな感触の違いを伝えてくる。場所によって土の密度が違う。石柱の周辺と、敷地の縁とでは、白い根の染み込み方が明らかに異なる。
ロルフは鍬を地面へ軽く立てた。
「この敷地全体で、土の状態を測り直したいです。今日は下へ行くので精一杯だったから、地上部分を詳しく見られなかった」
「何を調べるんですか」
カッサンが尋ねる。
「白い根がどこから地表へ出ようとしているか。あと、ヴェルンが敷地の上にも何か仕込んでいたとしたら、まだ生きているかどうか」
「敷地の上にも、ですか」
「石柱の配置が整いすぎている。ただの神殿の跡ならあの並びはしない。地脈の流れに沿わせてある」
フィンが地脈計を向けて確かめるように動かした。しばらくして、うなずく。
「……確かに。柱の位置と、地下の黒い道の起点が大まかに重なってます」
「地上の配置で、下の道を決めたのか、下の道に合わせて地上を整えたのかはわからない。でも、繋がってることは間違いない」
大司教が地面を見つめながら、低く言った。
「ロルフ殿。……私は今日、ここで見たものを、教団へ報告しなければなりません」
「当然でしょう」
「ただ、その内容によっては……教団内で、また話がこじれます。癒しの力だけでは根源へ届かなかった
という事実は、受け入れがたい者が多い」
「それはあなたの仕事だ」
ロルフはあっさりと言った。
「俺が心配するのは土のことだけです。癒しの力をどう説明するかは、あなたが考えてください」
大司教は少しの間、沈黙した。
責めているのではないとわかっているのだろう。だが、答えを求めていたわけでもなかった。ただ、言葉にしてみないと整理できない重さがあったのだ。
「……はい。それは私が引き受けます」
そう答えた声は、来た時より少し低かった。地下で何かを受け取ったのだろうとロルフは思った。癒す側も、混ざることを知らなければ、土は痩せていく。その意味を、今日の経験から少しだけ自分の言葉で考え始めているような声だった。
カッサンが石板の写しを取り出し、確かめるように広げた。
「石碑の文字、もう少し精度を上げて整理します。"ふたつはひとつの巡り"の前後に、まだ欠けた部分があった。古い文字の補完も含めて、調べられるところを当たってみます」
「頼む」
「ただ、これは神殿の公式記録に残っている可能性があります。大司教、閲覧の許可を」
「それは……わかりました。確認しましょう」
大司教とカッサンのやり取りを聞きながら、ロルフはシオンの方を見た。
シオンは少し離れた場所で、石柱の一本へそっと触れていた。倒れかけているわけでも、何かを確かめているわけでもない。ただ、触れている。地下の塚へ触れていた時と同じ手つきだった。
「シオン」
「はい」
「体は動くか」
「はい。疲れましたけど、問題ありません」
「今日みたいに毒を流した後、どれくらいで戻る」
シオンは手を石柱から離さないまま、少しだけ考えた。
「……半日、あれば。多めに見て、一日」
「じゃあ今夜は動かなくていいです」
「でも旦那様が動くなら」
「俺は地上の土を少し見てから、あとは休む。急いでも土は変わらない」
「……わかりました」
シオンは石柱から手を離した。その手を、軽く胸元へ当てて、それから下ろす。ロルフには、それが何かを確かめる所作だと見当がついていた。毒が今もちゃんと自分の中にあるかどうか、奪われたままになっていないかを確認しているのだ。
大丈夫だ。
言わなくても、顔を見ればわかる。シオンはもう、自分の毒が何のためにあるかを知っている。奪われるだけのものとして抱えているのではない。
「一つだけ、聞いていいですか」
シオンが言った。
「なんだ」
「旦那様は、白い野原を、最終的にどうするつもりですか」
ロルフは少しだけ間を置いた。
「閉じます」
「できますか」
「今すぐは無理だ。でも、やり方はある」
「……どんな」
「畑と同じですよ。死んだ土に一気に水をやっても腐るだけだ。まず巡りの道を作って、それからゆっくり戻す」
「それが、さっきの変換ですか」
「最初の一手だけです。まだ途中だ」
シオンは黙って聞いていた。
ロルフは続けた。
「ヴェルンが遅らせてくれていた。おかげで根っこまで死んでいない。だから、戻せる可能性がある。ただし、戻すためには今日みたいに何度か手を入れる必要がある。一度で終わる仕事じゃない」
「何度も、地下へ行くんですか」
「たぶん」
「……一人で行かないでください」
シオンの声は静かだったが、ぶれなかった。
「俺が一人で行くとは言ってないだろう」
「旦那様は言わないまま行くことがあるので」
ロルフは少し黙った。
否定できなかった。
「……善処します」
「善処じゃなくて、連れていってください」
「お前が倒れたら困るんだが」
「倒れません。倒れても立ち直ります」
シオンは静かに、しかしはっきりと言った。
「僕の毒が必要なら、そこへ連れていってください。今日みたいに、ちゃんと使いたい」
ロルフはシオンを見た。
地下へ降りる前の顔とは違う。
怖がっていないのではない。今日だって、あの野原で震えていた。ただ、震えながら止まらなかった。それが今日、少し変わった。震える理由が、前とは違う場所にある。奪われる恐怖ではなく、届かなかった時の恐怖だ。
「わかった」
ロルフは短く言った。
「連れていく」
シオンは頷いた。それだけで十分だという顔だった。
夕暮れが近かった。
神殿跡の石列が、傾いた光を受けて長い影を伸ばしている。白い野原のあの白さとは違う、地上の普通の影だった。踏めば土の感触が返り、風が吹けば草が揺れる。
ロルフは鍬の先で地面をごく浅く掘り、土の様子を見た。
表層は白い粉が薄く混じっている。だが、指の幅ほど下では土の色が戻る。ヴェルンが残したものがまだ、この土を支えている。今日手を入れたことで、白い本流が少し揺れた。その影響がどこへ出るかを、もう数日かけて確かめなければならない。
種を蒔くなら、土を知ってからだ。
急ぐ必要はない。だが、止まっている余裕もない。
ロルフは立ち上がり、鍬を肩に担ぎ直した。
「今夜は宿に戻ります。明日の朝、日が上がったらここへまた来る」
「何を見るんですか」
フィンが地脈計を仕舞いながら言う。
「夜のあいだに白い根がどこへ動いたか。それと、石柱の周囲の土の変化」
「そんなにはっきり変わりますか、一晩で」
「土は夜の方が正直です。昼は人が踏んだり光が当たったりして動く。夜は静かだから、本当の状態が出る」
フィンは「農夫の感覚はよくわかりません」という顔をしたが、反論はしなかった。
一行は神殿跡を出た。
門のあたりの土を踏む時、ロルフは一度だけ振り返った。
石列の向こう、敷地の中央あたりに、石柱が一本だけ斜めに傾いている。今日は時間がなくて確かめられなかったが、あの柱だけ妙に傾きの方向が違う。地盤が崩れたのではなく、意図的にあの角度で立てられているような気がした。
次に来る時に確かめればいい。
ロルフは前を向いて、歩き出した。
シオンが隣に並ぶ。
歩きながら、シオンがぽつりと言った。
「ヴェルン様が遅らせてくれていなかったら、今頃どうなっていたと思いますか」
「さあ」
「旦那様にしては、珍しい答え方ですね」
「わからないことはわからないと言います」
「……そうですね」
シオンは少しだけ間を置いた。
「でも、遅らせてくれていた。それは本当のことで」
「ええ」
「だから、まだ間に合う」
「そういうことだ」
夕暮れの風が、神殿跡の方から吹いてきた。
土の匂いがした。古い、けれど死んでいない土の匂い。誰かが長い時間をかけて守り続けてきたものの匂いだった。
ロルフはそれを一度だけ吸い込んで、宿への道を歩いた。
白い野原はまだそこにある。
明日、また手を入れる。
畑仕事は、一日で終わらない。




