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土になった神子は、まだ眠っていない

石台の裏側には、さらに下へ続く道があった。


最初に気づいたのはロルフだった。石台の縁へ手を当て、土の重なり方を確かめているうちに、下から返ってくる音がわずかに違う場所を見つけたのだ。叩いた時の響きが、ただの詰まった土ではない。もっと奥に空間があり、その空間ごと息をしているような、そんな音だった。


ロルフは石台の周囲を回り込み、壁際の土をそっと掘った。


浅いところは乾いている。だが少し下で、指先に絡む感触が変わった。湿っていて、しかも白い筋の冷たさとは違う。長く閉ざされていた土の、ぬるい呼吸が残っている。


「……ここだな」


鍬の先で薄く積もった土を払う。すると石台の裏側の床に、細い継ぎ目が現れた。人工的なものだ。けれど教団の神殿にあるような整った扉ではない。もっと古く、もっと土の動きへ合わせて作られたような、無理をしていない隙間だった。


シオンが息を呑む。


「そこ、下へ繋がってます」


「だろうな」


ロルフは短く答え、鍬を差し込んで慎重に石をずらした。


重い。だが持ち上がらないほどではない。石台そのものに荷重をかけすぎず、下の土も崩さないように少しずつ動かしていく。その手つきは、大きな畑石を掘り返す時と変わらなかった。


やがて、暗い穴が口を開ける。


そこから、さらに深い土の匂いが上がってきた。


湿っていて、冷たくて、それでいて空っぽではない。むしろ、長く押し殺されていたものが、ようやく細く息をつけるようになった時の匂いに近かった。


フィンが地脈計を向ける。針は大きく振れたあと、下へ向かって沈むように止まった。


「……あります。本流、じゃない。でも、かなり近い。しかも白い流れとは別に、もう一つ……下から支えてる線が見える」


大司教が石台を見下ろしたまま、低く言った。


「ここが最後の祈りの場ではなかったのですね」


「祈りだけで終わらせるつもりはなかったんでしょう」


ロルフは穴の縁へしゃがみ込み、下の様子を窺った。


狭い。だが人は通れる。斜めに掘られた道が、さらに深い場所へ落ちている。壁面にはところどころ石が打ち込まれ、崩れないよう支えられていた。その石の並びも、窪地や黒土で見たものと同じ系統に見える。


「旦那様」


シオンの声は、少しだけ震えていた。


「下です。もっと……はっきりします」


「白いのがか」


「それもあります。でも、違うほうが」


違うほう。


その言い方を、ロルフはもう聞き違えない。石台の部屋へ入ってから、シオンが感じ取っているのは、白い根の気配だけではなかった。ずっと土の中で耐え続けてきた、別の何かだ。


「行くぞ」


ロルフが先に穴へ足を入れる。


後ろからフィンが「こういう時、真っ先に行くんですね……」と半分呆れたように呟いたが、ロルフは振り返らなかった。こういう場所で先頭を歩くのは、自分の役目だとわかっていたからだ。土の具合を見る者が一番前にいないと、崩れる時はまとめて崩れる。


順番は自然と決まった。ロルフ、シオン、フィン、カッサン、大司教。


道は思ったより長かった。足元は滑らないよう粗く削ってあるが、ところどころ土が痩せている。白い根が直接入り込んではいないものの、上から圧を受け続けているのだろう。壁へ手を当てれば、ごく細い震えが伝わってくる。


どくん、どくん、と。


遠くで鳴る鼓動ではない。

 もっと近い。

 土の層を挟んですぐ向こうで、別の心臓が打っているような重さだった。


シオンの呼吸が浅くなる。


「……旦那様」


「大丈夫か」


「はい。でも……近すぎて、少し……」


ロルフは歩みを緩めた。

 引かれているのか。

 それとも、呼ばれているのか。

 今のシオンの顔には、その両方が混ざっている。


「無理なら止まるぞ」


「いえ……進めます」


その声に迷いはあった。だが、足は止まっていない。怖いのに、それでも行かなくちゃいけないと思っている時の歩き方だとロルフにはわかった。


やがて、道が終わる。


最後の曲がりを抜けた先で、一行はまた別の空間へ出た。


今度の部屋は、上の石台の間より広かった。


丸い。というより、土と石が自然にそうなったところへ、あとから人の手で整えたような形をしている。天井は低いが、中央だけ少し高く、そこから細い根のような石の筋が四方へ伸びていた。


そして部屋の中央には、小さな塚のようなものがあった。


土だ。


盛られた土ではない。

 まるで誰かがそこへ座ったまま、長い時間をかけて土へ還っていったような、不自然に静かな塚だった。


白くない。


黒いわけでもない。


ただ、深い土の色をしている。


その塚の周囲だけ、白い筋が近づけずに止まっていた。外縁を囲むように何本も這ってきているのに、最後の一歩だけが踏み込めない。まるで見えない柵でもあるみたいだった。


シオンが立ち止まり、息を呑む。


「……ヴェルン様」


その名は、祈るようでもあり、確かめるようでもあった。


大司教が後ろで膝をつきそうになる。カッサンが思わず支えに手を伸ばした。


ロルフは塚へ近づいた。


鍬を下ろし、膝をつき、そっと土へ触れる。


ぬくもりがあった。


火のような熱ではない。生きた人の体温とも違う。だが、白い根の冷たさと比べればはっきりわかる。ここにはまだ“居る”ものの温度が残っている。


「……ずっと、ここで押さえてたんだな」


ロルフの声は自然と低くなった。


塚の表面は硬く締まっている。けれど死んだ土ではない。根を張れる土だ。誰かがただ埋まったのではなく、自分から土台になったような感触がある。


フィンが地脈計を見つめたまま、呆然と呟く。


「信じられない……本当に、この塚の下で白い本流を押し留めてる。そんなこと、人間一人でできるはず……」


「一人でやったんじゃないのかもしれません」


カッサンが掠れた声で言う。


「この部屋も、上の石台も、石柱も、全部が繋がっている。長い時間をかけて、一つの封じとして」


それでも中心にいるのは、この塚だ。


誰かが自分を混ぜ、土の呼吸の一部になって、ずっと白い根を押さえている。


シオンがゆっくりと塚の前へ進み出た。


足取りは危うかったが、止まらない。塚の手前で膝をつき、震える指をそっと土へ触れた。


次の瞬間、シオンの目から涙が一筋落ちた。


「……あ」


驚いたのは本人だったらしい。泣こうとして泣いた顔ではなかった。ただ、触れた瞬間に溢れてしまったのだ。


「シオン?」


ロルフが呼ぶ。


シオンは塚へ手を当てたまま、震える声で言った。


「優しいです……やっぱり」


ぽつり、ぽつりとこぼれるような声だった。


「苦しいのに、ずっと静かで……僕のことも、白いのも、憎んでない。ただ……これ以上、土の上へ出さないようにしてる」


シオンの指先に、かすかに黒紫の気配が滲む。


それは白い根に対抗するための毒ではなかった。もっと自然に、自分の中にあるものが、この塚の土と同じ響きへ触れた時の反応だった。


塚が、ほんのわずかに脈打つ。


ロルフは息を止めた。


生き返るとか、話しかけてくるとか、そういう派手なものではない。

 けれど確かに、土の下にあるものがシオンへ応えた。


「……繋がったな」


ロルフが低く言うと、シオンは涙を拭うこともせず頷いた。


「はい……少しだけ。でも、わかります。ヴェルン様は……ここで白い裂け目を抱え込んでる」


大司教の喉がひどく重そうに鳴る。


「抱え込んで……」


「封じてる、というより……押し返してるんです。毒も、癒しも、全部切り離したままにしないように……ずっと、遅らせてる」


それは上の石板にあった言葉と重なっていた。


片側を封ずるのでなく、巡りを遅らせる。


ロルフは塚の縁を指でなぞった。

 強い。

 だがもう、ぎりぎりだ。


白い根はこの部屋の外縁で何本も脈打っている。塚へ近づけないだけで、諦めてはいない。少しずつ削ろうとしているのが、土越しに伝わってくる。


「……長くは持たないな」


ロルフの率直な言葉に、誰も反論しなかった。


フィンが地脈計を握る手に力を込める。


「はい。支えが残ってるから押し返せてますけど、白い本流の圧が強すぎる。しかも、奥にまだもっと太い脈がある。この塚が止めてるのは、その手前だけです」


「つまり、本体はさらに下」


カッサンが言う。


ロルフは頷いた。


「ええ。ここは最後の砦に近い。でも、根っこそのものじゃない」


その言葉を待っていたみたいに、部屋の奥の壁が低く鳴った。


どくん、と。


重い鼓動が、土を伝って部屋全体へ広がる。白い根が外縁で一斉にざわめいた。シオンが塚へ触れたまま、びくりと肩を震わせる。


「……旦那様」


「ん?」


「下、です」


シオンの目は閉じられていた。

 けれど見えているのだろう。

 この塚のさらに下。白い裂け目のもっと深い場所が。


「ここから、まだ落ちます」


「道はあるか」


「あります。……でも、細いです。ヴェルン様が、最後まで残した道だと思います」


その時、塚の奥――部屋の一番暗い壁際で、土がわずかに崩れた。


全員が反射的にそちらを見る。


崩落ではない。

 壁の一部が、呼吸するみたいにゆっくり沈んだのだ。


ロルフはすぐに立ち上がり、鍬を手に近づいた。壁へ手を当てる。やはりそこだけ、裏が空いている。しかも白い根の気配が薄い。塚の支えが最も強く効いている場所なのだろう。


「……開くな」


ロルフが言うと、フィンが半歩前へ出る。


「道ですか」


「ええ。たぶん、次の」


大司教が塚へ視線を残したまま、掠れた声で言う。


「この方を……置いていくのですか」


それは責める声ではなかった。

 ただ、ここで長く耐え続けてきたものを前にして、簡単に背を向けてよいのか迷う気持ちがそのまま出ていた。


ロルフは少しだけ塚を見た。


ここで全部助けられるなら、そうしたい。

 だが違う。

 この塚はずっと“待っていた”。

 ここで終わるためではなく、もっと下へ手を伸ばしてもらうために。


「置いていくんじゃないですよ」


ロルフは静かに言った。


「根っこを触りに行くんです。そうしないと、この土も持たない」


その言葉に、シオンが顔を上げる。


涙の跡はまだ頬に残っていたが、その目にはさっきまでよりはっきりした意志があった。


「……はい」


シオンは塚へもう一度触れ、それからそっと手を離した。


「待っていてください」


それが誰に向けた言葉なのか、誰にも確認する必要はなかった。


部屋の奥の壁際では、土の沈んだ場所がまだ細く開いたままになっている。

 白い根はそこへ届かない。

 塚が最後に残した、下への道なのだろう。


ロルフは鍬を肩へ担ぎ直した。


「行こう」


土になった神子が残した祈りの下へ。

 白い裂け目の根がある、そのもっと深い場所へ。


重い鼓動が、また一つ鳴った。

 今度は、待っているというより、急かしている音だった。

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