08:ラブレター -前編-
「あのっ」
「ん?」
朝、いつものように電車の到着を待っていた俺は、ホームで突然見知らぬ女子に話しかけられた。見れば同じ学校の制服を着ているので、知り合いでこそないが同級生か先輩のどちらかであることは明白だ。
「突然声かけちゃってすいません。これ……」
そう言って彼女が差し出してきたのは、一枚の真っ白な封筒だった。裏面はご丁寧に赤色をしたハート型のシールで封がされている。
(こ、これって……ラブレターってやつか!?)
生まれてこの方ラブレターを貰ったこともなければ、ここまでベタな見た目のものを目にしたこともない。さらに言えば、告白を受けた経験も無い俺にとってはあまりにも急な展開ではあったのだが。
(まさか、俺に一目惚れしたけど直接言えないからって手紙を……)
「ち、千蔵くんに渡してください……!」
「へ……?」
そう言うが早いか、彼女は引き留めるなどという思考に辿り着く間もなく、とんでもないスピードでその場から走り去ってしまった。手元に残された封筒を見下ろして、現実へと意識を引き戻された俺は深い深い溜め息を吐き出す。
(……だよなぁ、こんな展開マジであるもんなのかよ。漫画じゃん。つーかあの子同じ電車乗るんじゃねーのか?)
次々と浮かぶ疑問に眉間に皺を寄せていると、到着した電車の中からいつものように千蔵が姿を現した。
「おはよ、橙」
「っ……はよ」
俺は咄嗟に封筒を鞄の中に押し込んでから、すぐにそれを後悔する。渡せと言われたのだからさっさと渡してしまえば良いものなのに、顔を見てすぐに渡しづらくなってしまったのだ。ひとまず電車に乗り込んで吊り革に掴まり、電車が動き出すのを待つ。隣に立つ千蔵から視線を感じる気がするが考えすぎだろうか。
「どうしたの?」
「へっ!? どうってなんだよ?」
「……もしかして体調悪い?」
実は電車の中から封筒を見られていたのではないかとドキドキするが、続く問いと共に伸びてきた手が俺の首筋に触れる。
「ふぁっ!?」
少しだけ冷たい指先がなんの前置きもなく肌に触れたことで、俺は情けない声を上げてしまって急激に顔が熱くなった。
「あ、ごめん。熱あるのかなって思ったんだけど」
「だからってなんで首なんだよ!?」
「家族がこのやり方だからつい」
改めてごめんと謝ってくる千蔵に悪気はないようなので、俺はそれ以上を怒る気にもなれずに感触の残る首筋を擦る。普段人に触られる場所でもないせいか、まだそこに指が触れているような気さえする。
「……橙、もしかして首弱い?」
「はあ!? 急に触られたら誰だってそうなるだろ!」
「ふふ、それはそう」
それでもからかうように問われれば、今度こそ反論の声が上がるのは致し方ない。「周りの人が見てるよ」と指摘する千蔵をじとりと睨みつつ、動き出した電車に揺られる。
(くそ、ヘッドホンがあればガードできてたのに……あれ?)
ふと、そこまで考えて俺は違和感を覚える。改めて己の首元に触れてみれば、千蔵の不意打ちの感触は残っているものの、首周りを遮るものはYシャツの襟以外に存在しない。
(……ヘッドホン、家に忘れてきた)
過呼吸の症状を起こしてからというもの、俺にとってヘッドホンは何よりの必須アイテムといっても過言ではない。これまで寝坊をした日だろうと悪天候の日だろうと、それを忘れることは一度だって無かったのだ。それが今日は、ヘッドホンが無いということに今の今まで気がつかずにいた。
(そういや、最近は電車乗る前の不安も感じなくなったな)
それがゼロになったとは思わないのだが、以前は外に出てから安心できる場所に移動するまで、何もかもが不安でしかなかったのに。そんなこととは露知らずの隣の男を横目に見れば、俺の視線に気づいたらしい千蔵はこちらを向いて表情を和らげる。
(友達パワーってスゲーんだな)
こんなにも大きな変化をもたらしてくれたのは、間違いなく千蔵のおかげなのだろう。ならば何か恩返しをしなくてはならないとも思う。見返りを求めるタイプではないのだろうから、きっとコイツはそんなもの必要ないと言うかもしれないが。
(かといって、礼って何すりゃいいんだろうな)
日頃他人に物を贈るようなことはした覚えがないし、贈り物のセンスがあるかと言われれば正直自信もない。どうしたものかと頭を悩ませかけたところで俺の脳裏に浮かんだのは、ホームで受け取ったあの白い封筒だった。
(……女子に告られたら、嬉しいよな。普通)
俺の主観だが、封筒の主はなかなか可愛い子だったと思う。あの封筒の見た目からしても中身は十中八九ラブレターだろうし、もしかしたら俺が千蔵と彼女のキューピッド的な役回りになるのかもしれない。
「なあ、千蔵」
「ん? なあに?」
学校の最寄り駅に着いた電車を降りたところで、俺は人の波から外れて千蔵を呼び止める。鞄の中に手を突っ込めば目的の封筒はすぐに見つけられたものの、どうしてだかそれを引っ張り出すという行為に上手く力が入らない。
「どうかした? もしかして、やっぱり調子悪い?」
こんな時でも、千蔵は相変わらず俺の体調を気遣ってくれている。過呼吸の症状も落ち着いたのならもう付き添ってもらう理由もなくなるし、俺の世話なんか焼いていないで自分の幸せを考えた方がいい。
「……これ」
ようやく取り出した封筒を差し出すと、千蔵は両目を見開いてそれを受け取る。王子なんて呼び名が付くほどモテる男だとは思っているが、もしかしたら千蔵もこんなベタなラブレターを貰うのは初めてなのかもしれない。
「なに、これ……?」
「おまえに渡してくれって、今朝知らない子から」
「あ、なんだ……そういう……」
状況を理解したらしい千蔵はなんだか複雑そうな顔をしている。普通は嬉しいものではないかと考えたが、封筒を見ただけでは相手がどんな女子かはわからないのだから、反応に困っているのだろうか。きっと千蔵にだって、少なからず女子の容姿の好みくらいはあるはずだ。
「あー……結構可愛い子だったぜ?」
「……そう」
「……千蔵?」
俺が与えられる限りの情報を与えたつもりではあったものの、やはり主観では判断材料にはならないのかもしれない。妙に反応の薄い千蔵はその封筒を鞄にしまい込むと、「行こう、遅刻する」と俺に背中を向けてくる。想像していた反応とは違うけれど、ずっとこの場に留まるわけにもいかないので俺も千蔵に続くことにした。
「…………」
「…………」
「……それ、返事とかすんの?」
普段は自分から喋ることも多い千蔵の口数が少なくて、いつもは居心地のいいはずの空気が重い。それに耐えきれなくなった俺は、なんとなく場を持たせようと質問を投げる。
「気になる?」
だというのに返ってきたのは回答ではなく素っ気ない問い掛けで、少しだけムッとしてしまう。
「そりゃ、ラブレターなんて本物見たの初めてだしよ」
「……そう」
どことなく空返事に聞こえる千蔵は結局教室に着いてもそのままで、いいことをしたつもりだったのに、その日はずっともやついた感情を抱いたまま過ごすことになった。




