11:体育祭 -前編-
「いいぞー、橙ーっ! 行けーっ!」
クラスメイトからの声援を背中に受けながら、俺は目の前に対峙する男の額に集中する。奴の視線は右前方から来る別部隊からの突撃に気を取られていて、今まさにその命を刈り取らんと距離を縮める俺の方まで意識が向いていない。
(今だ……!)
額目掛けて思いきり腕を伸ばした俺は、そこに巻かれていた白いはちまきを流れるように奪い取る。
「あーっ!! やりやがったな橙!」
「っしゃ、これで三本目!」
悔しがる負け犬の遠吠えを尻目に、自身の腕に掛けられたはちまきの数を見て俺は勝利を確信する。それと同時に終了のホイッスルが鳴り響いて、騎馬戦は俺のチームが危なげなく勝利を収めた。
今日は待ちに待った体育祭当日。身体を動かすことが好きな俺にとって、ずっと楽しみだった行事の真っ只中だ。
「キャーッ! 千蔵くん頑張ってー!」
「王子ーっ! こっち向いてー!」
続いて二回戦に出場する選手が登場すると、これまでとは比較にならない黄色い歓声が上がる。歓声の先にいたのは赤いはちまきがよく似合う千蔵の姿だった。一体どこから持ち出してきたのか、まるでアイドルのコンサート会場かと見紛うほど観客席には色とりどりのうちわが密集している。
一方で騎馬として動く千蔵は声援を特に気に掛ける様子もなく、目の前の勝負に集中していた。おそらくは司令塔として役割を果たしているのだろう。無駄のない足取りでチームに指示を出し、最短ルートではちまきを奪取させているようだ。
「あいつ、運動神経まで抜群なのズリ―よなあ」
「さっすが王子。コケろー!」
「ちょっと男子! 王子になんてこと言ってんの!」
外野からヤジが飛び交ってはいるが、誰も本気でそう思っていないことはわかるので一種の戯れなのだろう。
そうして午前の種目を無事に終えた俺たちは、一旦休憩を挟むと共に昼食の時間を迎える。全力で動き回ったこともあってか俺の胃袋は限界を訴えていて、一刻も早く腹に何かを入れたい衝動に駆られていた。
「橙、たまには一緒にどう?」
「千蔵」
教室の中でどこで昼食にするかと考えていた俺の肩を叩いたのは、同様に弁当を片手に持った千蔵だった。特に断る理由もないので、俺は空いている手近な席同士を寄せて食事スペースを作る。
「午前中だけでも結構動いたね。汗臭かったらごめん」
「そりゃお互い様だろ、つーかおまえも汗とかかくんだな」
「当然でしょ、オレのことなんだと思ってるの」
向かい合う千蔵の弁当の中は栄養バランスの考えられた、見た目にも彩り鮮やかで食欲をそそるおかずが詰め込まれていた。
(ウチはおふくろが作ってくれてるけど、千蔵んちは誰が弁当作ってんだ? 父親か、妹……? いや、千蔵が作ってるって可能性も……)
「橙? そんなじっと見られたらドキドキするんだけど」
「はっ……!?」
わざと照れたように口元に手を当てる千蔵に、俺はジロジロと見すぎていたことに気づかされて挙動不審になる。
「おっ、おまえじゃなくて弁当見てたんだよ……!」
「え、そうなの? てっきりオレのこと見つめてるのかと」
「ちげーっての!」
「っ、はは……! そんな必死に否定しなくても」
口元の手をそのままに肩を震わせる目の前の男は、俺の反応を楽しんで笑いを堪えているのだとわかる。目尻に涙が滲んでいるようにも見えるので、場所が場所なら声を上げて笑っていたのかもしれない。
「っ……」
そんな千蔵の姿はあまり学校で見られるものではなくて、案の定こちらを気にしていた女子たちが教室の端でざわついているのが目についた。
(ここでそういうツラしたら見られるだろうが……って)
不満を感じる思考回路の不自然さに気づいたのは千蔵の笑いが落ち着き始めた頃で、俺は脳内で慌てて己の考えを訂正する。
(見られたからなんだってんだ……!? 千蔵がどんなツラしてようが、俺だけのもんじゃねーっての……!)
俺だけが知っている千蔵の顔。ダチに対してそんな風に思うこと自体が間違っている。ようやく笑いが収まったらしい千蔵は、箸を持ち直すと弁当箱の中から摘まみ上げたおかずの一つをこちらに差し出す。
「どーぞ」
「えっ……なんだよ?」
「食べたくて見てたんじゃないの?」
「そ、そういうわけじゃ……」
確かに美味そうだと思ったのは事実だし、未だ空腹を訴える胃袋にてりやきソースを和えたと思しき野菜の肉巻きは、とんでもないご馳走に見える。食いたい。けれどここは教室だ。千蔵のまさかの行動に男子も女子も全員が俺たちに注目していると言っても過言ではない。そのくらいに突き刺さる視線を感じる。
(こ、この状況でアーンなんて恥ずかしすぎることできるわけ……っ!)
「違ってもいいや、自信作だから良かったら食べてよ」
「えっ……」
そう言って差し出してきた肉巻きを、千蔵は俺の弁当箱の隅に乗せる。鎮座した肉巻きと千蔵の顔を交互に見た俺は、己の勘違いに瞬間的に顔から火が出そうになるのを感じた。いや、出た。
(なんで当然のように食わせてもらう前提で考えてんだ俺ッ……!? 腹減りすぎて脳みそイカレたのかよ!?)
羞恥心ごと飲み込んでしまおうと、置かれた肉巻きに箸を伸ばして口の中に放り込む。素早く咀嚼して飲み込んだ肉巻きの味はほとんどわからないまま、随分と遅れて千蔵の言葉が脳内に反芻された。
「自信作、って……おまえが作ったのか?」
「うん、そうだよ。どうかな?」
「う、美味い……と思う」
味わうこともなく勢いのまま食べてしまったことを後悔するが、さすがにもう一つ寄越せなどと言えるはずもない。言えば千蔵は喜んで譲ってくれるのかもしれないが。俺の心の内など露知らずの千蔵は、返答に満足したらしく表情をゆるめて食事を再開している。
口内に残る甘じょっぱさを消してしまう勿体なさを少しだけ感じつつ、俺も自分の弁当を食べ進めていくことにした。
「そういえば橙、騎馬戦大活躍だったじゃん」
「まーな。つってもおまえだって結構活躍してたろ」
「あ、見ててくれたんだ?」
「そりゃ、チームの勝利にはおまえの活躍もかかってるからな」
そうは言ったものの、見るなと言われても見ない方が無理だろう。動きというよりも存在が目立つのだから、千蔵が場に出ていれば誰もがそちらに注目するはずだ。
「……人目は大丈夫?」
不意に千蔵が声を潜めたので、必然的に聞き取りやすいよう少しだけそちらに身を寄せる。
「体育祭って楽しいけど、種目に出場してる間って注目されるから」
「ああ、平気。喋れる相手もいるし、集中できるもんがある時はな」
「そっか、それならまずは安心かな」
まさか、体育祭の間もこちらを気に掛けてくれているとは思わなかったので、ホッとした様子の千蔵に驚いてしまう。
「何かあったら、オレのところに来ていいから」
「過保護。何もねーって」
「無いなら無いでいいんだって。念のための保険だよ、オレが安心したいだけ」
千蔵のそばで感じる居心地の良さは相変わらずで、むしろ心地良さが増しているような気さえする。それはひとえに、こうしてこの男が常に俺のことを気遣ってくれているからなのだろう。
(千蔵は、なんでそこまでしてくれんだろうな)
損得勘定で動く男ではないのだろうが、千蔵という人間を知る度にますますわからなくなる。
『嫌じゃないならそばにいて』
そう言っていた千蔵の顔が思い浮かぶ。甘えていいと言われているのだとしても、そうすることでコイツに何かメリットはあるのだろうか。
(千蔵って、世話焼き体質なのかもな)
そんなことを考えながら、俺は午後の種目に備えるために腹を満たすことに専念した。




