迎え祭る 一
冷たく澄みきった大空は、明るい軽やかさを示してこの街を包んでいた。その空の下には、あらゆる建物の色かたち、路を行き交う喧噪のこもった、建物の頂が見渡せた。
その日は特別国会の召集日でもあり、当選した議員たちは開門とともに国会議事堂の正門から入り、初登院の儀式に臨むことになる。そして午後になると、衆参両院の本会議で首相指名選挙が行われ、与党の女性党首が内閣総理大臣に選出されるのである。
この国の、そんな節目の大切な日に、学校から帰ってきたばかりの俺はミカンコお嬢様に呼び出され、慶将の乗る公安さんの車へ押し込まれた。
そこから木村氏の運転で三十分ほど走って、大きな駅のある隣接市の高台にまでやってくると、そこに停めた車の中から、俺は窓枠に顔面を押し付けられるようにして、眼下のとんでもねー光景を見せられることになるのである。
「おいおい、どっからあんなでっけーもンがやってきたのよ」
「やってきたというよりも、生えたという感じかな」
俺の背後からは慶将が、自分の意思よりも先に本能がその対象を逃すまいと、もう夢中になって目を凝らしている。この俺が苦し気に窓ガラスに顔面を押しつけられ、豚鼻にされていたのもそのためである。
「おいちょっと、苦しいって!」
「この時代にあんなものを見せられて、キミは興味がないのかい?」
「興味はあるが、いい加減どきやがれ!」
俺はそう怒鳴ると、重たく覆いかぶさってくる慶将を、もう肘で邪険に押し返すのだ。
この街の中心には、天から打ちつけられたように巨大な円柱状の塔が一本、堂々と聳え立っている。
西日の下にうす黒く、所々錆びたような外観を呈するその塔は、あえて申すのなら海に潜むチンアナゴの一匹が、押し合いへし合いして高層ビルの隙間から、うっかり顔をのぞかせてしまったような印象であった。
「アレ、やっぱ俺関連なの?」
「まず間違いないだろうね。なんという魔人かは知らないが、平安時代の聚抄にも鬼の一種とされた筒状のものが描かれているから、それの亜種といったところじゃないのかな。他の文献では山の神とも評されているようだよ」
「ふうん、神さまねぇ。その神さまがなんだってあんな立派そうなご神体を街中におっ立ててんのよ」
そのご神体の足元では自重で道路が大きく陥没しており、急派された消防隊員が陥没穴の内部にまで入って、落下したばかりの軽自動車から運転手を救い出している。
その間にも周囲の土砂がぼろぼろ崩落し続けているので、県警は二次被害を恐れ、人々が興味本位に近づかないよう、規制線を張って注意を呼び掛けていた。
「地下ではガス漏れのリスクもあるようで、たった今、自治体から周辺の住民に対し避難指示命令も出されたようですよ」
車の運転席からは、公安の木村氏が振り返りざまに現況を教えてくれる。
「うへぇ…」
俺はその後の被害を想像するともう言葉もなかったが、後ろのイケメンは冷静に、自分たちのすること以外、いっさい無関心という態度だった。
「そう気に病むことはないよ、ハンチ君。海のアレが上陸でもしてきたら、きっと人死にもたくさん出て、もっと酷いことにもなるのだろうし」
「今からそこまで悪辣な読みをしねーでも、あっちはあっちできちんと対策もしてンだからよっ」
俺の文句に悪びれるでもなく、慶将は笑いながら、コートの中からスマホを取り出した。
「で、どこ電話すンのよ」
と、俺はリンゴ社製っぽいそれをちらと覗く。
「ちょっと久場くんたちにね。今回は出番がなさそうだから、気楽にしていても構わないよって――」
「おいおい、こうしたときこそ、正義の警察ロボの出番じゃねーの?」
「本物の県警も大勢出張ってきているのにかい? 何も知らされていない職員に不審者―――いや、不審物扱いされて、真っ先に捕獲されるのがオチさ」
「すみませんねえ、まだ政府と一部の役人にしか知らせていないものですから」
木村氏もそこで毛根の少ない頭を掻いていた。
役に立ちそうだからと、ここで軽率にアニメ風のロボを持ち出してきても、市民から何かの番宣かと疑われて罵倒されるばかりか、その制作会社の方にまでSNSで非難轟々、大変なご迷惑をかけることにもなりかねない。
こうした場合、偽装のための外観が、むしろ余計な足枷となってしまうようなのだ。
俺は慶将と一緒に車外へ出ると、石でできた道路わきの低い防護柵に手をついて、遠く海原を真っ赤に染めている景色に目を細めた。
「なにやらシュールな眺めだね」
その歳でいったいどこから得てきた達観なのか、冷静な態度でいるイケメン小僧に、俺はひどく初歩的な疑問をぶつけてみる。
「ところでさ、アレ、動くの?」
「そりゃあ、動くだろうさ。現に自力で生えているんだから」
慶将は笑った。
あれをコンクリで造り上げたら、きっと途方もない質量の重量物になるのだろう。そんなものが動くというのである。
「なあ、いざっつーときには、やっぱ無茶してでも久場たちを呼ぶしかねぇんじゃねえの?」
「フフ、現実はいやなものだよね、世間から非難されるのはいつだって正義のヒーローさ」
「それでも、人死にがでるよかマシだろ」
「―――ということですが、木村さん」
慶将は振り返って、車の木村氏に軽く肩をすぼめてみせた。
「あのロボットをどのカテゴリーに落とせばよいのか、関連省庁も困っているらしくて、もし兵器とするなら、単に運搬するだけでも、防衛局を通じて自治体へ説明を行い、理解を求めるところから始めないといけないんですよ。ですから、今は建設用の重機という扱いにしているんですが―――」
それでも実際に運用するとなると、単に「現場で一緒に動く」だけでなくて、警備上の観点からも、その法的な裏付け、現場の細かいマニュアル作りに至るまで、関係省庁とも多層的なプロセスを経て取り決めをしておかなければならないというのである。
「ああもう、めんどくせえなあ役人って。それじゃあむしろ、あの山の神さまとやらにいちど暴れてもらって、市街地をぜんぶ整地してもらってからの方が早いんじゃねぇか?」
「まあ、格闘戦でもしたいのなら、そうなのだろうけど」
慶将も笑っている。
「でも大丈夫さ、先ほどミカンコさんから、向日葵さんを寄こすと連絡があったからね」
そういや、俺たちには究極の傀儡ちゃんがいたんだっけ。
「そのミカンコは、どこにいんの?」
「今は家の方だと思うよ。いろいろ情報を集めるのに身動きが取れないそうだ」
「ふうん。でもそっからじゃ、すぐっていうわけにもいかねぇよな」
それで、あの妙な塔の魔人を遠目に眺めながら、いつものように公安チーム御用達の缶コーヒーをもらって、口に含んだときである。
街の遥か上空で、きれいな夕焼けの一部がすっと抜け落ちたように、俺には見えた。
そしてそこを中心に、完璧なまるい円を描く白い輪が幾重にも―――天にたなびく一筋の雲も、空の彼方に飛ぶ鳥も、紅い煉瓦に囲まれた煙突から立ち上る黒い煙も、すべてをもろともにかき消して、急速に拡がってゆくのである。
どういう感じがそこから、この身にまで降りかかってくるのか、突然に始められた天空の異変に息を呑む間もなく、その衝撃の波を、石のてすりに尻を置いたまま、俺はまともに受けるのだった。
ごうごうと大気が唸り、街全体が悲鳴を上げた。
路上に吹っ飛びそうになった俺の視線の先では、砂塵が幾度も上空を薙いで、またそれを追いかけるように千切れた木の枝や屋根の瓦などがびゅんびゅん飛んでゆく。
俺の襟首を掴んだまま、慶将もなにやら叫んでいたが、しかしあいにくと、襟に首を絞められ窒息し掛かっている俺などは、鼻から無様にコーヒーである。
風が止んで、この背に肩にぱらぱらといろんな物が降ってくる頃には、俺は肺に酸素を求めて、肩で息をしながら大きくせき込むのだった。
「な、なにが起こりやがった?」
やっと声が出せるようになると、車の運転席からおそるおそる顔を出してきた木村氏が、遠くの黒い塔を指さしながら教えてくれた。
「あの巨大な塔が、ほんの一瞬だけ、私にはブレたように見えたのですが、おそらく振動か何かによる衝撃波ではないでしょうか」
「まだ、相即すら受けずにこれだけのことを?」
慶将も驚いた顔でいる。俺はと言えば、忘我の状態から引き戻された心地で天を仰ぐばかりである。
「はあ、つまりは何よ、まさかアレ、二匹目の神話クラスとか言っちゃうわけ?」
「そうかもしれないな」
さりげない慶将の返事だったが、俺には十分に衝撃的だった。
どこから取り出したのか、木村氏は小さな双眼鏡を両目に当てると、運転席から身を乗りだして遠望の被害状況を確認している。
「慶将くん、いったいアレは何のためにこんなことを?」
「さあ、僕にも皆目。本来ならば狗たちは、他の強者に自分が感知されることを恐れて、滅多にこういうことはしないはずなのですが、あの魔人は―――むしろ自分の力を見せつけている?」
俺は咄嗟に、「いや、ちがうぞ」そう答えて、言いよどんだ。
「なぜちがうんだ?」
地べたに座り込んだままの俺を見つけて、慶将は不思議そうな顔をした。
「いや、その…」
それはあくまで漠然とした感覚であったが、この胸中に充満している意志のようなものが、明確にそう否定していたのである。
そのことをどうこの男に説明すればよいのか、テーピングの巻かれた右手を見つめて悩んでいると、慶将もやおら身を屈めて、俺の肩に触れてくる。
「どうした、また怪我でもしたのかい?」
「そうじゃなくてよ」
俺は空いている手で髪を掻き上げながら、ぽつりとつぶやくように言った。
「なんか、右手が妙に軽いんだよ」
「軽い?」
これを敢えて女性たちにも分かりやすく申すのなら、便秘明けの尻のように軽いのである。
この、どうにもはっきりしない感覚を持て余しつつ、俺が訳もなく不安がっていると―――車の上にふっと人影が立ち現れた。
「お兄ちゃん」
その柔らかな少女の声音、俺を気遣うようにそっと声をかけてくる。俺はいかにも頼もしく信頼できる気持ちになって、安堵の笑みを振り向けた。
「よう、案外に早いな。もう来てくれたのか」
「うん、お兄ちゃん、すっごい目立っていたから」
「目立つ?」
向日葵ちゃんは遠くを指さして、街を横に薙ぐようにすっと動かした。
「ほら、みんなこっちを見ている」
それは抑揚を欠いたいつもの向日葵ちゃんの声である。
「誰が見てんだ?」
だから、俺もぼんやり聞き返していた。
ところが慶将の方はなにかに感づいたらしく、そこで慌てるように立ち上がると、つかつかと石の防護柵に歩み寄るのだ。
「おい、どうしたよ?」
事態を把握できないでいる俺の向こうで、慶将は立ち竦んだようにその背をこわばらせていた。このときすぐさま騒ぎ立ててこなかったのは、まだこの男のどこかにも、自身の判断を訝る思考が残っていたからなのか。
「つか、向日葵ちゃん、久しぶりにそのお面をしてるんだな」
俺は傀儡っ娘が頭にのせているお面を見つけて、口にした。女子のちょっとした違いに興味を持つよう心がけるようになったのも、前回の失敗があったからである。
「うん、これは特別製。お姉さまが、いざというときに…」
「なんだよ、鎌倉でも行くのか?」
そう言うと、向日葵ちゃんは可笑しがっているのか、そんな印象がこの娘の態度からは見てとれる。そのぐるぐる描かれたお面の文字ですら、なんだか妙に愛らしい。
「木村さんっ、すぐに移動しましょう!」
慶将はやおら声を上げると、運転席にまでいって顔を突っ込んで、険しい口調でやりとりをしながら、俺にもさっさと車へ乗るよう急かしてきた。
「なんなんだよ、いきなり」
「いいから!」
慶将は俺の腕を取り、有無を言わさぬ態度で命じてくる。ところがもう片方の腕を、向日葵ちゃんが掴んで離さない。その微動だにしない円らな瞳を無言で睨み返していた慶将は、軽く頷くと、あっさり手を離すのだった。
「では、この彼はあなたに任せますよ。どのみち、狭い道路では車もスピードが出せませんから」
「お兄ちゃんは向日葵が守るよ」
これから何が起きるのか、まったく理解できないでいる俺の胸に、その向日葵ちゃんが自然な流れで飛び込んでくる。それで俺もつい抱きしめてしまったが、次の瞬間、悲鳴を地面に置き忘れて、俺は宙を跳ぶことになるのだった。




